サヌールの影絵
サヌールビーチの夕暮れ。
陽はすでに海面に溶けかかり、あたりは宵闇の気配を孕みはじめていた。
その時間帯、光は直線ではなく、柔らかな膜のように風景にかかる。
すべての輪郭がぼやけ、そして浮かび上がる。
ふと見上げると、二人の人影がくっきりと海を背にして立っていた。
一人は帽子をかぶった女性。もう一人はスマートフォンを手にしている男。
その姿が、木とテーブルと並んで、まるで影絵のような構図をつくり出していた。
影絵──ワヤン・クリット。
バリの伝統的な影絵芝居である。
透かし彫りの人形を光の前に立て、白い布に映して演じられる神話劇。
だが今、演者も人形もいないこの夕暮れの浜辺で、偶然の瞬間が一幕の舞台になっていた。
物語は語られない。
だが確かに、そこには関係性が、気配が、余白があった。
影は、光があるから生まれる。
そして影は、沈黙の中にこそ多くを語る。
サヌールのこの時間には、誰もが少しだけ詩人になる。
語らぬこと、写らぬもの、記録されない気配。
それらを静かに受け取る準備だけが、ここでは大切になる。
そして、影絵の幕は、何も告げずにすっと下りていった。