
トランプ大統領が世界の株価を一時的に暴落させている。一体この男は何者だろうか。MAGAは実現するのか。F.スコット・フィッツジェラルド『華麗なるギャツビー』を愛読したものから見るとトランプはギャツビーに重なって見える。こんな見方もあっていいか。
緑の灯は、いまも瞬いているだろうか。
かつて『華麗なるギャツビー』の主人公は、夜の湾の向こうに揺れる緑の灯を見つめていた。そこには夢があった。過去を取り戻し、理想を叶えるという幻想があった。だが、その灯が示すものは、決して届かぬ未来の象徴であり、アメリカン・ドリームのはかなさそのものだった。
かつてオランダの水夫たちは、これから始まる運命の気配を孕んだ、新しい世界を目にしたのだった。 木々に覆われた未開の大地は、彼らの夢を映す鏡のように、荘厳な沈黙の中に息づいていた。F.スコット・フィッツジェラルド『華麗なるギャツビー』
この作品の終盤、ギャツビーの夢が崩れ去るとき、フィッツジェラルドはアメリカの原風景へと視線を戻す。あの緑の灯は、個人の恋の象徴であると同時に、アメリカという国が抱えた夢そのものの光でもあった。
その夢の挫折が、ギャツビーの死という形で語られたのなら、現代アメリカには、より広く、より静かな挫折が存在している。
アメリカ中西部の錆びついた工場街、ラストベルトと呼ばれる地域に生きる人々にとって、かつての「緑の灯」はとうに色あせている。工場は閉鎖され、雇用は失われ、若者は去り、町は静かに沈んだ。グローバル経済の勝者たちが語る「繁栄」の裏側で、誰にも顧みられなかったその風景は、まさに現代のギャツビーたちの沈黙の墓場と化した。
そして彼らは、手を伸ばしたのだ。今度は緑の灯ではなく、星条旗のもとに立つ一人の男に。ドナルド・トランプ。 彼は語った。「アメリカを再び偉大に(Make America Great Again)」。その言葉は、理屈ではなく痛みの記憶に触れた。
ギャツビーは夢を追って死んだ。トランプは夢を売って生き延びている。
ギャツビーは貧しい農家の息子として生まれ、自らを作り直し、戦後の混乱の中で不動産と密輸、違法すれすれの手段で財を築いた。彼の成功には影があり、虚構があり、それでもなお、誰もが「信じたい」と思わせる何かがあった。
彼の豪邸には人が集まり、シャンパンが流れ、ジャズが鳴り、夜ごとに名前を知らぬ客たちが夢のような時間を過ごしていた。ギャツビーは、夢に擬態する男だった。
トランプもまた、数々の事業破綻、スキャンダル、現実の歪曲を経ながらも、自己神話を膨らませ、巨大な支持を得る存在となった。「胡散臭さ」を糧とする成功という点では、現代のギャツビーともいえる。
ギャツビーが求めたのは、ただの恋人ではなかった。デイジーは、過去の美しきアメリカ=理想化された記憶の象徴だった。緑の灯は、その幻想の彼方にあった。
トランプが掲げた「Make America Great Again」も、過去への憧憬に支えられている。かつての工場、かつての誇り、かつての社会的秩序。その全てが、白人労働者の夢の残像として投影される。
デイジーとMAGA。どちらも、もう戻らないものへの渇望であり、夢の代名詞である。
だがギャツビーは、夢に殉じた。マートルは死に、ギャツビーは撃たれ、プールに沈んだ。 一方トランプは、現実の政治の中で生き延びた。しかも、夢を語る者としてだけでなく、夢を武器とする政治家として。
その違いは、現代の物語の構造を大きく変えている。
ギャツビーは沈んだ。彼は夢に殉じたが、現実の力には抗えなかった。 トランプは、沈まなかった。彼は夢を売り続け、生き延び、そして再び緑の灯の前に立った。
2024年、暗殺未遂事件の弾丸が彼の右耳をかすめた。その瞬間、彼はギャツビーに最も近づいたかのように見えた。 だが彼は沈まなかった。むしろ、撃たれたことによって、物語の中心に躍り出た。この瞬間を見て私はトランプがギャツビーを乗り越えたと感じた。
ギャツビーは美しく沈んだが、トランプは泥臭く生き延びた。
そして私は思う。 もし彼が、ギャツビーが届かなかった「夢のその先」にたどり着けるとしたら。 幻想を越えて、責任と構築の言葉を持つ存在に変われるならば。
それこそが、「ギャツビーを超えた男」に私たちが期待する唯一の希望ではないか。
夢に殉じた者の哀しみを超えて、夢を語ることの責任へ。 一国の未来を、単なる幻想ではなく、構造と制度によって再構築できる者。
それが、ギャツビーを超えるということだ。
ギャツビーが沈んだ水面から、私たちはもう一度、言葉を拾い上げなければならない。 それは詩ではなく、政策であり、声であり、再構築された共感でなければならない。
「だから、我々は船のオールを漕ぐのだ。絶えず過去に押し戻されながら、未来へと進む」 ―F・スコット・フィッツジェラルド『華麗なるギャツビー』結語より
ギャツビーが残したのは夢だった。トランプが残すのが現実であるならば、 私たちはそこに、新しい語りの始まりを見るべきなのかもしれない。