豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

運命と赦し

2014-05-01 03:04:07 | 日記
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。

※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。




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こんばんわー

なんか夕方、興奮してブログ投稿したけど、静粛さから完全に遠ざかってたなあと、

思っとる豊田です。


仕事終わってビール買って家帰ってきたらPC点けっぱなしだった・・・・・・。

ガーン・・・・・・orz


で、ブログランキング見に行ってたら、キリスト教に関する記事があって、

タイムリーに罪の話。


キリストさんは、姦淫の罪を犯した女の人を連れてきた人たちに、

あなた方の中で罪を犯したことのない人は石を投げなさいと言ったらしいです。

そうしたら、みんなその場を立ち去った。


まあね。

そりゃあ、誰だって罪人だ。

それでもイエスは赦したのだろう。

なんという愛!


よく考えたら、自分が『私は神の子である』と言ったから十字架にかけられた時、

神よ、この者たちをお許しください、彼らは、自分たちが何をしているか知らないのです。

と言ったとか・・・・・・。


あかん、これは泣ける。

これは、ほんとうに、ほんとうの話なのだろうか。

凄まじい人だよね、マジで。


でも、まあ、僕ごときが、いろいろホザいてるのもよくないなと反省しました。


ラマナマハルシが世界のことは、どうしようもないのだと言っているし、

イエス様も罪人を赦しているし、


人は死の苦しみにあるときだけは、その行動に責任はないとグルジェフさんも言っている。


そう沈没船で思い出した・・・・・・

こういう状況で、自分を犠牲にするか、逃げるかだけれど、、、

もちろん自分自身にも悲しむ人たちがいるわけで、その人達のことも考慮に入れた上で、行動しなくてはならない。


昔、ニュースで、駅のホームから飛び降り自殺しようとした老人を若い女性が助けて犠牲になった話があった。

父親の目の前での出来事だ。

これは、自分の命は、自分だけのものではないと思ってしまう。

たしかに、彼女はヒーローだけれど、また、悲しみの原因にもなったことも間違いないだろう。


その状況に居合わせない、僕なんかが、ニュースの情報にいちいちクチャクチャ書くのも失礼だ。

反省します・・・・・・。


いろんな人のお陰で、僕がいるわけで、また、生きていられるわけだ。

こんな、いい加減な人間に、、、


自分を客体化したら、自分の体だって、文句言わずに、散々働いてくれている。

心臓は規則正しく、動いてくれているのだ。


軽々しく、自己犠牲を賛美するような記事を書いてはいけなかった・・・・・・。


自分自身の面倒を見られるようになれば、それで十分だとマハルシが言う。

ほんとうに、そうなのかもしれない。

世界がどうあるか、これはもう、どうしようもないことなのだ。


神が運命を定めているのだ。

アルジュナの話も、そういう意味で、運命なのだと捉える必要があるのかもしれない。


あの、ブッダが!

自分の故郷の王国が攻められたとき、3度まで防いだが、宿業の避け難きを知って、諦めたとある。


また、あの、楠木正成が、死に挑む合戦の時、禅僧を訪ねた。

生死の覚悟、どうあるべきか訪ねると、

禅僧、

渇と絶叫!!!!

そのまま、戦場へ赴いて、死にきったらしい。


一休さんは、死の床で、

「死にとうない」と言ったとか、

これは、ほんとうに、ほんとうに、おもしろい。

人もゆく、我もゆく、人生、夢のまた夢、

だけれども「死にとうない」のだ。

なんという素晴らしい死に様だろう。

それでも、彼は、死の避けがたきを超えていたのだ。


何処にも行かない、ここにいる、呼びはするな、返事はせぬぞ、

というのは、誰の言葉だっだだろう。


みんな、運命の避け難きを知っていて、赦していたのかもしれない。




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