深紅の薔薇で思い出した。
私は学生の時、外国人にはたいそうモテた。外国語大学だったのでどこの国の方かわからない学生がたくさんいました。私は英語がそれほど得手でなかったのでおしとやかさが一層ひきたてられて、たまにオゥ、リアリ~~??なんてフェアリーのようにささやくと、日本に来たばかりの外国人でも「奥ゆかしい」という日本語を理解するのです。
ある日のお昼、私がバスから降りるとシンガポールから来たウィルソン君が校門で私を待ってくれていて、背広から鳩を…じゃなくて、背中から両手いっぱいの薔薇の花束をfor youといって差し出した。そして律儀にも階段にハンカチをひいてくれて私を座らせ、読んだラブレターの最後に、
To Junko...
A rose by any other name would smell as sweet
シェイクスピアのロミオとジュリエットからの引用で、薔薇はもし薔薇という名前でなくても甘い香りがするという訳で、名前や身分がなんだろうが本質の美しさはかわらないよ、みたいな意味のことを言いました。うまく言えない気持ちをこんなお洒落な言葉で聞かせてくれるなんて素直にカッコいいなと思った。
日本人と外国人とか、あの人とその人とか、人と比べてちょっとばかし魅力があったとかなかったという話には全く意味がないけど、それでもため息がでるような外国の魅力って何なんやろ。店を始めて今までの間にパスポートもきれてどこにもいってないのもあるけど、行きたい。いつかニューヨークに行こうと25年ほど思い続けています。26歳の時に、30歳までに確立したものを作ること、その為には無駄なものを削ぎ落としていかなくては、と決意した。それからどんどんどんどんのしかかるものが増えて矛盾が増えた。あれ?なんか話が戻らなくなっちゃったや。日本にいると、人とは仲良くしなくてはいけないっていう大前提があって、その前提がないと言葉通りに村八分になってしまうのがよくわかる。あれ?益々戻らない。
思い出したのは、実はそろそろ店が丸7年経って8年目に突入したんじゃないかということでした(きっちりしたオープンの日を誰も覚えてないからいつもあやふや)。それでちょっと感傷的になってしまったのです。
自分の昔の話というのは、思い出話の域を超えず教訓にもならないので意味のあることではないと思っていました。それでもキラキラしたいい思い出というのは奮い立たせるのには有効だなと思いました。気付くのが遅い。人の話は知らない事ばかりなので聞くのは好きです。のみ屋さんを続けてて思った事ですが、人の話というのは「過去の話」と「未来の話」と「現在の話」に分けるとすると、けっこうこれが人によって偏るものです。役に立ちそうでたたないことへのそういう偏った嗅覚が効くようになるものなのかしら。
あっまた飲みやと言ってしまったけど本業はライブハウスです。
http://www.maronparadise.jp/
その中のその飲みや部門の話でした。
私は学生の時、外国人にはたいそうモテた。外国語大学だったのでどこの国の方かわからない学生がたくさんいました。私は英語がそれほど得手でなかったのでおしとやかさが一層ひきたてられて、たまにオゥ、リアリ~~??なんてフェアリーのようにささやくと、日本に来たばかりの外国人でも「奥ゆかしい」という日本語を理解するのです。
ある日のお昼、私がバスから降りるとシンガポールから来たウィルソン君が校門で私を待ってくれていて、背広から鳩を…じゃなくて、背中から両手いっぱいの薔薇の花束をfor youといって差し出した。そして律儀にも階段にハンカチをひいてくれて私を座らせ、読んだラブレターの最後に、
To Junko...
A rose by any other name would smell as sweet
シェイクスピアのロミオとジュリエットからの引用で、薔薇はもし薔薇という名前でなくても甘い香りがするという訳で、名前や身分がなんだろうが本質の美しさはかわらないよ、みたいな意味のことを言いました。うまく言えない気持ちをこんなお洒落な言葉で聞かせてくれるなんて素直にカッコいいなと思った。
日本人と外国人とか、あの人とその人とか、人と比べてちょっとばかし魅力があったとかなかったという話には全く意味がないけど、それでもため息がでるような外国の魅力って何なんやろ。店を始めて今までの間にパスポートもきれてどこにもいってないのもあるけど、行きたい。いつかニューヨークに行こうと25年ほど思い続けています。26歳の時に、30歳までに確立したものを作ること、その為には無駄なものを削ぎ落としていかなくては、と決意した。それからどんどんどんどんのしかかるものが増えて矛盾が増えた。あれ?なんか話が戻らなくなっちゃったや。日本にいると、人とは仲良くしなくてはいけないっていう大前提があって、その前提がないと言葉通りに村八分になってしまうのがよくわかる。あれ?益々戻らない。
思い出したのは、実はそろそろ店が丸7年経って8年目に突入したんじゃないかということでした(きっちりしたオープンの日を誰も覚えてないからいつもあやふや)。それでちょっと感傷的になってしまったのです。
自分の昔の話というのは、思い出話の域を超えず教訓にもならないので意味のあることではないと思っていました。それでもキラキラしたいい思い出というのは奮い立たせるのには有効だなと思いました。気付くのが遅い。人の話は知らない事ばかりなので聞くのは好きです。のみ屋さんを続けてて思った事ですが、人の話というのは「過去の話」と「未来の話」と「現在の話」に分けるとすると、けっこうこれが人によって偏るものです。役に立ちそうでたたないことへのそういう偏った嗅覚が効くようになるものなのかしら。
あっまた飲みやと言ってしまったけど本業はライブハウスです。
http://www.maronparadise.jp/
その中のその飲みや部門の話でした。