エドルネ日記

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長島村の郷倉の場所の訂正と大正12年の写真

2014-09-22 | 江戸川区

以前ブログ(※1)に書いた長島村の郷倉について、誤りがありました。
長島村の郷倉のあった場所は第二葛西小学校と書きましたが、
正しくは東葛西3丁目の長島会館です。
〇:東葛西3丁目 長島会館
×:東葛西6丁目 第二葛西小学校

新川葛西史談会メンバーからの資料提供で間違いに
気づくことができました。
以下、いただいた資料を参照引用して書きます。




なぜこのような場所を間違えをしたかというと・・
ブログを書くもとになった第二葛西小学校の沿革の昭和4年の
「現在地に分校合併して新校舎を建設」※
の部分を見落としていました。すいません。

-----------------第二葛西小学校HPより引用抜粋-----------------------
 沿革の概要
明治 15     公立小学校として長島村郷倉に修已小学校が開設された。
明治 20     東宇喜田村(仲町)に海静小学校が開設された。
明治 24     葛西村誕生により海静小を第一葛西尋常小学校、修已小を第二葛西尋常小学校と改称する。
明治 35     葛西尋常高等小学校が開設され、第一、第二とも分教場となる。
大正  6     東京湾大津波のため、本校、分校とも損害をうける。
大正 12     大震災のため校舎修理をする。
昭和  4     現在地に分校合併して新校舎を建設し、第一分教場と呼称する。※
昭和  7. 9.26     東京都南葛飾郡第二葛西尋常小学校誕生。この日をもって創立記念日とする。
  ↓        (中略)
昭和 22. 4. 1     東京都江戸川区立第二葛西小学校と校名変更する。

-----------------引用ここまで-----------------------------------------


■郷倉の住所(住居表示前と後)
・・・住居表示前の住所がわかる資料2点アップします。

<公立小学校一覧表(明治17年現在)引用:江戸川区史2巻 (昭和51年3月発行)>
・・・右から2列目に修已小学校の記載があり、長島村130番地となっています。



<江戸川区全図昭和7年(1932) 住居表示前>
・・・130という数字の記載はないが、地図の中央あたり、127と132の間にある
交番あたりが130番地、現在の東葛西3丁目2の区立長島会館となります。

修已小学校について、江戸川区史によると
「寺子屋教育を改新したものであったが、当初の事情を明らかにすべき
記録が残っていないことは遺憾である」

とのこと、当時を知ることができる資料は少ないようです。
引用:江戸川区史(30年3月発行)






迅速測図(提供資料より)
 ※迅速図は上が真北ではなく斜めにカットされています。
下に現在の地図をアップしましたので、ご参照ください。




■葛西尋常高等小学校分教場の前にて(大正12年)
郷倉跡が写っている写真!(行列の背後に写っているのが小学校)
※大正12年は移転前で郷倉跡地(現・葛西3丁目長島会館付近)に小学校があり
葛西尋常高等小学校分教場と呼称されていました。

※ 東善寺稚児行列 大正12年4月8日撮影(引用:長島町会誌)
すごい写真です!
・特別な日の衣装。それぞれ衣装の検証できたらいいな。
・上部は霞んで見えませんが、真ん中に見えるのは火の見櫓?
・右側奥の円盤のようなものは傘でしょうか?
・水面に人影が写っているのが見え、板がわたしてあり
その上に数名が立っています。
・・・写真の詳細な検証してみたいです。


■郷倉があった場所の現在の写真

江戸川区立長島会館


葛西消防団第三部団一部と江戸川区立長島会館
古い写真と同じ場所に立ち、感慨ひとしお!


■現在の地図に重ねる
<iframe src="https://mapsengine.google.com/map/embed?mid=zRa2ngTf8IaE.khpZl1o5R3_E" width="640" height="480"></iframe>

〇青いマーカー
区立長島会館・・・長島村の郷倉のあった場所、跡地は修已小学校(明治15年)
・長島児童遊園・・・船溜り?※
・江川橋跡・・・江川って?※
・第二葛西小学校・
・長島川跡・・・関連ブログ:長島川の跡(葛西親水四季の道)をサイクリングしてきました♪(2010-10-01)             

※は、気になっているところで、これから調べてみたい場所です。
郷倉前を流れていたのは江川でいいのでしょうか?


〇赤いマーカー:この春、房総石造文化財研究会主催の
 「東葛西の庚申塔めぐり」
に参加したときに作ったもので重ねて表示してみました。
主な寺社の位置がわかり、昔の地図を見る時に役立ちます。





■様々な地図で見てみる

〇今昔マップ2 on the web
<iframe src="http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.666888925442564&lng=139.88258930116274&zoom=16&dataset=tokyo50&age=0&map2type=roadmap&dual=true&mapOpacity=10&altitudeOpacity=4" width="650" height="550"></iframe>
現在の地図と連動して年代ごとの地図が見れて便利。

〇goo地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.53.7.577N35.39.51.294&ZM=11
昭和22年と昭和38年の航空写真の長島児童遊園あたりが気になります。

〇1937(昭12)旧1万地形図
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1437473
川や水路がわかりやすい。

・・・このあたりの地図をみていると、どうしても長島湊のことを
さぐってみたくなります。参考までに文化2年(1805)作成の絵図を見てみました。
〇葛西筋御場絵図

※引用:国立公文書館デジタルアーカイブ 葛西筋御場絵図
文化2年(1805)作成された、江戸近郊に設定された幕府の御鷹場の地図です。文化7年以降、幕府が地誌の編集資料として昌平坂学問所に集めた書籍に捺された「編修地志備用典籍」の印があります。
「葛西筋」とよばれた武蔵国葛飾郡・埼玉郡・下総国葛飾郡にまたがる一帯にに設定された鷹場の地図です。村名は、葛飾領は○、下総国行徳領は△と形の異なる図形の中に書かれています。その他、御膳所・街道等が記載されています。 原図サイズ:東西126cm×南北273cm


葛西筋御場絵図の長嶋の隣に正円寺とあり、長島川とみられる川筋から
随分離れているように見えます。
現在の旧江戸川沿いに入り江のような凹の三か所があり
気になっています。その痕跡を今も見ることができるのでしょうか?

他にも資料提供いただきましたので、このあたりの昔をさぐるべく
様々な地図で見ていきたいと思います。

※資料提供:新川葛西史談会 西野さん

※1・・・4年前のブログ(誤)
長島村の郷倉1(2010-11-13)
長島町の郷倉2~あれこれ古地図でたどってみる(2010-11-19)


参考資料:
・葛西町会誌掲載写真、迅速測図ほか(新川葛西史談会西野さんより)
・江戸川区史(昭和30年3月発行、昭和51年3月発行)
・江戸川区の史跡と名所(江戸川区教育委員会)
・江戸川区全図(『江戸川区史』付図)
・・・ほか各種デジタル地図サービスなど



そそっかしい性格ゆえ、早とちりや勘違いが結構あると思います。
気をつけようと思っているところですが、何かありましたら
ご指摘いただけるとありがたいです。


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