豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

水素12の、性の、別段階での展開、転換が核心かもね

2015-11-26 16:28:59 | 日記
初めましての方は、目次も見てみてね!
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次

『ちぃ育児奮闘中♪GUN BIGLOVE♪』も宜しければ併せてお読み下さい。



こんばんは。

自己を突き動かす衝動に抵抗できる何かを常に存在させている客観意識の閃きを知る皆様。

ただいま、母親の家でブログ更新を始めました豊田です。

落ち着きのない感情が体に緊迫感を与えているのが分かる。

母親が風呂の掃除をしているのか、微かな水の音が、している。

エアコンの温風の音が、かなり大きい。

ガスの火をつける音がしている。



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外は曇っている。

何かの食材を切る音がトン、トン、とゆっくりする。

鳥の鳴き声は聞こえない。

窓に掛けられた黒地に白の模様のあるハンカチがエアコンの風に揺れている。


さて、本日は、午後12時半過ぎに起きてきました。

千鶴さんが執拗に起こしてきて、悠聖もやってくる。

なにやら「おっ、おっ、おっ」と言ったり「あじゃじゃやじゃやああ」みたいに外国語を語っているww

何言ってるのか分からないけど、何か話しているのは分かるねと千鶴さんに言う。


洗面をしながら、いろいろ話す。

まあ、どうでもいい会話だが、会話をするのが千鶴さんは多いのでいい。

悠聖はバタバタとしている。

鏡を見ながら髭剃りをしていると、眉毛つなげるために「マジックもってきたろか」と千鶴さんは言う。

いらんわ、笑


洗面を終えると座禅40分ですね。

まあ、落ち着きのなさは、相変わらずです。

今日は、いつもに比べると時間のことを気にしていた。

落ち着きがなく空想と不快感に誘われてしまう。

この場に、落ち着くためには、かなりの意識的な努力がいる。

普段は、空想の中で、微かに触れる生の中を生きている。

生きているとは名ばかりで、死んでいるとは、このことだ。

『類推の山』の中で「よく言われるように、目を覚ましたら死んでいたとならないように」と書いてあった。

そう、これだ。

目を覚ましたら、己は、空っぽであった。

まあ、無である己を隠す働きが、緩衝器なのである。

己のものなどというのは、ひとつもない。

すべては縁によって、これがあれば、これがあるのであるww


座禅を終えるとコーヒーを入れて読書ですが、その前に、煙草がないのでコンビニへ。

ここで千鶴さんが、何か頼もうとしていたので「なんか面倒なこと頼まないでよ」もみたいなことを言ったらブチ切れ。

洗濯物も一緒に乾燥させようとしていたのだが「もういい」

で、悠聖を連れて、コンビニへ。

出かける時に、洗濯物もった千鶴さんに気が付いたが、もう道路だったので、そのまま直進する。

煙草2箱とうまい棒、ハッシュドポテトを買って家へ戻る。


悠聖はうまい棒食べておとなしくなったが、千鶴さんは暴れまわる。

物を投げるのだ、彼女は。

それで、洗濯物を干したり「いいわ、いいわ、どうせ○○」とまあ激切れコメントを連発です。

悠聖は暇になったら、滑り台で遊ぶ。

千鶴さんは玄関のドアや、日本間の引き戸の鍵を閉めたりする、苦笑


なんとか、凄まじい中で、読書を終えます。

奇蹟を求めては、水素論の章に入っている。

核心ですね。

炭素1 酸素2 窒素3

能動、受動、中和の働きが、次のオクターブに展開して、窒素2になる。

窒素3が能動的要素の炭素2となって次の音に入る。

炭素2 酸素4 窒素6

これらが繰り返されます。

13段階目まで。

で、この中和的要素は、まあ言うたら性のことです。

人体内では水素12として働いている、このシ12が、高次の段階の中和的要素、つまり高次感情センターの中和的要素であり、その1段階下の、肉体次元では、能動的要素として働いているわけですね。

そのシ12、性の中和要素を、体に巡らせることが、このワークの核心ですが、それは。

「男は男らしく、女は女らしく」なったと表現されます。


で、読書を終えると、千鶴さんを宥めて、コインランドリーとスーパーへ買い物へ行ってきたのでした。

帰って食事を済ませてからブログの更新です。


まあ、ちょっと今日はバタバタしすぎて、焦って書いてしまいました。


本日も、善き主人の一日を過ごしましょう!

ほいでは^^

伊勢志摩旅行―朝熊山展望台編―

2015-11-25 16:27:55 | 小旅行
2015年11月21日、午後1時過ぎに金剛證寺の駐車場を出ます。

ちなみに、ここは無料です。

まあ伊勢志摩スカイラインの入場に1000円かかってますから、当然かもしれませんね。

駐車場を出て左折を2回くらいするとすぐに、朝熊山展望台到着します。

凄まじい、開放感。

風が気持ちいい。

眠っていた悠聖を起こして、車のそばで、みんなで絶景に喜びます。

悠聖を抱えて、凄い凄いとか言っていたと思うが、悠聖は分かっていたのだろうかww


ゆっくりと別の個所へ進むと『さんぽ道』の案内がある。

10分から15分と書かれているので、みんなで、手を繋いで歩いていきます。

喜んで猛ダッシュを繰り返す悠聖にヒヤヒヤする。

ここから落ちたら、助けられないぞとか呟く。

途中で、ハンモックがある開放的なスペースがあり、寝転んで遊びます。

今回の旅行で一番、楽しかったのは、この『さんぽ道』かもしれない、笑



★ハンモックで戯れる千鶴さんと悠聖



★同じくハンモックで悠聖を抱く僕


更に、ここに上にある『さんぽ道』の看板の前で記念撮影します。



★さんぽ道の看板前にて、僕と悠聖


しばらく歩くと柵が全くない、広々とした芝生スペースがある。

ハングライダーの降りる場所だと千鶴さんが言っていた。

すごい開放感で、飛んだりして、遊ぶ。

天国って、こんなところだろうかと思い、悠聖に「お前、こんなとこから降りてきたのか?」とか聞いてみるが無視して、じっと前を見る悠聖ww



★広々とした芝生スペースにて僕と悠聖



★同じく芝生スペースにて千鶴さんと悠聖


凄まじい開放感だったので、笑ったり、喜んだりしながらしばらく皆で戯れます。

ここは、誰もいなかったので、素晴らしかった。


しばらく歩いて、途中で、一枚。



★たぶん、さんぽ道の途中の僕と悠聖


歩き終えると展望台の建屋の上で、また風景を楽しみます。

やっぱり海が見えるのは、開放感が、すごいですね。

日常でたまっているストレスの凄さを感じます。

どんどんと、開放されると、新鮮な力が体中に満ちてくる。

高原の風の気持ちよさは、何物にも例えようがないほどだ。



★展望台の建屋の上にて、僕と悠聖


それから、展望足湯の方を、覗いてから、天空のポストを見る。

高いところにある赤いポストは、なかなか、おもしろい。

足湯の方は100円だったと思いますが、拭いたり大変そうなので入るのは見送ります。

結構、たくさんの人がいた。


屋上から降りて下の売店で、いろいろ見てからくじ引きをします。

これは、伊勢志摩スカイラインの入口でもらった。

悠聖に、回してもらったら入浴剤だったwww

まあ、外れです。

それで、店員さんと笑っていて、バイバイ。

悠聖もたくさんの人に、相手してもらえて、この展望台は期待以上だった!


実は、一番、期待していなかったのが、この伊勢志摩スカイラインだったのだがww

金剛證寺、展望台、ともに素晴らしい。


そのあとで、車に戻って、ナビで合歓の郷を設定して、次の目的地である『合歓の郷 エクシード』へ向かったのでした。


あ、駐車場の隙間が狭くてバックができなかったので、千鶴さんに見てもらったのだった。


≪たぶん、続く≫


朝熊山―ウィキペディア参照


朝熊山(あさまやま)は、三重県伊勢市・鳥羽市にある山。正式名称は朝熊ヶ岳(あさまがたけ)。

『三国地誌』では「岳(たけ)」とも記され、伊勢市近辺で「岳」は朝熊山を意味する。

南方に連なる「朝熊山地」を含めて「朝熊山」とする場合があり、この場合には志摩市まで跨がることになる。

山頂付近に臨済宗の金剛證寺があり、この寺を「朝熊山」と呼ぶ場合もある。

柔らかなるものは強い

2015-11-25 15:43:56 | 日記
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『ちぃ育児奮闘中♪GUN BIGLOVE♪』も宜しければ併せてお読み下さい。



こんばんは。

情緒の揺れ動きに左右されない内奥の静寂の在処を知る皆様。

ただいま、母親の家でブログの更新を始めました豊田です。

悠聖が寝たらしく、こちらへ遊びに来ている千鶴さん。

隣の台所では、父親と母親、親戚の伯母さんが、語っている。

「さあ、作ってこうかな」と千鶴さんが語りかけてくる。

首が痛いらしい。



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書いていたら「いちいち、書かんでもいいわ。リアルな状況報告いらんねん。誰が得すんねんそんなもん」と言い放つ。

それもまた書いている僕を見て、右腕を奪って「書かんでいいし」

そして、今、肩をもんでいる。

咳き込んでいる。

笑いながらキーボードとマウスで記事を削除しようとモクロム。

外は雨。

伯母さんたちの話は、まだ続いている。

「あはははは」と笑っている千鶴さん。

いろいろあって、最後はヘッドロックに発展したのだった。



さて本日は昼の12時半過ぎに起床しました。

今朝は調子に乗って7時過ぎまで起きていたので、不快感が凄い。

洗面をしていると千鶴さんが洗濯物の乾燥をしてくるように頼むので「それくらいできるやん」みたいに言う。

もちろん機嫌が激烈悪くなる。

なんか、いろいろと嫌味を言ってしまうのだが、その度に父方の祖母を思い出す。

ああ、この言い方!

おばあちゃんの、ぐちぐちした説教にそっくりだなあww


洗面を終えると座禅を40分です。

悠聖が、やってきて、僕の胸を押すので、ぐらついてしまった。

なかなか、力がついてきている。

しかし、幼児の手の柔らかさは、なんか、押されたりしても、痛くなくて、逆に、癒されるのだ。

老子道徳経の中に、赤子の握りこぶしの話があったが、柔らかなものは、強いとは、本当かもしれない。

座っている間は、妄念、不快感の誘導に、簡単にもっていかれるが、意識的に、スーッと力を抜くことができると、ここに帰ってくる。

静寂の中に、生まれてくる、リアルな世界。

本人の、この、心の思いや、不快感の奥にある、静寂さのポイントにスーッと移行することなのだ。

そこから感性を開くと、鈍っていた感覚が、また心が、澄んでくる。

この澄み切った感覚が、真新しい、本来の生を、感受する力を齎すのであるが、これは手に入れることではない。

抜ける事なのだ。

この想いと不快感の連携の中から、本来の自己の立ち位置へ。

力を抜くこと、リラックスすることである。

まあ、上手くいくわけではないが、この抵抗を見ていることで、意識を上手く、鍛えていくことができる。


座禅を終えると、読書です。

コーヒーを入れて、激烈機嫌が悪い千鶴さんを宥めながら玄関脇へ。

ところが、ここで悠聖くんの大暴走が始まります。

風邪をひいているのに、外で雨に当たって喜んでいるし、滑り台を薄着で滑って遊ぶ。

上着を着せると嫌がって脱ぐ。

しばらく読みながら、カレーせんべいをあげたりしていたが、千鶴さんもやってきてバタバタとしだす。

洗濯物を干している、名前はわかんないけど、色々、棒が出ているやつを折ってしまう悠聖。

中に入ると、今度は障子を破いたらしく、千鶴さんが絶叫して怒り倒している。

僕も、怒るww

しばらくバタバタしながら、なんとか、読書をします。


『奇蹟を求めて』は、不快感と良心のお話です。

良心は、自分が感じる事のすべてを感じている能力とありますね。

つまり、こちらと、こちらを分断しないということです。

意識の場合でも全体を見る意識と個別的視点から見る意識がありますが、それの感覚バージョン、感情バージョンですね。

意識は、見ているが、良心は、感じているという違いがあります。

そして、この感じている方は、第2のショック点への始発なのです。

つまり性のエネルギーの進展を推し進めるのが、この不快感と良心の葛藤による火なのですね。

そして、この火というのは『誠実さ』のことです。

この火が、心の、感情の部分に入ることで、プライドや虚栄心が、崩壊します。

崩壊することで、性のエネルギーの中和作用が体中に巡りだし、これが柔らかな感性を与えるわけですね。

だから、不快な感情を見たら、それを外に出さずに、崩壊させる、解消させるようにするわけです。

『不正』と言うキーワードが出ています。

これは、他人は、自分に対して、常に『不正』な行為をしている等々と思っていることですね。

自分は、プライド、虚栄心を満たそうとして、常に暴れているわけです。

それを見るのは、泣きそうになるくらいつらいはずです。

というか、一瞬ですら見てしまったら、速攻で打ち消そうとするでしょう。

俺は正しいというやつですね。

その打ち消している働きが、緩衝器と言われるもので、嘘、と恐怖という現れ方をします。

自分の不都合を見て、恐怖を感じて、嘘で隠すわけですね。

それを明らかにして、崩壊させ、統一させるのが、良心の火の役割なわけです。

ですから、常に、不快感に対して、この良心がぶち当たることで、忍耐というショックが始まるのです。

そして、常に、無欲が貪欲に勝利するように加担するならば、この現在は『自己』と誤って認識されている『自尊心』や『虚栄心』が崩壊して、誠実な、本来の感情、が、芽生えてきます。

それがあるかどうかは、本人にしかわかりません。


さて読書を終えると、納豆卵ご飯と、味噌汁で食事を済ませます。

それから、依頼されていた洗濯物を乾かしに、コンビニへと向かう。

放り込んでから、帰ってきて、ブログの訂正や、カテゴリ分けなんかをします。

そのあとで新着記事の更新をしていたのでした。


父親、母親、伯母さんの会話は、まだ続いている。

介護問題について。

どうも、施設の方でも負荷が凄いらしく、中々、丁寧な対応をしてもらうのは難しいらしいです。

特に宿泊なんかだと大変だそうですね。

デイサービスの方が、まだ、対応がやりやすいらしい。

難しい問題だなあ。


まあ、本日も一日、最高の一日を過ごしましょう!

ほいでは。

感情の不調和は、思考と性の誤作動である

2015-11-24 11:45:44 | 日記
おはようございます。

自己の思いに左右されずに、ただ、リアルなここに開いている皆様。

ただいま携帯よりブログ更新をはじめました豊田です。

母親がパソコン教室にいっているので、パソコンが使えない。

せっかく、のんびりと旅行の様子を書こうと思っていたのに。

まあ仕方ないです。

千鶴さんが『僕も大工さん』みたいな玩具で、僕の耳を図っている。

外から建設工事の音がしてくる。

悠聖は居間で、お母さんと一緒を見ているようで、音楽が聴こえる。

日射しは柔らかく、風もゆるやかに吹いて、過ごしやすい気候だ。

落ち着きのなさは相変わらずある。

カーテンが風に揺れている。

「こりぃ」と悠聖が言っている。

さて、今朝は8時50分ごろに目覚めました。

洗面をしながら千鶴さんと語るが、内容を忘れた。

結婚式から3年で、付き合ってから5年だね。

早いなあとか言っていた。

光陰矢の如し。

洗面を終えると座禅40分ですね。

力を抜いてリラックスするには注意が散漫になってはいけない。

放っておくと、思いと不快感が、連携して、力が抜けないし、姿勢も歪むので、更に固くなる。

何もしないためには手放すのだが、手放すためには、執着、欲望や恐怖が見えていないと難しい。

まあ淡々と座りました。

座禅を終えると、千鶴さんがツナマヨサンドを2つ作ってくれていたので、おいしくいただきます。

コーヒーも入れてくれた。

それから、読書です。

奇蹟を求めてを20ページくらい読みました。

オクターブの法則についてですね。

これはドレミファソラシドの音階の進展が、まあ、宇宙のあらゆる完成された個体の内部で進展、退化を繰り返しているということでしょう。

ミ、ファ間とシ、ド間に、エネルギーの進展が遅くなる傾向がある。

付加的ショックがないと、それより先には進まない。

人間の内部でのオクターブの進展は3つある。

思考、感情、動作。

そして、印象、呼吸、食物が互いに進展、または退化していく。

ここで進化に必要なショック点は、思考と性である。

思考のショックは、普段の白昼夢や不快感に支配されている、その思いの注意点を、姿勢、動作、感覚、感情、比較などの、自己の働きや、対象の直接的知覚に開くことである。

性のショックは、性に働きかけるのではない。

つまり禁欲も、また逆に性の開放もしない。

通常の生活のなかで、不快感に対して、それを解消するようにする。

つまり感性、感覚が、鈍って、直接的にリアルに開かないのは、感情の不調和が原因で、それは、この、思考と性の誤用によって生まれているのだ。

その結果が、誇大妄想であり、正義の殺戮である。

現在進行形で、今、ここで、この感情の不調和が、あるのだが、それは、付加的ショックの欠落に起因する。

まあ、だいぶ、僕の受け止め方になってしまいました。

読書を終えると、千鶴さんと旅行の感想なんか話したりしてから、ブログの更新を始めたのでした。

悠聖が洗濯バサミ入れてある篭を揺すって遊び、次々に僕に渡しにくる。

まあ、今日も一日、大切な時間を全力で、過ごしましょう。

それでは、また!

伊勢志摩旅行―金剛證寺編―

2015-11-23 15:56:41 | 小旅行
2015年11月21日、午前11時半ごろに内宮B駐車場を出立。

駐車場を出て左折してしばらくすると、すぐ目の前に伊勢志摩スカイラインの入口があります。

伊勢神宮駐車場の領収書を見せると250円オフの1000円での入場です。

絶景に対して、期待して、興奮しまくる僕。

少し上っただけで「おおっ、すごい、すごい」と目の前の景色に注意を促す。

基本、高所恐怖症だが、足元が確かな、山とかだと、ある程度、怖さを抑えられる。

せっかくの絶景を眺めながらのドライブだが、なんと、悠聖は爆睡ww

「なんのために来たのやら」と千鶴さんに話します、苦笑

昇りの途中の駐車スペースでいったん停めて、二人で、風景を楽しみます。

「おお、すごい」とか言っていただろう。



★道路脇の駐車スペースに停めて千鶴さんを撮影



★途中の展望スペースにて千鶴さん


あっちに何があるとか看板に書いてあるので、眺めながら、風景と比べる。

ワクワクしながら、ドンドン昇っていくと、建物が豆粒のように小さくなっていきます。

「何メートルくらいあるのかなあ」などと会話する。


12時ごろには金剛證寺の駐車場に到着したと思います。

千鶴さんは以前に来たことがあるらしく、あそこに、停めたよとか教えてくれる。

どうも弘法大師に縁があるお寺の様で「なんか、あちこちで会うよな空海さんは」との想いが湧く。



★神社入口の石段前にて千鶴さんと悠聖



★神社入口の石段前にて僕と悠聖



★石段を登り切った僕と悠聖を石段下から千鶴さんがパシャリ


石段を登り終えると仁王様の門があり、潜ると赤い太鼓橋と池が目に飛び込む。

これは天河神社や、丹生大師と似た景色だと思い、千鶴さんに言っていると「亀山があるよ」と彼女は言う。

見るとベンチに書かれた『カメヤマローソク』の文字。

出張ごくろうさまです、笑



★仁王門を潜った先で、僕と悠聖(この右側に太鼓橋と池がある)


順路に従って歩くが、幻想的な風景である。

悠聖は道行く人に「あん、あん」と挨拶をするので、おばちゃんに「可愛いなあ」と言われて満足気だww

よく覚えていないが、一番近くの仏さまに、みんなでお参り。

悠聖は賽銭を入れてお参りする所作を少しづつ覚えてきている。

その先の蝋燭を灯すと、危難の時に身代わりになってくれると言う仏さまにお参りする。

ローソク1本100円のを3本。


右側に阿字観マークの刻まれた石があり、持ち上げて一旦置き、左回りに回して真言を唱えるのを3回する。

そうして祈念したあとに、もう一度、石を持ち上げて、最初より軽く感じたら、願いが叶うらしい。

僕は、軽く感じたので、おそらく、願いを聞き届けられただろう。

ここで、なにを願ったのかは秘密であります、笑


更に歩いていく間に、もうひとつの仏さまを拝んだと思う。


階段を上ると本堂があり、前に線香をあげるところがあったので50円入れてあげる。

両脇には、虎と牛だったかなあ、生き物の像がある。

本堂は、弁財天と大黒様と、もう一つ、謎の仏さまが左側に配置されている。


日本三大虚空蔵菩薩の第一位らしい御本尊は見ることはできないが、どうも、20年に一度くらい開帳するらしいことが書いてあった気がする。

独特の神秘的な雰囲気があるが、興奮しまくっている、僕らは、ぜんぜん落ち着きがないww

お土産に『無事かえる御守り』を二つ購入して、本堂をあとにします。

お坊さん、めっちゃ雰囲気がある人だった。

御守りを買う時に、待っていたが、前の人に書道で、御朱印を書いていて、凄まじい達筆。


本堂を後にすると、表の動物たちの頭をなでなでして、自分の頭をなでなでするのを3人ともする。

ちょっとは頭よくなったかなあww


そのまま帰路に準じで駐車場まで降りていきます。

帰りに正門の前で、記念に、撮影をしておく。



★金剛證寺の鳥居の前で千鶴さんと悠聖


ここは、どうも神仏習合を象徴するようなお寺のようだ。

鳥居があったり、仏像と弁財天、大黒様が、一緒に安置されたり、と、神社とお寺の要素が、両方、入った建物の構造になっている。

弘法大師のゆかりのお寺は、このような感じの場所が多い気がする。


それから、トイレを済ませて煙草を1本吸い、次の目的地である朝熊山展望台へ向かったのでした。


あ!

そういや、帰り際に、観光バスが入っていたな、豊の字があった気がする『TOYOなんちゃら』だったので、豊田の豊だなあとか思って覚えている、爆笑


≪たぶん、続く≫



金剛證寺―ウィキペディア参照―


金剛證寺(こんごうしょうじ)は、三重県伊勢市朝熊町岳にある臨済宗南禅寺派の寺院である。

山号は勝峰山、院号は兜率院と称する。

本尊は虚空蔵菩薩である。

朝熊山(あさまやま)南峰(経ヶ峯)東腹にあり、「朝熊山」と呼ばれる場合がある。