こんにちは
今日はこのブログのテーマに戻って、外国の街とその街に掛かっていた吊り看板
を取り上げたいと思います。
いつも、脱線ばかりしていますけど・・
看板の記事ばかりですと、書いているほうも、面白くなくなるのです。(笑)
でも今日は、乗っていますので少し長くなるかもしれません。
懐かしのハイデルベルク!
この街を好きな人は多いのです。
ドイツの南西部にある、人口14万人ほどの、とりたてて有名な遺跡や宮殿がある
というわけでもない、よくあるクラシックな小都市なのですけど。↓
街の真ん中を流れているのは、文学作品にもたびたび出てくるネッカー川です。
もう少し先でライン川に合流します。
14世紀にハイデルベルク大学が設立されてからは、大学の街として知られてき
ました。
大学の街は青春の街。
マイヤー・フェルスター作の戯曲「アルト・ハイデルベルク」も、ほんの束の間の輝
きだった青春を美しく描いた古典的な舞台作品でした。
また、ゲーテやショパンなど多くの芸術家がこの街を訪れ、作品を遺しています。
とくにゲーテは、この街に好きな女性(ひと)がいたそうで、足しげく通っています。
ショパンはこの街に滞在していたときに初めて喀血し、パリへ戻ったのでした。
上の写真は、旧市街地区の中心でもあるマルクト広場です。↑
丘の上に見えているのは中世のハイデルベルク城の城址。
四月中旬だというのに異常気象で、暑くて暑くて、ご覧のとおり半袖姿でした。
この日はウィークデーなのですけど、青空市場が開かれていた様子でした。
↑ 上は、街に掛かっていた吊り看板です。
吊り看板はドイツ南部のものがいちばん意匠が凝っていて、数も多いようです。
日本には吊り看板の文化はありません。残念なのですけど。
下の吊り看板のデザインは、十字軍でしょうか。金色が映えて素敵でした。
実はハイデルベルクには二度来ているのですけど、最初のときに写真に撮ったこ
の看板を数年後にまったく同じ位置に立って、写真に撮っているとき・・まるで時間
など経っていなかったような、不思議な錯覚に陥ったのでした。
そして、「変わらず、そこに在る」ものの優しさを感じた瞬間でもありました。
そういった意味で、思い出深い看板です。
古今、ハイデルベルクを好きな人が多いのはきっと、中世からずっと変わらずに在
る学生街の優しさに癒されるからなのかもしれません。
↑ 上の写真。 暑いのでいつのまにか広場や道に、日光を楽しむ臨時のオープン・
カフェができたのでした。楽しそうですね。
街を歩きますと、至る所で大学の校舎や学生食堂などに行き当たります。
大学と街の建物とが混在して一体になっているのでした。
学生牢の残る校舎もありました。
深刻な牢ではなく、壁は落書きだらけでしたので校則違反者などを入れたようです。
↓ 下は、中世のハイデルベルク城址の全貌。
城址を散策しますと、まだ柔らかい草木の緑が目を和ませてくれました。
下の二枚の写真は、若葉が燃え立つネッカー川岸辺の住宅地。
陽射しのなか、大学生らしき若者のクルーがボートを漕いでいました。
戯曲「アルト・ハイデルベルク」の一場面。
「遠き国よりはるばると、ネッカー川のなつかしき、岸に来ませる我が君に、今ぞ捧
げんこの春の、いと麗しき花飾り、いざや入りませ我が家に、いずれ去ります日も
あらば、しのび賜れ若き日の、ハイデルベルクの学び舎の、幸多き日の思い出を」
街の下宿屋で働いている若い娘ケティが、ハイデルベルク大学の学生になって到
着した王子を出迎えるため、歓迎の詩を暗唱し、春の花束をささげるのでした。
どちらも早くに両親を亡くした共通の寂しさもあって、身分の違いを越えて愛し合う
ようになるのですが・・・
↓ 下はネッカー川の川沿いの通り。 菩提樹の並木の緑も美しく。
上の吊り看板は、アヒルみたいですけど、「籠の中の雄鶏」と書いてあります。
下の吊り看板は、動物がいるようで・・牛と豚は見つけたのですけど。
何屋さん?牛と豚なら、お肉屋さん?
もともと吊り看板というのは、字が読めない人が多かった時代に、特徴のある
飾りや綺麗な飾りを看板にして吊るし、目印としてお客さんにお店を覚えてもらった
ことが始まりなのだそうです。
なので、字よりも飾りのほうが重要なのですね。
上は、18世紀にハイデルベルクを統治していたカール・テオドール選帝侯の立像。
下は、ネッカー川に架かるカール・テオドール橋や、手前にハイデルベルク大学の
校舎やキャンパスが見えています。
↑ 対岸の丘に「哲学者の道」があるのですけど、京都の哲学の道はここに由来して
名付けられたということです。
カントやヘーゲルなど多くの哲学者が散策した道だそうです。
さて、「アルト・ハイデルベルク」というお芝居の結末は、想像通り、王子とケ
ティは結ばれるはずもなく。
四か月後に王子は大公即位のために、ケティと別れ泣く泣く自国に帰されます。
二年後、今は大公の位に就いているかっての王子がお供を従えてハイデルベルク
を訪れますが、学生時代に親しく飲み語りあった友人たちも街の人々もみな、偉く
なった王子を前にして微妙に態度が変化し、よそよそしく、おずおずとしている。
変わらないのはケティだけでしたが、ウィーンで意に添わない結婚式が控えており、
王子も二週間後に他国の姫との政略結婚をさせられることになっています。
「みんな昔のままだったよ、ケティ。マイン川も、ネッカー川もそれからハイデルベル
クも。ただ人間だけが変わってしまった。」
「ぼくのハイデルベルクへの憧れは、君への憧れだったよ」
最後の別れを告げて王子は去ってゆくのでした。
たった四か月の青春のきらめきを描いた戯曲です。
昔わたしは戯曲が書きたくて、帝国劇場の地下にあった東宝の施設に通って
いたのですけど、この「アルト・ハイデルベルク」は、その時代に勉強させられた
お芝居です。
アメリカの現代劇などに魅力を感じていた当時は、この劇は古くさい悲恋物語とし
か思えなかったのですけど、後年ハイデルベルクに行った時、あの戯曲の香り高い
テーマが蘇ってきて、名作だったな・・と思えたのでした。
二人が愛し合って過ごした時間、たとえ短くとも真に輝き放った時間というものは心
の中で力強く永遠に生き続けることができる。
そんなことを描こうとした作品だったのでしょう。
「アルト・ハイデルベルク」は、今回調べてみますと、「古きハイデルベルク」という意
味でした。