バリの信仰の本質とは。何やら真っ正面すぎたど直球の問いかけに答えてくれるにはまだまだ時間がかかりそうだ。しかし何かしら掠ったものをメモしておこうと思う。
これはマーガレット・ミードとグレゴリー・ベータソンが100年ほど前に表したバリの写真集にある、墓を掘る男。厳密には墓ではなく火葬までの一時保管所というべきで、日本のように個人としてある墓ではない。亡くなった後に火葬に付すまでの期間ここに埋める。
こうしてみると相当深い、この男性の頭までの深さだから1.5メートルから2メートルくらい掘るのだろう。
大人が堀り、子供達がその様子を凝視していることが目を引いた。バリの子供たちはすでに死生観をこうしたビジュアルな形で受け継いでいく。
日本の即身仏やエジプトのミイラがこの地では生まれなかったのは腐敗しやすい高温の土地柄のせいだろうかとも思う。日本でも即身仏は出羽など寒い地方に多く残されているとか。
沐浴する子供達が古い写真にも残っている。海辺のバリ人はよくビーチで沐浴している。ウブドでも少し前まではチャンプアンのあたりでみかけた。キンタマーニのバツール湖でも沐浴をよく見かけた。
日本ではこうした習慣は温泉になる。バリでは気温のせいで温めて体の不調を整えようという考えは生まれないだろうな。
寒水にせよ温水にせよいずれにせよ水は聖なる物質で儀式にも重要な役割をする。
トランスする仮面をつけた男性。
トランスする少女は聖水を振りかけてもらい、現実に戻る。バリ人はこのように普段からあの世とこの世を行き来することに慣れている。
日本では特別な宗教体験でこのような行き来をする人もいるそうだが、それ自体日常的ではない、また特別に価値のある人とも思われていない。いや千日回峰行とかを達成した人は特別な尊敬を受けるがこのことを宗教的な悟りとはとらない方もいる。
バリでもこうしてトランスする人が特別な人ではないし、このことで敬われるのでもない。面白いなと思った。