咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

大宮西口近辺に残る昔の名前

2015年02月25日 | 日記
昨日のブログの始まりで国道17号に出る時、左角の電柱番号札名を見ると、上は「国道幹」、下は「国変」となっていた。上の札はNTT、下の札は東京電力と思われる。この場合、電柱の所有者は東京電力であることは、東京電力配電柱装柱情報センター1で説明されている。

さて、東電の「国変」であるが、これは「国鉄変電所」のことだと思う。
平成2年の地図にはJR変電所と出ている。
昭和32年頃の大宮地区国鉄職場配置図には14番が変電区となっている。
昭和9年の鳥瞰図には鉄道変電所(赤枠)と出ている。
昭和8年大宮町全図にも鉄道変電所(青矢印)と出ている。

大宮地区国鉄職場配置図の大進道というのは現在の大栄橋の道路(県道2号)だと思う。川越新道と呼ばれていたと思ったが、大進道とも呼ばれていたものか? 大宮と日進を繋ぐ道だからそう呼ばれていたとしてもおかしくはない。

国道17号を新国道と言う人は最近では少ないと思うが、バス停名としては今も残っている。
道路反対側のバス停新国道。


昨日私は桜木町四丁目交差点で国道17号を横断したところの電柱番号札を見た
この電柱も東電の所有するNTTとの共架電柱であるが、現在電線はない。
この電柱より南に建つ電柱数本を見ると電線はない。このあたり、電柱(電線)の地下化が終わり、地上の電柱は撤去されるのを待っている状態のようである。

さて番号札名であるが、東電もNTTも「泉」である。
昭和32年頃の鳥瞰図でこのあたりを見ると泉自動車工業がある。
赤で示した道は現在のこの道と重なるように思う。
そうすると泉自動車工業の敷地は概ね緑の範囲になると思う。

大宮市史年表の昭和13年(1938)7月の記事に “ 三橋村中小村田に泉自動車工業株式会社創立 ” というのがある。
「泉自動車工業」でネット検索すると、マーレエンジンコンポーネンツジャパン株式会社がヒットした。沿革には “ 1938年 埼玉県大宮市に泉自動車工業株式会社を設立(資本金45万円)” とある。

ウィキペディア大宮法科大学院大学には “ ビルの前身は1981年に埼玉銀行が設置した福利厚生施設であり、あさひ銀行となった1999年に経営合理化のため閉鎖され、2002年に跡地の一部を佐藤栄学園に売却したもの ” との記述がある。昭和52年の地図には埼玉銀行グランドと表示されている。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする