Kamu Number Theoryと相似象

英文サイト. Kamu Number Theory では言及しない相似象のことなどはこちらで。

(その2)-7〜8 万物は粒子である─ファインマンの青春の夢─

2020-01-24 11:38:51 | 量子コンピューター
量子コンピューターという思想(その2)
万物は粒子である ─ファインマンの青春の夢─

(その2)-7.”万物は球体=粒子=量子=デジタル情報である”


1985年にファインマンは「普遍的量子シミュレーター」という思想に到達した。1950年代、遠隔相互作用で物理学を書き直す仕事をしていた彼はすでに「特殊量子シミュレーター」に繋がるアイデアを示している。

その内容は、https://ja.wikipedia.org/wiki/ゼアーズ・プレンティ・オブ・ルーム・アット・ザ・ボトム

30年の熟成期間を超えてついに量子コンピューターの世界を提示したのだ。1985年に量子コンピューターの理論を確立したD ドイチは手短にファインマンの仕事を紹介してくれている。

ファインマンが量子干渉実驗装置そのものが計算機になると考えるに至ったアイデアは次のようなものだった。
D ドイチによるファインマンの発想の要約。
①量子実驗装置へ「量子の投入=入力」
②量子実驗装置の「設計=プログラム=アルゴリズム」
③量子実験結果の「観測装置=読み出し=出力」

入力された情報は、つまり投入された量子は計算困難な計算を量子自身でプログラムに従って通過しながら即座に処理して瞬間的に観測装置に到達し、計算結果を出力出来るとファインマンは考えた。

ここで注目することは「量子自身で」という説明の中に量子コンピューターの特性が表れていることである。もう一度ここを繰り返すと「量子力学的粒子は自分で「チューリングマシン通路=量子干渉実驗装置」を潜り抜けながら計算困難な処理を『自分で終えて』出てくるのである」となる。

ファインマンの普遍的量子シミュレーターには一つの條件がある、とドイチは指摘する。それは「予測不可能性=初期値敏感性=カオス」ではないという條件である。この條件は環境の影響による「デコヒーレンス」の問題を想定しているものであろう。

また、普遍性にとって「処理困難性=計算不可能性=数学基礎論的限界突破」が重要であって「予測不可能性=初期値敏感性=カオス」ではないと通常では考えられていたが、しかし、ファインマンは、まさしく、反対の結論を導き出した「処理困難性=NP完全問題=数学基礎論的限界」を障害とは見なさず、好機と捉えたのである。

通常というのは、古典コンピューターでは計算不可能性が最大の問題だった、しかしこと量子コンピューターでは環境の攪乱要因のカオス状態がネックになると考えたのであるが、これは量子コンピューターの理論をファインマンが正しく把握していたことを示している。

古典コンピューターの最大の難問とはコンピューターが停止してしまうことと永遠に停止しないコトにある。じゃー、量子コンピューターはと言うと不思議に思うことでしょうが、このような障害は存在しないか回避することをコンピューター自身が選択するのである。


         †

量子コンピューターという思想(その2)
万物は粒子である ─ファインマンの青春の夢─

(その2)-8,ファインマンから始まる3人の系譜 
(量子シュミレーターと量子コンピューター)


三人は量子論の奇妙な問題に立ち向かい、現代物理学を根抵から変革しようと志した物理学者である。結果的には成功したとは未だ言えない改革に関わった3人ではあった。だが、そこから生まれた量子コンピューターが3人の格闘の果実となった。

1950年代にファインマンは「ナノテクノロジー量子シミュレーター」というアイデアと思考実験に到達した。さてここからだ、プロトタイプともいえるこのアイデアは実に壮大な構想を持っていた。

1983年には「普遍的量子シミュレーター」として量子コンピューターのアイデアを公開した。ファインマンは量子「コンピューター」という表現は行っていないことに注目してみたいと思う。あくまでも、「量子シミュレーター」なのだ。ここが大事なところで、ペンローズに通じる見識なのだ。

詳しくはペンローズのところで「意識」「思考の危険性」「インスピレーション」という三題噺として書きたいと思いますシュミレーターという表現の中に自然世界の一部として量子世界を眺めているファインマンの直感的な目線がある。

粘菌コンピューターを思い起こして頂きたい、粘菌に「任せれば」計算機で解くことの出来ない解を求めることが出来る。この発想をファインマンが持っていたから、シミュレーターという発想が位置つけられている。つまり粘菌シュミレーターということになるが、どっこい粘菌自身は量子コンピューターを内蔵しているというわけだ。

この言葉の中に生命が自ら持つであろう「常温自然量子コンピューター」の存在を予言していたことになる。

1918年生まれのファインマンは30代でこの発想に到達し、磨き上げてまとめたとき65才になっていた。量子コンピューターは若き物理学者のヒラメキから生まれ、30年の歳月の間に卵の殻を破って成長した。

この壮大さは師のホイラーの影響だと私は思う。実は3人の系譜にはつねにこの超大物の物理学者が顔を出すのだ。そして決定的なのはホイラー最晩年の自伝からのコトバなのだ。

「最初、私はすべては粒子であると思い,次にすべては場であると思い,今はすべては情報であると思っている」。ホイラーの晩年とは、96才の長寿だったから、90才に近い頃かも知れない。この言葉は2000年に公になった自伝に記載されているとのことだ。

粒子から場へ、場から情報へ、この流れこそファインマンの粒子、ペンローズの重力量子場の理論、ドイチの量子コンピューター理論という系譜を一言で締めくくってしまったものだ。

驚くべき直感力を持った長寿科学者がいたものだが、相似象では人生の永い時間をかけた熟成が直感を鍛えるのに必要である事を強調している。

-----------

次回の、量子コンピューターという思想(その3)はペンローズです、万物は回転(スピン)する。
心の起源を始元であるビッグバンにもとめるという大胆な仮説を裏付けるのは量子コンピューターのオントロジーであるというのです、これを相似象及びKamu Number Theoryから相似象観光します。

量子コンピューターという思想(その2)1〜3へ    (その2)4〜6へ

Kamu Number Theory
copyrght © Allright Rserved Masaki Yoshino

(その2)-4〜6 万物は粒子である─ファインマンの青春の夢─

2020-01-12 15:20:20 | 量子コンピューター
量子コンピューターという思想(その2)4〜6
万物は粒子である ─ファインマンの青春の夢─

4.粒子から波動を見る・量子論の謎

量子論の謎

(1)コヒーレンス → 多数の情報が”同時に同じ場所に”存在する謎(実験済み)
(2)デコヒーレンス → コヒーレンスが”自発的崩壊凝縮”する謎(一部解明実験済み)
(3)エンタングルメント → 超光速テレポーテーションの謎(実験済み)
(4)粒子と波動のデュアリティー → 現象として ”幻想的な2重物性” の謎(実験済み)
(5)量子と虚数世界 → ”虚数を使わないと導かれない”という謎(実験済み)
(6)スピン → ミクロもマクロも回転しているという謎(実験済み)
(7)不確定性原理 → ”物差しと單位の不可知性”の謎(ハイゼンベルグの定義を修正済み)
(8)時間の可逆性 → 時間のない世界の謎 → エーレンフェストの壺(一部解決)
(9)生活するシュレーディンガーの猫 → ”日常生活と量子の狭間に現れる生命”の謎

この中で粒子が関わる謎を挙げるとすれば、(1)から(9)までの全てであることが解る。特に、粒子と波動という2物性の”重畳性”の問題なのだが、Kamu Number Theoryではこれを「現象界」だけに起こることとしている。

つまり現象界に並行する潜象界という平行宇宙論的な概念を使えば、この重畳性は『互換重合トコタチ』として解消される事になる。平行宇宙論については、この後ドイチを論じるところで突っ込んで説明したい。

いずれにせよ、万物は粒子であると割り切った仮定をしてみても、これらの謎はつきまとってくるのだ。こうなれば量子論の謎に真っ正面から立ち向かうしかないのだろう。そのための方法論としてKamu Number Theoryがあると私は考えて居る。

         †

5.グリーン関数の深遠な世界を見る   

ここでKamu Number Theoryの図版を参考にして頂きたい問題が出てくる。

https://kamu-number.com/pdf/axio/116dyad.pdf

グリーン関数は遠隔作用を物理学的に表現する手段、そして精密化と厳密化のための数学上の手続きの問題だ。

ファインマンは物理学者なら当然するであろう手段に訴えている、遠隔作用の表現としてグリーン関数を求めることになる。これは現在では、量子多粒子体論の共通言語であるグリーン関数法と表現されているそうだ。

量子多体論の存在しない当時、思い切って踏み出した仮説の効果がここから生まれてくる。もともとグリーン関数は数学的なテクニックとして研究されてきたが、どっこい量子論の深い謎に直結している。

これを示しているのがKamu Number Theoryの次の図版。

https://kamu-number.com/pdf/axio/193maquant.pdf

私は数学者じゃないから専門的な事柄は省いて、図版の持つ相似象から判断したいのだ。グリーン関数の姿は、”一次分数関数”の形式を持っているのだから、ここに相似象的な類推がはたらく。一次分数関数という相似性から見れば、関わるものとしてナンバーワンは「ゼータ関数」なのだが、それがついに画像として現れたのである。

グリーン関数へ至るまでの変遷を辿ってゆくと次のようなものになる。

「マース波動形式」から「ラマヌジャンの模擬シータ関数」そこからゼータ関数の拡張型「ヘッケL関数」そして「アラケロフ・グリーン関数」へと結ばれる消息である。

これじゃーチンプンカンプンと言われる事でしょう、私も専門用語の前で立ち尽くすのだが、大事なのはこのグリーン関数へたどり着く道筋なのだ。専門分化が進行している科学全般で、専門用語によるバベルの塔化現象は顕著である。

ここでたじろいでいてはまずい、巨察を持って全体像を掴み、大きな流れを見極めなければならないと思う。まずチンプンカンプンな名称を使いつつ、Kamu Number Theoryの「道筋」を流れ図式として示してみると。

(保型形式)→(一次分数関数)→(ゼータ関数)→(シータ関数)→(マース波動形式)→(アラケロフ・グリーン関数)

これをもう少し相似象方面から解りやすく書くと次のようになる。

正反カスプ対称性 → 保形形式 → 一次分数関数 → ゼータ関数 → グリーン関数

こうした場面で、専門家ですら頭を抱えるチンプンカンプンな上記コンピューター図版が現れたという次第である。「マース波動形式」は「整数=粒子」を「波動」の中で表現しているというのがこの実に不思議な図版なのだ。

この図版の発見者である Fredrik Strömbergは次のように記している。私は”2017年に不思議で神秘的で魅惑的な画像をコンピューターを使うことで発見した”と記しています。そこには、伝播関数と専門家が名付けたグリーン関数の深淵な姿が表現されたものと私は考えた。

こうした数学世界における、コンピューターを使った発見を「21世紀の実験数学」と言うのだそうです。「実験数学」は最先端の数学として話題となっている領域なのだ。数学にも巨大な実験が可能となったと言うことは、コンピューターの貢献なしには考えられない事である。

ファインマンの青春の夢であった粒子宇宙論が、21世紀の実験数学の神秘的な図版によって次第に明らかになってきたこの図版は私たちをグリーン関数の生成に関わる道筋へと新たな場面に誘ってくれている。

         †

6.ファインマン図形の故郷


専門技術の塊のようなもの、他方で極めて深遠で抽象的な二面性をグリーン関数は持っていることが明らかとなった。だから、グリーン関数は専門家でも大変疲れる世界なのだそう。まして、素人には立ち入る事の出来ない堅固な城塞なのだ。

ところが、ファインマンはこの垣根を越える驚くべきものを示した。それがファインマン図式なのだ。ファインマン・ダイアグラム或いはファインマン図式と呼ばれているものは、素人が感覚的に理解することができる図なのだ。であるにもかかわらず、厳密科学として専門家が計算しなければならない数値を導き出す事の出来る構造を内蔵している。

ファインマン・ダイアグラムによってグリーン関数が粒子宇宙の遷移過程を形成する様子が視覚で捉えられるのだ。このような驚くべき図式は”万物は粒子である”という彼の青春時代の夢が有ったからこそ生まれたものであると言える。

長い時間をかけて彼の夢は発酵し熟成し、ついにグリーン関数のスキーム化を生み出したと私は考える。それはミクロ世界の遷移図式である、私はここからKamu Number Theoryの壮大な遷移図式のアイデアを思いついたのだった。

         †

 ─次に続く(その2)7〜8─  ─前に戻る(その2)1〜3
Kamu Number Theory
copyrght © Allright Rserved Masaki Yoshino

(その2)1〜3 万物は粒子である─ファインマンの青春の夢─

2020-01-08 10:22:56 | 量子コンピューター


量子コンピューターという思想(その2)- 1〜3 万物は粒子である ─ファインマンの青春の夢─

(その2)-1.万物は球体である

◇トポロジー的球体
「万物は球体」である、という幾何学の定理がある。これ、今ではピタゴラスの定理と同格である。チョットだけ補足しておくと、この定理は「トポロジー的球体」についての定理なので、アメーバのようなものも球体と見做します。

1900年に予想として提出されてからペレルマンが2003年に解決するまで、100年間にわたって数学界では有名な難問だった。ポアンカレ予想として知られるこの定理は宇宙全体の形を決定するだけでなく、ミクロの世界までも含むものとなっている。

ジャー、、人間は球体?、、口から肛門までのトーラス状態じゃないのか?、、危険を感じると身を丸くするか?!

そうです、ここで「量子論の謎」の9番目を思い起こしてください。この定理も同じ謎を避けることが出来ません。ミクロの原子やマクロの宇宙ではすんなり受け入れられることも、人間の世界では謎に包まれます。

科学者はこの問題をカオス問題とか、古典的現象の予測不可能性、自然モデルの無秩序性、バタフライ効果などと呼んでいます。人間の生活次元が関わると、こうした混乱はつきものと思ってしまいます。また、単純な形式から混乱を極める複雑で一見無秩序な図形が発生するフラクタル図形も有名なものです。

◇青春のファインマン
青春のファインマンはこの球体の問題に果敢に挑戦するのですが、それはこれから説明してゆきます。とりあえず、この定理が恐ろしく強力で、時空に対する基本的な考え方を左右するもの、なおかつここから統一問題が展開されるのです。

Kamu Number Theoryではこれを「球体感覚」から生まれた「Tama」と呼んでいます。「Tama」についてはペンローズのところで説明します。


         †

(その2)-2.時空互換重合量子とペレルマンのエントロピー

この球体定理を証明したというペレルマンの論文はアーカイブに公表されているので、誰でも読むことが出来る。そうは言っても、この論文は難解で知られるものだった。発表されてから数学界は騒然となり、3グループの手で、数年かかって検証された。数学的な厳密さから言えば超難しい論文だった。

◇数学観光
私は遊び心と相似象から観光したいという興味から、ペレルマンの原論文をダウンロードした。難解な数式を斜めに眺め?、、いや相似観光しながら、証明全体の組み立て方などを見ることにした。

◇手術と情報
論文からは「手術」という言葉が飛び込んできた、何に?、、数学者が使うかと!、、とそのとき思った、血管を縫い合わせるように宇宙をつなぎあわせるというのだ。つぎに、「エントロピー」という言葉がきた、ここは情報理論じゃないぞ、、幾何学だ?!、、と、そのとき私は不審に思った。

◇互換重合時空量の集積量
しかし、次第に空間という概念をとことん突き詰めたペレルマンの気迫と先進的センスがここに示されていることに気づいた。そう!Kamu Number Theoryにも相似の概念があった。「容積量=Relativity-Capacitive-Quantity」だ。「容積量」は一言でいってしまうと、「互換重合時空量の集積量」として定義できるものなのだ。

◇公準としての球体
新たな尺度としてエントロピーと言う概念で時空を互換重合的に統合してしまうというアイデアだ。なるほど、考え方が似ているなと感じる事が出来た。Kamu Number Theoryでは「万物は球体である」という公準があるのだ。

◇始元量
ペレルマンの原論文からは相似象の芳香が立ち上っていた、直感とアイデアが相似性の香りとして次第に伝わってきたのだ。球体の尺度として「容積量」があり、その内実として「始元量」がある、これはエントロピーと深く関わり合うものだ。なお「始元量」についてはペンローズのところで説明したいと思いますので、ここでは一応頭の隅に入れておいてください。

何故、ポアンカレの定理が「公準」になるのかというと、定理より重みが大きいからなのだが、説明は別の場所で行います。とりあえず、ペレルマンの証明は正しいことが判明し、Kamu Number Theoryの公準は幾何学的な裏付けが出来たことになるのです。

さて、いよいよファインマンの登場である。物理学者として初仕事に選んだのが「万物は粒子である」という仮説だった。

         †

(その2)-3.”万物は粒子である” ─ファインマンの青春の夢─

◇アトムの復活
ホイラーの指導の下で青春のファインマンが取り組んだのは、万物は粒子であるという、当時としては驚くべきテーマだった。なぜ驚くべきかというと、「場と波動」の理論が主流の時代、ギリシャ時代のアトムの復活のような印象だったらしい。

存在するものは粒子が相互に「遠隔的に作用」する世界であるとファインマンは考えた。つまり、場と波動を否定して「すべての理論」を粒子の遠隔相互作用で書き直すという思い切ったものだった。遠隔的つまり宇宙の内部は互いにリモートコントロールする粒子の世界だと仮定したのだった。

◇遠隔作用と通信
ここで、ファインマンの設定した遠隔作用には「情報そして通信」というアイデアが隠れている事に気づくことと思う。何ものかを粒子相互がやりとりすることが万物は粒子であるという宇宙観の根本であると設定したからだ。

◇生命とブラックホール
こと情報はエントロピーであり、エントロピーは情報そのもの、もしくは情報量の尺度として使われている。このとき知らず知らず、潜在意識のなかでファインマンは「量子重力場の理論」に最も近づいていたと私には思える。ところで「量子重力場理論」はこの後登場するペンローズが恋い焦がれる世界なのだ。ペンローズにとって物理学に生命を取り込む事の出来る唯一の窓口が「ブラックホール・量子重力理論」だった。

◇粒子だから遠隔作用が解る
つまりファインマンは粒子から情報へ、生命へ、と潜在意識の下に一直線だったことが今になればわかる。粒子から情報へという筋道を、彼は相互作用する粒子の関係の中で数理的に描いていたことになる。

一方、ファインマンは第二次世界大戦の最中、ウラン濃縮工場の計算機を使った膨大な計算業務に就いていたのだった。このことも、彼が何故コンピューターに関心を持つに至ったかという経緯を知る手がかりになるのだ。この後、粒子間のリモートコントロール通信の速度に光速度の難題が立ちはだかって、彼は立ち止まるよりほかなかった。

時代はまだ超光速粒子のタキオンや重力量子、そしてテレポーテーションを容認する空気ではなかった。


         †
     
 ─量子コンピューターという思想(その2)4〜6 へ続く

Kamu Number Theory

copyrght © Allright Rserved Masaki Yoshino