※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。
※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
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昨日21時半に寝たら0時過ぎに目が覚めてしまいました・・・・・・。
『スッタニパータ』を読んでいましたが、眠れないのでブログ更新。
12月18日(水曜日)午前7時に起床する。
座禅や歩行をやめてしまっているので、ブログだけを書く。
心の問題に執着している。
ブログを書き終えるとすぐに母親の家で食事をいただき準備を整えます。
先日我が家はダイヤルナンバー制度? に加入したらしい。
妻の知人の番号登録もしてもらわないと出れなくなってしまうじゃないかと思う。
8時5分ごろに家を出て会社へと向かう。
計画生活では7時35分に出ていたので大幅遅れです。
会社へ着いて千鶴さんと超短時間の電話をします。
またお昼の休憩時間にも電話をしました。
悠聖は寝返りの練習を頑張っているらしく微笑ましい。
千鶴さんが手伝ってごろんと寝返ったらしいが、首が据わってないので態勢が悪く、慌てて戻したらしい笑
あとは仮眠を15分します。
仕事を終えて帰宅すると母親の家でお風呂に入り食事をする。
昭和歌謡のテレビ番組を見ながら父が嬉しそうに歌っている。
僕の子供が生まれたのを知っているかと言うと「知らん、なんて言う名前や」と言う。
名前の紙を見せてあげると「難しい字やな、テストの時に時間かかるやないか」と言う。
この会話何度目だろう(笑い)
お風呂でマーフィの本を少し読んだが、やはり白けてしまう・・・・・・。
食事はなんだったか忘れてしまった。
家へ戻ると千鶴さんと超長電話。
さいきん彼女とも連絡時間が少なかったので良かった。
アレだね、計画生活も必要だけど、求める心のない計画を作らないといけないんだろう。
心を反映した『新計画』を来年辺りには開始したいと思います。
インターネットで『反乱軍のテーマ』を聴く。
名曲過ぎて涙出そうになる笑
いろんな人の演奏を聴いてみるが、やっぱり人の個性っていいなあ♪
そのあと正しい心についてネットで情報収集。
しかし当然のことながら、ろくでもない。
なんか素晴らしい意見をもっているように見える人がいたのでYouTubeで見たらコレが・・・・・・。
「落ち着きなさいよアンタ!」
と、見た瞬間に思ってしまう程の自己意識の低さです。
僕も人のことは言えたもんじゃないですが『姿勢と動作に美しさがない人』はある問題を抱えている。
『ムービング中枢』に気づいていないのだ。
願望を持って近づき、言葉だけで人に流されたら大変な時間の浪費となることの実例を示してしまった。
疲れ果てた上にアホらしくなって0時半過ぎに就寝いたしました。
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12月19日(木曜日)午前7時半ごろ起床する。
前日眠るのが少し遅かったので、布団の上でゴロゴロしてしまいました。
我ながら、なんという極端な怠情さ・・・・・・。
慌てて母親の家へ行き、準備を整えて食事をする。
今週は母親の家でお風呂に入っているので服がこちらに置いてあります。
朝食の内容は忘れてしまった。
色々会話をしたが、これも特に印象に残っていない。
8時5分に家を出て会社へ向かいます。
煙草を切らしていたので途中でファミリーマートへ寄り『echo』2箱とブラックコーヒーを買っていきます。
会社へ着いて千鶴さんと短時間の電話をする。
なんか色々とバタバタした旦那でごめんなさい。
もう少しで心の問題にも完璧な回答が与えられそうなので2週間ほどお待ち下され。
お昼休憩にも短時間の電話をする。
徳島県のお知り合いの方から出産祝いをいただいた様子です。
内祝いをどうしようかの相談をする。
ちなみに妻の祖父は徳島県三好市のご出身だそうであります。
悠聖が大きくなったら、家族みんなで旅行に行きたい。
そのあとで阿部敏郎の「いまここ塾」を読んだらタイムリーな記事だった。
『本当の自分が「いまここ」で、それは心の最奥にある空だ』と彼は言います。
これに反応して『他者は自分自身の神』という概念が思い浮かぶ。
なんと!!!!
本当の自分が「いまここ」とは<凄まじくユニークな>名言ではないか。
遂に臨済を超えたか笑
前日のネット情報収集が無駄ではなかったことがここで判明。
※前日は阿倍敏郎さんに落胆したわけじゃなく全く関係ない方ですので勘違いには要注意
人間には3つの中枢部があるとグルジェフさんが言っているが、この3つの一つだけが発達しても成長は止まる。
一つだけが発達することは他に弊害を生む可能性すらある。
人は動作、感情、知性の順に進化する。
動作は完璧に人間の中で機能している、そして感情もある程度は機能している。
しかし知性センターは全く混乱して理解に欠け、機能していない。
彼はこの中枢部をキャベツに例えている(笑い)
ブッダは無明こそが苦の根本であると言い、それを解決する八正道の第壱番目が正見である。
第四の道では身体から感情へとショックを移す。
自己観察は動作の観察である。
第1のショックはこの観察の結果である自己意識の目覚めであり、第2のショックが感情の変性だ。
この2つのセンターの中和要素として注意力・集中力・判断力等の思考センターの真の機能が働く。
単純に言えば<私に気づいている>ことができる能力が働く。
僕は今まで感覚にばかり集中して心をなおざりにしていた。
否定的感情の不表出、内的考慮をしないことは第2のショックのための準備である。
ここ数日間の僕が陥っていた状態だろう笑
ここで、この数日間が僕にとって無意味ではなかったことを証明する理解を書いてみよう。
怒りを耐える、また内的に批判をしないという制御がなぜショックへの準備となるか。
人間は感情を自分自身だと思っているが実は身体と同様、自分自身ではない。
身体や感情を使うのが本来の人間であり、身体や感情に使われているのが現状の人間であると彼は言いたかったに違いない。
まあ本にもそう書いてある笑
身体と感情の向こうにある、自己意識と良心が二つ機能して初めて人間らしく主人になれるのである。
これは誰でも分かる単純な話だったのだ。
僕が感情を制御して怒らないでいよう、人を非難しないでいよう、静かな心でいようとする間、とても苦しかった。
もちろん90%うまくできない。
それで僕は抑制・抑圧から逃れたくなり、休日に変な具合に爆発(笑い)
あまりに毎週パターン化するので嫌になって全てのワークをやめてしまって深く考えて悩んだ。
これは『心の在り方』の問題だ。
心の深い部分が変わらない限り永遠に苦しみ続けなくてはならない。
視点を変えてブッダの言葉を聞くと第一に欲を捨てなさいと言う。
阿部敏郎さんは、本当の自分が「いまここ」だと言う。
グルジェフは自己を想起しなさいと言い、クリシュナムルティは真理はすぐそこにあると言う。
臨済は一無位の真人、汝の面門より出入りすと言う。
なんと人によって表現の違うことか、そしてこれらの情報がすべて同じ事を言っているとは驚きだ。
人間は幻の向こうにある名付けようのない・である。
否定的感情の表出をしない・内的考慮をしないという準備は感情は自分自身ではなく『心』こそが自分自身だと気づくためにある。
自己意識の覚醒をした人は世界と人間の相似性に気が付くが、ここには他者の意識が含まれない。
自己意識に伴って感情が覚醒した人は、きっと他者の意識との相似性に気が付き、痛みが分かるようになるだろう。
なぜなら感情とは人ではないからだ・・・・・・。
人ではない感情に苦しめられているのが僕やあなたなのである。
しかし自己意識も良心も、この双方が現実の薄っぺらい幻の向こうにあるので誰も気が付かない。
身体や感情にくっついてしまった本来の私の魂の機能は愛と癒しとして感じられる。
僕が長い間ずっと感情の問題を解決できずに足掻いていたのは、これを表面の問題、行動の問題、意識の問題、習慣の問題、愛欲の問題等々、全く関係ない場所でしか見ていなかったためだったのだろう。
マジに初めて気づいた。
感情の問題は心の奥に深く入らないと見えてこないということに本当に初めて気が付いた笑
すべて五感を通じた外側<快楽・不快>は客観対象だ。
そしてこの客観対象に反応している感情も外側にある客観現象なのだ。
身体に意識が触れるように、感情に心が触れることが愛だろう。
深く入ることで小さな泉が発見され、これを更に深く、深く感じることで癒され、いずれは大海に行きつく。
人間第4番とは道を見つけた状態を指す。
やっと4番に近づいてきたと感じるが、単なる錯覚かも知れません(爆笑)
えーっと・・・・・・現実に戻らないと。
とりあえず仕事を終えて帰宅すると母親の家でトンテキとキャベツでご飯をいただきました。
そのあとでお風呂に入って『スッタニパータ』の続きを読みます。
部屋に戻ってからも読んでいたが、知らない間に眠っていました。
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昨日21時半に寝たら0時過ぎに目が覚めてしまいました・・・・・・。
『スッタニパータ』を読んでいましたが、眠れないのでブログ更新。
12月18日(水曜日)午前7時に起床する。
座禅や歩行をやめてしまっているので、ブログだけを書く。
心の問題に執着している。
ブログを書き終えるとすぐに母親の家で食事をいただき準備を整えます。
先日我が家はダイヤルナンバー制度? に加入したらしい。
妻の知人の番号登録もしてもらわないと出れなくなってしまうじゃないかと思う。
8時5分ごろに家を出て会社へと向かう。
計画生活では7時35分に出ていたので大幅遅れです。
会社へ着いて千鶴さんと超短時間の電話をします。
またお昼の休憩時間にも電話をしました。
悠聖は寝返りの練習を頑張っているらしく微笑ましい。
千鶴さんが手伝ってごろんと寝返ったらしいが、首が据わってないので態勢が悪く、慌てて戻したらしい笑
あとは仮眠を15分します。
仕事を終えて帰宅すると母親の家でお風呂に入り食事をする。
昭和歌謡のテレビ番組を見ながら父が嬉しそうに歌っている。
僕の子供が生まれたのを知っているかと言うと「知らん、なんて言う名前や」と言う。
名前の紙を見せてあげると「難しい字やな、テストの時に時間かかるやないか」と言う。
この会話何度目だろう(笑い)
お風呂でマーフィの本を少し読んだが、やはり白けてしまう・・・・・・。
食事はなんだったか忘れてしまった。
家へ戻ると千鶴さんと超長電話。
さいきん彼女とも連絡時間が少なかったので良かった。
アレだね、計画生活も必要だけど、求める心のない計画を作らないといけないんだろう。
心を反映した『新計画』を来年辺りには開始したいと思います。
インターネットで『反乱軍のテーマ』を聴く。
名曲過ぎて涙出そうになる笑
いろんな人の演奏を聴いてみるが、やっぱり人の個性っていいなあ♪
そのあと正しい心についてネットで情報収集。
しかし当然のことながら、ろくでもない。
なんか素晴らしい意見をもっているように見える人がいたのでYouTubeで見たらコレが・・・・・・。
「落ち着きなさいよアンタ!」
と、見た瞬間に思ってしまう程の自己意識の低さです。
僕も人のことは言えたもんじゃないですが『姿勢と動作に美しさがない人』はある問題を抱えている。
『ムービング中枢』に気づいていないのだ。
願望を持って近づき、言葉だけで人に流されたら大変な時間の浪費となることの実例を示してしまった。
疲れ果てた上にアホらしくなって0時半過ぎに就寝いたしました。
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前日眠るのが少し遅かったので、布団の上でゴロゴロしてしまいました。
我ながら、なんという極端な怠情さ・・・・・・。
慌てて母親の家へ行き、準備を整えて食事をする。
今週は母親の家でお風呂に入っているので服がこちらに置いてあります。
朝食の内容は忘れてしまった。
色々会話をしたが、これも特に印象に残っていない。
8時5分に家を出て会社へ向かいます。
煙草を切らしていたので途中でファミリーマートへ寄り『echo』2箱とブラックコーヒーを買っていきます。
会社へ着いて千鶴さんと短時間の電話をする。
なんか色々とバタバタした旦那でごめんなさい。
もう少しで心の問題にも完璧な回答が与えられそうなので2週間ほどお待ち下され。
お昼休憩にも短時間の電話をする。
徳島県のお知り合いの方から出産祝いをいただいた様子です。
内祝いをどうしようかの相談をする。
ちなみに妻の祖父は徳島県三好市のご出身だそうであります。
悠聖が大きくなったら、家族みんなで旅行に行きたい。
そのあとで阿部敏郎の「いまここ塾」を読んだらタイムリーな記事だった。
『本当の自分が「いまここ」で、それは心の最奥にある空だ』と彼は言います。
これに反応して『他者は自分自身の神』という概念が思い浮かぶ。
なんと!!!!
本当の自分が「いまここ」とは<凄まじくユニークな>名言ではないか。
遂に臨済を超えたか笑
前日のネット情報収集が無駄ではなかったことがここで判明。
※前日は阿倍敏郎さんに落胆したわけじゃなく全く関係ない方ですので勘違いには要注意
人間には3つの中枢部があるとグルジェフさんが言っているが、この3つの一つだけが発達しても成長は止まる。
一つだけが発達することは他に弊害を生む可能性すらある。
人は動作、感情、知性の順に進化する。
動作は完璧に人間の中で機能している、そして感情もある程度は機能している。
しかし知性センターは全く混乱して理解に欠け、機能していない。
彼はこの中枢部をキャベツに例えている(笑い)
ブッダは無明こそが苦の根本であると言い、それを解決する八正道の第壱番目が正見である。
第四の道では身体から感情へとショックを移す。
自己観察は動作の観察である。
第1のショックはこの観察の結果である自己意識の目覚めであり、第2のショックが感情の変性だ。
この2つのセンターの中和要素として注意力・集中力・判断力等の思考センターの真の機能が働く。
単純に言えば<私に気づいている>ことができる能力が働く。
僕は今まで感覚にばかり集中して心をなおざりにしていた。
否定的感情の不表出、内的考慮をしないことは第2のショックのための準備である。
ここ数日間の僕が陥っていた状態だろう笑
ここで、この数日間が僕にとって無意味ではなかったことを証明する理解を書いてみよう。
怒りを耐える、また内的に批判をしないという制御がなぜショックへの準備となるか。
人間は感情を自分自身だと思っているが実は身体と同様、自分自身ではない。
身体や感情を使うのが本来の人間であり、身体や感情に使われているのが現状の人間であると彼は言いたかったに違いない。
まあ本にもそう書いてある笑
身体と感情の向こうにある、自己意識と良心が二つ機能して初めて人間らしく主人になれるのである。
これは誰でも分かる単純な話だったのだ。
僕が感情を制御して怒らないでいよう、人を非難しないでいよう、静かな心でいようとする間、とても苦しかった。
もちろん90%うまくできない。
それで僕は抑制・抑圧から逃れたくなり、休日に変な具合に爆発(笑い)
あまりに毎週パターン化するので嫌になって全てのワークをやめてしまって深く考えて悩んだ。
これは『心の在り方』の問題だ。
心の深い部分が変わらない限り永遠に苦しみ続けなくてはならない。
視点を変えてブッダの言葉を聞くと第一に欲を捨てなさいと言う。
阿部敏郎さんは、本当の自分が「いまここ」だと言う。
グルジェフは自己を想起しなさいと言い、クリシュナムルティは真理はすぐそこにあると言う。
臨済は一無位の真人、汝の面門より出入りすと言う。
なんと人によって表現の違うことか、そしてこれらの情報がすべて同じ事を言っているとは驚きだ。
人間は幻の向こうにある名付けようのない・である。
否定的感情の表出をしない・内的考慮をしないという準備は感情は自分自身ではなく『心』こそが自分自身だと気づくためにある。
自己意識の覚醒をした人は世界と人間の相似性に気が付くが、ここには他者の意識が含まれない。
自己意識に伴って感情が覚醒した人は、きっと他者の意識との相似性に気が付き、痛みが分かるようになるだろう。
なぜなら感情とは人ではないからだ・・・・・・。
人ではない感情に苦しめられているのが僕やあなたなのである。
しかし自己意識も良心も、この双方が現実の薄っぺらい幻の向こうにあるので誰も気が付かない。
身体や感情にくっついてしまった本来の私の魂の機能は愛と癒しとして感じられる。
僕が長い間ずっと感情の問題を解決できずに足掻いていたのは、これを表面の問題、行動の問題、意識の問題、習慣の問題、愛欲の問題等々、全く関係ない場所でしか見ていなかったためだったのだろう。
マジに初めて気づいた。
感情の問題は心の奥に深く入らないと見えてこないということに本当に初めて気が付いた笑
すべて五感を通じた外側<快楽・不快>は客観対象だ。
そしてこの客観対象に反応している感情も外側にある客観現象なのだ。
身体に意識が触れるように、感情に心が触れることが愛だろう。
深く入ることで小さな泉が発見され、これを更に深く、深く感じることで癒され、いずれは大海に行きつく。
人間第4番とは道を見つけた状態を指す。
やっと4番に近づいてきたと感じるが、単なる錯覚かも知れません(爆笑)
えーっと・・・・・・現実に戻らないと。
とりあえず仕事を終えて帰宅すると母親の家でトンテキとキャベツでご飯をいただきました。
そのあとでお風呂に入って『スッタニパータ』の続きを読みます。
部屋に戻ってからも読んでいたが、知らない間に眠っていました。
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