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まさおレポート

カラマーゾフの兄弟」訳者 亀山郁夫氏が追及する一貫するテーマは「黙過」

亀山郁夫氏訳の「カラマーゾフの兄弟」を読んできた割にはこの訳者について関心が薄かった。気になる記事が目に入ったのでメモしておきます。

黙過と言う言葉つまり見てみぬふりが飛び出してきた。イワンがスメルジャコフの父殺しを黙過したことや神が大審問官に沈黙のキスをしたこと、あるいはゾシマ長老の死体が腐敗臭を漂わしたことに誰も公然と批判しないことなども指すのか。

幼児殺しなどの残虐行為を神が黙過するのはなぜか、それでも終末には殺人鬼も幼児のお母さんもみんなで手を取り合って大団円などふざけるなと。なるほど一貫するテーマは黙過か。

神的第三者の視点を超克するのは、個別の肉体への想像力、文学の力を信じたいとは深い。


暗中模索、全身全霊で挑んだ仕事は、最高の評価と強烈なパッシングを得た。もう一度挑み、矛盾を乗り越えたい。そんな夢もあります。

一貫するテーマは黙過です。神の不在のうちに神と化した人間が殺戮を繰り返す。神的第三者の視点を超克するのは、個別の肉体への想像力です。文学の力を信じたい。亀山郁夫

文藝春秋の広告コラムより。


栃木県の教育者の家に生まれた私は、6人兄弟の末っ子。子供のころから読書や作文、音楽に熱中していた。しかし、けっして明るい少年時代とはいえない。父の存在が家庭に暗い影を落としていたからだ。

障害を持って生まれた長兄は学校の成績が芳しくなかった一方、次兄はとても優秀だった。それもあってか、父は次兄をかわいがるのに対し、長兄のことはどこか疎んじているように私には感じられた。日経新聞より

 教師だった父は非常に厳しい人で、自らの理想を追い求める教育者でした。40代初めで栃木県真岡市の教育長を務めましたが、部下が起こした不祥事の責任を取って失脚し、一介の中学教師に。挫折の人生を送った人でした。

 僕は6人きょうだいの末っ子。長男の兄は、ものすごく精密な鉄道の絵を描いたり、各地の駅の名前を覚えていたりと、天才肌の人でしたが、父の期待通りではなかったようでした。長男だけを露骨に差別し、食事も一緒にとらなかったほど。だから、いつも家庭の空気が重苦しかった。自分も幼心に正義感が働き、子どもを差別する父が憎くて、うっとうしかった。

 初めてドストエフスキーを読んだのは中学3年。父が子どもに読ませようと買いそろえた世界の文学全集の中から、たまたま手に取ったのが「罪と罰」。あんな分厚い本を読んで、嫌いな父を驚かせてやりたい、という気持ちがありました。

 読み始めると、物語に見事にのめり込み、主人公のラスコーリニコフに完全になりかわった。そこから、今に至る人生のすべてが始まったような、強烈な読書体験。ある意味、「自立して大人になれ」との父からのメッセージだったのかもしれません。

 「カラマーゾフの兄弟」は、酒飲みでけちで、女好きなカラマーゾフ家の父、フョードルの殺害の謎を巡るミステリーで、殺したのは四人兄弟の誰なのか-という物語。高校2年の終わりに読んだとき、「父殺し」という言葉を見て、ショックでした。「父がいなくなればいい」という、自分の中にある潜在的な思いを発見させられたようで、うしろめたくて父の顔を見られなかった。

 カラマーゾフの兄弟に出てくるフョードルの三男、アレクセイには、どうしようもない生みの父と、ゾシマ長老という、優しく導いてくれる精神的な父がいます。僕にも2人の父がいました。

 1人は嫌いだった生みの父。もう1人は、常に自分を気に掛けてくれた東京外国語大の恩師。僕は、自分に愛情を持って接してくれる年上の男性にいつも、精神的な父を感じます。生みの父に代わる理想的な父を求めていたのだと思います。

 父親とは何なのでしょうか。僕には長女と長男がいて、今は2人とも自立して頑張っていますが、僕が40代のころ、突然に「自分が死んだ後、子どもがものすごい不幸に見舞われるのでは」という恐怖に襲われたことがあります。子どもが苦しんでいるのに、全く手助けできず、分厚いガラスの向こうから見るしかない。どうして、こんな感情がわいてくるのか。もしかしたら、これこそが根源的な父性愛なのかな、と思います。東京新聞より

カラマーゾフの兄弟に関心のある方はどうぞ


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