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豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

基本はなんなのか、笑

2018-03-09 16:23:05 | 日記
こんにちは!

一勤終わってゴロゴロしてます豊田です

新しい派遣先で働き出しましたよ

まあ、いい感じです

えーっと、近頃は、仏教関連の本をまたもや、熱読しておりました

なんか知らんけど楽しいw

おおっ、そういう意味だったのかあとかw

あとはまあ、金もないし、特に何もしてないと言えばしてないかな

そういえば鈴木俊隆さんって、全然知らなかったけどアメリカでは有名な人だったんだね

こないだYouTube見たら、めちゃいい感じのオーラでてましたw

禅僧の人って、みんな、人間味あるよね、笑

あんまり、偉ぶってないというか、、、

まあ、中には、そうでない人もいるのかもしれないけどね

道元、一休、白隠、盤珪、良寛

ウーーーム

素晴らしいw

まあ、単なるファンみたいになってきました、笑

しかし、仏教も、ほんとうに、様々あって、仏教とひとくちに言っても、なんのことやらw

原始仏教
部派仏教
大乗仏教

チベット密教
南伝仏教

主なものだけでも、こんなにあるし、まあ、全体的に何が言いたかったのか、その本質に迫るのは、ホントに、難しい話になってきますねww

まあ日本では、基本的には、浄土教的な教えが広まっているのかな?

しかし、般若心経もメインだしなあwww

もう、わけわかりませんw

発展に発展を重ねてきたのはいいのですが、一体全体、ほんとのことは、なんなのか、笑

ふう

まあ、ホント、だれもわかってないかもね

もはや、好みで選ぶしかないw

そういえば、この話、お坊さんとしてた時、基本は一緒だよ

四諦八正道

と言ってたのを思い出した

みなさん、基本は、どの仏教でも、四諦八正道らしいので、それさえ、抑えれば、大体、理解できるのかもしれませんw

まあ、世は苦しみである、正しく生きよ

って、ことかいな

正しく、、、か

胸が痛む話である

ほいでわ!

思い付きで書いてますw

2018-02-26 14:03:07 | 日記
こんにちは。

ご迷惑男代表の豊田です。

まあ、なかなか人生、トラブリィーに次ぐ、トラブルなのですが、まあ自業自得と言いますか、何と言いますか。

とりあえず、今月は、今度は、仕事の場所が変わることになりました。

契約更新無しというやつですね、派遣の。

ほいで、まあ、また新しく働きに出れたら良いのですが、今のところははっきり決まってはいません。

紹介はしてもらえるようですが、、、


更にさらに、まあ、様々に次ぐ様々なことが起こってきますが、ほんとに皆様、人生と言う物は一筋縄ではいきませぬwww


人様のお話を聞いていましても、平凡な人生なるものを過ごされている人は、ほとんどいません。

まあ、ある程度、平和に過ごしている人でも、長く見てみれば様々なる試練に襲われているのであります。

そういうところで宗教というジャンルが発生してくるのであります。


世界宗教のメインはキリスト教とイスラム教ですが、我が日本は独特でありまして、神道と仏教の融合したる神仏習合の大乗仏教という特殊なる宗教活動が紡がれてきています。

優れたるものには神が宿っているという信仰、山や森、石や女性に対する崇拝、まあアミニズムとか言われるものと、大乗仏教の仏さまの教えが混合して行って、その矛盾を解決していったのが日本の名僧たちでしょう。

日本を代表するような宗教的大天才は3人いると言われています。

①空海(密教)

②親鸞(浄土教)

③道元(禅)

と、この三名の大天才が展開したものが未だに、日本の宗教に根源的に影響をしているわけです。


日本の大衆に最初に説かれたのが顕密混合たる大乗仏教であるものであったのは、仏教へのイメージが、日本ではかなり神秘的な色合いを帯びたものとして捉えられていたということになるでしょう。

そして、その仏性。

ありとあらゆる呼吸する生命全てに宿る仏性という考え方は、神道などの自然には神が宿っているということと非常に近く、親近感が沸くものであります。

そして我々が現代で耳にする宗教観も、根底には、霊魂や天国地獄(浄土含む)、俗にいう彼岸の世界を前提にしています。

死者の魂が、業の蓄積されたものが、輪廻して、新たなる生命に宿る。

それが天から地獄までの六道の間を輪廻して、未来永劫の苦しみにいなければならぬ。

とインドではされていたようであり、そこからの解脱を、目指したものが仏教であったはずです。


ところが、この、現代の日本の宗教は、そうではありません。

神との合一、もしくは、自然との融合、もしくは、そのように明確な定義をしない、大いなる何者かに対する明け渡しがメインです。

これに関しては、もちろん表面的には様々な教えがあるわけですが、核心に迫ってくると、同じようなものです。

アートマンとブラフマンの合一です。

しかし、本来の仏教では、この無常、無我が根幹であるはずです。

無常、そして無我でありながらも、この瞬間瞬間の、つまりは一期一会の出会いは、あるのであり、その時のありようが自己中心から、無差別的な、つまり認識のない世界へ移っていることです。

それは宗教と言うより、自己の在り方の問題解決の道であるように思われます。

神、まあ名称は違えども、そのような超越者の存在や、また、霊魂の永遠性などについては、これは想像する事しかできず、あるかないか分かりません。

有ると思えばあるし無いと思えばないように思われるが実際的に確かめようがなく、そしてまた、時が来れば確かめることも確実にできるのです。


人間がある特定の点、つまり悟りと呼ばれる地点に在る時は、この思念と肉体感覚、動作、それに対応して縁による世界が、あるものがある。

そのような地点にあります。

これは認識外ということです。

そのような視点は間違いなく幼児期の視野であり、大人になると失われたものです。


この、地点に在る時に、自我の根っこが、それこそ蓮の花のように白く包まれるのですが、このような体験も、何もかも流れる。

流れに流れている。

それでいて起こることは起こり、来たってくる。


ですから、この、現在は『悟り』なるものが、非常に高度なことであり、仏陀と同じ境地で在るように言われますが、この瞬間を垣間見る体験は、誰にでも起こっていることであり、最初から、みんな仏なのです。

最初から仏なのですが、それは証せざるには現れずですw

つまり忘れてしまっていると言うことなだけであり、思い出せばいいのです。

その思い出す方法が、様々にありますが、それは人それぞれ、自分の状態で一番信頼のおけると思われるところに従っているのです。


たぶんw


何が言いたいのか分からなくなりましたが、とにかく、我々が思う以上に悟りの地点は近くにあるのですが、ただし、そのことを邪魔している業や執着の力を弱める事には、非常に時間がかかるかもしれないということですかね?

んー

というわけで、またまた宗教三昧がんばりましょうwwww


一人の時くらいは

2018-01-15 07:26:45 | 日記
おはようございます

部屋の中が寒くて凍えております豊田です

この連日は久しぶりのN先輩と過ごしておりましたが、全く変わっておりませんねえw

まあ人柄というものは気質なので、そうそう変わるはずもありませんが、この人柄によって運命が変わったりするのですから、重要なことでもある

気質を表面的な人格で抑制しながら社会に、適合するようなルールに合わせて調整している

プライドの高いものはプライドがなく見えるのだが、実はプライドの塊であったりするw

それでまあ人々はお互いに理解しあうことは不可能であったりするわけだね

本当の気質と、表に現れて自覚した性格とが、違うわけだから、しかも、それが沢山の人達の交差するなかで複数のパターンをもつのだから、理解がないのも自然な事ではある

家族との関係性でも、父親に対する、あるいは子供に対するのでは私の表面が移るわけだし、友達とは友達だし、仕事では仕事なので、このような自己の変化を把握できるのは自分自身だけだ

本質は変わらないが表面的なものは変わる

複数の人格間に統一を図るのは、この、複数の自己表現を観て離れさるものでなければならない

それが本来の自己の機能である

この自己の機能は意識することであり、この意識が緊張をもたらすから、リラックスできない

せめて一人でいるときは、この意識が、自己を忘れて、ただ在ることの中に、投げられるようにするべきである

批判はあとからでも、どれだけでも、起こるw

とにかく静かにして自意識を無くすことだ

それが、本来の姿を取り戻すには、自己の機能を止めることによって形成されてきたものを、取り払うことが必要なのである

こうしなければならぬことのないもの

元々ある存在は、なんでもないものであり

なんでもないものであっても、何にでもなる

私と思われていたものは他者の意見に過ぎない

なにかを捉えたらあかん

2018-01-13 08:23:14 | 日記
おはようございます

御機嫌斜め邁進致しております豊田です

毎日寒い日が続いてまして暖房代もかかるので、怒られたりしてねw

ニュースでは寒波で蟹や野菜が高いなどと言ってましたが、ほんとに野菜の値段があがってる

不都合なことばかり起こるのが人生ですかなw

宗教に関して語る人たちが、どうも美化されたような完全性や、喜びやら、至福などばかり主張されるわけですが、まあ、世の中、そんな風に楽しいことばかりではありませぬ

しかして、様々にある喜びであり、苦しみであり、それが生命の姿として、ここにあること、は否定できないでしょう

それは自性が空性であろうが、身心一如にして悟りを開こうが、同じことであります笑

苦しい時に楽しいはずもなく、楽しい時に苦しいはずもないのです

ところが、苦しい時には楽しくなろうとし、楽しい時には余分な苦労を背負い込む人のサガ

あるものを、あるがままに受け取っておくしか仕方ないとは、諦めみたいなものです

優れたのが良いと言っても、トヨちゃんは、このように劣るところありwwww

悩むところあり

迷うところあり

しかし、この人生の事柄が余りにも深刻になって、のたうちまわるようなことからは、逃げておきたいものでありますw

止まることでそうなります

坐禅するにしても、ヒーリング音楽に浸るにしても、なにかリラックスするというのは、意の根本が、何処かへ向かうのが停止することなのです

この無というのは、意欲が無になっているのであって、この時は、苦が抜けるのです

そうすることで元気をもどすことになる

完全性やら、なんか高度な、なんちゃらは必要ないし、そんな枠はいりませんw

どんな人でも安楽にあれるのが、素晴らしいのであって、それは、止まることでなるのです

そこでは何も得ることがなく、何も見ることがない

どうなるかも知らない

思い切って何事もわしゃ知らん

こういう風になることで、もちろん批判の嵐になるわけですがw

まあ、見ないことの先に何かを見ないことです

何かを捉えたら捨てる

見ないことで見えてくる

見えてくるその風景にとらわれたり、快楽に期待したりすれば、それは儚く消え去る

かもねw

聖なるものなど

2018-01-12 07:51:40 | 日記
おはようございます

晴れ渡る青空な朝ですが気温はマイナス2度、こころもマイナス無限な豊田ですw

何事もよくない

これがわたくしめの人生ですが、好転する兆しすら見えてまいりませんね

宗教的な解釈や説明では、去来するものを、そのままにして、身体とこころと世界の統一なんかをしておくことが、苦を滅するのでしょうか

しかして諸法の仏法なる時節、迷いあり悟りありであります

ただ、そこに好き嫌いしても、まあしかたないのかな

自分の思いや願いは、たくさんあるのだけれども、そのようにはなりませんねw

聖なるものなどなきとダルマさんがゆったそうだけれども、ガラリとして何もない

そのようなものと、光輝や安楽の地点は、少し違うのかもしれません

どうしても捉えようとしてしまう

なにごとも、思うようにはなりませぬかw

自己のこころの奥底から全体に花開いてある、この静寂なる質に、引くことが、まあ唯一できる安心の点かもしれません

それだからといって、何かが好転するわけではありませんが、まあ、やれることをしておくしか、ないし、やれることはほとんどないw

外に向かっても、外は妄想には左右されず

と、

まあ今日は、このへんで