漫画家を目指す人へ

漫画家を目指す人へ参考になれば。

賢者は愚者からも

2014-06-23 11:33:50 | ☆雑談

ひさびさの更新がどうでもいい雑談ですみません。

ここを見てくださってる方のうち、某質問掲示板からきてくれた人も多いと思いますが、私はけっこうそこで質問に答えています。

というか、もともとこのブログ自体、似たような質問に何度も同じ長文回答をするのもどうかという理由で、掲示板からとばすために作ったものです。

その掲示板で、ひさびさにちょっとパンチのある人に出会いました。

作品を批評してほしいということで、その人が本気でプロを目指していること、漫画家志望としてはかなり高齢なこと、失礼ながら作品のレベルが相当に低かったことから、割と厳しめに答えたところ、なぜか一度ベストアンサーに選んで御礼をいってくれたあとに、別の質問で、「本当に漫画家かどうかもわからない、デビューしたとか全部妄想かもしれない、どうせ絵なんか描けない嘘つきのくせに、よくも私の作品をあんなにこきおろしてくれたな」的なバッシングを受けました。まあ、そう思う人もいるでしょうから、それ自体は別にいいのですが。

このことからすこし考えることがありました。

この方の意見の前半は、私は正しいと思っています。ま、身元が確実な人からだけ意見が欲しいなら、匿名掲示板を使うべきではないとは思いますけれど。

さておき、私はここにデビューしたことがあるだの何だの書いていますが、身バレしたくないので、個人特定できる情報は一切載せていません。載せる気もありません。

ですので、私がここに書いていることはすべて嘘八百という可能性もあります。多少でも漫画業界に足つっこんだことがある人になら、少なくともすべて妄想ではないということくらいは、わかってもらえると信じて書いていますけれど、確証なんてどこにもないのです。

「ネットの情報を鵜呑みにしない」ことは、ネットを使ううえで重要なことだと思います。

ところで、なんか手前味噌みたいですみませんけど、このブログを好意的に紹介してくれている人のほとんどは、実際にデビューしていたり、ベテラン作家さんだったりします。

アクセス数がはねがるので、そういうことがあればすぐにわかるんですよね。(逆に言えば、アクセス数が動かないくらいようなところで好意的じゃない紹介をされている可能性はありますが、まあ、そういう人は漫画家さんなど知名度のある人ではないのでしょう・・・)

それはそれで、非常に恐縮し、嬉しく思うとともに、少し恥ずかしいです。漫画家になれてもいない人間が偉そうに漫画家について語ってるさまを、人気連載をこなしてアニメ化もしているような先生に読まれるわけですからね。

こういう先生たちこそ、「ろくに絵も描けない人間が偉そうに!」と言っていい立場なわけですが、逆にこういう人たちの方が、こんなブログからもいろいろな情報などを拾い上げて感心してくださっていたりする。

「賢者は愚者からも学ぶ」という言葉をしみじみ思い出しました。

誰かから情報を聞くとき、ものを教わるとき、「相手がどういう経験をつんだどういう立場の人か」というのは気になるところだと思います。それによって情報をどうとらえていいかが変わってきますから。

ただ、「相手の立場によっては、意見もアドバイスも一切聞く耳もたない」というのは賢い姿勢ではないと思います。

昔、志望者同士ネットで集っていたときにも、そういう人いたんですけど・・・。相手が自分より上なのか下なのか?志望者なら受賞は?担当は?というようなことを、事細かに聞き出し、「相手のレベル認定」を必死に行ってからでないと、人の意見をきかないような志望者は、たまにいました。

たいていそういう志望者は、基本的に人の意見をきかず、きいても都合のいい意見しかきかず、やたらと人の「レベル認定」にばかりこだわっており、人の作品(プロ作品も含め)の批判だけが得意でした。

作品も作れていないか、作っていても独りよがりで意味不明。当然受賞とかそういうレベルには至っていませんでした。そして、じきに誰にも相手にされなくなってコミュニティから消えました。

相手の身分がわからないと情報精査できないような場合は別なのですが、(そういう情報は確実なところで調べましょう)そうでないならば、鵜呑みにしろとは言いませんが、せめて自分の頭でちゃんと考えて、参考になるところがあれば、ちゃんと吸収したほうが、結局自分のためだと思います。

名選手名監督ならずという言葉もあり、教えるのだけが上手な人もいますからね。なので、私は専門学校否定派ですが、「専門で講師やっているような人は、どうせ売れない漫画家なんだから、そんな人に教えてもらってもしょうがない」という意見には賛同できません。

あと、もっと基本的なこととして、「漫画家は、完全素人の読者によって評価される職業である」というのもあります。

つまり、「漫画のプロでもないくせに、自分の作品に悪い評価をするな!」という主張がある人は、そもそも漫画家に向いていません。

いや・・・プロでもいるんですよ、こういう人は。「最近の読者は馬鹿だから良い作品がわからない」「ド素人の読者なんかに何がわかる」みたいなコト言っちゃう人は。

そうなったら終わりだと思っていいですよ。

自分の作品が評価されないのを、誰かのせいにすること自体みっともないし、それでは成長できないとは思いますが、「読者のせい」にするのは、もう最悪というか、自らの存在価値を自分で叩き割っているようなものです。

そういう人は、誰にも見せずに蔵の中にでも大事にしまっておくか、自分の信者にだけこっそり見せて自己満足にひたっていると良いと思います。

 

これは私自身も気をつけたいところです。ちなみに「愚者は賢者からも学ばない」という言葉が、上記の言葉に続きます。

人生すべてこれ勉強ですね。

人の振り見て我が振りなおせ、って感じですよ、本当・・・。

 

2015/6/23


精神力ゲージと努力と執着

2013-03-18 21:38:49 | ☆雑談

私は最近、ここに「精神力ゲージの管理」という話を書くつもりでいました。

というのは、担当さんの話を書いていたら、あれこれ思い出してきて、皆さんの参考になるかな?と思ったので。

でも、何度か書こうとして、書きあぐねてしまいました。別にそんなたいした内容を書くつもりではなかったのですが…。

 

これも自分語りなので、興味がない人は読まなくて大丈夫です。

 

最初に書こうと思っていたのは、要するに「あまり無駄なところに、無駄な労力を、無計画に費やすと、精神力を早くに使い果たしてしまうので、そのへん少しは考えた方がいいよ」というようなことでした。

これは私の自分自身の経験からなのですが、私は志望者生活の最後の方に、唐突にネームが描けなくなってしまったんです。あまりに唐突だったので、自分でも原因がわからなくて悩みました。

何を描こうとしても、そのネームの先にボツしか見えない。頭を動かそうとすると、担当さんの否定する言葉がすぐに頭をよぎって進められない。じゃあせめて手だけを動かそうとすると、石のように動かない。それでも無理に動かそうとすると、ただ涙だけがずっと流れてしまう。でも何が悲しいのかはわからない。(今思えば多分悲しいとかではなく純粋にストレス)

今まで好きだった作家さんの漫画を読んでも、何も頭に入らない。感動したセリフもただの文字の羅列にしか見えない。じきに漫画本をみただけで涙が出るようになり、本屋に入るだけでめまいというか…頭の奥が真っ赤に点滅して目が見えなくなるような症状に襲われるという状況に。この状況は半年~症状によって一年以上続きました。私が本屋に普通に入れるようになったのは、本当に最近です。

 

なぜこういう状況になったか、今となっては、主な原因は2つだと思っています。

まずは、無駄に時間をかけすぎたネームが連続してボツになっていたこと。

人間…動物でもそうなのですが、「努力が報われない」体験だけを積み重ねてしまうと、努力自体ができなくなります。たとえ自分の生死がかかっていても。「学習性無力感」という名前がついているそうですので、興味のある方はぐぐってください。

もう一つは、担当さんがついて、ボツもたくさん体験して、今までより自分のネームを厳しい目で見ることができるようになったこと。…たぶん。

今までは欠点が見えないまま作ることができていたネームですが、今は欠点が前もって全部わかる。わかるけれど欠点を改善する方法がわからない。でもダメなことだけはわかる。だから着手もできなくなってしまった…のではないかと思っています。ここだけ見ると成長したように見えるのですが、私は手を動かさないと何も作れない人間なので、手を動かせないことには、結局何もできない…ので、どうにもならず…。

 

両方後付けの理由です。当時は意味不明でした。

 

この2つの原因は、なんとも皮肉というか微妙です。

まず一つ目の理由ですが、端的にいうと「無駄な努力をしすぎたせい」とも言えます。

そして2つ目の理由ですが、「無駄な努力を回避しようとしすぎるせい」とも言えます。

その2つが重なって描けなくなっていたわけで、いったい何をやっていたんだ自分??という感じです。

 

で、私は「精神力ゲージ」として、「無駄な努力を回避」することによって、この「学習性無力感」にハマらないように…というような話を、もとは書くつもりでした。

でも、書こうとすればするほど、「無駄な努力って何だ??」「無駄か無駄じゃないか、志望者レベルでどうやって事前にわかるの??」「新人から努力を選別していたら、成長もできないしチャンスもつかめないのでは??」という疑問が湧いてしまい…。

そもそも、「その程度のボツで描けなくなるようなメンタル弱い人間は、どうやっても漫画家なんかなれないんじゃないの?」という大前提に立ち返ってしまう。

ので、「うーん??」となっていたのです。

 

そして、今まで興味がありつつ、手を出せないでいた羽海野チカ先生の「三月のライオン」を読みまして、「やっぱり、単純に自分のメンタルが弱かっただけだな!」という結論に達しました。(影響受けやすいから…)

 

ただ、「じゃあメンタル弱い人はやっぱ無理ねー」という結論では、あまりにミもフタもないので、ここを読む人に何かしら参考になることは?と考えたときに、一つ思い当たったのは、

「執着と努力を取り違えない」ことでした。

 

私が最初の担当さんにえらい目にあわされたという記事を書きましたが、あの担当さんにあたっている間、私の神経は常に「いつ返事をくれるか」「どうしたら返事をくれるか」に向かってしまいました。

いくら漫画業界に疎いとはいえ、さすがに2ヶ月も3ヶ月も返事のこないネームに可能性があるわけがない、そのことに思い当たらなかったはずがないのです。可能性がないなら、返事を例えもらえても、そこにそれほど意味はない。なのに。

一応、そのときもただ待っているのではなく、次のネームは作っていたはずなのですが、たぶん本当に集中できてはいなかったでしょう。やっぱり「返事~返事~」とそこばかり気にしてしまっていました。

変な例えですが、「どう考えても脈がない冷たい恋人に、別れの一言をもらうために、必死でしがみついている」みたいな状況でした。

肝心なのはそこじゃないだろう、という。

 

あと、時間をかけたネームを連続してボツったときも同じです。そのボツったネームたちは、途中からうすうす自分でも「これはダメかも」「なんかいまいち」というのは見えていました。

それでも、他にもっと良いネームも思いつかないし、ここまで時間かけちゃったし、ずっと考えてたから、キャラにも愛着湧いたし、なんとか世に出してやりたい…、といううだうだした気持ちで、何ヶ月もひきずってしまったわけです。それを何回か…(学習能力ないですね…)

今となってははっきり欠点だと思うのですが、私は自分のネタやキャラには執着をもつタイプで、一度少しでも気に入ってしまうと、もうほかのネームになかなかいけませんでした。そういう人で成功する人もいるとは思うのですが、新人の場合は、どちらかというと「ハイ次!ハイ次!」と、常に前に向かって、どんどん新しいネタを作っていける人の方が絶対に有利です。別に前のものを捨てなくてもいいのですが、ちゃんと切り替えられることが大事です。

 

担当さんにひきずられたときも、自分のネームにひきずられたときも。

肝心なことは一つ、「面白いネームを作る」ことだったはずです。

その芯に、本当に真正面に向かい合って、純粋にそこにだけ集中していたか、というと、自信がありません。「なぜこんな担当にあたってしまったのか」という担当さんを恨む気持ちや、「ここまで時間をかけたんだから、たぶんこのネームは面白くなっている(はずなんだ)」という、執着からくる思い込みとか、そういう「なんかgdgdしたもの」で頭をいっぱいにして、「面白いネームをつくる」という、なによりもの自分の責務から、目を背けていたのではないか。

と、今となっては思います。

 

努力は自分を成長させます。しかし、ただの執着や未練は、結局精神ダメージとして跳ね返ってきます。 

これが、精神力ゲージをがっつりと無駄に削ってくれるわけです。

 

脈のない担当さんにすがりついたり、見込みのないネームに執着していては、いけなかったのです。

「ダメなもんはダメ!!」と自分に厳しくジャッジして、気持ちを切り替えて、今自分がやらなければならないことを、もっとストイックに考えていたら、「精神力ゲージ」はもう少しもったのではないでしょうか。

「無駄な努力」はないと思いますが、自分が今やっていることが本当に「努力」なのか。ただの「執着」「未練」ではないのか。

本当に、今自分がやらないといけない「努力」は何なのか。

そのあたりは、別にいつも考えていなくていいですけれど(疲れるから)、なんか迷宮に入り込んだと思ったら、少し考えてみてもいいと思います。

 

なお、別に執着や未練でgdgdするのも、必ずしも悪いとは思わないです。というか、そういう気持ちまったくなしに漫画家志望をやるのは無理でしょうし。

でも、そんなものばかりで精神力ゲージを削られ過ぎるのも無駄なので、自分である程度自覚して、軌道修正もした方がいいかなと思います。

精神力ゲージは誰にでもあります。大きさに差こそあれ。気にしすぎて動けなくなったら意味がありませんが、私のように突然底をついても困るので、「そういうものがあるんだー」くらいに思っておくといいと思います。

 

ところで「三月のライオン」ですが、そういう夢とか勝利とかに向かっていく気持ちを丹念に描いている漫画なので、漫画家志望者さんにおすすめです。有名な漫画なのでもうご存知の方も多いと思いますが。

作者の方が前作の「はちみつとクローバー」についてのインタビューだったか?で「持つ者と持たざる者」というようなことをおっしゃっておられましたが、そのテーマがよりストレートに出ている漫画です。


クロッキーおまけ

2013-03-17 10:54:43 | ☆雑談

 

 

 

私じつは、先の記事江口先生の記事をよく読む前に書いてしまったので、今改めてちゃんとよむと、私が書いていることと江口先生の書いていらっしゃることにずいぶん違いがありました。(だから人の話をちゃんと聞かないで動くから・・・・・)

 

江口先生は、単なるクロッキーの次の段階のことを書かれていらっしゃいますね。

私が「クロッキーをしたあと、漫画絵に適用させるように考えて」みたいなことを書いたと思いますが、江口先生は「頭の中で自分の絵に翻訳しながら描く」というようなことを書いてらっしゃいます。

最初から、自分の漫画絵の絵柄でクロッキーをするということですね。

たしかにそれができたら、二段階に分けず、一段階で一気に練習できるので良いと思います。難しいとは思いますが・・・。

私は前に書いたような理由で、自分の絵柄をここで晒したくないので、自分絵柄では描いたものは載せないですが、それにしてもクロッキー楽しい。

江口先生のおすすめボールペンも買ってみたのですが、私の筆圧が弱すぎてあいませんでした。私はPIGMA0.3(たしか150円くらい今は増税でどうなってるかしらん)が一番あいます。

ただ、練習としては、やっぱりマジックの方が上達するかもしれない。細いペンの方が上手に見えるんですよ。言い換えればごまかせてしまうので。江口先生の書いていらっしゃる「自分の絵柄に翻訳しながら」はマジックは無理ですが、純粋に人体を描く練習をする場合はマジックの方がいいかも。

↓だいたい2~5分くらいで描きます。漫画を描いたことがある方ならわかると思いますが、最初に漫画を描いて感じるのは、意外と「普通に歩いたりたったりしているだけの何気ないポーズがかなり難しい」ということ。なので、そういうものを中心に。

 

 

 

 

 

ところで、モデルになるいい写真などがなかなかなくて、仕方なく自分をセルフタイマーで撮って描いたりもしたのですが、それをやってみて、あらためて感じたこととしては、モデルが悪いと描く気がしない。

これも、江口先生が書いていらっしゃったことですが、やっぱり「描きたいと思えるようなもの」を描くのが大事ですね。

何が悲しくて自分の太い足や不細工な顔を5分も凝視しなければならないのか。ドMか相当のナルシストでない限りただの苦行です。

あと、私は以前からポーズマニアックスをつかっての練習が苦手で、あっというまにやめてしまったのですが、その理由もあらためてわかりました。

やっぱり私は人間を描くのが好きです。あの3D人形さんたちはべっぴんだしイケメンですが、人間がいいです。人間描きたい。なので、クロッキーなどを練習するなら、人間を描くことになると思います。

みなさんも、基本は「自分が描きたいもの」を中心に練習するといいと思います。練習だって楽しくないと続かないし。

 

 

とはいえ、漫画家になるなら苦手なものも描かないわけにはいかないのですが・・・。

苦手なものを描くコツは、背景のところにも書いたとおり「描こうとするものを好きになる」ことだと思いますので、これは逆説的な話になるかもしれませんが、「描いているうちに愛着わいて好きになる、好きになるからたくさん描く」というようなループが生まれると良いと思います。

絵を描く人というのは、世の中のいろいろなものが美しくみえているようで、美男美女も描いてはいますが、それよりは何気ない街角だとか、働くおっちゃんおばちゃんとか、鮭いっぴきとか、そういういわゆる「絵になる風景」以外のものも、たくさん絵にしています。

なので、そういう万物を美しいと思えるような目を持つことも、絵を描く人には必要なものなのかもしれませんね。

これはデッサンをいやというほどやっていたら、自然に身につくかも・・・。受験などでアホほどデッサンしていると、しばらく世の中のすべてがデッサンに見えますからね・・・・。すべての色彩と陰影を、鉛筆ならどう表すか、というのを常に目から直接脳内変換している状態に・・・・。それがいい状態なのかはわからないですけど・・・。

 


俳句とネーム構成 

2013-03-04 20:24:23 | ☆雑談

いきなり、何かってタイトルですけれど、今たまたまこの番組を見たので。

プレバト天才!?凡人!?ランキング

浜田雅功さんが司会をやっている番組で、たまーに見るんですけれども、けっこう漫画の参考にもなるなーと思ったので、忘れないうちに書いておきます。

芸能人の方に、盛り付けや俳句などいろいろやってもらい、その道のプロに添削してランキングをつけるという番組です。

特に参考になると思うのは「俳句」。

俳句と漫画ではだいぶん違うように思うかもしれませんが、五七五という非常に限られた文字数で一つの世界を表現しなければならない俳句は、投稿漫画のネーム構成において、「限られたページ数の中に、いかに必要なエピソードだけを盛り込み、また構成して、漫画を作り上げるか」という作業と、割とかぶるところがあります。

この先生の授業を見ていると、だいたい添削のポイントも見えてきます。

●不要な言葉を洗い出す

…重複表現やいらない説明など 「照らす月」→月が照らすのは当たり前なので「照らす」はいらない。

…短い言葉で置き換えられるもの 「古い塔」→「古塔」

●足らない言葉を探す

…「場所」「映像」「動き」など、表現したいことをあらわすのに十分な言葉が揃っているのか確認する

この二つをそれぞれ探し出したら、不要な言葉を削除した分を、必要な表現を補うのに使えないか推敲する。

まとまっていても単調と感じたら、言葉に方向性を持たせたり、動きを持たせたりして、世界を広げてみる。

情景が浮かびにくい場合、場所がわかる言葉や、映像化しやすい言葉を補う。

そのうえで、より美しい言葉、より印象的な語感になるよう、さらに推敲を重ね、1文字たりとも重複やムダがないように、構成してゆく。

 

これは読み切りのネームでも同じことが求められます。新人だとたいてい、ページ数は足らなくなると思います。もちろんどうしたって足らないような壮大な話を描こうとしているケースも多いのですが、エピソード取捨選択と構成の問題であることも多いです。

そのときに、役割が重複しているエピソードはないか、もっと短いエピソードに置き換えられないか、また必要なエピソードであっても、もっと役割を兼任させられないか、もっと魅力的なエピソードはないか。

さらに、物語が単調だったり、いまいち面白みに描けるなら、印象的なエピソードが少ないんじゃないか、意外性のあるエピソードがないんじゃないか、などなど。

やる作業は似ていると思いました。

 

この俳句の先生は考え方がロジカルで、感覚的ではなく、ちゃんとした理屈で説明してくれます。そして、とても良いというか、さすがというところは、その場で、ちゃんと理由をわかりやすく述べたうえで、ではどうすればいいのか、修正してくれるんですよ。それも説明どおりの納得いく結果になるように。

担当さんでも、ネームにダメだしはしてくれるけど、その場で有効な代替案をすぐに出してくれるような人、なかなかいませんよ(苦笑)。

そのおかげで、先生が説明したことが「こういうことか」とすぐにわかるようになっています。

他の料理盛りつけや絵手紙など、それぞれプロの着眼点がわかっておもしろいです。

料理盛りつけの「とにかく主役を目立たせる。ムダな飾り付けをしない」などは、エピソードの取捨選択の参考にもなりますし、絵手紙で、絵の上手ヘタより、勢いや大きさが重視されている点なども、まさに新人漫画と同じです。ちょこちょこ上手でまとまってるだけの作品より、多少ヘタでも勢いにあふれた作品の方が評価されたりします。

プロの視点と素人の視点の差など、参考になるところは多いと思います。

 

 

 


バクマンの感想

2012-03-16 20:00:20 | ☆雑談

漫画家志望なら気になる作品だと思います。

 

こういう漫画家志望者を主人公にした長編を読むのは子供のころ「まんが道」を読んで以来ですね。
「まんが道」もとても面白いのですが、なにせ時代背景が違いすぎます。藤子不二雄(まだ分かれる前)先生の自叙伝ですからね。なんだかんだで50年以上昔の話になるかと・・・。
もちろん志望者にとって普遍的なことがらも多く描かれていますし、何より面白いのでおすすめですが。

さてバクマンです。
※私はアニメしか見ていませんので、2013/2月時点まで放映された内容のみで話をしています。

ネタバレ的な内容も多少含まれるかもしれませんので、今から読んでみようと思う方はご注意ください。

 

 

読めばすぐわかることですがモデルになってるのは掲載誌である少年ジャンプ、集英社ですね。
昔、ジャンプで担当がついている人と話をしたことがありますが、あそこはとにかく新人をアシスタントとして連載作家の下に入れてしまうシステムのようです。今でもそうなのか不明ですが、実際活躍している先生の経歴などを見ると、ほぼ連載陣のアシスタント経験があるので、多分今も変わらないのでしょう。

アニメのみしか見ていませんが、今のところ割りと現実的な設定・展開だと思います。どこまでノンフィクションなのかわからないですが、私が経験している限りでも(私は集英社ではないです)似たようなものです。
実際、担当がついたりデビューしているレベルの志望者・新人なら、「まあ漫画だし」とは思いつつも、「こんなん現実にあるかボケ」と笑い飛ばすほどのレベルでもないと思います。


なので、漫画家目指してみたいけど、漫画業界まったくわからない……という人が参考にしても、まあいいんじゃないかなと思います。ただまあジャンプはいろいろ特殊でもあるので、どこでもああだとは思わない方がいいと思います。

で、もちろん漫画なので、多分にご都合主義だったり美化されている部分はあります。
私は集英社のお世話になったこともなければ、少年漫画誌を体験したこともないので、そもそも現実どうなのかよく知らないのですが・・・。

 

物語としては中学生コンビが初投稿からとんとん拍子に成長してうまくゆく、という漫画らしいサクセスストーリーになっています。
しかし、漫画ながら一応抑えているなというのは、主人公の二人が決して凡才ではないこと。

絵を担当する主人公、真城君はまず、仲の良かった叔父がアニメ化もされた連載漫画家だったというバックグラウンドがあります。
さらには、小学生から抜群に絵が上手で、大臣の名前入りの表彰状をもらうほど。
漫画絵にこそ慣れていないものの、もともと相当の画力の持ち主という設定です。

いざ漫画を描くと決めたらすぐに、中学生にして自分の絵の欠点を見抜き漫画に合わせて調整のうえ、完成原稿を仕上げる分析力・実行力。入院・手術が必要になってもペンを離さない根性。
天才とまでいかなくとも、漫画家に必要なすべての資質において非凡なのは間違いありません。

 

話を担当する相棒、高木君も漫画に専念していてもトップクラスを保つほどの頭脳の持ち主(勉強で彼に勝てなかった少女は後に東大に入学しています)、小説を書けば高校生ながら採用されるほど物語を作る能力にも長けている。こちらも相当に能力に恵まれた人物です。

私もブログに「一部の特殊な人しかなれない」としているように、彼らもまた普通の人ではなく、「特殊な人」と言えるでしょう

主人公となる漫画家をコンビにした主な理由は、漫画という、作業が地味で絵やエピソードにしづらいジャンルのため、人間関係をメインに据えてドラマをつくれる設定にしないとどうしようもない、というあたりから、主人公と蜜な関係で、切磋琢磨しあって成長できるような人間を置いたものと思います。

が、中学生からいきなり目指してどんどん成功してゆくという展開にあたり、一人の人間にそこまで才能と運がある、というのも説得力に欠けますし、そこまで「特殊な人」にしてしまうと、読者の感覚からかなりかけ離れてしまい、主人公に感情移入できなくなります。

しかし「絵が超絶上手で根性がある」「頭がよくて話なら考えられる」くらいなら、ぎりぎり現実味のある設定でしょう。
そういう意味でも、コンビ設定は良いと思います。

 

なお、主人公たちのライバルとして、「漫画の申し子のような天才肌」と、「いきなり目指し出して成功してしまう異色の天才」が出てきます。
読者からちょっとかけ離れた「特殊すぎる人」はこのようにライバルや友人に置くのが妥当だと思います。

 

読者がぎりぎり感情移入できるレベルで、かつ成功してもご都合主義にならない程度の才能と運の持ち主が、「友情」と「努力」によって「勝利」を手にしてゆくというジャンプの王道を行く構成になっています。

個人的には、もう少し二人の個性を出して、二人の関係に関するドラマも扱ったほうが、せっかくコンビ設定ですし、面白くなるような気もするのですが、今のところ順位を競う「バトル」の方に重点がおかれており、コンビ間についてはあまり描写がないという印象です。ま、今後どうなるのかわからないですけど。


感想はだいたいざっと以下のとおり!

 

●編集部及び編集部員の質が妙に高い。

いや、本当に集英社はあんな感じなのかもしれませんが・・・。

でも、編集部が全部あんな感じで、ああいう熱心で新人の人生まで考えてくれる編集部員が当たり前とは思わない方がいいです(笑)。
あれは原作者の「編集にはかくあってほしい」という理想が具現化したような・・・(笑)。

新人に絶対に必要な運としては「担当運」があります。
作中で真城くんが「アタリハズレがある」ときっぱり言っているとおりです。
正直、最初についてもらう担当さんによって、その漫画家の運命はかなり変わると思います。

服部さんみたいな担当さんに最初についてもらえたらいいですよねえ。
まあ良い担当さんを引き寄せるのも新人の実力のうちということで。

担当さんの好みによって作風が左右されたり、作家が気をもむ様子なんかはリアルでしたね。
ああいうことは実際、相当にあります。
主人公たちが自分の望む作品を掲載したい一心で、別の作品を読みきりとして出すシーンがありますが、実は私も似たようなことをやって、自分の望む雑誌に移籍した経験があります。(担当さんに無断とかではないです。一応ちゃんと相談のうえ)
他にもそういうことをした新人の話は聞きます。やり方によっては担当にケンカをうるような形になってしまうので、決して推奨はできませんが……。


●志望者の成功率が妙に高い。

まあ、これは漫画なのでしゃーない。
また、ジャンプは本当に有望な新人しか残っていかないので、ある程度まで残った新人が成功率が高いのは当然かもしれませんが。
また、質の高い志望者は同レベル同士でどうしても固まってゆくので、ある仲間内の成功率が高いのもある意味ありえることかとは思います。
逆に言えば、ダメレベルの志望者はダメレベル同士で傷のなめあいになりかねないということです。友人は大事ですが、高いレベルを目指すなら、自分も高いレベルの中に身をおくことは意識したほうがいいと思います。
私はそういう意味でも漫画の専門学校は薦めないんですよね・・・。

それにしても福田組の団結はすごいですね。新人漫画家同士はお互いにアシをしあったりして仲良くはなるものですが、あそこまではそうはないんじゃないかな・・・。私が知らないだけであるんですかね?


●主人公たちの漫画が…

これも仕方ないんですが、正直、設定とかストーリー展開を見る限り、そこまで面白いと思えないっていうか(笑)。
絵は、小畑先生ですので当然レベル高いのですが。
まあ、ジャンプで実際に連載されている作品と比べちゃいけない…。
ジャンプを目指す人は、あのレベルでいいとは思わないようにね(笑)。
しかし初持込のあの漫画は、まるで1960~70年代の漫画のようでいろんな意味でびっくり。
あの作品は、多分今だと少年誌だとまず無理、青年誌だとよくて選外佳作か選外Aランクくらいのレベルですね。

「ガラスの仮面」(そういやバクマンでアシの女の子がスゴイと思う漫画としてあげてましたね)という少女漫画があるのですが、演劇をテーマにした漫画のため、作中劇があるんですね。
その作中劇も、かなりのものが作者オリジナルなのですが、これが全部面白いんです。どれも独立した漫画として読みたいほどです。それも1つや2つじゃない。
作者である美内先生が、ある漫画新人賞で「最近の新人の漫画はストーリー性が薄い気がする」と苦言を呈しておられましたが、非常に説得力がありますね。
って話ズレましたけど。


●順位や票数の話に偏りすぎ

これも、ジャンプである以上しょうがないと思いますが・・・・。
ジャンルが漫画であっても「バトル」をしないといけないわけです。
漫画家がわかりやすくバトルをするのならば、どうしても順位や票数での勝負になりますからね。

しかし、漫画家志望の立場から見るなら、もう少し漫画を描く上での葛藤や工夫、過程にスポットをあててほしいような気もするのですが・・・・。
せっかくの原作・作画のコンビ設定も、それほど活かされている気がしないし・・・。

才能ある若い漫画家の目標が「順位」と「アニメ化」だけというのは、クリエイターとしてあまりに寂しいです。
それじゃあ、ただの点取りマシーンじゃないですか。

漫画家のなり方のところに書いたように、漫画をビジネスとして考えられることはとても重要です。
自分の表現だけにこだわって、客観的評価を気にしないのでは仕事になりません。
順位やメディアミックスを意識できなければ、仕事として継続が難しくなります。

しかし、いくらなんでも、あんなに順位のことしか考えていないってこたないだろう・・・。いや、考えてるの・・・?そういうもんなの・・・?

ライバル兼仲間である青木さんは多少自分の表現や描きたいものに対するこだわりや葛藤が見えるのですが、他の作家には驚くほどそれがありません。
あるのかもしれませんが、作中ではほとんど見えません。(現時点のアニメでは、ですが)

高木君にしても真城君にしても、あるいは新妻君、福田君などにしても、自分の漫画や自分のキャラに対する愛情がほとんど伝わってきません。(愛情表現としては、この作品なら一位がとれるとか、このキャラなら人気がとれるとか、アニメ化できるとか、そういうものばかり・・・・)


ずっと見ていると、漫画は彼らが一位をとるためのただの道具にしか過ぎないように思えてきます。

正直、漫画家志望としては悲しくなります。

そもそも、あの二人が漫画家を目指しだした動機からして、「漫画が好きだから」という動機はあまり感じられません。
高木君は自分で言ったとおり、「ただのサラリーマンで人生終わりたくない」、真城君は(そもそも作画家なので、絵での表現に限られるのですが)亡くなった叔父の夢を叶えたいというのが大きな動機になっています。

漫画が好きだとか、漫画で表現する喜びだとか、漫画を通して読者に、世に、何を伝えていきたいのかとか、そういう客観的評価以前の、漫画家としての自分の内部の意志や喜び、こだわりが、作品上からほとんど感じられないのです。

ある意味、そういうこだわりを一番感じたのは、序盤でライバル?として出てくる妙なビジュアル系アーティストです。(名前忘れました)。彼は逆に、自分の個性にこだわりすぎるあまり完全に読者を置いてきぼりにして、自滅してしまいましたが。

ああいうキャラを自滅するライバルキャラに設定する、ってことはジャンプは、個性重視の作家は不要なんですかね?自分のこだわりを貫こうとするような作家より、とにかく順位を追い求めるような作家が好ましいんでしょうか。

ま、商売になるのは当然後者ですけど。

 

ちなみに冒頭に書いた「まんが道」では、主人公の二人が、漫画雑誌の賞金稼ぎにはまってしまい、賞金稼ぎが目的のようになってしまうというエピソードがあります。

最初は、純粋に自分の漫画が売れた、仕事になったという感動をかみしめていた二人も、それが普通になると、だんだん賞金の額だけを気にするようになってゆき、より賞金がもらえるような漫画を描くようになります。
しかし、二人が尊敬する手塚治虫先生の新作を読んで、二人は改めて純粋な漫画に対する愛情を思い出すというものです。
もともと、この二人が漫画家を目指したのは手塚先生の作品にあこがれてのことですので。
なぜ漫画を描きたいと思ったか、なぜ漫画を描くのか……。二人が初心に戻ったエピソードでした。

 

「まんが道」は昔、まだ漫画家という職業が今ほど定着していなかった時代に、いかにして漫画家として生きていくかというところにも大きくスポットをあてて、本当に「道」という感じの作品でしたが、バクマンはジャンプという完成したシステムの中でいかに結果を出し続けていくかという話になっていますね。

野球に例えると、まんが道は自由に野球をやっている感じ、バクマンはバッティングセンターで、機械的に繰り出される玉を、いかにより高く打ち続けるかだけを考えているような感じがします。

別に、バクマンがつまらないというわけではないのですが、表面上の競争だけに焦点をあててしまっている以上、話の深みは薄いという印象です。
ジャンプなんで仕方ないかもしれません。変に深みとか需要ないのかもね。

もしくは今からそこらへんに切り込んでゆく予定なんでしょうかね??

 

それにしても、ジャンプってあそこまでアンケート順位至上主義なんでしょうかねえ・・・。本当に・・・・?

誇張されてるのか、本当にあんな感じなのか、どちらとも思えてしまうあたりがジャンプですね。

ちなみに私のいた雑誌では作家はアンケート結果は教えてもらえませんでした。聞けば答えてくれたかもしれませんが。
私は大分後になってから一度だけ「あの作品はここしばらくの新人ではすごくアンケートが良かったんだ」と教えてもらったことがあります。そういうことはすぐに言っておくれよ・・・。

 

●作家の柔軟性・分析力が高い

これも漫画なのでといってしまえばそこまでですが。

あちこちに私も書いていますように、多くの新人漫画家は自分の作品を客観的に見れません。たいていは非常に過大評価しています。私ももちろん経験あります、というか今も経験中です。

なので、未熟な漫画家志望ほど、したり顔で他の新人の作品をこきおろします。たいていは投稿もしたことないようなレベルの人ですけどね、そういうことをするのは。
まだ読者側なんです、意識が。その読者側の意識を自分に対しても向けられるといいのですが、なぜかそれはできない。

でもバクマンに出てくる作家たちは主人公はもちろん、ライバルも仲間も、かなり自分や人の作品を公平に客観的に評価でき、さらに長所短所の分析力に優れている。
これはなかなか稀有なことです。

人の作品の長所を、自分の作品の短所を、素直に認められるのは、作家にとってとても有利なことです。
また、主人公二人は、人の話を聞く力も優れている。
人の話を素直に受け入れられる新人は伸びます。

私は人の話を聞けないんです。本人は一生懸命聞いているつもりなんですが、聞いていても、無意識化で自分に要不要な情報を、勝手に自分で選別してしまい、結果、必要な情報も退けてしまっているようです。
これは漫画にかかわらず、人生全般で本当に損をしますので、みなさんは人の話をちゃんと、本当に、聞くようにこころがけてください・・・・・。

 

 


さて、なんか批評めいたことばかり書きましたけど、漫画家志望なら読んでみるといいと思います。
漫画としても面白いですしね。小畑先生の絵はきれいだし。

って、私もアニメしか見てないんですが、今度原作も買ってみようと思っています。