豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

吹雪の日にヴォルテックスを見る

2014-03-11 14:31:36 | 日記
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。

※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。




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3月10日(月曜日)午後12時半ごろに起床する。

春のはずが、外は吹雪だった。

雪がよく降る年には、いいことが起こりそうな予感がしてしまう。


とりあえず台所でバタートースト2枚焼いて食べます。

前日借りてきた『引き寄席の法則・ヴォルテックス』を見る。

横で千鶴さんが「怪しい」とか「洗脳されるぅううう」とか一生懸命言いながら頭を抱えている(苦笑)

彼女がラーメン作ってきて食べる寸前に「僕のは?」と聞くと「食べて良いよ」と言うので貰う。

が、食べるとめっちゃ怒られた。

複雑怪奇なる心証。

そのあとで彼女はお茶漬けの素を袋から口に入れようとするので止める。

なんか言い合いしてから、彼女はお茶漬け。

プンプン攻撃始まります。

食べ物とかも喧嘩の原因であることが、改めて判明であります。


1時間くらい見てから、飽きてきたのでDVD止めて、布団でゴロゴロして休憩します。

とにかく『ヴォルテックス』というものの中にいると引き寄席の法則が働くという内容のようだ。

願望が実現した状況が徐々に形成されて、完成された場所になるのだが、そこから離れてしまうのは、入れないのはヴォルテックスの中にいないからであり、ここから引き離されると願望が強くなり、気分が悪くなる作用がある。

ヴォルテックスの中にいると、様々な否定的要因を拒否し、気持ちよい状態に留まる。

本来の自己イメージとずれている物は拒否して、歓喜を及ぼす状況(願望実現の状態)を完全肯定することで出来事が変化するのだろう。

観念を、思考と感情を変化させると行動が変わるので、結果的に習慣も変わり、運命が変わっていくのかな?

まあ、このDVDとか『ザ・シークレット』が言っているのは、願望が叶った状態にフォーカスして、そこを気持ちよく感じながら留まるッてことなんじゃないかと思う。

もっと簡単に言って「気持ちよい」状態にいて、そこから離れるな。

違う状況が現れても「気持ちよい」状態から、その状況を否定する。

「気持ちよい」の維持と状況の受け入れと否定のバランスによって、方向が変わっていくのだろう。

このDVDの中では「本来の自己」という言葉が何度も言われていたが「本来の自己」なんて無いんじゃないかと僕は思う。

だぶん、この言葉で指しているのは「解放された感情」とか「歓喜の感情」とかのことだろう。

気づかれ、知られているものはすべて執着の対象であるというブッダの言葉を信ずるなら、状態の中に、意識の中に本来の自己は存在しない。

よって本来の自己に帰るというのは無心であることであって、作為から完全に離れている。

しかし執着せずに気持ちよくなっているのは、素晴らしく状況改善させる力があるのではないかと思った。

ちょっくら試してみます。


休憩終えてブログを書いてから、お風呂の手伝いをします。

書いている途中に、千鶴さんが何度もお風呂から呼んでいたらしく、気分がすこぶる悪い。

僕はきゃりーぱみゅぱみゅの音楽をイヤホン付けて聴いていたので全く気が付いていなかった。

言い合いしながら、お風呂終えて、悠聖にミルク飲ませて、オムツ替えてから出社準備をします。


バタバタ着替えて千鶴さんと玄関で少し話してから出発。

弁当は千鶴さんが作ってくれたので、自宅前の自販機でお茶だけ買っていきます。


仕事の休憩時間には千鶴さんと電話してから、ツイッターとFacebookとブログをだらだら見ます。

車に雪が積もっていた。


仕事を終えて家へ帰ってからゴミ出しの日だったので、出しに行きます。

深夜だったが、まだ多少雪が散っていた。


家へ戻ってビール飲みながらキムチ、カレーうどん、烏賊の塩辛を食べる。

食べながら『ヴォルテックス』の続きです。

見ながら「なぜこの世界が存在するのか」という問題を考えている人っていないよなあと思う。

まあ、考えても無駄だということなのだろうか。

でも、苦の滅や、光り輝く愛も良いけど、世界の存在の不思議って何なんだろうな。

数々の意識体(神々)が紡ぎ出してきた絵画のようなものなのだろうか。

どっかに天才哲学者とかいなかったのかな~?


とか、考えながらヴォルテックスの怪しさに笑いながら、いつの間にか眠ってしまいました。




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