goo blog サービス終了のお知らせ 

いつだってこころは  まんまる。

アリッサムです。子どもたちと遊んだり、花を育てたり、本を読んだり・・・
雪の降らない東北の街に住んでいます。

やっとこさ。

2011-10-06 | 日記
ケイタイにおかしなメールがてんこ盛りになり、

結局、パソコンからの受信をすべて止めました。

小学校の一斉メールだけは受信するようにセットしたのですが、うまくいったかな?

DOCOMOを使っている友達に聞いたら

「パソコン止めると緊急地震速報がはいらないかも」

なんと!

3月11日に私の命を救った緊急地震速報。

ホントかしら?

とりあえず近いうちにまたDOCOMOに行ってみます。




実は私、3月11日からこっち、

外出中はケイタイをポケットの中に入れていました。

仕事中もバイブにして。

いつ6クラスが来るか、と思うと恐くて放せなかったんです。

電磁波が体に悪いことを知っていますが、

あの地面がぐわんぐわん回る揺れと、瓦がバラバラ落ちてくる恐怖は忘れられないんですね。

子どもたちのことも心配で、万が一の時に連絡とれないのは怖い。

でも、余震の回数も減り、おかしなメールも来なくなったので昨日から、

音を出るようにしてバッグに入れておくようにしました。

やっと、私のケイタイの着メロが鳴ります。

地震から、だいぶ経ちましたが少しずつ戻っています。

にほんブログ村

参りました。

2011-10-04 | 日記
私はあまり降参しないのですが、

今回は参りました。降参~~

何がどうしたのか、震災後からヘンなメールがたくさん来ます。

私のケイタイに。



セレブを紹介しますから始まり、

年収15億の男性が友達をさがしています(何故に私に言う?)、

熟女を紹介します(私の周りは熟女だらけじゃ~~)、

お金をあげます(本気なら嬉しいけど)、

アイドルの前○○子ちゃんのエッチな写真見せます(別に見なくていいし)、

あなたに奉仕させてください(とりあえず学校に落ち葉掃きに来てください)などなど、

昨日はひっきりなし

個別にドメインで拒否をかけてもいたちごっこ。



困って今日DOCOMOに持参すると、

迷惑メール対策にパソコンからのメールを止めると

学校からの一斉メールが入らなくなるとのこと。

「どうしてもダメならアドレス替えてください。」

え~~アドレスかあ~~

震災の時にアドレス替えて無かったから、いろんなとこからメールきたんだよね。

あれはとっても嬉しかった。

それから、私の場合、学校や先生、保護者など、たくさんの人に教えてるから連絡するの大変。

どうしたらいいものやら~

にほんブログ村

彼岸花。

2011-10-03 | 日記
通勤途中に彼岸花をたくさん摘んでいる方を見かけました。

自転車の前カゴにたくさん積んでいるところでした。

とても綺麗で「秋が来たのだ」と思いました。



小学生の時に学校の土手に咲いている真っ赤な彼岸花を

両手にたくさん摘んで家に持ち帰ったら、

母がとっても嫌な顔をして「彼岸花なんて摘むんじゃないの!縁起でもない!」と叱られました。

ただ真っ赤な花がたくさん咲いていて綺麗だと思っただけで、まさか叱られるとは思っていなかったので、

泣き虫の私は泣きながら捨てたような気がします。

確か「なんで?」と聞いたけど、

「なんでも。死んだ人の花だから」のような答えだったような・・・



高校生の時、下校時に友人と歩いていて彼岸花が咲いていたのでその時の話をしたら

「ウチのお姉ちゃんもお母さんに怒られてたよ。

だから、私も子どもの頃綺麗だなと思ったけど摘んだことが無いよ」と言っていました。

さすが二女。

長女の過ちをちゃんと見ているんですよね。



とりあえず怒らずに、分かるように理由を説明してほしかったな、と今でも思います。

大人になって彼岸花に毒があり、昔は土葬だったから動物に掘り返されたりしないように、

お墓の土手に植えたりしたと知りました。だから死んだ人の花、だったんですね。

葉っぱが先に出ないのも気味が悪かったのでしょうか。

毒があるから、子どもには触らせたくなかったんですね、きっと。

何にしろあの日の記憶から、私は子どもを頭ごなしに叱らないようにしています。

そして、出来る限り意味を説明しています。

知らないことは「お母さんも知らないなあ」と言うように心がけています。

「お母さん知らないこといっぱいあるね」なんて二女に言われて威厳はないけど、

私はそんなお母さんでいいや、と思って・・・



ちょっと彼岸花で思い出したこと。

今も彼岸花はとっても綺麗です。赤は私の好きな色です。


にほんブログ村

海。

2011-09-25 | 日記
きのう震災後、初めて娘たちと海に行って来ました。



道路に船や波消しブロックも無くなり、

映像で見ていたよりも、だいぶ復興していましたが、

海岸通りは柵や道路標識が海とは反対方向に曲がり、

防風林も津波の勢いで、だいぶ倒れていました。



波立という風光明媚でハマヒルガオが一面に咲いていた浜辺は、

重機が入り、津波によって沖に流された砂を掘削していました。

海辺に立っていたレストランは津波が直撃したのでしょうか、

窓にはガラスが無く、屋根もひしゃげて、あの日の恐怖を思い出します。

娘たちは、民家の屋根が曲がったり、窓ガラスが一枚も無い喫茶店に驚いていました。



津波のもっとひどかった地域は、まだ立ち入り禁止です。

「ここから先は行けないの?」と二女が聞いてきた先には、

娘たちが小さいころから連れて行っていた豊間の海があります。

お約束通り、おシリを波に付けてしまい「着替えしないと~~」なんて言いながら

白い灯台の下で磯遊びをしていたのですが、今は通行止めの文字が。

豊間は有史以来、津波が来ない遠浅で安全な海岸と言われていたのに、

今回の地震で、民家はことごとく被害を受けました。

娘たちが親しんだ「泣き砂」の砂浜が戻るのに、どのくらいかかるのでしょうか。



「また来ようね!」

娘たちの頭の中にあるのは、まだ白砂青松のあの海です。

あの記憶のままでいてほしい、瓦礫の山は見なくていい、そう思って帰ってきました。

にほんブログ村

街のイメージ。

2011-09-24 | 日記
小学校から配られた配布物に校長先生からのコメントが載っていました。

私たちの住むT町の学校は3校目だそうです。

海のそばの学校、農村の学校、漁港の近くの学校、いろいろな学校を経験して、温泉場の学校から転勤して来たそうです。

この学校の印象は・・・という問いに

「Tにずっと住んでいる方には分からないと思いますが、3つとも『Tの学校』としか言いようがないんです。」

Tの学校・・・・

他の地域に住んでいる人にとって、私の住む街はどんなイメージなんでしょうか。

娘たちが通う小・中学校は私も卒業しているので、私にはよく分かりません。



校長先生のコメントを読んで思い出したのが、私の子どもの頃。

今でこそ全校児童450名位ですが、私の通っていたころは1200人くらいいて、

下校時なんて、街のそこらじゅう子どもだらけ。

不審者情報もなく、絵に描いたような田舎の地方都市で、

学校が駅の近くで、役所やデパート、歓楽街も学区内だったから比較的賑やかなカンジでした。

その雰囲気は今も変わって無いかな?

参観日は地元の商店街の定休日の水曜日に決まって行われていて、

役員さんをやってくれてるのは商工会や開業医の奥さんたち。

ウチの母親みたいに「単なる専業主婦」は仲間に入れてもらえない(やらなくていい?)雰囲気でした。



今は子どもたちも、放課後校庭で遊ぶなんて無くて、学年ごとに粛々と帰って行くけれど、

私たちは「帰りの時間になりました」と放送委員会のアナウンスがあり

ドボルザークの新世界が「遠き山に日は落ちて~~~」と流れるまで、無意味にクタクタになるまで遊んでいました。

私の住んでいたのは、学区のはずれの住宅地で

市営住宅・県営住宅があり、子どもてんこもりで、遊び友達にはことかかない状態でした。

でも、たまには自宅とは逆方向の友達について行って、近くの公園の池にいるアヒルに給食の残りのコッペパンを食べさせたり、

あるときはコッペパンにイチゴジャムやマーガリンを塗ってアヒルに(親切心で)食べさせたら(たいそう喜んで食べた)

アヒルたち下痢して、公園管理事務所からクレームの電話が学校に来たり。

(・・・あれはマーガリンが原因では無く「食い過ぎ」だと思う、と次の日みんなで言っていたのだけれども)

今考えると、まともに勉強して無かったよなあ~~


街の印象。

どんな感じなんでしょうか?

ちなみに今の小学生はマーガリン付きコッペパンをアヒルにやるおバカさんはいません。

給食の残りは持ち帰り禁止だし、アヒルもいなくなっちゃって、あの池には鯉とカメしかいないから。

私は今、その公園の近くで働き、下校時刻の子どもたちに「おかえり!」と声をかけています。

にほんブログ村