豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

幼きころの日没

2015-05-12 15:17:22 | 日記
初めましての方は、目次も見てみてね!
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次

『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。



こんにちは。

今日は14時ごろに起床しました。

「ありがとう」を言いながら洗面へ。

千鶴さん「まだ2時やに」

僕「たまたま眼が覚めたで起きよかなと思って」

洗面を終えると、座禅15分をします。

何日か50分してたので、短く感じる。



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でも、なんか回復しますね。

自分の世界が崩れる事が座禅じゃないかなあ。

わかんないけどね、まだ。


で、座禅を終えてからお菓子ツマミ食いしながらコーヒーを淹れる。

玄関脇で煙草を吸いながら、読書です。

うん、おもしろい。

名利を求めぬ純粋な人、道を求める人とある。

人生は夢のようなものだからね。

いつ何時、なにがあるか、分かったものではない。

未知に生きている。


それからポテチ齧りながら、ブログの更新してます。

悠聖がチョコチョコ、ついてくるので、かわいくてしかたないww


子供は未来も過去も、ここで展開してます。

純粋、そのもの。

想像からくる恐怖とは、無縁ですね。

まあ、まだ自己防衛機構とか、記憶が発達する前だからね。

天国だろうと思います。

なにしろ、風景が、圧倒的だろうし、時間はないので、全く、切迫感もない。

見るもの全てが感動の嵐。

眠ると成ったら死ぬも同然の感覚でしょう。


「死の恐怖」について、それは、想像の恐怖。

なぜなら、苦しみはあっても、死は、あなたには絶対に起こらないからだ。

死があれば、生もあるし、あなたもいる。

痛み、苦しみへの恐怖がある。

それは、まあ、今、あるものでなければ、想像ですね。

実際に、今、あれば、恐怖する前に、なんらかの手を打つでしょう。

動いている。

その動いているところが、完全に、神の世界で完結しているのです。


つまり、言い方を変えれば「あなたが死ぬときは、最初から決まっている」ということになってくるかもしれません。

宇宙一いい加減な博士も、書いていましたねえ。


でもグルジェフさんは、唯一、死の苦しみにある人は、何事においても義務も責任もないのだと言っています。

「死が避けられないものである事」の自覚が人間を解放へ向かわせる。

これは、事実でしょう。

結果ではなく、過程を重視したのは、ここでしょう。

何事かを手に入れるのではなく、その過程、生きて、動いて、集中して、超努力していることが素晴らしいのだ。

それが自己を、真の世界へ導く。

真の世界とは、この刹那における、奇跡だ。

全体は、湧いては、流れ、消えていく泉のように、奇跡を生み出している。

自然の事だ。

ナチュラルな、本来の、姿が、そこなのだ。


ガサッと人格の惑いが落ちるには、相当なショックが必要だが、人生には、様々なことがあって、自然と気づかされているのである。

ただ忘れているだけなのだ、自分を。

本来の自分。

それは、愛のギフトで包まれた、鋭利な感性なのである。

子供の頃のことを思い出してみよう。

あの、遊び終わって、眺めた日没の風景が、僕を気づかせた。

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