咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

岩槻区真福寺の昔の道

2018年07月05日 | 日記
2018年06月14日ブログで私はこのような道を綴った。
南の方の住所は岩槻区真福寺だった。
明治13年の迅速測図で真福寺村あたりを見る。
「至越ヶ谷道」「至草加駅道」と表示されている道を赤で示す
その道は現在地図(ヤフー)に赤で示した道と概ね重なると思う。

先日私が歩いた道は迅速測図にあるだろうか。
迅速測図に緑で示した道は現在のこの道(緑)と概ね重なると思う。
そうすると先日私が歩いた道のうち、緑の区間は迅速測図に描かれている道かも知れない。

先日訪れた鶴姫神社の位置を現在地図で見る。
迅速測図のこのあたり(赤枠)だと思う。
北側に「茅」と表示されたところがある。茅の群生地だと思う。
現在のこのあたりではないだろうか。

岩槻区城南に真福寺貝塚がある。国指定 史跡の文化財である。所在地は岩槻区城南3丁目になっているが、昭和55年の岩槻市地図を見ると城南という町名はなく、岩槻市真福寺になっている。

新編武蔵風土記稿の埼玉郡岩槻領真福寺村を見ると、古い昔「真福寺」というお寺があったようであるが、いつ頃どこにあったのかはわからないようである。
また、新編武蔵風土記稿には、岩槻町より大門宿へ達する一条の往還あり、是日光御下道なり、幅凡そ三間許り という記述がある。
迅速測図で「岩槻町より大門宿へ達する」道を辿ってみると、至草加駅道と表示されている道だと思う。
ところが、前段には「村内北の方に」とある。日光御下道が至草加駅道だとすれば、真福寺村の北の方というより東の方というべきだと思う。
それとも、新編武蔵風土記稿の時代(文化・文政期)には迅速測図にない別の道があったということなのだろうか。

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