豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

真理について甘い言葉で誘惑するものに流されるな・・・・・・これは、あの人には依存できないのだ!

2015-06-26 15:25:17 | 日記
初めましての方は、目次も見てみてね!
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次

『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。



ああ、朝から暴言を吐きまくる、最低なる男、豊田です。

「ありがとう」を毎日、唱えていた結果、こうなったのでしょうか、笑

とにかく、まあ、ありとあらゆる呪詛の言葉の洗礼であります。

まあ、単に、ストレスが溜まっているだけでしょうが、我ながら酷いですね。

昨夜も仕事から帰って、お風呂出てから、手足をバタバタさせて、気が狂っておりました(爆笑)

相当、重症ですな……。


まあ、ね。



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僕は気が付いたのですが、この、自然の働きの中で生かされているのは、本当ですが、そういうものをイメージとして持ち運んではいけないのです。

そして、頭の理解もいらないし、頭に伝えることもいらないのです。

なぜなら、ひとは、様々な解釈で、このような情報をイメージとして捉えていくのですが、その答え合わせが、真実かどうかは知りようがないのです。

なぜなら「真実なのか?」と問うているのが、まさしく、頭だからなのです。

答え合わせをしているのは、頭脳、知性の中枢なのですが、やつらの性能と言えば、単なる比較しかないのです。

つまり4つを同時に比較する能力です。

しかし、その4つの中で、ひとつだけが真実だと、確証することは絶対に不可能です。

なぜならば、真理というのは、頭の証明の介入を許さないからなのです。

ただ、その、中に、在ることだけしかできないのです


だから、このように、色んな事を、情報として伝えたり、解釈していることは、変な方向に行くのです。

それが、散々、声を大にして、伝えている【憧れ】というものです。


誰かが言いますね。

すべては、あるがままで、もう、すでに起こっている。

そう、それは、そうであるのだが、これは、頭の方から見た解説ですね。

実際に、あるがままに在る時には、このような解説は入らない。

ただ、あるがままの、自然が、そこで縁起してきているだけです。

そこを見ていたり、解釈していたり、監視したり、コントロールしたり、感じたり、している、あなたは不在になっているんです。

そこから、後で、認識をして、解釈をする。


そうして、その解釈した情報のやりとりをしているのですね。

しかし、人生と言うのは、解釈の通りに起きていくわけではありません。

自己の見方の奥にある、創造の力が働いているのです。

それは自由であって、型とか、解釈とかには収まりきらないのです。

だから【真理と思われる情報】を、事実に当てはめていけば、必ず外れてしまうのです。


ここが気が狂ってしまうところですね、笑


たとえばですよ。

あなたは、とでも美しい調べを奏でる覚者のイベントに参加します。

そこでは【ヒーリングミュージック】なんかが流れていますね。

そうして美しい言葉が、彼、または、彼女の口から流れ出るのです。

静かに座ったり、また、激しく感情を放出したりしながら、あなたは本来の自己に帰っていきます。

素晴らしい!

まるで、生まれたてのような、透明なME!

そこへ帰ると、信じられないような喜びが、心から溢れんばかりです。

さあ、ここまでは、問題ありません。

完璧なのですが、ここで、頭君が、このことを、体系化して、自分の持ち物にするのです。


そうして、あなたは会場を出ました。

先ほどまでのイベントで感じた温かみが胸を溶かし、満員電車の喧騒にも、こころは平安です。

目の前にいる人々が愛おしく見えて、仕方がありません。

ああ、我々は、ともに、生命を謳歌している、それで、この我々の宇宙は、完璧なる愛だ!

と、頭が言い出しますwwww


さて、家へ帰ると喜びの気持ちと共に、眠りました。


翌朝、目覚ましが鳴り、ルンルン気分で、あなたは日常を開始します。

そうして、様々な生活が始まっていくのですが、あなたは、すでに【愛】を持ち運んでいることに気が付いていません。

それで、その、愛に反することが、起こってきました。

何が、愛に反することかというと、あなたの表面的な感情が害されることです。

例えば、あなたは仕事で、些細な失敗をします。

もちろん、故意にしたことではなく、避けようもないことでした。

ところが、それを見た上司は、あなたを罵倒しました。

「このアホ! 役立たず!!」

その瞬間に、あなたは湯沸かし器のように、瞬時に気分を害します。


さあ、ここが、ポイントですよ。

この時、怒りを鎮めるように、動いたり、まあ、相手を許す様に動いたりするようになります。

なぜなら、すべてが【愛】という概念をあなたは持ち歩いてしまっていたからなのです!!!!!

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


わかりますか?


そして、その、ことが、また、愛の分かち合い、やら、なんやらのイベントへ向かわせるのです。

そして、同じ【概念】を持ち運んでいる、楽しい仲間たちと経験を分かち合いながら、まあ、言ってしまえば、仲間と飲み会をしている、その辺の、サラリーマンと同じことをしてしまうのですwwwwwww

曰く、あいつは、分かっていない。

曰く、社会は、まだまだである。

曰く、悟りを広めなければならない。

曰く、仲間を増やしたい。

曰く、この問題に、対処するには、瞑想の時間を、テクニックを、どう弄ればいいのか。

曰く、彼女が欲しい、彼氏が欲しい。

曰く、お金を稼ぎたいね。

曰く、病気を治したいね。


という、ただのレストランでの食事会になるのです。

そして、もちろん、またしても、そこには【愛】が溢れているのですが、この【愛とは似ても似つかない愛】は単なる自己欺瞞なのです。

真実を見るならば、もしも、あなたの本質が、すべてを許すなら、どこに、いても同じなのです。

もちろん覚醒者も同じです。

どこにいようが、どこで会おうが、すべて在るがままなのです。

愛というのは、そのような、透明な風のような、不在の空間が、ハートに空いていることなのです。

って、書くと、またこれを、頭で分析するwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


というわけなのです。


そうして、あなたの声高に叫ぶ愛は、仲間内でしか発生しない愛であったり、ある居酒屋さんだけで、発生するものであったり、まあ、誰かと一緒の時だけ発生するのです。


さあ、イベントに出かけなければ!

愛に帰るためには、お金を払って、みんなと饅頭でも食べながら、会話して、座禅しなければwwwww


いいですか?

ここにあるのは、ただの性欲ですよ。

つまり、そこにたくさんの男女がいたりすることが重要なのです。

たくさんでなくても、男と女がいることが重要です。

しかも、セットで、美味しい食事会なんかが、あると最高ですね。


男女が出合い、映画を見た後で、レストランでの食事を楽しむのです。

正に、愛が、溢れてきます(爆笑)

しかし、まあ、実際の生活は、そんなものではなかったのです。


当たり前だろう!!!!!!


だから、このようなことと、真理は無縁ですよ。

たった一人で、この、心の奥の、透明性に浸っていくことですが、それが、まあ、実際の生活の中で、あなた自身を救っているということが大事なのです。

あなたの情緒、感情を、他者のイメージに与えてはいけないのです。

答え合わせはいらない!!!!

あなたが、本当に、解決されたら、それでOKなのです。

あの人が、こう言っている、ああ言っている、こんなことがあった、あんなことがあったはほっとけwwwww


真の、理解というのは、別に、他者に承認される必要なんかありません。

実際に、そこに入り込んでしまえば、そんな欲求が生まれてこないからです。

しかし、体験を、所有して、概念にして、持ち運び、その概念化されたアイデアを人に伝えようとすると、無理なのです、笑

だから気が狂うわけですが、まあ、そんなのも、もう、ほっとけですwww

知らぬ、ほっとけw

知らぬが仏。


だからね、イマジネーションが全てに浸透しているというのは、あまたが、それをイメージすることではなくて、もう、すでに、そこに体験をしていることなんです。

その他の、ことも、全部、そうなんです。

だから、そこに決まりとか、それこそ、みんなが言っている【愛】なんてないんですよ。

その出来事の全てが、風のように、胸を通り過ぎていく時、に、愛もくそもないんですよwwww

ただ、平安で、まあ、何があっても、個人は、ニコヤカなのです。

それが、相手の言動や、世界の満ち欠けに、影響されないのですよ。

なぜ、影響されないのかと言えば、この客体化された自己の悲嘆や、気狂いが、単なる、表現であることが分かるからで、しかも、その表現の奥には、どんなものでも愛が溢れているからなのです。

しかし、それを、投影なんかしてないんです。


ただ、いま、ここで、ただ、起こっているところに、ただ、わたしはいないのです。

そして、それは、何かをしたからではなく、誰かが偉いからでもなく、もう、ぜんぶそれなんです。

だから、教わる必要なんかありません。

あんなものは、全部、だましか、勘違いか、まあ、そこでしか役に立たないものなのです。

そのうちに、分かりますよ。

相手の理解に、自分を合わせているのは、解決になりませんからね。

自分が、自分を、自分している。

それが、自己を通り抜けた時に、自分としての、理解が、感ぜられて、そして、その理解が、淡々と行なわれているところへいればいいんです。

そこではね。

気が狂って呪詛の言葉を吐きまくる豊田君も、愛の中にあるんですよ!?


大爆笑

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