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車正吉・桜が駆け巡る

明智光秀②天下分け目の山崎合戦〜京都府ウォーキング協会例会

2022年11月6日(日)晴れ
午前6時過ぎ自宅を出て、国道161号線を疾走する。
途中、セブンイレブン白髭神社店にておにぎり・味噌汁を買い込む。ハンドルを握りながらの朝食の後、JR長岡京駅近くの駐車場に到着。昨夜ネット予約済の駐車場だ。
電車に乗り、山崎駅まで移動。
この日の例会、集合場所は山崎駅に隣接する離宮八幡宮。

時刻は9時を過ぎたところ、スタッフさんの姿ばかり。
9:25から受付け開始。


この日の例会、標記の如く明智光秀シリーズの第二弾として開催される。(本来なら、光秀主役の大河ドラマ放映時期に開催予定だったが、コロナ禍により延期されていた。)
コースマップには山崎合戦について下記の様に記されている。

明智光秀が羽柴秀吉と雌雄を決した山崎の合戦の日は、天正10年6月13日であり、当日は雨天であった。
毛利攻めの備中高松城から、いわゆる「中国大返し」といわれる速さで帰ってきた秀吉軍約4万人と光秀軍約16000人が激突した。戦闘は午後4時頃から始まり、2時間で勝負がついたと言われる。
光秀の誤算は、味方を近江坂本と安土などに分散させたほか、姻戚関係にあった細川藤孝・忠興父子や光秀の傘下にいた筒井順慶、中川清秀、高山右近などを味方に引き込めなかったことである。(諸説あり)

受付けを終え、自由歩行方式で歩行開始する。
〈この日歩いたGPS〉


スタート直後、山崎駅前を通過。

JR線の踏み切りを渡る。



渡り終えると直ぐに、天王山への登り坂が待っている。
用意したノルディックポールを使いながら進む。




坂道と格闘しながら、ようやく宝積寺(ほうしゃくじ)に到着。
合戦時、秀吉が本陣とした。合戦直後は天王山に山崎城を築城し、三重塔も一夜にして建立したと伝わる。
リスタートし、急坂を登り続ける。




坂の折り返し地点「旗立松(はたたてまつ)」に到着。 
〈旗立松とは〉
秀吉が味方の士気を高めるため老松の樹上高く千成瓢箪の旗印を掲げた所で、戦局に大きな影響を与え、勝利を収めたといわれる。





旗立松で折り返し、坂を下る。
左折し観音寺(山崎聖天)前に至る。

緩やかな坂を下る。 

 
線路沿い、住宅地を北上。



天王山古戦橋を渡る。




山崎合戦古戦場跡(天王山・夢ほたる公園)にて一休みする。


天王山を遠望する。
天下分け目の天王山・山崎合戦古戦場の石碑が立つ。
両者が戦いを繰り広げた主戦場は小泉川(旧・円明寺川)を挟んだこの辺りだったといわれる。

リスタートし北上する。
明智光秀本陣跡前を通過する。
恵解山古墳前を通過する。




勝竜寺城公園に到着、園内で昼食を取り休憩。


細川ガラシャ夫妻の像が立つ。


リスタートし北上。


 
JR長岡京駅前にゴールインする。時刻は11:40頃だったかと。
この日の参加者数。 

一般参加者が多かった模様。

協会スタッフの皆様、お世話になりました。
参加者の皆さん、お疲れ様でした。
当ブログを最後までご覧頂いた皆様、ありがとうございます。
またお会いしましょう。






















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