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豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

思い出

2018-01-04 05:59:42 | 日記
おはようございます!

雪の散らつく亀山を目にしておる豊田です

昨日も吹雪いてるところもあり、まあ、寒いことですなあ

インフルエンザも流行ってるみたいなので、手荒い、うがいなどした方が良いかもしれません

僕はしてませんが、笑

本日で正月休みが終わりの人が、多いのではないでしょうか?

楽しみの連休も、終わってしまえば、あっという間

我々は、いつも目前にしか存在しえないから、ホントはあっ、すらないのですがww

記憶があるために、過ごした時間の思い出が残るのであります

病院におった時に思ったのですが、当たり前にできてることが、できるのは限られた時間のあいだだけであり、単純な思い出が、精神の満足度に関連しています

あんなことした、こんなことした

そこで一番、思い出に残るものと言えば、やはり人々と過ごしたときであります

できるだけ楽しくしておくことが、あとで、よいことになる

そういうことなので、家族との旅や、友人とのレストランでの会話など、まあ、そういう触れ合いが愛になるのだw

仕事のことは、あんまり残りません

そういうわけで、できるだけ不機嫌を納めて、楽しくあることのための、不動の心

活動ある鎮静が大事だと思います

まあ皆様、本日も、善き休日を過ごされるようお祈りします!

ほいでわw

帰りに気をつけて

2018-01-03 08:04:32 | 日記
おはようございます

新年早々、母が頭をぶつけて流血するということがあって厄年極まってる感がでてます豊田です

朝っぱらからギャーギャー騒いでしまったから、頭ぶつけたのかと反省してしまうではないか

まあしかし、本人が大丈夫と言ってるので、そこまで酷くはないのだろうな

父親のリフト事故にしろ、こういう家族の身の安全が確保されないことは、いかんなあ

まあ社会でも連日のごとく事故が起こってくるわけですが、気をつければいいというわけでもないので、難しいことです

相手、つまり、世界と対峙しているわけで、その世界の流れが否応なしに、因縁果の応報を自身に与えるわけだが、その因縁の、また因縁となってくると、もう、どうしようもなくなります

とは言っても、これからUターンラッシュに流されて、古里からお家へ戻られるのが今日でしょうから、とにかく安全にだけは、十分、留意されたしと祈ります

この世界は風景を変えますが、大事なことは内側において混乱しないことなのです

そして混乱しないためには、反省、つまり、翻って自己自身を見守ることが大切だと、私めは思っております

自己を見て、その内側にある混乱を、鎮静させておくことが、外の混乱に関わらず、因縁を消滅させていくことです



では、では!


今年もよろしくね

2018-01-02 07:10:50 | 日記
新年明けましておめでとう御座います

本年も当ブログを宜しくお願いします

正月から何とも忙しく動いておりますが、わたくしがどうしているか、此は秘密です、笑

是非とも神社へ参拝して、新年の祈りを捧げておきたいところですね

悟りは三重の統一です

そう僕の住みます三重県です、笑

三重とは、中心と一円と、無限が、ひとまとまりにあらしむることなり!

この統一こそ、本年の、我が目標としました

神々のお力添えにより、この、一大願望の実りしことをお祈りします

わたくしの今年は人生の本厄にあたります

この苦難の時節を無事通過することのできますように、皆様、是非とも、慈悲の心で、この大迷惑野郎をお許しくださいw

是非とも!

では、本年も宜しくスタートです

よいお年をw

2017-12-29 05:28:00 | 日記
おはようございます!

今年も暮れようとしておりますが、皆様、お元気で過ごされてますでしょうか?

本年もわたくしによる大迷惑に接せられた、全ての方々に謝罪をいたします

どうも、すみません!!

体調が悪いのですが、なぜか、以前の生活習慣に戻りつつある現在であります

ほに、碌でもない人間とは、私のためにある言葉ではないのかと疑ってしまいますね

本日からお正月を迎えるにあたっての休日なるものをいただいて、安心して、何日か過ごせそうで有難いことではあります

しかして、この人間は忙しいのですw

なにからなにまで欲求が突きつけられた毎日を皆様も過ごされていると思いますが、お休みの時には、僅かばかりではありますが、息がつける時間も持てるでしょう

是非ともゆるりと、お休みできるように、祈っておる次第です

この、ダメマは昨夜から『善の研究』という古典を紐解いて、読むことができるという至福の時間を与えられました

神に感謝するしかありません!

なにしろ、ゆっくり本を読むなどという贅沢極まりない時間は、ほぼ訪れないものです

ゆっくり

これが、わたくしの大好物のものであるのです

今年は、特段印象的なことのない年でありましたが、病を患い、入院をいたしました

腎臓、心臓の調子が健康ではなく、高血圧に身体が悲鳴をあげていたようなのです

皆様、くれぐれも、食べものにはお気をつけて

新鮮ものをいただいてください!

これは私の最高に敬服しているグルジェフさんの教えなのですが、採れたてのもの、漁れたてのものが良質なのであり、日数の経過したものは、よろしくないようです

腹に良い悪いよりも、精神に影響するのかもしれませんよ!

まあ、わたくしは、食べものへの意識が低く、このように惨めなる病人となりましたので、年末に当たり、お正月にも、美味しいものをいただいてしまうに違いない皆様に、一言、書いておきたかったのであります

来年は平成も30年ということで、時の流れの速さを感じますねえ

まあ世間では大相撲の暴力沙汰のニュースで賑わっております

神事に暴力沙汰

このようなことがあるのも今の社会の実情を反映しているんでしょうか?

この、お正月に初詣へ行かれる方もいらっしゃると思いますが、神様は、祝福であります

祝福を受ける場に、暴力沙汰を繰り広げるのは、まあ、あんまりよろしくないんではないかなあ

言葉の悪さを指摘されている、わくしなどが、言うと、またもや叩かれそうですが、まあ、命の限りがあると、よーくわかったら、思いの束を隠す事など、アホらしいことでもありますwwww


神は祝福なり!!

皆様、どうぞ、よいお年をお迎えください

仏教の要

2017-11-10 18:25:56 | 日記
こんばんは。

ふたたび仏教熱というか読書熱が戻ってきている豊田です。

病院からは退院してきました。

治ったわけではないですが、通院でいったん様子見のようであります。

しかし、この病というものは、死を予感させますね。

死を予感した人が感じる「惜愛」というものが仏教で説かれているそうです。

①まだ余裕がある時

 財産、名誉等周囲の物を惜しむ

②体が衰弱してもうダメになった時

 わたしひとりだけでもいい、何も要らない

③体が衰弱してもうダメになった時

 人の役に立てなかった自分は死後どうなるのか


と、このように煩悩の極限が現生してくるのです。

これは、まあ、よく分かる話ですね。


で、それが何が原因かと言えば有名なる「貪り、怒り、愚痴」なる三毒と言われているものです。

この三毒を滅すれば安らかになる。

その三毒を滅するには「いまここ」にあることという教えが仏教なのです。

この苦集滅道という言葉は四諦と言って、ほんとに仏教の教えなのですよ。


それで生死ということが仏教の一番大事なこととして浮かび上がってくるのです。

つまり生老病死の苦しみを「生死」を見極めることで解決するのが釈迦の目覚めた道とも言えませんか。


では具体的に「いまここ」を生きるとは何なのか。

この生きているというのは目、耳、鼻、舌、体、想いが、働いているということなのです。

これが「いまここ」の事実であり、この働きのままにいることが仏道ですね。

つまり「ある」がままです。

「ただある」これが「いまここ」を生きていることです。


だれもが、そこにいるのに、なぜ「三毒」という煩悩が人を苦しめるのか。

それは自我があるからです。

この問題解決に当たって最も重要なのが「自我」であって有名な禅僧は「仏道は自己なり」と言い切っています。

つまり、この自我、自己が、自分と言うものを認めた「三毒」であるか、働きとしての先ほどの「いまここ」であるかです。

この自己が「主人公」になるとも言われます。

これは、つまり己はたった一人です。

ここまでの事実もすべて一人のことで「自分」でしかないのです。

この自分が自分になる道こそが仏道でしょう。


自分になるには自己を証することが必要です。

それを見性とか悟りと呼んでいるのであり、何も完璧な人格者のことを言っているわけではありません。


さてでは、この自分の問題を解決するには、どうすればいいのか。

それは「我」と「生命」の関係性を解決することなのです。

この二つが分裂していることが迷いであり、分裂しながらも一つであるのが仏教の道です。

つまり普段「我」が「生命」を生きていると、つまり逆に言えば生命が無くなれば「我」が死ぬと人は捉えているのです。

ところが、この「我」が見ることを止めると、生命が働いているのが「我」であるとなるのです。

つまりいまここの万法、神羅万象の動き、それこそ生命活動、そのものが我、主人公なのです。


それをどうして知ることができないのか。

ここが大きな仏教の問題なのですが、それは、我を用いて、今を知ろうとするからです。

「真実を求めることを求めず、ただ見を止むべし」

つまり、今はないのです。

これが事実であり、その我にとっては無い、今この生きている事実を楽しく精一杯、それなりに生きているのが悟りです。



あー、仕事がwwwww

遅刻しそうなんで行ってきます(笑)