咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

大宮氷川神社三の鳥居と片倉製糸

2017年11月27日 | 日記
2017年11月22日ブログで私は三の鳥居を見たが、平成22年さいたま市立博物館発行『さいたまの製糸』所載の氷川神社三の鳥居の説明文によれば、現在の鳥居は平成18年に建て替えられたものである。
南を向いて鳥居の右柱を見ると文字を刻んだプレートが埋め込まれている。

奉獻 片倉製絲紡績株式會社取締役社長
   片倉同族會代表         今井五介
     昭和九年十月

先ほどの氷川神社三の鳥居説明文には “ 片倉大宮製糸所は本殿に最も近い三の鳥居を奉献している ” と記述されている。写真の鳥居をアップする。
それより前の大正 三ノ鳥居
現在の三の鳥居に埋め込まれたプレートは、昭和9年の鳥居にあったものを、平成18年建て替え時に付け替えられたものだと思う。

さて、そのプレートには昭和9年当時の片倉製糸社長「今井五介」の名前がある。
昭和16年3月片倉製糸紡績発行(非売品)『片倉製絲紡績株式會社 創立二十年記念寫真帖』我社の光榮によれば、今井五介は大正9年10月15日、副社長として皇后陛下に拝謁し、工場巡覧の案内役を務めた。
また當社の役員を見ると、大正9年10月当時社長だった片倉兼太郎は会長になって、副社長だった今井五介が社長になっている。三の鳥居の奉献は昭和9年であるからそれ以前に社長の交代はあった。
今井五介肖像写真

昭和16年3月当時の片倉製糸会社役員の中に取締役で今井五六の名前がある。
昭和57年大宮市発行『大宮市史 第四巻 近代編』の大宮市域の歴代市町村長一覧表を見ると今井五六の名前がある。
さいたま市名誉市民の14番目に名前がある。初代大宮市長。
『さいたまの製糸』に掲載の今井五六と片倉製糸には今井五六は今井五介の次男とある。
ウィキペディア今井五介には “ さいたま市立大宮体育館は今井五六邸跡に建つ ” との記述がある。
ヤフー地図に大宮体育館を赤丸で示す。
グーグルアース見る
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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片倉製糸 (菜々子)
2017-11-28 14:59:43
片倉製糸さんといえば 富岡製糸場や新都心のコクーンを思い出しますが、初代大宮市長など 地方政治の要職を担われていたのですね。それにしても広大な土地を所有されていたものです。
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広大な敷地 (咲いた万歩)
2017-11-28 16:17:58
片倉製糸工場敷地も広大でしたが、自宅も広大でしたね。
山あり川ありで生まれ故郷の風景に似ていたかも知れません。
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