まさおレポート

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バリの結婚式 

2018-08-15 | バリ島 文化・風習・葬祭・ヒンドゥ・寺院・宮殿

2000年頃に結婚式に参加したことがある。記憶に残るうちにメモしてみた。

ビラ・スタッフのマデがタバナンのとある村の自宅で結婚式を挙げるという。ぜひ出席してほしいとの招待を受けた。マデの同僚ワヤンの車に同乗して出かけた。細い山道を分け入っても家がなかなか見つからずに時間が少しかかったが無事にたどり着いた。

すでにバリの戦士の伝統衣装バリス風に肩掛け、サロン、クリスで整えたマデと新婦が庭で仲間と談笑している。特にスピーチがあるわけでもなくみんなで食事をいただき談笑して終わった。簡素だが心のこもった式だった。

婚礼日は、バリ・ヒンドゥー・ダルモの暦から日が選ばれる。ガルンガン祭礼日前に結婚式が多いらしい。花婿マデは婚礼に先立ち供物を持って花嫁の家に行き、花嫁を貰い受けたいと申し入れ承諾を得て結婚が決まった。マデの花嫁はシンガラジャの出身でバイクで4時間ほど離れている。承諾を得るのも大変だっただろう。離れたバンジャール出身の花嫁の場合は花嫁方でも結婚式を行うのが通常だという。

同行したワヤンによると通常の結婚のほかに授かり婚 、駆け落ち婚、入り婿婚、予約婚があるのだという。それぞれ名前の通りで授かり婚はできちゃった婚で駆け落ち婚は少し説明がいる。駆け落ち婚は実際はお互いの家が認めているが駆け落ちのフリをすることで制約を振り払う一種の儀式だ。はじめて知ったフリをして相手の家族と会うという演劇性をもったバリ特有の習慣だ。

(駆け落ち婚とは直接関係ないが相手が自分を好きになるまじないというのがあると何人ものバリ人から聞いた。インド古代叙事詩マハー・バーラタの英雄であるアルジュナの姿絵のお守りを持ち歩くおまじないだという。)

マデの結婚式や披露宴は自宅で行われた。バリには結婚式場はない。しかし近年はバリでも披露宴をホテルであげることも珍しくないらしい。

 

供物作りは、バンジャールの男女の仕事だ。男は豚を屠り、バビグリンからラワールを作る、女性はその他の料理を作り、飾り付け(プルンクンガン)をする。 

 

婚礼の儀式は地域やカーストによって方法が少し違うが概ねは次のように行われる。

バンジャールの男は、数週間前から門前や屋敷内に装飾を施し、庭に参列者のための日除けや椅子を用意する。バリの街を歩くと飾り付けられた門を見かけることがある。

当日、花婿と花嫁はバナナの葉で飾られたバレ・ダジョーと呼ぶ建物で儀礼を待つ。

早朝6時頃にプマンクやブダンダ(僧侶)が到着し家寺に向かってお祈りを始める。

午前8時頃に花婿と花嫁は川へマンディ水浴に行き新しい服に着替え家寺でプマンク(僧侶)とともに、祖先に祈る。

ときに庭で闘鶏が催されることもある。地霊をおさめるムチャルの儀礼の闘鶏で、ここでは金を掛けないようだ。

バレ・ダジョーから花婿・花嫁が正装で登場し親族や村人の中で婚礼が始まる。

花婿がクリスで花嫁の持つ敷物を刺し、花婿が作ったラワールを花嫁が売り歩く所作をし、枝に渡した糸を歩いて切る。2人で生活する象徴的な意味になるらしい。

このあと、花嫁の実家が近い場合は、花嫁が実家を出て花婿の家に入ることを花嫁側の祖先にことわる儀礼、プジャティのために花嫁の家に向かうのが通常だが、マデは花嫁がシンガラジャと遠いために省略する。

儀礼は、午前中に行われるが正午を又ぐとよくないらしい。午後2時頃にプダンダ(高僧)がバレ・ダギンの一段高くなった台に座し、花婿・花嫁がバリの婚礼衣装で登場し、バレ・ダギンにあがる。演奏と舞踏が演じられる中で、祈りを行ない結婚儀礼は終わる。

午後4時から披露宴が始まり友人・知人は、儀礼終了後の披露宴に招待される。招かれた私やビラのスタッフ達もこの披露宴に参加した。玄関に設置された受付で芳名録にサインし、プレゼントや現金を包んで受付に手渡す。

すぐそばで花婿・花嫁が満面の笑顔で、ひとり一人をお迎えしお祝いの言葉を交わす。招待客は、祝辞を伝えて腰を下ろす。通常は村長などの挨拶や嫁がバンジャールの成員になった書類にサインをするらしいがマデのときは村長などの挨拶はなかった。

 

テーブルの上にバリ料理が盛られ皿にナシ・チャンプールを盛りつけて思い思いに食事をすませると適当に見計らって帰路につく。マデ夫妻は参列者を見送くる。すべてのお客が帰ると婚礼は終了する。

 


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