さて今日もイソイソと深夜にブログ更新といたしますか。
仕事へ行こうと準備していると親戚のオジサンが来る。
母親の弟の方です。
で、何かおいしそうな食べ物を持ってきてくれて「これ冷蔵庫へ入れといて」と言ってサッと去って行かれました。
今年の3月13日に母型の祖母が亡くなりまして、それから何度かお会いしています。
昔、大きなラジオが祖母の家にあって、それがこのオジサンの持ち物だったのですが、それに何か憧れてました(笑)
それから、自宅前の自販機で『ダイドーM珈琲』を購入して出勤。
仕事前にN先輩に明日の時間を決めたいので電話してみる。
「おかけになった電話番号は電波の届かないところにあるか……」
うーん、お姉さんの声冷静だよねw
それから千鶴さんと少しメールをしていつものように仕事タイムへ。
休憩時間は、これまたいつものように携帯チェックです。
毎日書いているのでもう書かなくても良いような気がしますが書きますw
お食事の時間は、また仕事の話題だけ……。
昼間Yくんが「汗が酸っぱい匂いしたら梅干しを食べると良い」と言っていたので今日は3個も食べてやった。
で、仕事終わってから帰宅途中に近くのファミリーマートで伝家の宝刀『アサヒスーパードライ』×2本と『週刊文春』を買う。
家についてPC立ち上げてぐるぐる。
週刊文春も読みます。
ジバッとビールも頂いておりますよ(笑)
お金少ないのに大丈夫か自分……。
吉木りささんがグラビアで載ってました。
あと前田敦子さんの記事、虐め問題などが初めの方に載っています。
なんか虐めは虐められている方にも問題があるといいます。
問題はあるでしょうが、その人生を終わりにしてしまうほどの問題ではないと思えますがどうでしょう。
まあ、個々の問題はあるんでしょうが……。
この間も自殺者をゼロにするという新政府の素晴らしい方針を話したら、絶対無理だとか言う。
まあ人間、自殺する自由くらいはあると思いますが、虐めで自殺する人はゼロにしないといけないでしょう。
年間3万人自殺する人がいて、戦時中の死亡者数よりも多いとか言う話を坂口恭平さんがしていました。
太平洋戦争で亡くなられた方は250万人いたと何処かで読んだ気がしますが、この辺りは調べないと分かりません。
でも、やっぱり、どー考えても病んでいるのは社会であって学校なのです。
その病んでいる社会に精一杯適応させてあげたいという周囲の期待こそが自殺の原因ではないでしょうか?
僕も毎日おもしろくないと思ったりしますが、やっぱり自分を曲げて社会へ合わせていくことにストレスが溜まる原因がある。
しかも、そこでしか褒められないし(笑)
あの無意識で暮らす人々が「うん、君はよくルールを守った!」と言うわけです。
この空気とかルールから外れていると思われる人間になぜ人は冷たくしてしまうんでしょう。
それは自分もこんなに理不尽な空気やルールに苦しんできていたのに「アッケラカン」と無視するその態度、成敗してくれよう!
という気持ちなのではないでしょうか?
で、同じ苦しみを与えたいので「考えが甘い」などと言われたりします。
しかも、その人間が、優しくて、大人しかったり、するといよいよ成敗の度合いが強まる訳です。
原因は『誰かに対してムカつく』という人間の心理ですね。
ムカつくのは、その人の常識の範疇を超えているか、その人自身が批判されたり、攻撃されていると感じるからです。
もちろん完全な人間はいませんから、個性の強い人たちが、色々学んでみんなと仲良くなれるようにする必要はあります。
しかし、飛び出したって良いんじゃないでしょうか。
学校なんて無視して嫌なら行かなくていいよとなぜ親が積極的に言わないのか。
うーん、しかしまあ、よーするにルールとシステムばっかりじゃ、世の中おもしろいことが少ないから良くないってことですよ!
毎日がおもしろくないから、人を虐めたくもなるんです。
て、また概念的な話になって行く。
僕は今まであんまり死にたいと思ったことがありません。
でも今日仕事中に思ったのは、個我が無くならないと解放はないだろうということです。
客体化された自我意識は頭脳から焼却されねばならぬという訳ですね。
一粒の麦地に落ちてもし死なざれば……みたいな。
と、またマニアックな話になっていく。
イカンイカン、ビール飲んでいるので調子に乗っていらんこと書いている気もする。
体は何処へ行った(笑)
人間の鬱積した負のエネルギーを解放する場所がいるんです。
叫びまくるんでも、飲み会でも、カラオケでも自慰でも何でもいいんです。
ブログでも良いです(笑)
とにかく日常空間から外れた、危ないことをするのです。
でも、子供に良い子でいて欲しい大人が、人の言うことはちゃんと聞いて悪いことしちゃ駄目よなんていうからおもしろくなくて虐めも自殺も起きてくるんじゃないんですか。
マジメな人間が鬱になるというのはそういう仕組みでしょうw
オッケーだいじょうぶ! となぜ言わないのか。
冒険しなさい、人生は冒険だから、危険だと思っても恐れないで! と親や先生が言えばいいんだ。
と酔っぱらい豊田の勝手論展開しております。
酔っぱらっているので今日はトコトン書いていきます。
僕は解放を味わったあとで社会に適応しようとしたことが間違いだったのです。
社会は無視して自分でゼロから解放空間を創りあげて広げていくという坂口恭平さん的思考が僕には思いつけなかった。
これらの問題をすべて集約すると『お金』というものに結びつきます。
坂口恭平さんが別レイヤーの可能性を著書の中で書かれています。
サバイバルする生き方、野生の生き方、これを放課後社会の中で名前のある関係性で実践していく。
絶対おもしろい。
サバイバルする生き方は社会から逸脱していますが、社会は放っておきます。
変えようとか、説得しようとかなく、ただ自分が自由な時間をいままでの仕事のように真剣にやる。
覚醒論とかブログでウダウダやってないでみんな覚醒してしまえばいいのだ。
自分を徹底的に客体化する、客体化された自分を捨てる。
これだけだ。
誰にだってできる。
本気でおもしろくて笑っている時、人は覚醒している。
酔っぱらって記憶がなくなった時、人は覚醒している。
美味しいものを食べて、我を忘れている時、人は覚醒している。
この場所に覚醒しているのだ。
もう捨てないと行けない時が来ている。
社会が病みすぎて、システムが硬直して、この先未来は暗い。
音楽が鳴り響いているのだから合わせていかないといけない。
とか、なんとか妄想しながらビール飲んでご機嫌の豊田真大でした。
酔っぱらっての無礼お許しをーw
今日もSHERBETS の『ゴースト』を聴いていました。
仕事へ行こうと準備していると親戚のオジサンが来る。
母親の弟の方です。
で、何かおいしそうな食べ物を持ってきてくれて「これ冷蔵庫へ入れといて」と言ってサッと去って行かれました。
今年の3月13日に母型の祖母が亡くなりまして、それから何度かお会いしています。
昔、大きなラジオが祖母の家にあって、それがこのオジサンの持ち物だったのですが、それに何か憧れてました(笑)
それから、自宅前の自販機で『ダイドーM珈琲』を購入して出勤。
仕事前にN先輩に明日の時間を決めたいので電話してみる。
「おかけになった電話番号は電波の届かないところにあるか……」
うーん、お姉さんの声冷静だよねw
それから千鶴さんと少しメールをしていつものように仕事タイムへ。
休憩時間は、これまたいつものように携帯チェックです。
毎日書いているのでもう書かなくても良いような気がしますが書きますw
お食事の時間は、また仕事の話題だけ……。
昼間Yくんが「汗が酸っぱい匂いしたら梅干しを食べると良い」と言っていたので今日は3個も食べてやった。
で、仕事終わってから帰宅途中に近くのファミリーマートで伝家の宝刀『アサヒスーパードライ』×2本と『週刊文春』を買う。
家についてPC立ち上げてぐるぐる。
週刊文春も読みます。
ジバッとビールも頂いておりますよ(笑)
お金少ないのに大丈夫か自分……。
吉木りささんがグラビアで載ってました。
あと前田敦子さんの記事、虐め問題などが初めの方に載っています。
なんか虐めは虐められている方にも問題があるといいます。
問題はあるでしょうが、その人生を終わりにしてしまうほどの問題ではないと思えますがどうでしょう。
まあ、個々の問題はあるんでしょうが……。
この間も自殺者をゼロにするという新政府の素晴らしい方針を話したら、絶対無理だとか言う。
まあ人間、自殺する自由くらいはあると思いますが、虐めで自殺する人はゼロにしないといけないでしょう。
年間3万人自殺する人がいて、戦時中の死亡者数よりも多いとか言う話を坂口恭平さんがしていました。
太平洋戦争で亡くなられた方は250万人いたと何処かで読んだ気がしますが、この辺りは調べないと分かりません。
でも、やっぱり、どー考えても病んでいるのは社会であって学校なのです。
その病んでいる社会に精一杯適応させてあげたいという周囲の期待こそが自殺の原因ではないでしょうか?
僕も毎日おもしろくないと思ったりしますが、やっぱり自分を曲げて社会へ合わせていくことにストレスが溜まる原因がある。
しかも、そこでしか褒められないし(笑)
あの無意識で暮らす人々が「うん、君はよくルールを守った!」と言うわけです。
この空気とかルールから外れていると思われる人間になぜ人は冷たくしてしまうんでしょう。
それは自分もこんなに理不尽な空気やルールに苦しんできていたのに「アッケラカン」と無視するその態度、成敗してくれよう!
という気持ちなのではないでしょうか?
で、同じ苦しみを与えたいので「考えが甘い」などと言われたりします。
しかも、その人間が、優しくて、大人しかったり、するといよいよ成敗の度合いが強まる訳です。
原因は『誰かに対してムカつく』という人間の心理ですね。
ムカつくのは、その人の常識の範疇を超えているか、その人自身が批判されたり、攻撃されていると感じるからです。
もちろん完全な人間はいませんから、個性の強い人たちが、色々学んでみんなと仲良くなれるようにする必要はあります。
しかし、飛び出したって良いんじゃないでしょうか。
学校なんて無視して嫌なら行かなくていいよとなぜ親が積極的に言わないのか。
うーん、しかしまあ、よーするにルールとシステムばっかりじゃ、世の中おもしろいことが少ないから良くないってことですよ!
毎日がおもしろくないから、人を虐めたくもなるんです。
て、また概念的な話になって行く。
僕は今まであんまり死にたいと思ったことがありません。
でも今日仕事中に思ったのは、個我が無くならないと解放はないだろうということです。
客体化された自我意識は頭脳から焼却されねばならぬという訳ですね。
一粒の麦地に落ちてもし死なざれば……みたいな。
と、またマニアックな話になっていく。
イカンイカン、ビール飲んでいるので調子に乗っていらんこと書いている気もする。
体は何処へ行った(笑)
人間の鬱積した負のエネルギーを解放する場所がいるんです。
叫びまくるんでも、飲み会でも、カラオケでも自慰でも何でもいいんです。
ブログでも良いです(笑)
とにかく日常空間から外れた、危ないことをするのです。
でも、子供に良い子でいて欲しい大人が、人の言うことはちゃんと聞いて悪いことしちゃ駄目よなんていうからおもしろくなくて虐めも自殺も起きてくるんじゃないんですか。
マジメな人間が鬱になるというのはそういう仕組みでしょうw
オッケーだいじょうぶ! となぜ言わないのか。
冒険しなさい、人生は冒険だから、危険だと思っても恐れないで! と親や先生が言えばいいんだ。
と酔っぱらい豊田の勝手論展開しております。
酔っぱらっているので今日はトコトン書いていきます。
僕は解放を味わったあとで社会に適応しようとしたことが間違いだったのです。
社会は無視して自分でゼロから解放空間を創りあげて広げていくという坂口恭平さん的思考が僕には思いつけなかった。
これらの問題をすべて集約すると『お金』というものに結びつきます。
坂口恭平さんが別レイヤーの可能性を著書の中で書かれています。
サバイバルする生き方、野生の生き方、これを放課後社会の中で名前のある関係性で実践していく。
絶対おもしろい。
サバイバルする生き方は社会から逸脱していますが、社会は放っておきます。
変えようとか、説得しようとかなく、ただ自分が自由な時間をいままでの仕事のように真剣にやる。
覚醒論とかブログでウダウダやってないでみんな覚醒してしまえばいいのだ。
自分を徹底的に客体化する、客体化された自分を捨てる。
これだけだ。
誰にだってできる。
本気でおもしろくて笑っている時、人は覚醒している。
酔っぱらって記憶がなくなった時、人は覚醒している。
美味しいものを食べて、我を忘れている時、人は覚醒している。
この場所に覚醒しているのだ。
もう捨てないと行けない時が来ている。
社会が病みすぎて、システムが硬直して、この先未来は暗い。
音楽が鳴り響いているのだから合わせていかないといけない。
とか、なんとか妄想しながらビール飲んでご機嫌の豊田真大でした。
酔っぱらっての無礼お許しをーw
今日もSHERBETS の『ゴースト』を聴いていました。