豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

リアルがあって、それが、生きている

2015-04-28 17:10:09 | 日記
・妻の『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。



こんばんは。

本日は午後4時ごろに起きてきました。

ちょい曇り空。

「ありがとう」をボツボツと言いながら洗面をします。

この間、姪に「ありがとう」というと良いんだと言っていた。

すると妹が「魔法の言葉」だと言っていたが、そうなのか?w

洗面を終えて、座禅を15分します。



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携帯がなかったので探し回った、笑

妄念フルマックス!

しかし、この状態になるのに、だいぶ期間がかかっているので、よい状態なのだろうか。

スッキリはします。


座禅を終えてコーヒーを淹れて玄関先で読書ですね。

毎日、毎日、一章だけ、仏教の本を読んでいるのだが、なんとも、代わり映えが無いなあと、思います、苦笑

なにしろ、誰が、書いた本でも、一流の人は、みんな『あるがままに』と『沈黙』について書いているのであります。

ここで、この言葉が本来の意味で使われている。

あるがままに、というのは、あるがままでOKということです。

あなたは大丈夫、そのままで、大丈夫、いまの様子で完璧ということです。

あるがままに、あなた、今から、頑張って修行しないさい、そうなるためにということではありません。

そういう感じで使う人がいますが、そうではない。

あるがままは、あるがままでしかなく、それでOK、大丈夫ということですね。

究極を言えば、仏教で一番否定されている、分別。

つまり『他者との比較』をしていても、あなたは、そのままで大丈夫となります(爆笑)

そうある姿で、自然にあって、時期が来れば、自然に『比較』が落ちる。

年齢を重ねれば実が熟して、熟した果実は、落ちるというような自然な姿があるということであります。


沈黙は、手出しをしない、静かにしているということで、これは、あるがままを認めているから、そこからはみ出そうとしていないことですね。

例えば、落ち着きなくイライラしている自分を見て、そこから、それを単に見て、治そうとしないで、受け入れて、静かにしていると、時と共に、また別の落ち着いている自分もいて、また違う時間になれば、違う風景が現れて、延々と諸行無常に起こってくる、連想、感覚、感情、思い、考え、等々に対して、それを「あるがままに見守って」「沈黙」していると言う事です。

手出ししない。

改造しない。

あるがままの、そのものである法の姿が、そこで完璧に流れ出すということであります。

というか、最初から、完璧に、事が運んでいると言う事です。

自分が何かする前に、認識する前に、リアルの側があるのです。

リアルから自己が現じていて、その派生である自己は、自然の一部なのです。


って読書の話しが長くなったなあ。

で、戻って、ブログ更新しているわけです。


結局方法は、自分を見ている、見ている自分から、自分が消えて、見られているだけが残るということであります。

自分が消えて、見ているものは、なんと、目の前のリアルの方なのです。

リアルがあって、それが、生きている。

自分を生きているのは、全体であって、その目の前の、世界の側なのですね。

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