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旅の途中で

絵のこと音楽のこと本のことetc・・・趣味全開でスケッチスケッチ!

須田国太郎展

2005年12月17日 15時23分39秒 | アート
今にも雪が降ってきそうな京都の国立近代美術館で、洋画家「須田国太郎展」を見てきた。もう激寒!よっぽど行くの止めようかと思ってしまった(^^;

須田は戦前~戦後に生きた画家で、油絵の西洋と東洋の結合を試みた人だ。
研究熱心な人だったらしく、その絵からもまじめな人柄がにじみ出ているようだ。

決して派手な色使いじゃない。茶系の落ち着いた色と清潔で簡潔な筆使いが気持ちいい。

西洋絵画の明暗に強く魅かれたらしく、須田の絵も深い影が渋い。
というか、影が絵の主役になっているようだ。
野草の茂みの奥行きのある影や、画面の全面に逆光になって黒々と浮かび上がる静物が美しい。黒く塗りつぶしているのに美しい…

そしてどれもどっしりと自信に満ちた絵だと思った。

油絵の他に能の舞いのクロッキーがたくさん展示されてたけど、これがまたすごい!ほんの一瞬の動きをすばやく描いていくんだけど、なんてやわらかで流れるタッチ!能の静と動が数秒のうちに次々と生まれてくるのがわかる。
勉強になるなぁ

吉原治良展

2005年11月26日 23時56分57秒 | アート
今日は大阪南港のATCミュージアムで開催中の、「吉原治良展」に行ってきた。
私、ATCミュージアムへは初めて行ったんだけど・・・
わかりにくいよ!ここ!「アジア太平洋トレードセンター」という総合ビルの地下2階にあるんだけど、もうもうわかりにく~~!20分くらい迷ってたんじゃないかな?(^^;もうちょっと行きやすくしてほしい・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

気を取り直して展覧会について。
吉原治良は、1900年代に活躍した前衛芸術家だ。名前を聞いたことがなくても、大きな○の絵を見たら「ああ!この人」って言うかもしれない。
1900年代の初めに、すごく現代的な抽象画を描いていた人だ。

展覧会では、初期の作品から年代を追って展示しているんだけど、初期の頃は具象画だった。特に魚をたくさん描いていて、お皿に乗った魚から水族館の中を泳ぎまわる活動的な魚まで、いろいろ作品が残っている。

この人の作品は不思議な色使いだ。かなり色数は限定されていて、茶系と青系にほぼ限られている。その少ない色で描かれた魚などの静物画は、見る人をおごそかな気持ちにさせる、やさしく静かな印象を与えてくれる。

同じような色彩で人物や海辺などの風景も描いているんだけど、そのどこか幻想的な作風は、ピカソやキリコを思い出させた。

やがて、風景は少しずつ単純化され色にまとめられて、抽象画の世界に入っていく。
私が一番印象的だと思った作品は、どこか岩場?のような風景を描いているんだけど、精密な描写は消えて単純な四角が画面の大半をしめている。
具象から抽象に移行するその間の作品だと思う。

途中、戦争が始まって前衛芸術が非難され、一時具象画に戻ったりもしたけど、その後亡くなるまでの間に、彼の作品はどんどん記号化されて最後には○に到達する・・・

抽象画家の作品の遍歴を、こうやって初めから見ていくとおもしろいね。
ひとつだけ言えるのは、抽象画家は初めから抽象画を描いていた訳じゃないってこと。
良い具象画を描けて初めて、良い抽象画も描けるってことじゃないかな。



フランス近代絵画展

2005年11月13日 00時00分05秒 | アート
今日は京都駅ビルにある美術館「えき」で開催中の、「フランス近代絵画展」に行ってきた。なんと、ベオグラード国立美術館所蔵なんだそうだ。
ベオグラードといえば、最近まで紛争の絶えなかったセルビアの首都。どんなに戦火の絶えない土地でも、芸術が人々の心に安らぎを与えていたのでしょうね。

今回の展覧会は、印象派(前期・後期)からフォービズム、キュビズムへと移り変わっていく様を年代を追って見せてくれている。
最初にこの展覧会のことを知った時は、正直「また印象派かぁ」と思ってしまった。確かに日本人はみんな大好きだよ、私ももちろん大好きだし、尊敬する作家もたくさんいる。けれど、最近似たような展覧会ばかりな気がして、ちょっと食傷気味だったのも事実。

でもまあ、近いしちょっくら行ってくるか。と思って出かけたんだけど、やっぱり見たら素直に感動してきちゃった。うん、いいねー

「印象派」という言葉の生みの親となったモネの「ルーアン大聖堂」が来てた。これは数年前に東京のブリヂストン美術館で見て感銘を受けた、三十数点からなる連作の一枚。輪郭線なんて全然ない、朝日を壁面に受けた、その色彩だけで浮かび上がる大聖堂が、おごそかな印象を与える。

ドガの描いた踊り子のデッサンが何枚か来てた。この人の人物デッサンは本当にすごいね。しっかりと力強い線で、踊り子のなめらかな動きを表している。今にも動き出しそうな線だ。こんな風に人物が描けたらいいのに。

ルノアールが結構たくさん来てたなー。盗難にあった「水浴する女性」が来てた。実は私、ルノアールがどうも好きになれないんだよね。これは作家自身も認めているんだけど、彼の作品はいつも美しくて優しくて明るい。それも結構なんだけど、どうしてもそこに物足りなさを感じてしまうのであった・・・

あとは、私の敬愛するゴッホ、ゴーギャン、セザンヌがちょこちょこ。
印象後期からフォービズム(野獣派という)に入る頃が好きなんだよね。フォービズムの代表作家マチス。海の見える窓辺にたたずむ女性の後姿を描いた、「窓辺」という作品がいい。さらっと描いたような色彩なのに、空気を感じる。今にも潮の香りを含んだ風が、カーテンを揺らしてキャンバスの中から漂ってきそうだ。

ルドンも何点か来てた。ルドンは色彩が光っていて好きだわ。あとは、ルオー、ピカソ、ロートレック、ピサロ、ユトリロ、藤田、ローランサン・・・と、すべて小品ながら、たくさんの画家の作品をいっぺんに堪能できた。

大作をバーンと見るのもいいけど、こうやって年代を追って資料的に小品をたくさん見るのもおもしろいね。

帰りに、ビラをもらってきた。「須田国太郎展」と「吉原治良展」がおもしろそうだ。見にいかねば。
がっちり描き込んだ須田と、前衛芸術の吉原という、まったく正反対の画家だけど。




金沢21世紀美術館

2005年10月16日 19時10分27秒 | アート
緑と池が美しい兼六園の前に、開館して1周年という若くてモダンな外観の美術館、「21世紀美術館」がある。
とにかくデザインがかっこいい!円形の平屋建てで全身真っ白、側面は大きなガラス張りで解放感いっぱい。
休憩用の椅子は場所によってデザインが違うし、係員のコスチュームもいろんなデザインがあるみたい。

で、今日見たのは「ゲルハルト・リヒター展」
ドイツの作家で初めて知ったんだけど、とても興味深い作家だ。わざとピンぼけにした写真や、同じくぼやけた油絵。または一面グレー一色に塗られただけのキャンバスなど、彼の作品はどれも゛存在のあやうさ、不確かさ″を表しているようだ。
それがよくわかるのは、ガラス板をなんまいも重ねて立ててある作品だろうか。
その前に立つと自分の姿が写るんだけど、何枚も重ねてあるので私もぼやけて写る。私という不確かさを見せられているようだ。

この美術館には面白い常設展示がある。それが小さなプールだ。
上から覗きこむと、水の底に下の部屋が見えるのだ。もちろん間に透明の板が入ってるんだけど、今度は下の部屋に降りて上を見上げると、水底にいて上にいる人間を眺める鯉の気分。

何かと楽しめる美術館だった

ムーミンの美術館だ!

2005年10月07日 23時20分35秒 | アート
NHKで毎週金曜22時から放映している「世界美術館紀行」。
世界の素晴しい美術館を紹介する番組なんだけど、今週はなんと、フィンランドのタンペレ市にあるムーミンの美術館をとりあげてくれた。

実は私、ムーミン大好き。ムーミンの世界が好きでフィンランドに興味を持ったし、実際このムーミンの美術館にも行ったことがあったりする。
いい美術館だった。図書館の地下にあるんだけど、作者のトーベ・ヤンソンの原画がたくさんあって、とっても充実している。図書館の地下っていうのがまたいいよね。

ムーミンのことをカバだと思っている人がたまにいるらしいけど、ムーミンはフィンランドのトロール(妖精)なんだよね。妖精にはあんまり見えないけどね(笑)
言わずと知れた世界中で愛されている童話だけど、決して子供向きだけじゃない。大人が読んでも十分楽しめる。もしかしたら大人になってから読むと、また一段と奥深さを感じるかも。

作者のトーベ・ヤンソン(女性)はもともと絵描きなので、挿絵も当然自分で描いているんだけど、とにかく上手い!細かい線で丁寧に描かれた挿絵は、不思議な妖精の世界を魅力たっぷりにあらわしている。
あの独特の雰囲気は、ちょっと誰にも真似できないだろう。

トーベは大人向けの小説もたくさん書いていて、全集も出てるんだけど、その作風は孤独でちょっと悲しく、でもどこかユーモラスで暖かい。癖になる。
孤独をこんなに心地よく書けるなんてびっくり。本当に彼女が孤独な世界を楽しんでいたからだと思う。
「孤独」なことは決して悪いことではない。孤独な生き方をしていても、人間関係が孤独でなければそれで良いと言ってくれてるみたい。

それはムーミンにも良く出ている。
童話だけど、常に孤独がつきまとい、でも登場人物達はみんあ愛すべき性格で描かれている。

その代表がスナフキンかな。私の理想だったりする(笑)
いつも一人で旅をしていて、孤独を愛するスナフキンだけど、春になるとムーミンに会いにやってくる。無口だけどみんなに信頼されている。格好よすぎです(^^)



キリコ展

2005年09月19日 17時02分22秒 | アート
大丸ミュージアムで開催中の「キリコ展」を見てきた。
シュルレアリスムの先駆者で巨匠のキリコ。彼の絵を語るのはひじょーーーっに難しい・・・
マネキン化された人物たち、その人物に張り付くように描かれたコンパスや定規のように見える物体。背景にはがらんとした空間と、誰も人が住んでいないような建物・・・

彼のような画法を「形而上絵画」と呼ぶ。簡単に言えば、具象的なモチーフを描いて、そこから具象を超えたイメージを表す。
まあそんな感じ(苦笑)。
確かに、マネキンだったり建物だったりと、描くものは具象なんだけど、それらを組み合わせて不思議な空間を作り出している。

無機質なものを描きながらも、そこにはパッと見て共感できる何かがあふれている。
2体ののっぺらぼうのマネキンが抱き合っているだけで、そこから悲しみや愛情と言った人間らしい感情を読み取れる。
さらに、殺風景な舞台が逆に、余計なものをそぎ落としたギリギリの感情を際立たせている。

キリコはイタリアで生まれた。それを聞いて絵を見ると、なるほどな・・・と思う。それは、窓のたくさんついた白い壁の建物がイタリアを連想させるのかもしれない。あと色使い。オレンジや黄色や赤、緑をはっきりした色彩で描いているあたりにイタリアっぽさがありそうだ。
さらには拳闘士や古代ローマ人のような衣装にも現れている。


また届いた!

2005年09月14日 23時33分34秒 | アート
月曜日は会報、火曜日は通販で買った服、そして水曜日の今日は、DVDが届いた!
とても良くして下さっている、年配のご夫婦の知り合いがいる。お二人ともとてもパワフルな活動家で、仕事をバリバリこなして休みを取っては海外旅行に出かけている。しかも遊びだけじゃなくて、社会活動もさかんにされている。
とても明るい性格でさばさばしてて年齢を超えてお付き合いができる。私も将来はこんな素敵なおば様になりたいなぁと、尊敬と憧れでお付き合いさせて頂いている。

この前久しぶりに再会した際に、テレビで連続して放送していた「世界美術館紀行」を全部録画しているから、DVDに焼いてくれるという。
そして今日、待ちに待ったDVDが届いたのだ!

この番組があることは知ってたんだけど、なんせ中途半端な放送時間で、いっつも見逃していた。それがまとめて見られるなんてすごい!

目次を見ると、オルセー美術館、ゴッホ美術館、ベルギー王立美術館などなど、全11箇所の美術館を紹介している。
世界の名画を部屋のパソコンで好きな時に見られるなんて、ドキドキする♪

ちなみに、全11箇所のうち、私は8箇所の美術館を訪れていた。
オルセー美術館、アムステルダム国立美術館、マルモッタン美術館、テート・ギャラリー、オスロ国立美術館、ベルギー王立美術館、クレラー=ミュラー美術館。
私にとってどこも思い出深い美術館だ。

どこも同じくらい素晴しいけど、特に印象深かったのが、開館から閉館まで丸一日かけて見たベルギー王立美術館(ほんっと見ごたえあった!)と、静かな森の中にたたずむ贅沢なクレラー=ミュラー美術館。

またあの数々の名画と解説付きで再会できるのね・・・

ありがとうございましたSさん!このお礼はいつかきっと・・・(^^)

 のち 

ルオー展

2005年09月10日 19時06分24秒 | アート
これはどの画家にも言えることだけど、ルオーは生で見るに限る・・・
ルオーの独特な黒い縁取りは、テレビで見るとちょっと印象がきつくて、そればかり目立ってしまうので、あまり良いイメージがなかった。

ところが今回、ルオーの作品をまとめて生で見ると、彼の黒はとてもひかえめでやさしいのだということが、よくわかった。

私は自分の作品には黒は使わない。
これはまあ主義というか、下手に使うと黒ってすごく浮いてしまうのだ。
それに、この自然の中に黒って実はないんだよね。一口に黒髪と言っても、実際に絵に描くと赤や青や緑が見え隠れする。
だから私は黒色のチューブを絞ったことがない。

だけど、ルオーのように黒を扱えたらとても素敵だと思う。
一般的なルオーのイメージは、ステンドグラスのように鮮やかな色を黒で縁取りした絵だろう。
けれども間近で見ると、鮮やかな単色ではなく色を塗り重ねて、にぶい色を作っているのがわかる。それが、黒で縁取られると不思議と鮮やかで美しい色彩を放つ。

黒も単なる縁取りではない。人物の陰影になったり、心の動きを表現したりと実に多弁だ。

もうひとつ、ルオーと言えばキリストの絵に代表されるように、宗教画家というイメージが強いかもしれない。
確かにキリストの受難を題材にした連作を描いているし、それが一番有名な作品だろう。

だけど、ルオーは女性や働く人やサーカスの団員といった、地道に生活している人達も暖かい目で描いている。
「小さな女曲馬師」や「正面を向いた道化師」は、その題名の通りサーカスの団員を描いているが、彼らに対する視線がとても優しい。その優しさが画面からあふれ出ているから、いつのまにか見ているこちらも、ルオーの視点で見ている。

そしてここでも、黒が暖かくモデル達を包んでいる・・・

もちろんルオーだけではなく、印象的に黒を使う画家はたくさんいる。マチスやクレーもその仲間だ。彼らの絵も私は大好きだし、本当に色が上手いと思う。
逆にビュッフェの使う黒は、画面を遮断しているようであまり好きじゃない。
私もいつか、黒を扱えるようになるんだろうか・・・


無言館

2005年08月27日 21時23分01秒 | アート
京都文化博物館で開催されている、「無言館 遺された絵画展」に行ってきた。
無言館とは長野県にある美術館のことなんだけど、ここには第二次大戦に命を取られた、画家志望の若者達の絵が展示されている。
今回、京都文化博物館に、この無言館から何点かの絵画や彫刻が出展されてきたのだ。

ここに飾られている絵の作家達はプロではない。将来画家になることを夢見て、毎日絵と向き合ってきた画家の卵達だ。
上手い人もいるけれど、正直言って大半は今まさに勉強中といった絵が多い。しかし、彼らの絵は上手い人もそうでもない人も、皆等しく誠実さにあふれていた。
本当に絵が好きなんだ、絵を尊敬しているんだ。ということが、油絵からも日本画からも彫刻からもスケッチからさえも、ひしひしと伝わってくる。

私は今まで想像したことがあるだろうか。
子供の頃から画家になることを夢見ていた、自由な青年のもとに、ある日突然一枚の紙が来て、強制的に戦場に連れて行かれる。
そして突然命を終わりにされてしまう・・・
そんな状況に置かれる自分を、想像したことがあるだろうか・・・

21世紀になっても、世界中で戦争が起こり、同じように前途有望な若者達が亡くなっている。状況はなにも変わっていない。
他人の不幸と比べて自分を幸福だと思うのは嫌だけれど、今の、好きなことをできる自分は確かに恵まれていると、嫌でも思い知らされる。

別に、彼らのためにも絵を描いていかないといけない。とは思わない。が、これから先、何かにつけて私は彼らのことを思い出すんだろう。

明日が最終日ということもあって、かなり会場は混んでいた。
だけど、ほとんどはお年寄りばかりで、若い人はあまり見かけなかった。
絵を見ながら、ご自分の若い頃と重ね合わせて涙ぐんでいるお客さん達を見ながら、本当は若い人達にももっと見に来てほしいんだけどな。と思わずにはいられなかった。


米子2日目

2005年08月08日 13時34分34秒 | アート
朝、ホテルの窓から外を見るとカンカン照り。ホテルの中はクーラーが効いているのでつい勘違いしたけど、今日も暑そうだ。
まあ、大山が綺麗に見えたら良いか。ということで、今日は大山の見える美術館「植田正治写真美術館」へ。

植田さんは世界的にも有名なカメラマンらしいけれど、彼の存在を知ったのは、かつて彼の被写体になり、自らもカメラをしていて植田さんを敬愛している福山雅治さんからだ。

そして私は福山ファンなのよ!(照)という訳。もちろん芸術の視点から植田さんの作品に興味を持った訳だけど。

米子駅から13分ほどで岸本駅下車。タクシーで5分ほど走っていくと、目の前に青空と肉厚な夏の雲をバックに大山が雄大な姿を見せた。
ふもとには瑞々しい緑の田畑が拡がる、絵に描いたような田舎の風景の中に、コンクリのシンプルで未来的な美術館が佇む光景は不思議な空間を演出していた。
そして植田さんの世界も、建物同様不思議な空間だった。

植田さんは写真と絵画の中間に立っているような感じがする。
鳥取砂丘で撮り続けた人だけど、砂丘という生き物の気配を感じさせない舞台で、人物を「配置」して撮影する。
砂丘の手前に人物がいて、手の平を上にして横に差し出している。その手のひらに小さな人物が乗っている。もちろん、小さな人物は砂丘のずっと遠くに立っているのだが、砂丘という遠近感のない舞台がおもしろい効果を生み出している。
同じように、大勢の人物がただ行進しているだけだったり、いくつものハンガーが砂に突き刺さっているという光景を、砂丘がおもしろく非現実的に魅せてくれている。マグリットやダリの世界を思わせる。

ある意味「偶然の瞬間」が写真の魅力だと思うが、植田さんは自分の撮りたいように世界を決める。それはとても絵画的だし、逆に絵画だと嘘臭くなりがちな表現の仕方に、写真ならではのリアリズムを加えることが出来る。

私は写真の世界は全然知らないけれど、写真の世界は難しいと思っていた。写真の本当の魅力はロバート・キャパのような報道写真(でいいのかな?)にあると思っていた。
そんな私に、植田さんは新しい感覚を教えてくれた。

余談:植田さんの78歳の誕生日に福山さんは78本のひまわりを送ったそうで。福山さんも感性の豊かな人だな~