豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

認識を変更する事ではない!

2016-02-02 15:26:17 | 日記
初めましての方は、目次も見てみてね!
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次

『ちぃ育児奮闘中♪GUN BIGLOVE♪』も宜しければ併せてお読み下さい。



こんにちは。

本日は12時半ごろに起床しました。

千鶴さんは居間でカレーを食べていておいしそうだったので貰おうとしたが、座禅していないので我慢します。

悠聖はテレビを見ていたかな。

洗面をしていると後ろへやってきたりする。

千鶴さんと何か会話を交わしたが忘れてしまった。

彼女が洗面所までタオルを持ってきてくれる。



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洗面を終えると座禅40分です。

最初、悠聖が顔を叩いたり、抱き着いてきたりするww

千鶴さんに姿勢のバランスを聞いて教えてもらう。

「もうちょい右」とか「いつも猫背になっている」とか「右肩が上がっている」等々と指摘してもらう。

素晴らしい!

自分では全く分からないので人に見てもらうか、動画に撮るのは、ほんと助かる。

で、今日の座禅で明確に「ユラユラ」の原因を突き止めました。

それは!

腹が出来ていないからだったのです。

つまり、座禅の姿勢をとると、強制的に腹式呼吸になるようにできているのだ。

ところが、この腹に重心が降りる状態では、非常に違和感があるのでユラユラしてしまっていたのだ。

呼吸がぷくぅっと腹に入るが、その感覚に慣れていなくて、真水に入った時に咄嗟に避けてしまうのように、元の姿勢に戻ろうとする。

なので、この呼吸『腹式呼吸』を意識して座ることで、恐らく「ユラユラ」は改善していくだろう。


で、座禅を終えると読書です。

コーヒーを入れて玄関先で煙草パカパカしながら読む。

天気もいいし、暖かいし、千鶴さんの機嫌もいい。

悠聖は洗濯物を取り込んでいる千鶴さんのお手伝いをしたがる。

なぜか、それを家に入れようとすると泣くww

読み進めながら、ご飯も頂きます。

おでんを作ってくれてあったので、食べる。

ついでに、麦茶も作ってと頼まれたので湯を沸かせておく。

悠聖もおでん、欲しがるので、少しあげたw


それから悠聖の邪魔を防ぐために玄関の扉を閉めて、外で、読書する、笑

『エメラルドタブレット』はとんでもなくオカルトですね。

今日、読んだところは、次元の周期の壁に居座る番犬についてであります。

なんと、この番犬は、人間が6次元に抜けようとすると襲って来るらしいwwwww

宇宙一いい加減な博士と似ていますねえ、なんか。

で、その壁を抜けようとする魂を捉えて、この周期の終わりまで、魂が再び生まれないように監禁するらしいです。

おお、恐ろしい。

で、その犬は『角度』をもってしか、動けないので、カーブで動けと書いてあるが、なんのことやらサッパリです。

他にも、悪魔? みたいな影の存在が、人間の姿をして、この世界に入り込むことがあるらしい。

その人間は、普通に人間の顔をしているのだが、本当は、蛇の頭をしている。

そして、その人間は「キニニゲン」という言葉を発音できないらしい。

等々……。

凄まじい、オカルトの中のオカルトでありますねw

まあ、僕は、こういうの読むの大好きなので、ワクワクしてしまいますが、信じるにはちょっと迷いますねwwww


で、読書を終えてからブログの更新へ来たのでした。


さてさて、心と宗教のテーマです。

オカルトの世界では、目に見えない、向こうの世界的なものに人間が脱皮していくようなイメージがありますね。

まあ、魔術やら妖術も、最近で言えば『自己啓発セミナー』やら『スピリチュアル』も実を言えば、まあ、オカルトです。

オカルトというのは不可視の世界を扱います。

この不可視の世界から、イメージを通して、この世界の認識を変えていくわけです。

そのイメージを変える働きをするのが『知識』あるいは『見方』となっています。

単純に言ってしまえば、これらの教えの根本にあるのは『認識の変更』もしくは『観念の書き換え』であります。

その凝り固まった考え方の、見方の角度を変えてしまうのですね。

例えば、直線で見ていたものを→円で見るように変えるなどが一般的です。


しかし宗教の世界では、この不可視の世界を扱いません。

扱わないと言うか、変更しようとしないのです。

そのままの、いまのままの自分自身が開いていくことが宗教なのであって、それは世界と自己が溶け合うことです。

しかし、ここには『認識の変更』は伴いません。

変革とか、はたまた、成長等々の考え方はないのです。

そうではなくて、その認識の主体が、落ちる事なのです。

オカルトで言えば6次元の周期外に抜ける魂が、この魂の認識の対象物との相対性の中に存在していることを知ることです。

そして、どのような次元に行こうとも、つまり『認識の対象物』これはつまり『色』のことですが、その色が、どれだけ変化しようとも、また世界の捉え方が順序逆転しようが、根本の真我を認識しようが、そういったことは、全く関係が無いのです。

関係が無いからと言って、これらのことが全くの嘘であると言う事ではありませんよ。

つまり、これらのことは宗教の姿勢とは別物なのです。

これらのオカルト的な教えは、この世界内のことだけを扱っているのです。

しかし『苦』の滅尽、もしくは救世に関しては、認識の対象物ではなく、この己自身が問題なのです。


いまここでの有様は『最初からすべて、あるがままに自然に、ナチュラルにあって、これ以上のものはない』のです。

自分自身を否定する感情から苦が生まれているだけです。

欲望と恐怖が対になって、その状態を、つまりネガティブエモーションを齎しています。

まあ、究極的には、これも、必然であるのですが、改善するには、自己に寛ぐことに尽きます。


徹底的に、自分自身に寛いで、受け入れて、そこでリラックスしていることが、もう悟りなのです。

ところが、人間は、これを信じられないようにできています。

「今のままで良いわけがないだろう」とね、笑

まあ、僕が、こんなこと書いていたら「お前なんかが、そのままで大丈夫とか抜かすな、ぼけ」くらい言うかもしれませんwwwww


そこだけが問題なのです。

自分自身が受け入れられて、そして、同時に世界も受け入れられて、そこであるがまま、思うまま自由に在れば、もう救いはいらない。

そんなにも単純なことなんですね。


ということで、本日は、この辺りでー!

あかん、自治会の資料作成時間が、無さ過ぎる。


では、では。