それから1年後の2006年も押し迫ってきた頃私はバリ島のスミニアックにビラを借りて長期逗留をしていた。このビラはスミニアック通りからほんの少し路地を入ったところにある。通りは車とバイクの往来が激しくて、夜も遅くまで人通りが絶えない。すぐそばには日本料理店「漁師」があり、手頃な値段で刺身が食べられるし、2,3分で巨大スーパー「ビンタン」にも行ける。ほんの少し通りから外れているだけでそのビラは静謐が保たれている。
約1年のアジアやヨーロッパ、モロッコ漫遊を経てバリで長逗留をしている。12月になるというのにブーゲンビリアは鮮やかな花を咲かせている。マンゴーがたわわになり、椰子の木の上には底抜けの青空に白い雲が浮かぶ。眼前にはプールが陽光をきらめかせている。
「オッホー オッホー オッホー」とひっきりなしに甲高い大きな声が聞こえてくる。又ビラの隣室の住人が赤ん坊をあやしている。普通の大きさの声ならほほえましいのだがとにかく野太く大きな声なのだ。
「なんとかならないものかな」と連れ合いに言う。
彼女もかなりいらいらしているが、なにせ子連れにはちょっと文句を言いにくい。
隣室には生後1年にも満たない子供ずれのフランス人一家が祖父母、カップル、孫と大世帯で滞在している。子連れのカップルの旦那は入れ墨にピアスでなにやらこの地で商売をしている風な、ちょっとえたいのしれない雰囲気で、女も極端に愛想が悪い。しかしこの点を除けば快適なビラだ。
プールサイドでパソコンを置きネットで調べ物をしているとビラのオーナーのエリックがやってきた。
「どうだ、株は儲かるのか」
「まあまあだね」
「私の知り合いは株で失敗して大損をした。私は怖くてできないが、おまえは大丈夫か」
「過去のデータを分析して、うまくいきそうなパターンを見つけたので、そのデータを根拠に取引している。」
「私はパソコンが使えないのでだめだね。こんど米国に留学している息子がここに帰ってくる。是非息子にそのノウハウを教えてやってくれ」
「オーケー、教えてあげるよ」
朝方はネットで株式の取引を眺め、取引をして午後は泳ぎ、散歩に出かけるという生活をしばらく続けていた。そのうち私が開発したソフトによる株の取引は、半年ばかりの結果を集計してみると損得なしつまり現状のままではそんなに有能ではないということが分かった。つまり未完成だということで、労多くして益いまだ少なし、しばらくお休みにすることにした。
そうなると朝方の時間はもてあますことになる。ソフトバンク時代の通信政策にからむ話を整理して書いてみようと思いたった。
「バリのネットは遅いね。これで日本より通信費用が高いのだからな。」
「それでもネットができるだけありがたいと思わなきゃ」と連れ合いが言う。
「だってエンターキーやクリックを押してから画面がでるまでは結構いらいらでストレスがたまるよ」
それでもバリの太陽の下、木陰でネットができるのはやはり気持ちの良いことだ。贅沢をいえた義理ではないねと自分に言い聞かしながら、検索を続けていると、例の津田委員長をキーワードにした検索で以下の記事が飛び込んできた。
2000.12.15 読売新聞(朝刊)
情報労連6千人分の年金共済3百億を無断解約
運用失敗 回収滞る 東邦生命と覚書 戻ったのは85億
情報産業労働組合連合会(情報労連、津田淳二郎委員長、約二十七万人)傘下のNTT労組組合員らが加入する年金共済の保険料約六千人分、約三百億円が加入者に無断で解約され、商品先物取引などに投資されていたことが十四日、読売新聞社の調べでわかった。解約金は五年間、大手投資会社で運用し、積立先の東邦生命保険(昨年六月破たん、GEエジソン生命に事業譲渡)に戻される約束だったが、解約から七年たった現在も大半の回収が滞っている。情報労連側は、別の金融機関から三百億円近くの融資を受けて一時的に積み立ての穴埋めをしている。
そうか彼の突然とも思える辞任はこのことと関係があるのかもしれないな。
<続く>