豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

人間は球体である

2015-03-25 07:17:47 | 日記
・妻の『ダラックマのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。

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おはようございます。

今日は6時ちょいすぎに起きました豊田です。

寒くて鼻水出てくる中、洗面をします。

妻(千鶴)も起きてきて背中を頭でゴンっとしてきた。

まあ、だるいので生返事。

洗面終えて座禅を15分しますが、集中力に欠ける。

心配事、不安が、霧をかける。



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悩み世界というか、妄念世界の引張りが、どうも強かった。

心の重みを空っぽにしないと、中々、難しいところがある。

座禅を終えるとコーヒーを淹れて、玄関先で読書です。

たばこもいつものごとく吸っているのだが、喉が、ちょっと炎症気味で気になる。

風邪かもしれない。

家へ戻って千鶴さんに朝食をお願いしてからブログの更新であります。

彼女も今朝、更新したみたいなので、よかったら読んであげて下さい。


さて昨日はすごい空想が湧いてきました。

それは人間は球体であるという空想であります。

まるで地球のような惑星体なのです。

これは、すごいと思って、インターネットで検索してみると、プラトンが『饗宴』という作品の中で、このアイデアを先に使っていたようだ。

ちっ、さすがはギリシア哲学だ。

まあでも、彼の概念は、人間は球体だったが、神に半分にされて、男女に分かれた。

それで、その半身を探しているのが恋愛だ、みたいな感じらしい。

が、フッフッフ。

この僕が見たのは、そんなもんじゃあ、あーりませんよ?

心が世界を作りだしているというのは、真我の光、つまり心の力が、頭部の反射鏡に、つまり目覚めた意識に反映されて、まるで対象のように、自己の反映を見ているわけです。

まったく同じ場所にいるにも拘わらず、風景の側が、あっちからやってくる。

1ミリも動いてないようだ。

が、不思議に、この世界の奇跡が現前しているのは、なぜだろうか?

と、考えていたのです。

この心の中の、つまり、内部の宇宙というのは、円形ではないかと、閃いた。

実際、意識の鏡、後頭部の鏡は円形だし、心も、○だから、○が段々と縮小、または拡大していることで、世界と自己が現前しているのだ。

しかしこの○の外側がある、この、外側というのは、前から書いている背中の世界ですが、この背中の向こうの空間というのは、感情体のある場所だ。

この感情体の宇宙、つまり、別次元の宇宙から、この宇宙の螺旋というのか、○移動というのか、公転というのか、そういう、運動を見ると、球体ではないのかという疑問が出てきたのであります。

つまり、我々は普段の意識では、人間は、ここのこの形であると思っているが、実際は宇宙空間における太陽のような恒星なのではないだろうかということである。

この宇宙空間は、現在の宇宙の別次元、つまり不可視の宇宙空間。

感情の世界の宇宙空間である。

が、この不可視の宇宙空間は、実質の力としては、可視の宇宙空間よりも強い。

この背中から繋がっている空間において、気力と言うものが伝導しているのだ。

ここにおいて清々しさ、つまり、光を増すには、心→頭→世界の流れを明確に把握した上で、光が心から投射された、現行の『天』より降り注ぎ、自分の心の霧を霧散させるということをするといいのである。

これは心を空にして、エネルギーを、そこに満ちさせることだ。

それを齎すのは、意志だが、この意志というのは単に「清々しくあろう」という思いである。

清々しさだけが、この空間で力を持つのだ。


と、まあ、今日は空想炸裂でしたwwwww


でも、ある程度の人が読んだら興味深いこともあるかも? ね?

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