咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

旧上江橋の保存橋脚と取り付け道路

2018年06月17日 | 日記
2018年05月12日ブログで私は旧上江橋の遺構として保存されているP7橋脚を見た。
「旧上江橋橋脚の保存について」の案内板を見た。
案内板にはこの橋脚は旧上江橋の橋脚として昭和35年3月に完成したとあるのだが、川越市公式ホームページから川越の歴史年表を見ると、1957年(昭和32年) 川越・大宮間有料橋(上江橋)開通 とある。
2015年04月08日ブログで私は『続・大宮市史 I 現代資料編』に掲載の昭和32年10月21日埼玉新聞記事を見た。
それによれば、旧上江橋の開通は昭和32年3月5日のことだった。

今昔マップ on the web から昭和42年改測の地図を見る。
ヤフー地図を見る。
昭和42年地図に赤で示したところは現在地図のここだと思う。

旧上江橋橋脚案内板の側面図を見る。
左端矢印のところが現在地図の矢印のところになると思う。
そこから大宮方面の取り付け道路は荒川の横堤である。
昭和55年大宮市発行『大宮のむかしといま』には、荒川の大洪水に対する対策として、横堤という、本堤防から荒川に向って直角にある堤防を築いたことが触れられている。旧大宮市内の横堤はこのようであり、荒川の改修図にその横堤と思われるところ表示するとこのようになると思う。
旧上江橋の取り付け道路は昭和10年3月30日竣功の馬宮第三横堤だと思う。

『続・大宮市史 I 現代資料編』に掲載の昭和31年11月10日大宮市制だよりによれば、旧上江橋は昭和11年になって建設省によって着工された。その後戦争のため橋脚を据えたのみで工事中止になっていた。戦後昭和27年暮れに再び着工した。
工事中止期間である昭和22年の空中写真を見る。大宮側の横堤から荒川の先までが見えており、旧上江橋の橋脚が見える。未着工と思われる橋脚もあるが、その部分を含めて、大宮側から7Pまで番号を振るとこのようで、荒川本流の直前は21Pになる。
旧上江橋橋脚案内板の側面図に番号を振るとこのようになる。

現在の地図に旧上江橋のP7橋脚を黄丸で囲む
横堤の先端とP7橋脚を赤で繋ぐ
昭和22年の空中写真にそのラインを示す。

昭和36年の空中写真を見る。
大宮側横堤の先端から直線で延びる旧上江橋をそのまま赤の直線で延ばす。
旧上江橋は荒川と入間川の間で左に折れ、このよう(黄)に延びていく。
昭和54年の空中写真に大宮側から直線で延びる旧上江橋をそのまま赤の直線で延ばす
現在の地図にその線を描くとこのようになると思う。

先日私は上江橋を渡ってからこのように歩いて南古谷駅に向かった。
黄で示した道は昭和36年のこの道(黄)が変化して今日に至ったものではないかと思う。だとすれば旧上江橋の取り付け道路に繋がっていたわけである。
昭和54年にはこのようになっていた。
赤丸のところから大宮方面を見た。川越方面を見た。
コメント
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