<フランス式彩色地図 第一軍管地方二万分一迅速図原図復刻版 明治13年>
先日のブログで、上の地図で「祠?八」と不明なままアップした箇所を、図書館に行って調べて参りました。
※黄色の★印は、現葛西第二小学校でかつて長島町の郷倉があった場所です。
これも陸軍、明治13年の地図ですが、ちょうどドイツ式と切り替わる頃なのかな。
絵画的なフランス式地図を見た後だとちょっと味気ない気がしますね。^^;
で、問題の祠ですが、「祠幡八」のようにみえます。
東京府南葛飾群全図 明治38年
明治期の3つの地図を見た限りでですが、どうも神社を「祠」と表記してたらしいです。
今昔マップ2 明治42年
神社の鳥居マークの上に丸で囲ってあって、私にはなにやら3時を示す時計のように見えた^^;のですが
これは針葉樹をしめすものだったようです。
江戸川区史によると
『誉田別尊を祀る。はじめは奉持でぃていた阿弥陀仏を奉安したが、慶安2年これを中ノ割に移したので、その跡地に八幡大菩薩を祀ったのが創建の由緒という。昇覚寺の持ちであったが、明治初年に八幡神社と称した。境内には松の大木は茂って「八幡の森」とか「男森」と言われていたが、大正6年の津波で多くは枯死した』 |
とあり、ここには「八幡の森」「男森」と呼ばれるような立派な松が茂っていたのですね。
さてこの八幡神社ですが、今はどこにあるのでしょうか?どこかに合祀されたのでしょうか?
また江戸川区史によると、隣村の東宇喜田村には、古木が茂り「女森」と呼ばれた稲荷神社があったとのことです。
東葛西7丁目の神明大稲荷玉社
もしかしてここ(上↑の写真)??と思いましたが、
深川仲町とあって、なんか違う感じ・・・かな。^^;
深川からの神様のお引っ越しは、江戸川区にはいくつか見られるようです。
さて、この女森と称された稲荷神社ですが、こちらも大正6年の津波で枯れてしまったとのことです。
ひとつの疑問点が解決しても、また新たな疑問が・・。
②稲荷神社の場所(写真の神社がかつて女森があったところ??)
③八雲神社・・・東葛西7丁目に現存している神社なのだが、明治13年、明治38年の地図には神社マークがない。
ムフフ・・昔の道をたどりながら、またぶらぶらしてみましょ♪ (^^)
関連ありそうな・・?
①郷倉と警察所
②郷倉と小学校、中学校
これは広域調査が必要なことかも。^^;
※2014/9/25追記
長島村の郷倉の場所の訂正です。
東葛西三丁目 長島会館あたりです。