ちよこの風に吹かれて旅の空2

ちょこの風に吹かれて旅の空の続編

現在の状況

2022年02月05日 | 日記

救急病院の先生もこのままでもいいけど

手術した方が早く治るから

かかりつけの病院でよく相談するようにって

言われていたんだけれどね。

31日に診察に行ったら手術した方が早く治るって。

ゲッ、もう2度と入院嫌だっ!!

と、ごねた結果、一泊二日になりました。

3日に入院、4日に帰ってきました。

手術したらすぐにでも使えるって話だったけど

いまだ動かないよっ。当然だよね。

まっ、そんなには早く動かないよね。

でも手術してよかったことが一つ。

骨折は一本だと思っていたのですが

二本とも折れていたことが判明。

今、二つのフレートが入っています。

今、バンバン腫れてこんな感じ。

あんまりうまく写せなかったけど。

そうそう、いたかったよー。

三日、手術した日の夜は脂汗で痛みとの戦いでしたぁ。

四日も痛みと闘いながら片手で荷物詰めて

退院してきました。

看護婦さんに何度も一泊で大丈夫ですかって

確認されたけど帰ってきたらあんなに痛かったのに

緩和したよ。げんきんなものだね。(笑)

やっぱり家族って最高だね。

とにかく、パピィとキラにはいっぱいお世話になりました。

トイレも一人で行けずお風呂も入れず、

2人は介護の予行練習なんていいながら

いろいろやってくれてます。

キラは今、学校がリモートなので

授業の合間に昼食を作り、夕食も作ってくれています。

パピィにはいろいろお世話になりました。

感謝、感謝です。

いつもはくそ爺なんて呼んでるけど

今後はくそをとって爺さんにしておきましょう。( 笑)

来週からリハビリです。

まだまだ続きますが頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

 


落ちた日の事ー病院編

2022年02月05日 | 日記

さぁ、やっと病院に着いた。(´▽`) ホッ

救急士さん達が病院の中に運んでくれました。

出てきてくれた先生に状況を説明する救急士さん。

お礼も言えないまま、救急士さん達とはお別れになりました。

救急車に乗ったのが6時48分。

最終的に救急病院に着いたのが10時半くらいかな。

4時間近くの流浪の旅は終わりました。

あまり病院の事は覚えていないんだけれどね。

どうやって背中のレントゲンを撮ったのか、

手のレントゲンを撮ったのかは、

あまりの具合の悪さに正直覚えていないけど、

寝たまま待っている時、先生の声が聞こえた。

「砕けてるな」

ゲッ、頸椎かぁ、やばい!!

なにしろ、4年前、頸椎の手術してて

プレートが4枚か5枚はいってる。

頚椎の1番は脳に近く手術不可能。

7番は手を動かす場所に近く手術不可能。

と言うので可能な場所にはプレートが入ってる。

見つかった時は半身不随一歩手前だったんだよね。

だから頭の髪の毛の中から背中にかけてかなりの手術跡がある。

またそこやったらやばいなんてもんじゃない。

が、先生が来て言うには背骨が骨折しているとの事。

頚椎じゃなかったのは(´▽`) ホッだけど・・・

背骨かぁ。おきあがれなかったわけだよね。

手は手首が骨折しているとの事。

頭に異常なしというのでちょっと安心。

大丈夫ですよって優しく説明してくれて

3度ほど手を引っ張って骨を戻し、

その痛めた腕を両手でくるんで

「大丈夫ですよ。骨は元の位置に戻したし

心配ないですよ」

ってにっこり笑うの。暖かい笑顔でした。

そして気がついたらジャニーズ顔負けのかなりのイケメン。

目がぱちくりしちゃった。

でも体中激痛でときめくどころじゃなかったけどね。

キャハハハハッ。

入院してもいいけどここは自宅から遠いから

近くの病院でみいもらったらどうかという先生の助言を受け、

帰ることにしました。

本当に私を受け入れてくれた病院、先生、

看護師さん、ありがとうございました。

落ちた日の事ー完


落ちた日の事ー救急士さんに感謝編

2022年02月05日 | 日記

病院が見つからないまま、時間だけが過ぎていきました。

20分、病院みつからないと東京ルールにより

どこの病院かわからなけど相談する病院があるらしく

その病院も探してくれるらしい。

その病院と相談しつつ、救急士さん病院探し。

11件、17件と電話をかけ続けるも見つからず・・・

頭も打っていたので脳外科と整形科を探していたけど

とりあえず意識はあるので整形科を探すことになったみたい。

その後も救急士さんの奮闘は続きました。

そしてやっと一院、見つかりました。

救急車に乗って2時間以上過ぎたころでしょうか。

やっと救急車は出発しました。

やっと病院に着き、

診察してもらえるとおもったのもつかの間、

私が立って診察が出来ないとわかるとけんもほろろに断られました。

「うちは立って診察が出来るって言うから受け入れたんだ。

立てない患者なんか診られないから帰ってくれ」

怒鳴られる救急士さん。

あんなに頑張ってくれたのに申し訳ない。

すみませんって言ったら、

「いいんですよ。ボクの力不足なんですから必ず

病院は見つけますからね。頑張ってください」

って優しく言ってくれました。

涙が出るくらい嬉しかったです。

ありがとう、救急士さん。

それから再び、病院探しが始まりました。

幸いにもそれからしばらくして

脳外科と整形科の受けれてくれる病院見つかりました。

「ここから近いですからね、もう少しですよ」

救急士さんに励まされながら再び救急車は動き出しました。

それから10分ほどで病院に到着。

ありがとうございました、救急士さん達。

ろくにお礼も言えないまま病院の中に。

正直、あの時、お世話になりながら

3人の救急士さんのお顔、苦しくて見られませんでした。

だから今あってもわからないかもしれないです。

ごめんなさい。でも心から感謝しています。

感謝しても感謝しきれません。

このコロナ禍でいかに救急士さん達が大変かわかりました。

どうか皆さん、いたずらに救急車は呼ばないでね。

本当にどう感謝していいかわからないほど

お世話様になりました。ありがとうございました。

病院編に続く


落ちた日の事1

2022年02月05日 | 日記

ご無沙汰しました。

まだ右手はアウトですが少しずつ頑張ります。

今の状況とか書きたい所ですが

まず、どうしても書きたい所から書きます。

1月2 2日、夕方6時過ぎ、

キラが作るスープパスタの香り漂う中、

食べるの楽しみに階段を一歩踏み出したとたんに滑り

上からどうころがったのか転落。

まったく動けなくなりました。

パピィは動揺して救急車も呼べない状態。

そんな中、キラは驚くほど冷静。

私の右手を見て、

「多分折れてるよ、救急車呼んで!!」

しかしパピィは動揺しててオロオロ中。

「わかった、私が呼ぶ」

キラは実に冷静でした。

救急車はしばらくして来てくれました。

どうやらわが町の救急車はではらっていたのか

隣町から来てくれました。

隊員の人達は私の状況を調べ言いました。

「必ず病院は見つけます」

その意味をしばらくして実感することになります。

さぁ、やっと担架に乗せられ救急車に・・・

そしたらパピィが救急士の人にいうのよ。

「おもいですよ、持てますか」

おぃおぃ、なに言ってんのよ、私がデブだとも?

まっ、デブだけどさ。

ほんと、どこ心配してんのよ。

と、言う訳で救急車に乗ったものの救急車は出発せず。

救急士さん達は3人がかりで何件もの病院に電話。

でも受け入れ病院は見つからず時間ばかりが過ぎていく。

その間にも私の右手はどんどんと腫れていきました。

長くなるので次へ続く