まさおレポート

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今日の音楽 スタンド・バイ・ミー

2018-05-31 | 小説 音楽

When the night has come

And the land is dark
And the moon is the only light we see
No I won't be afraid
No I won't be afraid
Just as long as you stand, stand by me

And the mountain should crumble to the sea

I won't cry, I won't cry

No I won't shed a tear…

このスタンド・バイ・ミーを聞くたびに思いだすことがある。映画では作家ゴードンは弁護士クリストファー・チェンパーズ刺殺されるという記事から、少年時代を思いだす。弁護士クリストファー・チェンパーズは、ゴードンの子供の頃の親友だった。

12歳、ゴーディは、オレゴン州の田舎町で育てられ4人の仲間はいつも一緒に遊んでいた。木の上の小屋に集まってはタバコやトランプに興じた。
不良グループである兄たちの会話から3日前から行方不明になっている少年が、30キロ先の森の奥で列車に跳ねられ死体になっていることを聞きつける。

死体を見つければ有名になる。英雄になれると死体探しの旅に出かけ、鉄道の線路に沿って旅を続け、夜は森で野宿をする。

ゴードンは将来に希望も持てないが、クリスから物書きの才能を必ず伸ばすように言われる。クリスは自分の未来も希望がないことを打ち明ける。ゴーディは、クリスに進学することを励ます。

大人になったゴードンは作家となりクリスは猛勉強して弁護士になるが10年以上も会っていなかった。ゴードンはクリスが殺されたとの新聞記事で懐かしい過去を思い出す。友情、複雑な家庭環境のなかで、あの頃のような友達は二度とできることはなかったと、ゴードンは静かに思い返す。

こんな筋だが自分の小学6年の頃の思い出と重なって心を温めてくれる。

小学校の夏休みの宿題はいつもぎりぎりになるまでしない。ようやくあと何日かで学校が始まると言う頃にようやく手をつけ始める。同級生の西堀君は模造紙を横長に切ったものを貼り合わせて巻物のような紙を作り、それに江戸時代の年表を書きこんでいる。私もそれに刺激を受けて似た作品に挑戦することにした。「やる気になれば一晩徹夜してでもやれる。夜は長い」そんな風な超楽観的な気持で夕食後に作業を始める。ところが1時間もすると睡魔が襲ってきてもうだめだ。

子どもの頃の夜はとてつもなく長いと思い込んでいたが、現実は睡魔に勝てずに眠ってしまう。子どもの観念上の時間感覚のいびつさと出来もしないことをできると思い込むお気楽さ。そんな毎日で夏休みの宿題が完成できずとうとう後2日で夏休みが終わる。これでは宿題を提出できないと困っている私に西堀君は別のテーマで下調べした資料を持ってきて完成を手伝ってくれた。

小学校6年の春に足の手術で入院した。3ヶ月後に退院したがまだ満足に歩けない、向かいの健ちゃんは大柄な友達で小学校まで私を背負って行ってくれた。しかし事情があってこの小学校を去り豊中市上新田小学校に転校した。

10数年程前にとある掲示板でふと目にした記事によって過去の記憶が蘇る。その掲示板には私と同時代に豊中の農村で子供時代を過ごしたという、ちょっとした記述があった。掲示板の管理者はその地で兎を追ったこともあるという。小学校のクラスの半分は農家の子供たちであったとも書かれている。ひょっとしてこれは私が過ごした豊中市上新田小学校のことではないのかと思った。しかし掲示板には箕面に集団で兎狩りにいったとも書かれているが、これは経験がない。やはり豊中の近隣の小学校のことだろうかと考えている内に記憶はその頃に戻り、追憶の風景の中をさまよい出した。

豊中市上新田小学校の校舎自体は今でも保存されている。大阪府の保存校舎に指定されて今から50年ほど昔の木造校舎(建築は1900年)のたたずまいをそのままに残している。もちろん現役の校舎ではない。そのあたりは既に高速道路が架かり大型団地や商業ビルが建ち並ぶ街にすっかり変貌していて全く往事の面影はなく、今やこのあたりに「兎おいし、かの山」はどこにも存在しない。

当時通信会社に勤めていた私は仕事で大阪のとあるNTT局舎を訪れた。ある大きな交渉事のためには現場作業をみておく必要が生じ、数あるNTT局舎のなかから指定された局に新大阪からタクシーで向かった。しばらくして周りの風景にかすかに見覚えのあることに気がついた。ひょっとしてこのあたりは私が小学校の時に見た風景ではないかと急いで住所表示を確認するとやはりそうだった、同級生たちがこのあたりの村に多く住んでおり、よく遊びにいった通り道だ。思いもよらない偶然の懐かしい訪問に興奮した私はNTT局舎での仕事のあとに、小学校跡地によってみた。

少し離れたあたりの風景は山野から高速道路の通る街に変身を遂げているがこの小学校跡地のあたりだけはほんのすこしだけ往事の面影を残していた。小学校の裏には雑木に覆われた小さな川がそのままに確かにあった。このあたりではな垂れ小僧共の様々なドラマも繰り広げられたことを思い出す。

表示がありこの小学校舎が保存指定建築になったのは、当時の木造建築の校舎モデルとして貴重であるためだとの説明があった。なるほど現在の目でみると映画のセットのように見える、平屋で教員室や音楽教室があり、教室は別棟でやはり木造平屋であったがそちらの方は取り壊されたのだろう。当時の先生方が廊下を往来する姿が記憶の風景に立ち現れた。

大好きな担任の滝口先生が宿直の時には放課後しょっちゅう学校に遊びに来ていろいろな話を聞かせてもらった。話の内容はほとんどというか全く覚えていないが、当時家庭環境まで含めていろんなことがうまくいかず、精神的肉体的に最悪であった12才の私に信じられない思いやりをもってよく相手をしてくれた。この当時の滝山先生は23歳の若さだ、わずか半年の在校であったがその思い出は生涯私を温め、苦境から抜け出る励ましとなってくれた。

それにしても大阪には千を超すNTT局舎があるはずだがそのなかでよりによって指定された局舎が懐かしい小学校跡地の近辺だった奇遇に感銘を覚える。あのタクシーが裏道である細い道を通ってくれなかったらこんな奇遇はあり得なかったのだから。


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