さいたま市ホームページから(西区)(西区プロフィール)(歴史)(西区の今昔「鉄道・駅」)と開き、
指扇駅南口の昭和47年と平成3年を見る。
指扇駅北口(昭和46年)を見る。
2019年3月撮影の指扇駅南口。
2019年1月撮影の指扇駅北口。
ウィキペディア指扇駅の歴史には“ 2014年(平成26年)3月9日:橋上化により新駅舎供用開始。北口開設。” と記述されている。
グーグル航空写真3Dで指扇駅を見る。西上空からの鳥瞰写真で、右が南口、左が北口である。
改良工事前の鳥瞰写真で指扇駅を見る。南口駅前広場は現在も同じだと思う。
昭和47年と平成3年の写真を見ると南口駅前広場は現在より狭い。
ヤフー地図空中写真で指扇駅南口を見る。駅前広場を黄で囲むとこのようになると思う。
平成19年の空中写真を見る。駅舎は違うが駅前広場は現在と同じだと思う。
平成元年の空中写真を見る。駅前広場を黄で囲むとこのようになると思う。駅前広場は狭かった。
この空中写真に拡張された駅前広場を赤で描くとこのようになると思う。
平成元年空中写真の跨線橋を黄丸で示す。
昭和59年空中写真の跨線橋を黄丸で示す。
平成元年の跨線橋には屋根があり、昭和59年の跨線橋には屋根がないと思う。
さいたま市ホームページ西区の今昔「鉄道・駅」から指扇駅を望む(昭和58年 平方新道踏切より)を見る。
屋根のない跨線橋が見えている。
平成12年大宮市発行『大宮と鉄道』所載の昭和52年の指扇駅写真を見る。
ホームは跨線橋から向こう(川越方面)に長く延びている。
平成24年(2012)9月撮影の平方新道踏切。
平方新道踏切から指扇駅を見た平成23年(2011)2月の写真。屋根のある跨線橋が見えている。
平成24年(2012)10月、指扇駅ホームから平方新道踏切方面を見た。
改札出口へ向かい、跨線橋をくぐった。
くぐって振り返った。
平成24年(2012)12月、跨線橋の階段を上がり、橋を渡った。
平成25年(2013)11月、平方新道踏切から指扇駅を見た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/8f/0b152c1b11734a5ac705896607d7fa77.jpg)
アップした。指扇駅は改良工事中で跨線橋の向こう(川越より)に新駅舎を造っている。
改良工事前、平成23年(2011)2月の指扇駅。
平成23年(2011)6月の写真。
平成11年発行埼玉県立博物館編集『さいたまの鉄道』に川越線開業に関する東京朝日新聞埼玉版の当時の記事が載っており、その挿入写真に指扇駅がある。
先ほどの『大宮と鉄道』に昭和60年の電化開通時の指扇駅がある。
現在の川越線日進駅はこのよう(2019年10月09日ブログ)であるが、ウィキペディア日進駅に掲載されている旧駅舎(2006年)を見ると駅舎デザインは改良工事前の指扇駅とよく似ている。
ウィキペディア日進駅の歴史には “ 1940年(昭和15年)7月22日:川越線の開業と共に、日進駅開業。駅舎は、同じ川越線の指扇駅(旧駅舎)、南古谷駅に類似していた。” と記述されている。
2018年05月13日ブログの南古谷駅。
指扇駅南口の昭和47年と平成3年を見る。
指扇駅北口(昭和46年)を見る。
2019年3月撮影の指扇駅南口。
2019年1月撮影の指扇駅北口。
ウィキペディア指扇駅の歴史には“ 2014年(平成26年)3月9日:橋上化により新駅舎供用開始。北口開設。” と記述されている。
グーグル航空写真3Dで指扇駅を見る。西上空からの鳥瞰写真で、右が南口、左が北口である。
改良工事前の鳥瞰写真で指扇駅を見る。南口駅前広場は現在も同じだと思う。
昭和47年と平成3年の写真を見ると南口駅前広場は現在より狭い。
ヤフー地図空中写真で指扇駅南口を見る。駅前広場を黄で囲むとこのようになると思う。
平成19年の空中写真を見る。駅舎は違うが駅前広場は現在と同じだと思う。
平成元年の空中写真を見る。駅前広場を黄で囲むとこのようになると思う。駅前広場は狭かった。
この空中写真に拡張された駅前広場を赤で描くとこのようになると思う。
平成元年空中写真の跨線橋を黄丸で示す。
昭和59年空中写真の跨線橋を黄丸で示す。
平成元年の跨線橋には屋根があり、昭和59年の跨線橋には屋根がないと思う。
さいたま市ホームページ西区の今昔「鉄道・駅」から指扇駅を望む(昭和58年 平方新道踏切より)を見る。
屋根のない跨線橋が見えている。
平成12年大宮市発行『大宮と鉄道』所載の昭和52年の指扇駅写真を見る。
ホームは跨線橋から向こう(川越方面)に長く延びている。
平成24年(2012)9月撮影の平方新道踏切。
平方新道踏切から指扇駅を見た平成23年(2011)2月の写真。屋根のある跨線橋が見えている。
平成24年(2012)10月、指扇駅ホームから平方新道踏切方面を見た。
改札出口へ向かい、跨線橋をくぐった。
くぐって振り返った。
平成24年(2012)12月、跨線橋の階段を上がり、橋を渡った。
平成25年(2013)11月、平方新道踏切から指扇駅を見た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/8f/0b152c1b11734a5ac705896607d7fa77.jpg)
アップした。指扇駅は改良工事中で跨線橋の向こう(川越より)に新駅舎を造っている。
改良工事前、平成23年(2011)2月の指扇駅。
平成23年(2011)6月の写真。
平成11年発行埼玉県立博物館編集『さいたまの鉄道』に川越線開業に関する東京朝日新聞埼玉版の当時の記事が載っており、その挿入写真に指扇駅がある。
先ほどの『大宮と鉄道』に昭和60年の電化開通時の指扇駅がある。
現在の川越線日進駅はこのよう(2019年10月09日ブログ)であるが、ウィキペディア日進駅に掲載されている旧駅舎(2006年)を見ると駅舎デザインは改良工事前の指扇駅とよく似ている。
ウィキペディア日進駅の歴史には “ 1940年(昭和15年)7月22日:川越線の開業と共に、日進駅開業。駅舎は、同じ川越線の指扇駅(旧駅舎)、南古谷駅に類似していた。” と記述されている。
2018年05月13日ブログの南古谷駅。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/45/d6ab032c008128487ef2dd9c3b0f5339.jpg?random=a71cd5d9a90291e120d8c1fc54668a81)
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