豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

帰ってきた愛と光の子供達

2013-12-30 12:49:57 | 日記
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。

※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。




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12月29日(日曜日)午前9時過ぎに起床する。

起きるとすぐに意識が現れて前日の記憶を引っ張り出して、想像から恐怖に陥れる。


ぼーっとしながら、一体コレは何だと考える。


ブログを書きながら延々と考えます。


『超個人的疑問』の中で『泥酔と自我』に関することを書きましたが、同じ箇所に答えがある。


ニサルガダッタマハラジによると人間は意識と愛によって世界を存在させている。

この意識の中に『記憶と想像』という機能があり、これが自我を形成している様子だ。

だから覚醒とか泥酔の状態になると完璧に世界から遠ざかって眠っている状態になる。

『ここには一切の苦がない』

心の苦しみの正体は『記憶と想像』という意識の中の部分だったのだ。


昨日の記事で書いた心の解放区は空白の中にある。

真っ白な心だ。

期待や不安でいっぱいの心は、実は『自己だと見なしたものへの執着心』である。

自分を愛するから、守る必要があるから苦しむ。

記憶と想像の機能が落ちると眠りににた状態になり、この時、本来の自己が目覚める可能性が起こる。

座禅や瞑想は、この心の空白を見いだすためにあるのかもしれない。


明らかに僕は眠っているのだ。


だが眠っていることに気が付いた今、目覚めることが遂に可能となったと思える。

世界の中に覚醒に導くものはない。

自己の内にも覚醒に導くものはない。

すべてが終演したところで、世界の終わりに『眠れる自己』がいる。

世界と人生は結局、記憶と想像の織りなす夢だったのだ。

だから想像できるものは、すべて自分自身ではないと見なさないといけない。


空白とか・とか、愛は自然にあふれている生命のことだ。

だから愛を獲得するなどできない。

愛は自然な状態であって『執着』がなくなれば、溢れかえる愛の泉の中に復活する。

これは間違いなく、少年のころの心理状態である。

生命という愛は世界に溢れていて、意識はそれを照らす。


なんと誰もが幼いころには悟りを開いていた。

忘れてしまっているだけで、全員が全員、とっくの昔に悟ってんじゃん!(爆笑)


一粒の種の中に全世界が開く。

花鳥風月、あなたと僕、ありとあらゆる全ての生命が愛だ。

愛とは感情の状態を指すのではなく、命の別名だったのである。

愛することはできない。

元々愛である僕たちが、愛を歌って生きている。


心の空白の中、意識の眠りの中で全てが巻き起こっているのだから、ここに目覚めたら天国だ。


この目覚めは、探さないこと、求めないことで『自然に』達成されると思われる。

夜の眠りから朝の光を感じると自然に目を開けるように自己の意識は自然に芽生えていく。

これは行為ではなく、神様(自然)がやっていることだ。

沈黙することで、全世界に愛を見、ひとひらの花びらに神の現れを見る。


2014年は間違いなく社会的変化が始まる年になる。

意識の目覚めの連鎖が疑うことなく始まっているのが誰の目にも明らかになる。

一体、誰なのかまだ分からないが、とてつもない理解が世界の1個人の中に生まれている。

『愛と光の子供』である僕たちが本来の姿を取り戻す栄光の時代が遂にやってきた!


とか書いておきながら、夜は南くんと『泥酔と自我』の眠りに一直線だったという僕です・・・・・・orz




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