Kamu Number Theoryと相似象

英文サイト. Kamu Number Theory では言及しない相似象のことなどはこちらで。

4-2-3.(後編)ボルンマシンと生命の虚数コンピューター

2021-03-06 11:20:23 | Post:投稿闌
量子コンピューターという思想(その4)
万物は情報である─ドイチの万物の量子コンピューター</spa
<span style="font-size:16px;">4-2, 虚数コンピューターとモンスタームーンシャイン

4-2-3・虚数コンピューターとモンスタームーンシャイン
 (後編)ボルンマシンと生命の虚数コンピューター


◇生命のコンピューター

生命を維持してゆくために ” 計算 ” はどうしても避けられない作業です。このことは ”(その1)3,量子コンピューターの発見 ” の中で「単細胞の粘菌」が驚くべき高度な計算を行って生存を図っていることが発見されたことを記しました。

それは、スーパーコンピューターをもってしてもモンスター最適解を解くことは困難なものであるはずなのだが、原始生命体である粘菌が極めて効率的にモンスター最適解を導き出す、というものだった。私はこれを ” 粘菌シュミレーター ” とファインマン流に名付けました。

この流れはペンローズでは ” ゾウリムシ コンピューター ” へと展開されることになりました。 ペンローズの想像力は微小管のナノサイズ世界へとズームされました。これはウイルスの世界と同じサイズと思えばイメージが浮かんでくる世界です、1ナノは10億分の1メーターという極微のミクロ世界。

さらに、微小管を通してペンローズはゾウリムシ、アメーバ、青粘菌、アリ、樹木、カエル、キンポウゲ、さらに自分自身の世界に目を向ける。そして、ペンローズの独壇場はここからだ!「微小管からビッグバン やビッグクランチまで」へと、宇宙規模に微小管の先端は限りなく伸びながら広がってゆく。

実は、この微小管から宇宙へというペンローズの発想はKamu Number Theoryの展開と全く同じものとなっている。微小管のトポロジー幾何学は宇宙規模であり同時にウイルスサイズでもある。生命と情報、そして計算をつなげてゆくとごく自明なこととして浮かび上がってくるのが宇宙微小管トポロジーの世界であり微小管量子コンピューターというイメージだ。


◇虚数コンピューターとKamu量子コンピューター

虚数については、すでにKamu Number Theoryが明らかにしたことの中で見れば、微小管を生み出すまでには始元量から始まる遷移の8過程〈Yata〉が埋宮のように隠されていた、それが虚数の潜象としての姿だった。

虚数√-1の物性は〈sHi〉でありミクロモンスターを形成するものだった。その数学的モデルとしてリー群 E8 のペアーがKamu潜在的保形形式から相似象として導かれた。
(この8過程の〈Yata〉はKamu公理系〈公理-K-8〉
図版、K-1〜K-7: https://kamu-number.com/pdf/axio/111axiomk.pdf

虚数にはこうした生成過程から明らかなようにモンスター級の情報が備わっていると見ることが出来る。しかし、ここから現象としての微小管という計算マシーンが生まれるまでには更に数兆回の重合を4回に渡って繰り返し行う ” 重合遷移=〈Yata〉 ” が必要なのだ。
(この4過程の〈Yata〉はAma公理系の〈公理 A-1)
図版:https://kamu-number.com/pdf/axio/131axiom.a.pdf

このことは、微小管には〈 虚数 sHi 〉の持つ膨大な情報を利用する合理的なメカニズムが備わっているということを示唆するものなのだ。前駆光子である潜象物性の〈 虚数 sHi 〉から現象物性として観測可能な 〈 ユニタリー数 1 | Hi 〉が生成される過程で量子物性が形成される。

大事なのは、波動関数と物性量子の対生成(波動と粒子の2重性)という複素世界の出現だろう。もともとKamu潜象は潜象波動関数(虚数世界だけの波動関数)としてしか捉えることができないものだった。それが観測可能な物性量子 〈 1 | Hi 〉の出現に拠ってユニタリー構造複素波動関数としての姿を現したと見ているのだ。数「1」の誕生は量子論的な確率波の正規化=道具化の姿とも言える。

ユニタリー構造複素波動関数は光子の数学的モデルとして捉えることができた、しかしこれを直ちにシュレディンガー波動方程式とみなすことが出来るのであろうか?つまり、光子の量子的な振る舞い、量子化出来る波動関数として見ることが出来るのだろうか。

量子重力理論の成功は確実に進行しているようだ。いずれ量子化を担うプランク定数の内部構造が明らかにされるかも知れない。暫定的にシュレディンガー波動方程式とユニタリー量子構造複素波動関数とは相似したものと、いまはみなしておきたいと思う。

量子の持つ情報をエンタングルメントエントロピーとして捉える方法は量子の持つ無尽蔵とも言える情報の一部を引き出す技術を支えるものだ。しかし〈正規化=1〉される前の状態である虚数〈sHi〉の持つ情報はそれと同等と考えなければならない。

ここで登場した「虚数コンピューター」は、潜象量子系が抱える無尽蔵に存在する宝にアクセスすることの出来るすべてのコンピューターのことを指して呼んでいる。当然粘菌コンピューター、ゾウリムシコンピューターも含まれることになり、いま量子コンピューターがその中で最初に口火を切って現れた計算機なのだ。

虚数コンピューターは単なる量子コンピューターではない、虚数の広大な領域を包含した生存に必要なコンピューターなのだから ” Kamu潜象量子コンピューター ” と呼ぶのが最もふさわしい、しかしこれでは馴染みがなさすぎる。

このような視点で見ると、ファインマンとペンローズの二人は最初から虚数コンピューターに目を向けていたことがハッキリしてきた。

だからこそ、最初彼らは量子コンピューターとは言わず、量子シュミレーターと呼び、微小管コンピューターなどと呼んでいたということが理解できることになる。やはりというか、このお二人は直観力のスゴイ科学者なんだ!


◇ボルンマシンとディープラーニング

さて、虚数コンピューターが量子系(波動関数)の中に無尽蔵に存在している宝へアクセスできたとしても、この情報を使えなくてはなんにもならない。このような疑問に答えるかのように中国の科学者から一つの提案が出された。2017年のことだからまだまだホットな話題ではある。

ディープラーニングの世界では確率波ボルツマンマシンがすでに活躍している。その成功は衝撃的なもので多くの人々を驚かせたことも最近の話題だった。ボルツマンマシンは特に画像分野では優秀な成績を見せている。

さて、中国科学院大学物理部のLei Wang (王磊)は2017年に ” ボルツマンマシンとボルンマシン ” という論文を発表し、引き続いて2018年には ” ボルツマンマシンからボルンマシンへ ”という講演をロサンゼルスで行った。

続いて、Lei Wangとそのグループは2020年に” 量子回路ボルンマシンの微分可能機械学習 ” と矢継ぎ早に論文を発表した。これは中国からの発信という理由も含めて、ディープラーニングの世界で驚くべき発表と受け止められたようだ。

これら一連の論文でボルンマシンがボルツマンマシンを凌駕するディープラーニング性能を発揮できることをLei Wangは理論的に示した。

論文の中の要約によると、次の4項目になるという。
『①古典的なデータセットの確率分布を”量子純粋状態”として表す生成モデル。
②量子サンプリング問題の計算の複雑さを考慮するとき、量子回路が古典的なニューラルネットワークと比較してより単純で強い表現力を持つ。
③量子ビットの射影測定を介して、量子回路から ”サンプルを直接に効率的に” 引き出す。
④ これは”教師なし” 生成モデリング、従ってディープラーニング研究の最前線のものである』
とLei Wangは説明しています。

ボルンマシンが何故次世代のもとして注目されるか、それは波動関数に直接アクセスする点なのだ。
”①量子純粋状態=波動関数&③量子回路からサンプルを直接に効率的に引き出す”というのがそれなのだ。このことは無尽蔵に存在している量子情報へ直接アクセスすることの出来る、最初の ” 教師なし生成モデリング深層学習マシンがボルンマシン ” だという。


ここの利点をボルツマンマシンと比較すると、確率を探し出しすための余分なハミルトニアンの関数計算を省略出来る、という点でプロセス全体が単純化されるのだという。

つまり、虚数コンピューターにとっては待ちに待ったものと言っていい。しかしだ、粘菌の立場から見れば、”教師なしで波動関数に直接アクセスするなんて、それはいつも使っているものだよー” と言うかも知れないのだが。


さて、ディープニューラルネットワークでは数十億のパラメーターに到達する可能性がありますが、これでもまだモンスターとは言えないのです。虚数の〈√-1 , sHi〉では 〈E8✕E8〉 というモンスターでした。 〈E8✕E8〉は 〈 8×10^53 ✕ 8×10^53 〉という驚くべきデーター量のモンスター振りです。「 一兆=10^8 」 から想像してみれば無尽蔵という実感が湧いてきます。

ここまで稠密であれば、パラメーター多様体、あるいはデータ多様体というイメージがぴったりきます。Lei Wangが微分可能機械学習という概念に自然と導かれたわけです。さてここからです、微分可能プログラミング言語の問題に進むこととなります。



◇多様体仮説とクリストファー オラー

オラーが登場するのは、「2018年に"微分可能プログラミング"の提唱者としてChristopher Olah、 David Dalrymple,そして Yann LeCun の3人をBaydinは挙げています」という記事を私が見てからなのです。

この三人の中で ”オラー・Christopher Olah” の登場はどこかミランダ・チェンと共通した背景が感じられるのです。ディープラーニングの専門家としてのオラーの姿の中に数学者としての特質が私には感じられるからです。更に専門性の高い概念を豊かな美しい具象イメージにして言葉にする能力を持っている、というところもミランダ・チェンと共通しています。

” 私は、伝統的な学術論文以外のメディアに書くことで、この分野により良いサービスを提供できることが多いと思います。私は主にオンラインエッセイを書きます。これらのいくつかは、この分野の重要なアイデアに関するチュートリアルです ” とオラーは述べています。

オラーは2015年に「30年後のディープラーニング」というエッセイを書きました。「現在、ディープラーニングを理解する方法として3つのストーリーが競い合っています。①,生物学へのアナロジーを描く神経科学のストーリー。②,データの変換と多様体仮説を中心とした表現のストーリー。最後に、③潜在変数を見つけるものとしてニューラルネットワークを解釈する確率論的ストーリーがあります。これらの物語は相互に排他的ではありませんが、ディープラーニングについての非常に異なる考え方を示しています」

要約すると
①は神経細胞シュミレーターから始まってペンローズの微小管シュミレーターなどの ” 生物学習計算モデルストーリー ”
②多様体仮説、モンスターデータを幾何学的に取り扱える次元へ圧縮して表現できる可能性を保証する仮説による ” 微分可能多様体学習ストーリー ”
③ボルツマンマシン、ボルンマシンなどの確率生成モデルによる ” 量子統計予知ストーリー ”
の3通の方向になります、オラーは実に見事な要約を見せていると思います。いずれも生命のコンピューター、つまり虚数コンピューターにとってなくてはならないものであることはハッキリしています。そして、ボルンマシンの位置づけが ”量子統計予知ストーリー” と明確なイメージを私達に届けてくれました、ありがたいことです。



◇微分とトポロジーとオラー

数学者オラーが現れるのはディープラーニングの難問を前にして、それをトポロジー幾何学を使って視覚化しようと企てるところから始まります。それは ” ニューラルネットワーク、多様体、およびトポロジー ” と題された2014年のエッセイに表明している事柄です。

「視覚化により、ニューラルネットワークの動作についてより深い『直感』を得ることができる」とオラーは述べています。 ” 量子から得られる巨大な情報が織りなす多様体とそこから伸びるエンタングルメントエントロピーが繰り出すファイバーバンドルトポロジーを教師なしで解読する量子回路ボルンマシン ” のイメージがここから得られるのです。

このイメージは 高柳 匡 によるエンタングルメントエントロピーの面積法則からも裏付けられると思う。つまり、1プランク面積あたり1量子ビットのエンタングルメントの存在が導かれた。ということは、1プランク面積の領域から1本の微小管がファイバーバンドルとして放出されていると考えられるのだが、これはKamu数論の考え方と相似なのである。
参照:https://www.nishina-mf.or.jp/wp/wp-content/uploads/2020/02/2019NKKslide.pdf

オラーの文章にはこのようなイメージを生み出すパワーが備わっています。公開されて間のないボルンマシンの詳細を素人の私が紹介出来るものではありませんが、こうしてオラーの力を借りれば、なんとかボルンマシンの姿がボンヤリとですが感じることができたのです。

オラーは ” 風変わりで、意欲的で、直感的な、トポロジー数学の紹介 ” という不思議な教科書を書きました。このブログ ” (その4) - 5、万物の理論とバベルの塔(専門家と素人) ” でこれを紹介することにしています。そこには現代科学の宿命的な ” 専門家と素人 ” の問題を彼らしい方法論で浮き彫りにしてくれます。

情報幾何学を提案し推進している甘利俊一の言葉 ─ ” 情報要素の一つ一つを分離して考えるのではなく,つながった全体つまり『多様体』として考えてそこに豊かな構造を導入すれば,情報の分野に新しい方法論を提供できるに違いない.これが情報幾何学の目指すところである ” なのです。

甘利俊一の考察の経緯は甘利自身の言葉で説明されています。この幾何学的発想は1977年には胎動を始めていたという。情報幾何学として、今日では広く知られていますが、オラーには届いていなかったのかも知れません。しかし、情報幾何学は、国内では機械学習、深層学習の仕組みを理解する一つの方法論として高く評価され、広く認知されているものです。

オラーが到達したのはこのような伝統を持つ情報リーマン多様体の理論的な美しさを、微分可能プログラミングとホモトピー型理論の観点からニューラルネットワークを現場感覚で受け止めて分析しようということでした。

だからこそ、オラーは ” 微分可能学習知能量子回路ボルンマシンへ繋がる道 ” と ” 波動関数型ニューラル深層学習量子コンピューターへの道 ” を感受していたのではないか?ここにオラーの美学と数学的な直感の特質があると私は思います。


◇Lei Wang (王磊)と潜在的保型形式

Lei Wang (王磊)の手法は2017年に発表されたボルンマシンの最初の論文 ” ボルツマンマシン 対 ボルンマシン ” によく現れているようだ。論文で冒頭に宣言されているのは「量子レニーエントロピー」を計算ツールとして使うという提言だ。

Lei Wangはテンソルネットワークを計算ツールとして使います。量子計算の世界では、現在ごく普通に行われているものです。そのためのアプリケーションすら発売されているのです。従って、Lei Wangが提案したものとしては、この ” 量子レニーエントロピー ” がボルンマシンの構想とともにその計算ツールとして初めて提案されたと見るべきでしょう。

この量子レニーエントロピー なのですが、馴染みがないのも無理はありません。これが提案されたのが2013年、Marco TomamichelのグループがarXivに公開したものだからです。
そもそも、レニーエントロピーとは一体なにか?です。 Wikipedia によると ” フラクタル次元推定のコンテキストでは、レニーエントロピーは一般化された次元の概念の基礎を形成する ” 。次に ” 、多様性の指標として『生態学』と『統計学』において重要 ” である。次に ” 量子情報でも重要であり、エンタングルメントの尺度として使用できる ” 。

そして、ある理論的文脈では ” モジュラー群の特定の部分群に関する保型関数 ” でもある、と驚くべきことが記されています。出てきました ” 保型形式 ” です、これがレニーエントロピーの奥の深い背景であることはKamu Number Theoryからは予想できることでしたが、やはりというべきでしょうか。

宇宙のあるいは万物の潜在的(潜象)形式である保型性は、ここにも姿を表していたのだというのが私の強い印象です。この潜在的な響きにLei Wang (王磊)の直感が感応したのだと私は思わざるを得ないのです。

レニーエントロピーが「大局的な構造」、多様性とかトポロジー構造を数値化出来るツールであることは想像がつくのです、これは『生態学』で活躍する多様性を測るツールであるというと場面に如実に現れています。

Wikipediaには更に注目される記載があります ” 量子物理学におけるレニーエントロピーは、密度行列への非線形依存性のため、『観測可能とは見なされません → 平行潜象世界』(この非線形依存性は、シャノンエントロピーの特殊な場合にも当てはまります。)ただし、エネルギー伝達の『2回の測定』(フルカウント統計とも呼ばれます)によって操作上の意味を与えることができます ”

『2回の測定 → フルカウント統計 → 正規化』というところが私見では「ボルンの原理(定理)」と通常呼ばれているものに該当するのでは、という印象を感じます。

これまでのところを説明抜きで整理すると、次のような関係が見えてきました。
     ———————
●〈量子ビット=量子エンタングルメントエントロピー〉
       → 〈時空構造=テンソルネットワーク〉  
            → 〈2次元共形場幾何学・AdS/CFT〉
●〈量子ビット=情報微小管ファイバー〉
       → 〈複素時空状態量=量子レニーエントロピー〉
            → 〈微分トポロジカルファイバーバンドル〉
     ———————

以上はKamu Number Theoryから整理したことを簡単に記したものです。そこで、今は追求はここまでとして、次にボルンマシンの名前の由来となった「ボルンの原理(公理?)」を見たいと思います。


D ドイチとボルンの原理

さていよいよ後編のまとめ、D ドイチの登場です。謎の多かった〈量子テレポーテーション=量子エンタングルメント〉の問題は実験的に確認され、更に理論的にも量子エンタングルメントエントロピーの構造から幾何学的(2次元共形場幾何学)に理解出来るようになりました。量子コンピューターにとっては基本物性として使えるようになったわけです。

そして、いよいよ残った ” 量子論の謎 ” はデコヒーレンスに絞られてきました。これが量子論の理論的な基幹をなすだけでなく、量子コンピューターにとっても最大の障壁とも見られているとともに、未だに未解決の大問題なのです。
(量子論の謎については 2-4-4.粒子から波動を見る・量子論の謎
 https://blog.goo.ne.jp/masadon/e/0f5488c5aec485ace530e24744d1dcc9)

この大問題に D ドイチが1999年に出した答えは ” 古典熱力学と解析力学(量子論の一部を含む)及び平行宇宙論から導ける ” というものでした。つまりボルンの原理はただの定理に過ぎないというあっけないものでした。これには多くの反論や拒否反応が巻き起こりました。

さて、Kamu Number Theory の立場からボルンの原理を見ると、D ドイチの議論はとてもまともなものに見えるのです。簡単に言うと、ボルンの原理は現象世界の姿を写したものであって、”現象前駆の波動の世界”を反映したものとして見えないからです。

つまり、現象前駆の波動状態から重合遷移し、そこから更に人間に拠って規格化された現象として観測される結果だけを見ているのがボルンの原理だから、なのです。

Kamu Number Theory における虚数についての議論を思い出してください、量子波動状態というのはこの虚数を使わなければ表現できないものなのです。しかし、ボルンの原理は ” 実数の世界 = 確率 ” だけの原理なのです。そして、確率というのは実は人間原理に基づいた ” 観測 ⊗ 期待値 ” を反映したものなのです。

D ドイチのあっけない結論はこうした背景を知れば自然なものとして受け入れることの出来るものです。そして、D ドイチの独壇場が平行宇宙論です。さらに、実数の現象世界と虚数の現象前駆世界(潜象)とを2つの別世界と考えるなら、Kamu Number Theory は D ドイチの平行宇宙と相似の ” 虚・実・平行宇宙論 ” になります。

ボルンの原理はこの ” 虚・実両世界 ” にまたがることのない、あくまでも観測する立場の人間原理として使うことの出来る ” 実用的な定理 ” だと言えます。これを、波動の世界が持つ無尽蔵の情報を使おうとする虚数コンピューターの側から見れば、実用的ではあるけど自らを貧しくしてしまう ” 限界 = 壁 ” を量子との間に作ることになります。

では、この壁を突破する原理はなにか?、1957年にヒュー・エベレットが切り開いた「多世界平行宇宙」の中に D ドイチはその答えを見出したのです。Lei Wang (王磊)が提起したボルンマシンは、波動関数に直接アクセスする道を切り開いたと言えます。この道がさらにボルンの定理を超えて次のステップに進むようになってほしいと願っています。

今回はここまでといたします、この先はいよいよD ドイチとともに「多世界平行宇宙」と Kamu Number Theory による「虚・実・歪性・平行世界」へと進みたいと思います。


         †


”4-2・虚数コンピューターとモンスタームーンシャイン” 
         今回で、3回に分けたエッセイは完結しました。
次回は ”4-3, 多世界平行宇宙と正反対称歪性平行宇宙 ” になります


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(その4)- 2, 虚数コンピューターとモンスタームーンシャイン
   4-2-1,(前編)テトレーションで見るモンスター世界
https://blog.goo.ne.jp/masadon/e/7bba2ca568a02191d2356643226385fe
   4-2-2,(中編)モンスタームーンシャインとミクロ・ブラックホール
https://blog.goo.ne.jp/masadon/e/f1093fed0d368bd7518f588943d96636
   4-2-3,(後編)ボルンマシンと生命の虚数コンピューター
https://blog.goo.ne.jp/masadon/e/d45a3b927dfd059d41a7a91c047bee74
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(その4)- 1, 数学モデルの理不尽なまでの有効性
   4-1-1,(前編)数学モデルの理不尽なまでの有効性
         (数学モデルの不完全性は健全性の証し)
https://blog.goo.ne.jp/masadon/e/fa0966fbfc710608caedf6cc5fd11e01
   4-1-2,(後編)数学モデルの理不尽なまでの有効性
         (数学モデルの強靱性は虚数にあり)
https://blog.goo.ne.jp/masadon/e/02a239495b6a74c35a9305dddc91eed4


4-2-2(中編)モンスタームーンシャイン とミクロ・ブラックホール

2020-11-04 10:06:44 | Post:投稿闌
量子コンピューターという思想
(その4)万物は情報である─ドイチの量子コンピューター


4-2-2・虚数コンピューターとモンスタームーンシャイン
(中編)モンスタームーンシャイン と
          ミクロ・ブラックホール




◇ ラマヌジャンとミランダ・チェン

ここに登場するのは、直観型数学者ラマヌジャンを超弦理論と量子重力理論のなかで再発見する出発点を発見した3人の日本の科学者、江口徹・大栗博司・立川裕二。そして天才少女として彗星のように現れた台湾生まれの程之寧です。

2010年4月に始まるこの物語は、アイスランドの火山の噴火がきっかけでした。パリの空港で足止めを余儀なくされていたミランダ・チェン(程之寧)は、パソコンを食い入るように見入っていた。

女性サイエンスライターの Natalie Wolchover がこのときの状況をミランダ・チェンの内面から描いてくれます。
『2010年4月14日にアイスランドでエイヤフィヤトラヨークトル(島の山の氷河)火山が噴火した後、フライトのキャンセルにより、ミランダ C N チェンはパリで立ち往生しました。 灰が消えるのを待っている間、当時ハーバード大学で超弦理論を研究していたポスドク研究員のチェンは、オンラインで投稿されたばかりの論文について考え始めました。 その3人の共著者、江口・大栗・立川、は、遠く離れた数学的対象をつなぐ数値の一致を指摘していました。 チェンはひらめきました「それは別のモンスタームーンシャインのにおいがします」、 そして「果たして!別のモンスタームーンシャインだろうか?」という考えを自らに課していた。』

3人の共著者、江口・大栗・立川が発見したのは全く新しいモンスタームーンシャインでした、1978年に最初のモンスタームーンシャインが発見されてから30年が経っていたのです。これだけでも凄い発見でした、これは2010年の4月にオンラインで公開され、後にマシュー・モンスタームーンシャインと名付けられたのです。

ミランダ・チェンは2009年には量子重力理論に関する論文を書いていました。しかし、彼女の得意とするものはもっと数学的に広大な視野を持つことにあったようです。女性科学者の Valentina Disarlo はこうしたミランダの様子を「ステレオタイプを超えた数学の女性-ミランダ C N チェン」の中で次のように描いています。

『現代数学者のミランダ・チェンは、数学が不思議な方法でどのように動くかを示す非常に良い例です』、つまりミランダには数論への特別な気質が備わっていると Valentina Disarlo は感じ取ったのです。この気質こそラマヌジャンの精神そのものでしょう。ミランダ・チェンはラマヌジャンの(モック)テータ関数に惹かれてゆきます。「モック」とは「擬似」若しくは「擬」のことですが、このテータ関数が「擬2重周期」関数だったからです。

私は、すでに”(その3)- 5 宇宙羅針盤・テータ関数・共形幾何・保型形式”で「擬2重周期」テータ関数について記しました。ラマヌジャンが何故このような「擬=モック」という表現をしたのか?恐らく数学者の共通用語だったのでしょうが、専門家ではない私には解りません。

しかし、私の解釈ではモックテータ関数は自転と公転の2重性を表現しているものとして理解しました。さらにKamu Number TheoryではKamu次元の2重周期性にも及ぶものであることを次のファイルで示しましたので、参考にしてください。
万物は回転する・ペンローズと宇宙大航海時代の羅針盤─(その3)- 5 . 宇宙羅針盤・テータ関数・共形幾何・保型形式


この「モック ⇔ 擬似性 → 多元的」をKamu Number Theoryから図式的に観ると
Θ ^ 2 (z +1)=Θ ^ 2 ( z )      →  単純周期性
Θ ^ 2 (z +τ)=[μ( z )]^ 2 Θ (z)  → (モック)擬2重周期性
           Kamu次元 → Mawari Te Meguru 2重周期性
Θ ^ 2 (z自転 +τ公転)=[μ ( z 自転 ) ]^ 2 Θ ( τ公転 )  → 擬周期性

彼女が発見し、共同研究者と共に精細に展開した新モンスターはラマヌジャンに倣って ”モック擬周期性・モンスタームーンシャイン”と名付けられたが、ミランダはこれを” アンブラル・モンスタームーンシャイン ” に変えて敢えて名付けた。アンブラルとは「影」のと言う意味だが、私はこれを「潜象」と、今後受け止めたいと思う。この命名には数学的な必然性があると共にミランダ・チェンの直観力のすごさが現れていると、私には思えるのだから。


◇ミクロ・モンスターとマクロ・モンスター

私が、ここまでミランダ・チェンのことを記したのは他でもないアンブラル・モンスタームーンシャインによって「ミクロ・ブラックホール」と「ミクロ・モンスター」の関係を示したいからだ。

さらにこの問題はミクロ・モンスター( Monster Micro )とマクロ・モンスター( Monster Macro )の関係へと進んでゆかなければならないと私は考えている。この関係を示す遷移図式における関係については次の図版をご覧ください。
図版:(2-2) Dimension √-1 • small Hi Monsterization and Tetration Model


ミランダ・チェンは、アンブラルムーンシャインの根底にある超弦理論を参照して、「これは、K3 表面の理論に作用する特別な対称性があることを示唆しています。この理論は、ブラックホールの内部など、直接観察できない場所での物理学を理解する方法かもしれません」と述べています。

チェンはこの発見に先立つ2009年に量子重力理論に関する論文を書いてる。このことと符合する発想力が、彼女の内面においてブラックホールの内部を解析できる可能性への気づきとして花咲いていると私には思われる。

実に驚くべきことなのだが、ブラックホールの内部構造を解明しようというのだ。そして、私たちはすでにそのブラックホールの内部へ K3 から遷移する過程を遷移図式の中で観てきました、そこに " E8 " という存在が浮かび上がってきているのです。

ここで言うブラックホールの内部構造とは天体の世界のことだけを言っているのではない。”マクロ(宇宙)ブラックホール” と ”ミクロ(原子核)ブラックホール” の内部構造双方を指しているのだ。これが ”図版:(2-2) Dimension √-1 ” で示したモンスターが形成している平行物理世界なのです。

ここで”平行宇宙論”の入り口が見えてくるのですが、D ドイチが展開している多元的平行宇宙との関係などはこの後(4-3)で詳しく触れたいと思います。
(4-3.平行多宇宙世界と正反対称歪性平行宇宙)

ミランダ・チェンは、2016年に到達した構想の中で、稠密なブラックホールの内部は24次元多様体であり、1種類のリーチ格子と23種類のニーマイヤー格子(合計24の格子)が存在すると考えられています。特にリーチ格子はブラックホールを1つの容積量( Relativity-Capacitive-Quantity )としてみたときの稠密構造を解明する糸口になるだろうというのです。

リーチ格子はもともと”球体詰め込みキス数問題”から発生している数学なので、凝縮して稠密になったブラックホールの物性を表現出来る数学モデルを提供しているのです。

ラマヌジャンのテータ関数からこうした驚くべき発展が見られるのだ。このことを1987年のラマヌジャン百周年記念会議の中で、理論家でサイエンスライターの F ダイソン は「ラマヌジャンの庭を歩く」という講演において次のように述べた。

「ラマヌジャンのモックテータ関数は、まだ発見されていない壮大な統合の魅力的なヒントを与えてくれます...私の夢は、超弦理論の予測を事実と一致させるのに苦労している若い物理学者の明日を見るために生きることです。自然界では、数学モデルを拡大して、テータ関数だけでなく、モックテータ関数も含めるようになります」と予言していたのだ。

ダイソンの夢を実現したのは台湾が生んだ天才数学者ミランダ・チェンだ、幸運なことにフリーマン ダイソン はミランダの仕事を見届ける事が出来た。いま彼女は量子重力理論の最先端を突き進んでいる。


◇モンスターのエントロピー(Ryu-Takayanagi formula 笠・高柳公式)

さて、量子コンピューターにとって重大な関心があるのはマクロ及びミクロ・モンスターがどれほどの情報を持っているかなのだ。それは量子コヒーレンスと量子エンタングルメントの裏にモンスターの情報が量子を支配して居るであろうという考え方が生まれているからだ。

ここでも日本の科学者が活躍している。それが ” 宇宙は量子ビットから創られる?という予想 ” のことだ。これを裏付けるのが「笠・高柳公式」というものだという。二人の科学者、高柳 匡, 笠 真生の成果はとにかく驚くべきものだ、ノーベル賞級だと私は思っている。

D ドイチが「宇宙(万物)は情報(量子ビット)である」と主張していることの真実性を、Ryu-Takayanagi formulaは裏付けるものだ。D ドイチが万物の理論の4本の柱と呼んでいるものをKamu Number Theoryの見地から整理しておこう。
①量子論   → 平行宇宙論  → 虚数と実数 → 潜象と現象
②計算理論  → 数学モデルの健全性 → アルゴリズムとバーチャル実在
③進化論   → ドーキンス  → 正・反・逆進化 → 生命の相似象
④認識論   → ポパー・ポアンカレの直観論  → 直感と演繹

2番目の問題は明らかに ” 万物は量子ビット ” であることが前提になっていることが分かる。逆に、” モンスターは量子ビットから出来ている ” のだから計算理論が重要になったとも言えるわけだ。これが D ドイチの筋道なのだと思う。

2番目のアルゴリズムは数学モデルのことであるから、情報という観点に絞って考えれば、宇宙は極めてクリアーな存在として眺めることが出来ると言うことになる。これを量子ビット決定論と言うのだが、まさにアインシュタインの立場でもある。” 神はサイコロを振らない ”といったアインシュタインの復活なのだ。

D ドイチの考え方を分かりやすく言えば、ミクロ局所実在性とマクロ局所実在性のどちらも、つまり両方を平行して実在するものとして認めようというのだ。D ドイチの考えを彼自身の言葉で味わってみたい。一見、何のこともないように彼はサラリと言うのだが、ここには「Kamu次元」が裏に隠されているのだが、お気づきいただけるであろうか?

「川はある方向に流れているように見える。でも、(マクロ)川を構成する一つ一つの(ミクロ)水分子は、色々な方向に運動しているでしょ。でも僕らには、それを直接見ることができない。僕らは平均を見ているんだよ。水分子の『運動の平均 → 運動の確率ではない』をとると、ある方向の流れのように見える。それが川の流れさ。同じように、僕らは、量子世界からなる『平均的世界 → 確率的ではない統計的世界』を眺めているだけなんだよ」(杉尾 一のインタビューにD ドイチが答えたもの;2013年1月)

(Kamu次元 → 正反物性遷移 → アンブラル分配関数 → テータ関数 → ゼータ関数)



◇(ミクロとマクロの間)川の流れと、電線を流れる電気の物理

D ドイチはさりげなく日常世界の川の流れにミクロとマクロを繋ぐヒントを求めて説明している。そこには探求の末に到達した世界がある。そこで、私はもう一つの問題を皆様に投げかけなければならないのだ。

それが「電線の中を電気が流れる」という身近な問題なのです。この問題、実は未だに解明されていない見過ごされた問題なのです。なにっ!!、、こんなことが未だに解っていないなんてことがあるか!、、と思われることでしょう。

ところが、「川の流れ」の問題でさえ私たちは見過ごしていた重大な問題があったということを D ドイチ が教えてくれました。そして今この「電流問題」なのだ。じつは、今でもキチンとした理論的説明は出来ていない問題であり、20世紀の科学の力では解明出来なかった難問なのだ。

小寺克茂を私は「電流と電子の速度」というオンライン上の文章で知りました。世紀の難問を考えるために、しばらく彼の文章に付き合ってみましょう。
http://azusa.shinshu-u.ac.jp/~coterra/enjoyphys/current2.html

「電気と光とどちらが速いのか?」という子どもたちの疑問に端を発している」と、子供に促されて小寺の探求が始まった。「音波では空気の中で動き回っている窒素や酸素の自由分子の速度 約 500 m/s が原動力」

そこで「銅の場合のフェルミ速度は1.57×10^6 m/s らしい.この速さは光速の1%のオーダにせまっており,特殊相対性理論の影響を考えられる 速さである」のだから、当然、電気も光と競争するくらい早いと思うのだ。が、結果は違っていた。

「フェルミ球で表される自由電子達の運動量分布が,導線に電圧をかけた後どのようになるか?というと,計算の結果、各ベクトルに,平均速度 0.07 mm/s を加えたものになる. 逆に言えば,0.07mm/s とはこのようなモデルで求めた電子の平均速度である」.

「電流が電子の流れだと学んだ子どもは,電子の流速としてこの 0.07mm/s に疑問を持つであろう」となった。さあ、大人は子供にどう説明できるのであろうか?そこで、ウキペディアによれば「自由電子とか伝導電子」などと言うものは「数学モデル」でしか無いというのだ。つまり実験で確かめられた事実は無いのである。(ウイキペディアのいう「数学モデル」は「理想化モデル」と訂正しなければならないと私は思う。)

これでは子供を説得するどころか、自分を説得することも出来なくなってしまう。ここまで来れば、改めて川の流れを見つめるしかない。そこには、ミクロモンスターと日常レベルの関係 ” 平行して ” 日常生活とマクロモンスターとの関係が裏に隠されているというD ドイチの考え方に寄り添うしかないのだと思う。

(中編)終わり  
                      (前編)へ
続いて  → (後編)” 虚数コンピューターとボルンマシン ” ヘ


    → (前編)” テトレーションで見るモンスター世界 ” へ
       

































4-1-2(後編)数学モデルの理不尽なまでの有効性

2020-08-10 09:50:11 | Post:投稿闌
前編から続く

《後編》


◇演繹的完全性と多元的演繹モデルの不完全性

論理学者でもあったパースは帰納法という用語をあえて避けている。つまり、帰納法は理不尽な自然数モデルを使った論理形式と言うことに気づいたからだと思われる。

コンピューターというのは典型的な演繹計算モデルと言える。方程式は演繹モデルを数式として集約したものだし、アルゴリズムもそうだ、つまり完全性とは演繹体系の完全性を指している。また、不完全性も同じく演繹的数学モデルの限界を示している。

ここで言う完全性を計算可能性と捉えるなら「計算可能な関数とは帰納的関数である」 と主張したチャーチ・チューリングの提唱は自然数にとらわれているのかも知れない。やはり「計算可能な関数とは演繹的関数である」となるのだ。これ以上の議論はアブダクションのところで見たとおりである。

(アブダクションについてはこちらを参照してください)
  3-7、ペンローズの非計算物理とKamu Number Theory
  3-8、準直感と準粒子型量子コンピューター

従ってユークリッド空間モデルとリーマン空間モデルも演繹的な構造を持つけれど、一般的には帰納的に生成された数学モデルと言うことになっている。しかし、ポアンカレのテーゼにあるように、それは直感的なアブダクションから演繹的に形成されたものであり、「演繹的完全性」と「数学モデルの不完全性」を合わせ持つのだ。

(ポアンカレのテーゼとは、「自然数論のペアノの公理を認めるなら数学的帰納法は演繹でなければならない」、更に「数学が演繹でないなら、なぜ正しい結果が 得られるのか?数学が演繹なら、なぜ新しい 一般化された命題が得られるのか?」これらに対する答えはパースが出している。)

私が異様だというのは、自然数が全く自然ではないと言うところなのだ。恐らく算術的数という意味では自然数=算術的数学モデルという関係の中にこそその本性があるのであろう。従って、算術が自然であるはずはない、人工若しくは技術的と言うべき算術的数モデルが自然数である。

◇計算や証明は物理プロセス(D ドイチ)

私がこだわっているのは、算術は数を利用している『技術』であって、数を生み出してはいないことがはっきりとしてきたからだ。更に、帰納法は自然数を基礎に新たな命題を生み出す生成原理であるとこれまで見なされてきたことへの反論をしなければならないからなのだ。

一方で、帰納法は空間を精密化する『技術』としてなら十分に実用的だといえる。数学的モデルである位相空間を精密化すると言う目的になら機能している。これもまた、ソロバンの算術的完全性という実用性と同じことになる。このことは帰納法の技術的な重要性が何処にあるかを示している。

例えば、帰納的順序集合というものがあるそうだ。位相空間の構成技術としてはうまく行く。そうであっても、ポアンカレは数学的帰納法というのはおかしいと言っているのです。ポアンカレの言いたいことは、技法としてはいいけれど論理として見るのは違っているんじゃないかという意味だと思います。

ゲーデルの不完全性定理は「技術的な算術的数学モデル」を使って証明されたものなのです。ゲーデルは算術的技術を駆使して「演繹の完全性」を第1定理として示し、続いて「数学モデルの不完全性」を第2定理として示した、と私は見ています。(これは私の解釈ですから原論文の構成とは全く関係はありませんが)

このように解釈すれば、帰納法が上手く行く(技術的)場面がどのようなものであるか、と言うことをゲーデルは多元的世界における精密技術として明示していると思います。

既に述べたようにフーリエ級数を解析関数として使うときに現れた矛盾には暗黙の内に『無限』が繰り込まれている。つまり数学的帰納法というのは無限を上手に使いこなす技法なのだと言えるのです。

数学モデルには言語が含まれます、従って或る全ての言語が不完全であるというのは直感的に理解しやすいのです。自然数は完全であっても、そのモデルは不完全であるというのは、こうした日常経験の中でも受け入れ易いことだと思います。基礎論の専門家も述語論理として数学モデルを作るようになっています。

Kamu Number Theoryでは、物性遷移から生成された数という見方を徹底して示しているのです。つまり、数は人間によって物性を抽象的に捉えたものであり自然の中に、或いは先天的に数というものが既にそこに在るのではない。これを、D ドイチは明確に「計算や証明は物理プロセス」と主張している。

例えば、分配関数がある物性Aから他の物性Bへ遷移する物理プロセスを示したときに、A → B という順番を付けることが可能になる、順序の前後に人間の抽象力で「物性Nの名称 → 数」を付与すれば自然数は完結する。

ただし、これにはペンローズのところで記したように「物理物性的な始元」が設定される事が肝心なのだ! 一見して「始元ゼロ」と思わせるような単位元の定義におけるように、利便的で技術的なものとして始元を〈単位元0〉と決めつけてはならない。

さらに、恣意的な順序ではなく分配関数による「物理プロセス」という裏付けが欠けてはならないのだ。数は空想や想像からは生まれない、数は物理から、あるいは生活や実験のなかの直観から生まれるのだということの深い意味がここにある!

こうして生まれた数を生活の中で1つの『技術 → 演算 → 計算』として実用的に使うことは何ら問題は無いのだ。しっかりしておかなければならないことは、数学モデルを『物理モデル → 蹴飛ばす技術 → コンストラクター → 計算と行動』の技術として使って居るということだ。


 (その2)- 2.時空互換重合量子とペレルマンのエントロピー
 (その3)- 2 万物のエントロピー増大、故に万物には始元が存在する
 (その3)- 4,生命のロバストネスと情報熱力学


◇自然数の呪縛 ─ ゼノンのパラドックス ─

人類学者の山口昌哉が「数学は事(コト)=抽象的事象についての学問である」と言った。D ドイチはここでも明快に「ゼノンはこう思い込んだ、(事の)数学的無限が、(物の)物理的事象の無限を的確に捉えていると思いこんだ、ゼノンの誤りはただそれだけのことに起因する」。ゼノンのパラドックスとして有名なこの話のネタはやはり ” 自然数の呪縛 ” だったのだ。

順序数というように簡単に順序を抽象化することをしてはならない、順序には抽象化出来ない「(物の)物理プロセス」が内在している、従って物理プロセスを無視して順序を設定した(事の)数学的抽象モデルは不完全なのだ。

ここでD ドイチの議論は「(事の)数学的順序無限 → 帰納的に生成される順序無限 → 技術的順序と無限」として理解すると解りやすい。

自然数という概念がいろいろと問題を抱えている源泉は、どっちが先かという単純な問題にある。つまりD ドイチの指摘したとおり、物理的プロセスから数が生成されたのだ。だから自然の中に数があった、すでにソコに数はあった、ということではないのだ。

自然数の呪縛はピタゴラスやプラトンにも、と言うより西欧文化全般に及んで居るとことがこうした例から知ることが出来ると思います。

◇物理モデルが数学モデルを生成する、故にゲーデルの不完全性定理がある

このことが数学モデルとして生まれたと一般的に言われるチューリングマシンは、じつは物理的構造体である計算機の概念設計スキームとして生まれたのだ。チューリングが数学者だったために誤解を招いているのだろう。

そして、大事なことは数学モデルと言われるユークリッド空間、リーマン空間(ガウス空間)、ヒルベルト空間なども物理的物差しに基づいた物モデルから抽象されたものなのだ。けっして数学モデルが先にあったわけではない。

いま、リーマン空間にガウス空間と注釈を与えたのは、ガウスの実験物理学的行動を想起して頂ければ十分納得頂けることであろう。リーマンはガウスの後継者だったのだのだから尚更であろう。

ゲーデルの不完全性定理はあくまでも数学モデルについてだけ成り立つものだ。しがって、物理モデルによって刷新され、改訂されてしまうのだ。じつは、この刷新するものの影に生命のロバストネスがある事をペンローズは直感した。これこそ、行き詰まり打開の生命力というものだ。

Kamu Number Theoryでは、どのように数が生成されるかを見ておきたいと思う。まず、物性世界があり、そこから「数」が生まれるまでに実に長い遷移過程が、その間の物性的重合反応は数兆回から数十兆回を実に8回繰り返した後にはじめて数と呼べるものを見出すことが出来るのである。

しかも、この数というものはその段階では物性であって数と呼ぶには人間の抽象力を加えなければ「数」ではなかったのだ。従って、最初に生まれた数は当然のこと”ピタゴラス自然数ではない”のだ。少し丁寧にいえば、「数とは人工的に物性を抽象して作られた〈モノ=コト〉の名称」なのだ。

ここまで来れば、あとはどんな数が最初に現れたか?、、なのだ。もちろん 「自然数 1 」ではない!


◇数学モデルの強靱性は虚数にあり

楢崎皐月はこうして物理的に生まれた数を『天然数』と呼ぶべきだと主張した。そして、最初の天然数は「虚数」だったのである。Kamu Number Theoryでは宇野多美恵によって「small-Hi」と名付けられたものがこの虚数なのだった。

この”Small Hi”から複素数の形をした数が発生する。Kamu Number Theoryではこの複素数を「Ur-Form」と呼んでいる。こうして、長い遷移過程を経て、ようやく問題になっている自然数の「1」が生まれ出てくるのだ。

そして、Kamu Number Theoryから解ることだが「複素整数 → 代数的整数」こそ楢崎の「天然数 ← 超自然数」に近いものだと言うことになる。驚くことに、ガウスはお見通しだったようではないか!代数的整数の創始者はガウスなのだ。

この視点から自然数を見れば、その異様な光景がハッキリと見えてくるはずだ、虚数こそ自然なものであって、ピタゴラス自然数はやはり算術数モデルとしか呼べない、極めて技術的なものだったのである。

グロタンディークの数学改革の意味がこうして明らかになったと思う。彼は数を代数幾何学的スキームとして抽象的に再構成しようとし、自然数から独立したイデアルな虚数に基づく複素数によって、当時幾何学と代数学に分裂していた数学の統合を意図したのだ。

この流れは谷山豊などを通してラングランズプログラムへと進み、さらに黒川信重の絶対数学へと進んできた改革には、正当な理由があったことになる。

現代数学はどうやら自然数の呪縛を吹っ切って、全面的に一新し再構築を進めている一方、数理物理の躍進は目を見張るものがあるのではないかと素人ながら思う。

最初に見た、「数学の理不尽なまでの有効性」の10項目にみるウイグナーの言葉は、案の定「複素数」の存在をターゲットとしたものだった。数学的虚構と思われてきた不自然な複素数こそ自然数でなければならないことがこうして明らかになったのだ。


◇量子演算とは虚数演算のことだ

D ドイチは1997年の”世界の究極理論は存在するか”の中で、「これは古典コンピューターのビットという考え方は元々量子力学的な離散的な量子という思想に基づいている、ということで、全てのコンピューターは、もともと量子力学的な存在だった。」

だから「暗黙裏に想定されていた古典物理学の代わりに、根抵にある物理を量子力学に定義し直し、チューリングの証明の構成をなぞること」で量子チューリングマシンの存在を証明できた、と述べている。

そこで、量子演算は「古典的なチューリングマシンの〈実数=ユークリッド空間と相似〉的な内部状態が〈ヒルベルト空間=複素ベクトル空間モデル〉の状態に置き換えられる」ような ” 複素数計算の場 ” で行われる、と言うことになる。手短に、量子演算とは虚数世界の演算なのだ。

チューリングマシンは計算のスキームモデルとして量子物理的なシェイプアップを果たした、この革新を進めたのが D ドイチなのだ。



         † † † † †

次回は
(その4)万物は情報である─ドイチの万物の量子コンピューター
4 - 2, 虚数コンピューターとモンスタームーンシャイン
になります


        ---------------
量子コンピューターという思想(その4)
万物は情報である─ドイチの万物の量子コンピューター

(その4)- 1, 数学モデルの理不尽なまでの有効性
(その4)- 2, 虚数コンピューターとモンスタームーンシャイン
(その4)- 3, ドイチの平行多宇宙と正反対称歪性平行宇宙
(その4)- 4, ペンローズのユニタリー実在批判に答えるには
         †
(その4)- 5, 万物の理論とバベルの塔(専門家と素人)
(その4)- 6, 量子代替平行演算型プログラム図象言語へ
(その4)- 7, 準粒子コンストラクターと逆進化 ─ 進化の脱皮 ─
(その4)- 8, 万物は情報である─ 準直観を持つ準粒子系 ─


Kamu Number Theory
https://kamu-number.com/


copyrght © 2020 masaki yoshino

4-1-1,(前編)数学モデルの理不尽なまでの有効性

2020-08-10 09:31:15 | Post:投稿闌

(4)万物は情報である─ドイチの量子コンピューター

4-1-1,(前編)数学モデルの理不尽なまでの有効性

◇数学の理不尽なまでの有効性(ウィグナー)

科学者、とくに物理学者は次のような疑問を心の底に抱えているという。数学モデルから予言された新素粒子の数々、ウィグナーの分類で知られる量子物理学者のユージン・ウィグナーは自身の心の奥を探った。

1,数学が役に立ちすぎるのはどうしてか?
   → 数学は途方もなく役立っているのだが、そのことには何の合理的説明もない。
2,数学の成功はなぜ不可解に感じられるのか?
   → 理不尽なほど重要な役割を物理学の中で演じている事実があるのに。
3,1つの数学モデルから異なったいくつかの物理モデルが生まれるのではないのか?
   → という漠然とした不安を拭えない。
4,現実の世界で経験の中に、複素数を登場させるようなものは全然ないではないか?
   → 理不尽である。
5,複素数は、自然なのか、単純か、あるいは観察に出てくるものではないのに、
   → 理不尽である。
6,複素数は、計算を楽にすることもない。物理法則の定式化にとって
   → 必要不可欠だから使われているだけじゃないのか?

ウイグナーのこれらの言葉から、数学モデルを考えるに当たって避けられない思想である” 数学の理不尽なまでの有効性 ”という問いかけをKamu Number Theoryから見てゆきたい。

ところで、私はウイグナーの言葉に次のものを加えたいと考えて居る。

7,自然数って
   → 私たちが体験する自然と同じ根っこから生まれたものの中に存在する実在なのか?
8,数学的帰納法は
   → 自然数を巧みに使った手品みたいで、理不尽に感じるのは何故なのか?
9,ゼロ
   → 「相等しい 2つの数の差」と便利な単位数としている、技術的な印象が強いのは何故か?
10,虚数の存在は
   → 認められるまでの歴史が苦渋に満ちたものだ、その理由は十分説明されていない、何故?
   ----------

これらを眺めてみると、1つの傾向に気づくことだろう。それは、”複素数”という不可解なものが、何で?、、物理学の中で主導的な役割を果たし、それにも増して理不尽なほど予言的な成果を"計算=方程式”によって鮮やかに導きだしているのだろうか?

こうして考えてゆくと、自然数と虚数の不条理に行き着くのだ。そして、これは ”(その4)- 2,虚数コンピューターとモンスタームーンシャイン” へと続くテーマでもあるのだが、しばらくウイグナーの問いかけに対して、Kamu Number Theoryからの答えを見つけてゆこうと思う。

さて、虚数に至る道を辿るには数学モデルがいかに強力で、しかも具象を既に知っていたかのごとくに導き出すかを見て行きながら、ウイグナーの気分を味わってみたいのだ。その具象が次に述べるコンピューターなのだ。

(ウィグナーEugene Paul Wigner 1902〜1995、ノーベル物理学賞1963年、晩年に哲学的な傾向を深めた。1960年に公開された講演録「自然科学における数学の理不尽な有効性」は有名;ウィキペディア)


◇数学基礎論から生まれた数学モデルのチューリングマシン

コンピューターの基礎を築いたチューリングは数学者だ、したがってここに示した物理学者の煩悩は持ち合わせていない、というより必要が無かったと言うべきだろう。D ドイチが現れるまでは、チューリングマシンと虚数は当初なんの関係もなかったのだ。

複素数は数学にとってどうしても必要だから生まれ、代数学のなかで育てられてきた。ところが、純粋数学とは別の道を辿った物理数学という分野が解析学という姿で発達し始めると、数学的な矛盾に突き当たることになった。フーリエ関数の「連続性 → 微細構造」の問題だった。

表向き、数学基礎論は数学内部の矛盾を解明し解消することが目的と言われる。だが、実際には解析学の精度と安定性を向上するという目的が裏にあったと私には思われる。これを裏付けるように、数学的帰納法という極めて技術的な手法が数学基礎論の基調となっているのだ。

帰納法が技術的だと決めつける私の考え方はこれから説明を加えてゆくのだが、既にアブダクションに触れたところで見たように、パースが100年前に先鞭を付け、更にポアンカレが指摘していたものだった。


(その3)-7、ペンローズの非計算物理とKamu Number Theory

付け加えれば、ちかごろディープラーニングなどのAI領域の研究、あるいは直観を経営現場に応用するなどの必要性によってパースは復活した。西田幾多郎の復活が言われているのも同じ理由になるだろう。

この数学基礎論に挑戦したパイオニアが誰でもご存じカントールの集合論だ。カントールは、150年ほど前にあっては境界領域への越境者だったことになる。

さて、基礎論の素人であるペンローズもこの領域に越境者として踏み込んで議論し、基礎論の専門家から猛烈な反発を食らった。

と言うわけで、素人と専門家の問題は、このあと ”(その4)- 5,万物の理論とバベルの塔(専門家と素人)” で詳しく見たいと思う。かなり重要な問題だと私は思うのだが、なかなか真っ正面から見ることのない問題だ。

チューリングは驚くほどシンプルで物理的な具象モデルによって複雑な計算をする機械を製作できるという仕組みを計算モデル(数学モデル)として作った。

シンプルを極めた仕組みのチューリング原理は、現在のコンピュータだけでなく,未来のコンピュータの能力とも等価である抽象的な原理を提示できたところに驚くほどの高い価値があると見られている。

更にこのチューリングマシンのシンプルさという構造は、今後極めて重要な意味合いを持ってくることになるのだ。ナノレベルのミクロの世界において、ペンローズの微小管量子コンピューターの構想がこのシンプルな構造と結びつくことになる。

ペンローズはチューリングによる発見の重要性を見い出してその名称に原理を冠し、” チューリングマシン原理 ” と命名をした。これは彼が専門外の数学基礎論を徹底的に探求しようとした姿勢の中から生まれた。

チューリングは数学基礎論の課題としてこの計算機モデルの原理を発見し、さらに物理的なメカニズムまで見出してしまった。つまりチューリングは境界領域に乗り出していたのだ。これは、人工知能の研究も視野にあったチューリングらしいものだ。

D ドイチは数学モデルから生まれた物理的メカニズムが驚くほどの自由度を持っている事を発見した。ところが、このモデルの持つこの重要な特性にペンローズは気づくことがなかった。ペンローズにとってはチューリングマシンは古典的コンピューターにだけ通用するものと考えたようだった。


◇数学モデルの不完全性は健全性の証し

ここで、ゲーデルの不完全定理証明の仕事を整理しておきたいと思う。まず、不完全性と言う言葉に惑わされてはならない。数学の危機だなんて大騒ぎになったこともあるこの「不完全性」という言葉、実は奥が深かったのだ。

言葉の印象とは裏腹に、「不完全だから健全なんだ」と言うことなのだ。エッ!と思うことでしょう。そう、逆に「完全な数学モデルは何か神ががった力で計算することが可能なのかもしれませんが、 普通のやり方では、完全な自然数モデルの算術は人間には取り扱い不能」ということなのです。
(引用:http://wwwa.pikara.ne.jp/okojisan/infinity/incompleteness.html

このブログの著者はコンピューター技術者だ、だから基礎論の専門家の視野にはない不完全性定理の現場感覚的イメージを聞くことが出来る。そして、私たちに必要な知識とは、どちらかと言えばこちらなのだ。ゲーデルの定理は人類の共有財産なのだから、ピタゴラスの定理同様に私たちにも使えるものである必要がある。

この定理は見方を変えれば、世界は多元的世界なのだと言うことを証明した。つまり「多くの不完全な数学モデルがお互いに不足するところを補っている」と言うことになる。そして、この定理には含まれていないが、数学モデルは進化するという内容を肯定的に含んでいるのだ。

建築物から日常的な生活に至るまで全てを支えているユークリッド空間も、抽象的な数学モデルだ。つまり、この触れることの出来ない抽象的な数学モデルと、知覚に関与する物理的な日常世界との関係をD ドイチと共に探っておきたい。

それまで、唯一無二の実在空間と思われていたユークリッド空間を疑う数学者が200年も前に現れた、なんと大数学者のガウスだった。ガウスは巨大な三角形の内角の和を疑っていた。そこでガウスが行ったのは、

測量技術を巨大三角形に対して実行するという、現代流に言えば実験物理学の手法の実践だ。あの大数学者ガウスが自らの中に生まれた疑問を確かめるために、実験物理を使ったのだ。

よく知られていることだが、ユークリッド空間モデルは相対性理論によって「不完全」である事が明らかになった。これも実験物理の手法で確認された。こうして抽象的なリーマン空間が新たな数学モデルとして認知された。

リーマン空間モデルはユークリッドモデルを特殊な一部として含む、つまり2つの数学モデルはお互いに矛盾したものではなく、相補的な関係を持っている。

さて、ここからゲーデルの不完全性定理から生まれる問題だ。 リーマン空間モデルも「不完全」だという話につながってゆく。物理学としてはゆゆしきことだろうけど、今のところ、小数意見のようだがリーマン空間も最先端の実験物理的方法では「不完全性」が認められるというのだ。

D ドイチもこのことを重視して「数学の本性」という章で突っ込んでくる。「抽象的、非物理的な実体は本当に存在するのか?」と、ここで彼が取り上げている数学的実体とは、ユークリッド空間やリーマン空間、そして自然数などのことなのだが。

D ドイチは、この数学的モデルが私たちの体を「蹴り返す」かどうかを確かめなければならないと言う。ピタゴラスは「万物は(自然)数である」といった、プラトンはそれを一歩進めて「物理的世界は架空のもの → 影にすぎないもの → 蹴り返せないもの」であると決めつけた。D ドイチはプラトンに反対する、蹴り返すことの出来るのは物理的世界だけなのだと。

蹴り返す事の出来ない数学モデルの理不尽なまでの有効性、ウイグナーも、蹴り返すことのない数学モデルが、蹴り返すことの出来る物理モデルと相似なものを生み出す力をなぜ秘めているのか?と、だが、自然数の術縛の中からは答えは見えてこなかった。


◇ピタゴラスの数学モデルと自然数の呪縛

ピタゴラスは万物は自然数であるといった、対してD ドイチは万物は情報だと考えて居る。現代の感覚からすれば、D ドイチの主張の方が受け入れるのは容易だと思う。

しかし、何故か数学者は基礎論を構成するに当たってこの自然数を思考の出発点としているのだ。物理学者の煩悩として改めて浮かび上がった自然数の不思議さ、そして理不尽さを探らなければならないだろう。

こうして数学モデルの伝統ある本丸である『 ピタゴラスの数 → 自然界に実在する数 → 自然数 → ドミノ倒しモデル → 数学的帰納法 』に至るのだ。

ここで数と自然数とでは区別しておくことが肝心だ!ピタゴラスとプラトンは自然数の世界の住人なのだった。自然数こそ実在する自然、私たちを蹴飛ばすのは数そのものであるという結論に彼らは到達していた。

数と自然数とを区別する必要性を別の見方で言えば、「抽象的な数」と「自然界に実在する数」の違いと言える。当然コンピューターで使う数は前者なのだが、帰納的数或いは帰納関数というとき、ここが曖昧になってくるのだ。

ラムダ計算機という数学的モデルがある、このモデルはチューリングマシンと等価である事が証明されているコンピューターの数学モデルだ。

このラムダ計算機は、計算に演算を使わず、自然数も全く使わないというものだ。使うのは『関数(関係性)だけ』である、相似象で言えばラムダ計算機はソロバンと相似だ。このラムダ計算機のイメージは結構大事なところ、ペンローズの微小管量子コンピューターではこれが効いてくる。

実際デジタルというのは自然数を使って居るのではない、プラスかマイナス、正反、無か有、スイッチ、などというものを使って居るに過ぎない。つまり自然数から自由で物理的関数が主体の「万物のデジタル情報」という思想なのだ。

ライプニッツが中国で発展した「易の陰陽」をヒントに2進法、つまり”デジタル”を発見 した有名な話がある。従って、「自然数の2」は全くデジタル思想とは関係無いということは簡単に確認できることである。

これだけで、デジタルと比べると自然数というものが「異様な世界」であることが少しずつ見えてくるのだと思う。この異様さとは「帰納法」のもつ異様さだと言うところが肝だ。パースなども帰納法を逆演繹法に置き換えたり、アブダクションの中に解体し吸収させているのも理由のある事だ。

私のような数学の素人は知っておくべきことだが、数学の世界で帰納的という言葉を使うとき、必ずこの自然数モデルに依存して成り立つ論理ということだ。数学的帰納法は自然数モデルから導かれる技巧的論理構造だと言うことなのだ。

《前編》

→ 後編へ続く
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(その3) - 8 準直感と準粒子型量子コンピューター

2020-07-02 11:14:04 | Post:投稿闌
量子コンピューターという思想(その3)

万物は回転する─ペンローズの宇宙大航海時代の羅針盤─

(その3)- 8 準直感と準粒子型量子コンピューター

計算可能な世界と非計算的な世界とを繋ぎ止めているものが「直感」であることが見えてきた。更に計算不可能と思われる世界ですら計算可能世界と全く別世界というわけでもないことも見えてきた。アインシュタインは直観こそ真に価値があると言ってます。

そこで非計算的世界と計算的世界との境界領域を設定してみようと考えるに至った。それが「準直感」という領域であるとするのだ。

直感と言う言葉は日常世界で誰でも体験するもの、一方で神秘的なイメージが感じられる。直感という概念は様々な手垢のような既成概念を連れてくるものです。

第六感、天啓あるいは悟り、インスピレーション、仏教用語の般若・プラジュニャーなど、また無意識と結びつけたり実に多くのイメージがつきまとう。


◇準直感

この、世間のイメージにまみれた直観に「準」と付けたのは、問題が明確になったときには準直感は限りなく論理的な姿の直感に近づく事が出来るであろうという仮説を含んでいると考えて欲しい。

準粒子と言う言葉があり、準結晶もあります、ならば準直感があってもいいのではと思いついたのです。そして、準直感はホワイトヘッドの閃光 flashbulb であったり、超記憶 super-memory 或いは直観像 eidetic imagery、ひらめき Epiphanyなどの形容が受け入れられるものなのです。

すでに、ポアンカレやブラウワーの直観主義もある、しかし本論ではパースのアブダクションに結びついた論理的構成を持ったものとして直観・直感を理解しています。

なお、「アブダクション → 論理的直観」・「アフォーダンス → 感受性直感」という定義上の違いは準粒子にあっては無視します。これは、脳を備えた脊椎動物のレベルでは直観と直感は別物と考えなければならなくなります。しかし、準粒子にあってはその違いは無いものと考えられるからなのです。このことは(その5)で改めて詳しく見たいと思います。

準粒子については(その1)- 5 正反共役関係にある2つのタイプのチューリングマシン
        (その1)- 6 準粒子の知性
        (その1)- 7 潜象・虚数・エレクトロンホール
に記しました。ここでは詳しいことは省いて、このまま準直観について入ってみたいと思います。
        
まず、準直感の幾分ファジーな定義を示そう。
(3-7、ペンローズの非計算物理とKamu Number Theory、で記した様に、準粒子の立場から直観と直感は恣意的に使い分けます、従って直観と記しても直感と記す場合も同じ内容とお考えください、この恣意性は人間レベルでは通用しませんが)

第1に、「準直観・準直感」は知能の一部、若しくは知的な判断性能と同じアブダクションの論理的な概念。
第2に、「準直観・準直感」はその個体の生存存続に関与する情報を集める能力であるアフォーダンス感受性を含む。
第3に、「準直観・準直感」は「準粒子」の内部にだけ存在する。(楢崎の條件)
第4に、「準直観・準直感」は量子論理、量子演算・量子計算と強い結びつきを持つ。

細かい部分は今後の進行に従って柔軟に対処することにし、準粒子と共じく曖昧な定義にとどめてあります。

以上は現在の時点でのバージョンと考えてください。ファジーな定義なので、今後改定をしてゆかなければならないことも出てくることでしょう。


◇楢崎・ペンローズの條件

この定義のなかで、第三の條件はKamu Number Theoryでは「楢崎の條件」と呼んでいる重要なものです。

楢崎の條件は、独創的な楢崎皐月の発想から出たものです。この條件は今後、量子コンピューターにとって、そして生命現象のロバストネスにとっても決定的に重要になってくるものです。

第3の、楢崎の條件はペンローズの着想である細胞内コンピューターと深い関係にあります。準粒子コンピューターはその拡張版になります。このように、ペンローズは未来の

量子コンピューターの姿を示すことになるこの条件を具体的に提起したのです。従って「楢崎・ペンローズの條件」と呼んでもいいほどなのです。

この楢崎の條件は、これまでの脳を中心とした考え方、おなじことですが人間中心に考えてきた意識、知能、判断、理性という概念を180度変更する物理学の「脱皮条件」なのです。

また、この「楢崎の條件」はかなり強い要請であると共に、直感という日常的な知見を今後は物理的に特徴付けて行く指針となるものなのです。

第4の條件は、” 3-7、ペンローズの非計算物理 ” で示したパースの連続原理を前提にして理解されるものです。従って、量子計算を直観とのつながり、つまりロバストネスで理解されるものです。

ペンローズは安易で楽天的な人工知能支持者を批判して、〈知能の不完全性=思考の危険性 → 人工知能=計算可能性=チューリングマシン〉という関係に注目しています。ペンローズはこの図式からは意識を除外する必要性も示しています。「意識と知能を混同してはいけない」、それは「意識の問題は生物的構造においてのみ見出される」というのがペンローズの立場です。

ペンローズは「計算可能性の限界という視点からすると、量子コンピューターをもってしても、人間の意識的理解に必要とされる演算を遂行することは出来ない」と述べています。しかし、これはペンローズが直観という領域を意識や心で捉えているために生まれた誤解なのです。


◇再帰関数と逆演繹法 → 一次アブダクション

そこで注目しておきたいことは、第1と第4の2つの條件は量子コンピューターと深い関わりがあります、それはロバストネスの構造は再帰関数を内包しているからです。コンピューターの動作は再帰的です、そして《逆演繹法=一次アブダクション → 再帰関数 》の動作がコンピューター上で可能となり、ここに量子演算・量子計算が乗せられることになります。

準直感を考える立場で見ると、この一連の関係図式を導いたペンローズの批判には何かが、つまり「直観」と「進化」が不足しているわけです。ペンローズの迷いかも知れません、迷いは意識を除外したことに現れています。前回で触れたように意識はアブダクションに組み込むことは出来ません。このことをペンローズも直感的に感じたからかもしれません。

実際、数学的帰納法ですら直感を前提としています、更に公理系を組み立てるときも直感を除外できるはずがありません。ゾウリムシや粘菌が生存と存続に必要な危険を回避したり、餌の探索に必要となる「直観的理解」を考えてみたいのです。


◇ペンローズの生命物性物理学と準完全性

ペンローズは意識の物理生理次元の解明には次のようなものが必要ではないかと提案している。
 1,微小な脳の生理学の細部 → ナノレベルの微小管と脳細胞
 2,意識が生成し消滅する状況 → デコヒーレンス収縮として解釈
 3,意識が生成し消滅するタイミングを巡る奇妙な事実
 4,意識というものの目的 → 生存のための自己防衛
 5,意識を持つことの具体的利点 → 生命のロバストネス

ペンローズの素晴らしさがここには表れています、直観の物理学を組み立てようという意欲すら感じさせる内容であり、更に未来の量子コンピューターの姿を示唆していると感じます。

さて、これを準粒子ゾウリムシや準粒子粘菌、更に準粒子ウイルスに当てはめてみましょう。

 1,準粒子(ペンローズの場合はコンピューター)は心を持ちうるか?
 2,準粒子は微小管を持ちうるか? → 微小管や脳細胞が絶対必要なものなのか?
 3,準粒子はどのようにして意識を現実に喚起(生成し消滅)するのであろうか?
 4,意識はその意志の作用によって準粒子の運動(タイミング)に影響を及ぼすのか?
 5,意識は準粒子に、どのような淘汰上の利点(目的)をもたらすのか?

この5項目の疑問を提起したのもペンローズだ。ただし、ペンローズは準粒子ではなくコンピューターに対して問いかけたのだが。

課題は「知能 → 不完全性」と「準直感 → 準完全性 → ヒューリスティック」を、生命という立場から精細に調べることである。それには、ペンローズが行ったような、意識とか心と言う概念を物理学として提起する必要があるでしょう。「意識は、必ず物質的な基礎を持たなければならない」とペンローズは言う。ここでは紹介する事は出来ないが、Kamu Number Theoryでは心の物理学を相似象によって体系的に示している。

◇ヒューリスティックとアルゴリズム

ヒューリスティックはこれも曖昧な概念だが、ここでは簡単にヒューリスティックの対義語はアルゴリズムであると同時に、《〈準直感+アルゴリズム〉 → ヒューリスティック》と言うくらいに、理解しておいてください。詳しいことは次の機会にいたします。

ペンローズが提起した5つの條件はいずれも細胞内コンピューターという具象をもって量子コンピューターの未来を描いているものなのです。それを、私は準粒子型量子コンピューターと呼びたいのです。

生命のロバストネスとも関係するが、これら 1. から 5. の先に「生命体が持つ遺伝的進化的手法」が意識にどのように関わってくるか、を考えなければ片手落ちというものだろうと思う。遺伝的進化的な手段は生命の大事な特徴として落とすわけには行かない。D ドイチはこの 第6 の問題に正面から向き合う。

細胞内超越的コンピューターというペンローズの発想は、次第に微小管型超越的コンピューターとして具体化され、ゾウリムシに備わっている意識系にはこの準粒子型コンピューターが行動判断を演算処理し、そこに生存のための自己防衛能力が見出される、という流れがはっきりしてきたようだ。

この決着は、次回の(その4)─万物は情報である─D ドイチ、に移って考えたいと思います。


         †

今回で ”量子コンピューターという思想(その3)万物は回転する・ペンローズの宇宙大航海時代の羅針盤”の連載は完結しました
次回は(その4)万物は情報である─ドイチの万物の量子コンピューター ─ 量子コンピューターを理論的に発見したD ドイチがKamu Number Theoryの核心に迫ります (その4)- 1 チューリングマシンと数学モデル を予定しています。

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(その3)万物は回転する─ ペンローズの宇宙大航海時代の羅針盤 ─
3-1、万物は回転する・互換重合時空ツイスター
3-2、万物のエントロピー、故に始元が存在する
3-3、ペンローズの迷いとマイナスエントロピー
3-4、生命のロバストネスと情報熱力学
3-5、宇宙羅針盤・テータ関数・共形幾何・保型形式
3-6、ペンローズの微小管非チューリングマシン
3-7、ペンローズの非計算物理とKamu Number Theory
3-8、準直感と準粒子型量子コンピューター

Kamu Number Theory
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