主人公レッドの言葉だがなかなか深い。このセリフは偶然に見えるドラマの出来事に実は裏に犯人が必然的にいることを述べているセリフだ。例えば誰かが崖から落ちて死ぬ、この場合単に脚を滑らせたのではなくなにかの陰謀で殺されたとレッドは考える。中国人実業家が崖から落ちてもレッドなら決して偶然とは考えない。
我々の人生は偶然に満ちていると映る。誰の子供に生まれるか、誰と結婚するか、娘が生まれるか、息子が生まれるか、・・・など考えればキリが無いほど偶然に左右されている。
さあ、ここで思考実験だ、無限の速度と記憶容量を持つコンピュータを想像してみる。そんなものは存在しないがあくまでも思考実験だ。そしてビッグバンの時間ゼロからこの世界が動き出すと時間tでの世界が現出する。tに149億年を入れるとほぼ現在が現出する。この世界の中に私という存在も芥子の粒ほどは入ってると想像してみよう。ビッグバンからの不確定要素はゼロだ。風が吹けば桶屋がもうかる式の因果と縁はすべて必然として進行していく。街ですれ違うあの人このひともあたかも監督が指示するように書き割りどおりだ。時間tのみが変数で初期値はビッグバンだから他に変数が入り込む余地は無い。
世界の諸事象は必然ということになるが、しかしこれも生活実感とは程遠い。これ以上は思考停止になる。不可思議としか表現しようのない世界が広がる。岡潔は世界は情報しかないと書いていたがこのあたりのことを述べていたのかもしれない。あるいはこれを空とよぶのかもしれない。もっと飛躍して無限の速度と記憶容量を持つコンピュータを神るいはダルマ、久遠仏、something greatと呼ぶのは自由だ。
参考
もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。
— 『確率の解析的理論』1812年