漫画家を目指す人へ

漫画家を目指す人へ参考になれば。

ポップ!

2012-02-08 22:34:31 | ■ポップでシュールでアール・ヌーヴォー

このカテゴリはなんだろう?という感じですが・・・。

この「ポップでシュールでアール・ヌーヴォー!」とは、私が絵を習っていた恩師の言葉でございます。
絵といっても美術予備校だったため、芸術的な価値やら探索やらを目的とした言葉ではなく、これは「合格のためのテクニック」で、この三要素を上手に取り入れた作品が、合格しやすくなるよ!というそういう恩師の持論なのでした。

最近ふとこの言葉を思い出しまして、漫画にもけっこう言える言葉だよなと思いましたもので、恩師の言葉を勝手に拝借しまして、つらつらと。

「ストーリー」のとこに書いた内容と、けっこう重複してるかもです。すみません。


「ポップ」

これは英語popを辞書ひいて調べていただければそのとおり。
「大衆向き」とか、そういう意味ですね。
漫画ですと「王道」「定番」とか「一般ウケする」とか、そう言い換えてもいいと思います。

漫画においてどういったものが「ポップ」かというと、人によって違いはあれど、以下のような特徴があるかなと思います。

・読者が感情移入しやすい「ある程度身近な」主人公
・覚えやすくキャッチーなキャラ
・読者が身近に感じるネタやモチーフ
・全体として明るく善良なストーリー展開
・ハッピーエンド
・わかりやすい明確な起承転結
・健全な笑いと、ときどき涙

「ドラえもん」「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」など、国民的漫画はこういった要素はだいたい抑えていると思います。

とくに、新聞の連載四こま漫画はpopの塊のような作品が多いです。

新聞という老若男女・いろいろな職業・立場の人間が読む場ですから、「一部の人しか楽しめない、わからない」ものや「人によっては不愉快に感じる」というものは載せられないわけです。
なので、なるべく多くの人が身近に感じられる主人公・お話になります。だから家族ネタなどが多いのですね。

そして、四こま漫画は「起承転結」しかありませんので、絶対に「明確な起承転結」になります。

あと、他でも書いたかもしれませんが、「ドラえもん」の構成力は本当にすばらしいので、四こま漫画の次に、構成の参考にするといいと思います。

他にも、少年・青年漫画なら「わかりやすいサクセスストーリー」、少女漫画なら「ほどよいドキドキ感のあるハッピーエンドの恋愛もの」など、それぞれのジャンル・読者層で「一般ウケしやすい」内容があると思います。

マニアックな漫画も、それはそれで需要がありますので、必ずしもポップにこだわる必要はありませんが、受け入れられやすいのは受け入れられやすいでしょう。

「自分はそんな読者に媚びるような個性のない普通なモノを描く気はない!」という、天邪鬼もとい個性派な志望者さんも、自分のやりたい路線でつまづいたときには、一度、こういうモノを目指してみてもいいと思います。

個人的には、もともと個性的な感性の持ち主が、無理して一般向けを狙ったモノというのは、なんとも言い難い、不思議な雰囲気をまとった、いい意味で奇妙な作品になっていることがあって、それはそれで良いと思います。

また、好きなモノと向いているモノが違うということも多々ありますし、やってみてダメならダメでも学ぶことはあると思いますしね。


シュール!

2012-01-24 15:48:34 | ■ポップでシュールでアール・ヌーヴォー

「シュール」という言葉はけっこう日常でも聞くと思います。「シュールギャグ」とかいいますよね。

これはシュルレアリスム、という美術用語からきています。学校の美術で習った方もいるでしょう。

シュルレアリスムとは直訳すると「超現実主義」。
「超・現実主義」ではありません「超現実・主義」です。
つまり「現実を超えている」…非現実的に近い意味です。

難しいことは私もよく知らないので割愛しますが、このシュルレアリスムを説明するのに適した言葉として「手術台の上でのミシンと蝙蝠傘の出会い」というのがあります。

意味がわからないですよね。

普通、手術台の上でミシンと蝙蝠傘は出会いませんから。


この「普通は出会わないもの」を「出会わせる」ことによって生じる、不思議さや不可解さによって、現実を超えた世界を構築し、人の感情に強い印象を残すのが、シュルレアリスムの手法です。

有名なシュルレアリスムの作家ではダリがいます。
みなさんも教科書で、時計がだら~っと溶けている絵を見たことがあるのではないでしょうか。
時計という硬質で「普通は溶けない」ものが「溶けている」
それだけで、見る人に強い印象を残します。

この「意外な組み合わせで人をひきつける」手法は、漫画でも実によく使われています。

あちこちに書いている、「ギャップをつくる」ってやつです。

キャラの設定でもそうですし、ストーリーの設定もそうです。

もはや、ごく自然になってしまいましたが、「ドラえもん」は「SF」です。
ごくごく昭和な普通の一軒屋の、普通の小学生の、六畳間の勉強机の引き出しが、22世紀の未来世界へつながるタイムマシンになっているなんて、シュール以外のなにものでもないです。
日本の漫画でSFを日常的なものにしたのは藤子不二雄先生だと思います。それまでSFといえば、普通の小学生の勉強部屋を舞台にするものではありませんでしたから。

「のだめカンタービレ」は、作者が知人に「薄汚れた六畳一間にグランドピアノを置いてる音大生がいる」と聞き、「薄汚れた六畳一間」と「グランドピアノを弾く音大生」の組み合わせのギャップに興味を惹かれたところから生まれたとのことです。
「のだめ」という拍子抜けのするゆるい日本語と、「カンタービレ」という音楽用語(イタリア語です)のギャップも、インパクトのある題名をつくっています。
「テルマエロマエ」も「古代ローマ」と「現代日本の庶民生活」という普通結びつかないものを結びつけたところに面白さがありますし、「聖☆おにいさん」は誰もが知る「世界的な聖人」とこれまた「現代日本の庶民生活」を結びつけています。

あとギャグでも「シュール」な手法はよく使われています。

シュールギャグの草分け的な存在といえば、吉田戦車先生の「伝染るんです」ですが、最近ではジャンプで連載している空知英秋先生の「銀魂」なども典型的なシュールギャグだなと思います。

銀魂のギャグの基本的なスタイルは一つ一つは普通のものでも、「普通は結びつかないものを無理やり結びつけることによる可笑しさ」ですから。

もちろん銀魂の他にも、そういったことをやっている漫画は多いですので、ちょっと注意してみてみると面白いと思います。

 

 

あとは、設定ではなくストーリー展開も、「意外性」はほどよくあった方がいいです。
もちろん意外ならいいってわけではないですが、あまりに「予定調和」だと面白くありませんから。

倒したと思った敵が実は生きていたとか、主人公が仲間を見捨てたと見せかけて実は助けにくるとか、そういう展開はよくありますよね。
また、そういうストーリー展開に関わる大きな意外性でなくても、「ちっちゃい意外性」を1エピソードにいくつも散りばめている漫画はとても多いです。

たとえば、朝、部屋の中で「遅刻決定だ!」とわめいて大騒ぎしていた主人公が、次の瞬間には教室で涼しい顔をして座っているとか、とってもかわいい癒し系の子犬が、主人公にだけ突然牙をむくとか。

何気ないエピソードにも、そういうちっちゃい意外性をちりばめて進行させることで、読者が退屈せず読むことができます

みなさんが普通に読んでいる漫画でも、そういう小さい工夫をたくさんしていると思いますので、ちょっと注意して読んでみてください。

 

こういう意外性は、ストーリーやキャラにあってないものを、無理やり入れる必要はないのですが、「あまりにも普通すぎるかも」「お約束すぎ?」と自分で思ったら、少し何かひねりを入れられないか考えてみるといいと思います。

みなさんだって、学校で、先生が教科書をただ読むだけの授業はつまらないですよね。
先生が読み上げるのを聞かなくたって、教科書自分で読めばわかります。
さらに、あらかじめ塾で習ってたりしたら、さらに退屈な授業になるでしょう。
「聞かなくてもわかるものは聞きたくない」「読まなくてもわかるものは読みたくない」んです。

でも、普段ただ教科書を読むだけの先生が、ある日、
「…と、教科書にはこう書いてありますが、先生は敢えて違う方法を皆さんに教えます!」
と、パタンと教科書を閉じたら、それはちょっと聞こうかと思うでしょう?

「普通と違う」はそれだけでちょっと魅力的なんです。

人間は「定番」や「王道」に安心感を覚える一方、「意外性」のあるものに惹かれます。

「いや、これはありえなさすぎて無理」と思うネタでも、最初の「ポップ」と組み合わせて、「こうすれば一般ウケするネタにできるかも」と、工夫してゆくと、「ポップでシュール」が可能かもしれません。
「テルマエロマエ」が「お風呂」という日本人なら誰でも身近に感じるモチーフで、普通ならありえない「古代ローマ帝国」と「現代日本」を結びつけたように。

今は使えないネタでも、いつか何かと結びついて使えることがあるかもしれませんので、いろいろ自由に発想してストックしておくと良いとおもいます。


アール・ヌーヴォー!

2012-01-18 07:38:53 | ■ポップでシュールでアール・ヌーヴォー

 

これは正直、なんかよくわからないですね。
私がそもそも「アール・ヌーヴォー」を理解していないので。
(美術系の大学を出ているからといって必ずしも美術全般に造詣が深いわけではないのですよ・・・。学科や講師によってはほとんど学ばない分野も多いので)

Wikipediaなどで調べたら説明は出てきますが、それよりは、「アール・ヌーヴォー」で画像検索するのが一番、つかみやすいと思います。

曲線を基調とし、植物や昆虫をモチーフにしたアート作品が出てきたのではないでしょうか。
優雅で、なめらかで、やわらかそうで、なまめましく、色っぽい。モチーフによってはちょっと気持ちが悪い。
そういうアート作品ですね。

私の美術の先生が「アール・ヌーヴォー」と言っていたのは、おそらくですが、「有機的構成」ということを言いたかったのではないかと思います。
ここで言う構成は「画面構成」のことですが。
無機質な人間味の感じられない構成ではなく、ある程度の生々しさや、色っぽさ、生物的な有機質な要素を入れろということでしょう。


これを漫画に置き換えて考えると、「有機的構成」というのは、絵と話、双方にかかってくることかと思います。

絵については、単純に「直線でなく曲線で考える」だけでも、有機的にはなります。
人間の体に直線ってないんですよ。一本の骨だって直線ではありません。当たり前ですよね、自然物なんですから。
なので、今人体を描くときに、直線でアタリをとっている人は、曲線を意識するだけでも、やわらかい感じになると思います。

私、こういう本を買ったのですが、この本では特に曲線でクロッキーをすることを重要視して書かれています。

人体クロッキー―美術解剖学をデッサン・アニメ・漫画に活かす

ちょっと高いですが、お金に余裕があって、「人物の体がなんか固くなって動きが出ない」とお悩みの方にはいいかも。


またこれは「動き」についても同様。「動線」といいますか、人間がどういう流れで動き、構図をどういう流れで見せるかといったことですね。

特にスポーツやバトルを描く人は意識するといいと思いますが、これも体の線同様、直線で考えるより曲線で考えたほうが「動き」のあるポーズ、構図になります。
実際にスポーツやバトル(格闘技や殺陣など)を見るとよくわかると思います。

 

また、絵が下手だった人が、デッサンやクロッキーを一生懸命やって絵が上手になった。上手にはなったけど、下手だったときにあった持ち味が消えてしまった・・・。というのは稀にあることです。
それは、その人の個性だった癖まで、一緒に修正してしまったからというのが大きいです。
これは難しいです。好みもありますしね。
デッサンの崩れや歪みを直すと、どうしても癖も一緒に消えてしまうことはあります。

これは、絵があまり上手じゃないと一般的に言われている漫画家(失礼ですが…)の作品が、アニメ化している場合、原作とアニメを見比べてみてください。
アニメ化にあたり、たいていはデッサンの狂いなどは極力直します。
かといって、原作者の持ち味や個性を消すわけにいかないので、アニメ化するとき、キャラクターデザイナーや作画監督は、かなり注意をはらっているはずです。

ですので、例外はあるかもしれませんが、たいていは持ち味を消すことなく、「下手」に見える要素だけを消していることが多いです。

自分の絵が下手だなあと思っている人は、自分の漫画がアニメ化されたら、どういうキャラクターデザインになるのか、実際の例にてらしあわせて想像してみたら、それがあなたの目指す絵なのかもしれません。

 


話の構成においての「有機的」というのはちょっとわかりづらいですね。
抽象的というか、かなりこじつけた話になってしまいますが・・・。


無機物が直線的・一方的なイメージとしたら、有機物は曲線的・多方面なイメージです。

建造物で考えると、日本のあちこちに建っている普通のビル、直線で下から上に順番に積み重なって構成されていますね、ああいうのが「無機的な構成」なのに対し、スペインの建築家、アントニオ・ガウディの建築物を思い浮かべてみてください。知らない人は画像検索でぐぐる。

曲がりくねった形、どこに続いてるのかわからないような壁、ゆがんだ窓、非常に自由な建築物です。
それでもちゃんと建っているのですから、構成としてはきちんと成り立っているわけです。
非常に「有機的な構成」です。

 

漫画のストーリー構成で考えると…

ただ順番どおりに無駄なく、最初から最後まできちんとまっすぐつながっているだけ。破綻したり揺らぐことはないが、「まじめに普通にちゃんとしてる」以上の感想を人に抱かせることはない、「普通のビル」
…無機的な構成

見た人が驚くような奇想天外な展開があったり、無駄にしか見えないような部分があったりもするが、基本はしっかりあって破綻したりはしない。おかしいところや無駄に見えるところも含めて味があって面白く、人を楽しませる「ガウディの建物」
…有機的な構成

って感じでしょうか。

 

まあ、ガウディは別に人をおもしろがらせようとしてあのスタイルになったわけではないのですが・・・。
私も作品を見たときはてっきり愉快な人かと思ったのですが、ストイックなまでに真面目で敬虔なクリスチャンだったそうです。


さて、では実際構成でどうすればいいかというと、その肝心な部分についてあまり説明ができないのですが、できそうなところだけでも。

 

・無駄をそぎ落としすぎない。

もちろん、無駄ばかりだとページは足りないわ冗長になるわで、良くないのですが、ストーリー展開上無駄に見えても、キャラをたたせるのに役立ったり、読者がストーリーに感情移入するための「間」になったりすることがよくあります。
そういう一見無駄っぽい部分に、作者の個性や味が出たりもします。
つまりが、「無駄ではない」ということなんですが。

変に真面目な人だと、ストーリー展開に直接関係がないシーンやエピソードを根こそぎカットして、きちきち「必須要素だけ」をカッチリつめた構成をしたりしますが(ページ数の都合とかいろいろありますしね)、漫画は論文でもパズルでもないので、もう少し広い心で「余裕と遊びをもって」構成してください。

カットするかどうかの基準はケースバイケースではありますが、「なんとなく読み飛ばしてしまう」「面白くない」部分を重点に確認ください。
「説明だけしかしていない」「役目が重複している」エピソードはなるべくカットの方向でいいと思います。

説明は、なるべく「説明」にならないように、各エピソード内に練りこみましょう。また、実は必要ないということもあるので、一度思い切って完全カットしてみるのもいいと思います。

また、「このエピソードとこのエピソード、役目は同じだよな」と思えば、魅力的なほうを残してカットしたり、あるいは一つにまとめたりします。

そうやっていくと、「面白い内容」だけが残っていくので、作品としても面白くなってゆくと思います。

「無駄かどうか」より「面白いか、魅力的か」を基準にカットするといいでしょう。

それであんまり意味不明になったり話が破綻するようなら、「必要だけど面白くない」エピソードがあるということなので、なんとか面白く練り直す作業をするといいと思います。

漫画は「おもしろい、楽しい」というのが重要なのであって、「理路整然とスキなくまとまってる」のがエライわけではありません。
無駄っぽく見えても、自分で気に入ってるちょっとしたコマやシーンなどは残すほうがいいと思います。

 

・順序にこだわりすぎない

「海は水でできており、水は水蒸気となり、水蒸気は光を反射して虹となるので、海は虹になるといえる」
気の長い人でないと、ちゃんと最後まで聞いてくれなさそうな説明です。

教科書の説明ならこれでいいでしょうが、漫画や小説なら
「海は虹になるんだよ」
と結論だけ言って、相手をひきつけてから「だって海の水が水蒸気になって、虹をつくるでしょう」と説明した方が、読者も読んでくれます。

帰納法やら演繹法やらおそらく国語の授業で習うと思いますが、漫画は基本帰納法でいく方がいいですね。

「こうだから、ああで、こうなって、そうなって…」とバカ正直に順番どおりエピソードを積み重ねる必要はありません。

一番インパクトのあるシーンや、結論からまずぶつけていくのもありですし、「ここはいちいち説明しなくてもわかる」と思えば、ざっくりカットしてしまうのも必要です。

二つ以上のエピソードを同時に動かすなら、一つ一つ順番に片付けず、交互にカットしながら見せてスピード間を出すなどもよくある手法です。

プロの先生方の作品をよく読むと、先生方もそのような工夫を随所にこらしているはずです。このあたりの感覚も、映画などを見ることで磨くことができると思います。


私は話の構成においては、何度もすみませんが、藤子F不二雄先生が非常にシンプルでストイック。無駄(カットしてはいけない無駄ではなく、本当の無駄)やスキのない構成になっていると思います。
短編の傑作によくあげられる「ミノタウロスの皿」などは芸術的といっていいくらいの構成です。普通30Pやそこらで描けるネタじゃありません。もちろん構成だけではないですが・・・。
子供向けに、毎回12Pの読みきり(ドラえもんなどですね)を何十年も描いていたのですから、無駄と無駄でないものを区別しそぎ落とすスキルはすさまじいものがあると思います。

それに対し、手塚治虫先生は、より有機的です。
同じく毎回読みきり形式だと「ブラックジャック」がありますが、こちらももちろん無駄はそぎ取られていますが、なんというかちょこちょこ余裕というか遊びというか、そういう部分がありますね。

そして、ものすごく有機的なのは、萩尾望都先生だと思います。

萩尾望都先生は、少女漫画の大御所で、SFなども多く描かれていて、男性にもファンの多い作家さんなのですが、一度、「男性にはあの漫画をどう読んでいいのかわからない」と聞いたことがあります。あるいは「読みづらい」と。

一般的に、少年漫画や青年漫画よりは、少女漫画の方が絶対に有機的になります。

これは、少年・青年漫画が「縦軸一本のストーリー」を軸に進む展開が多いのに対し、少女漫画は「縦軸のストーリー+横軸の感情」を織り交ぜての展開が多いからだと思います。一つの敵を倒せばまた次の敵…という展開ではなく、恋愛に夢に友情に揺れ動きながら進むストーリーが多いです。

萩尾先生や、同時代デビューの少女漫画家さんの作品は、この「織り交ぜ具合」がかなり有機的で、ストーリーの縦軸と、感情表現の横軸が一気同時に動いていきます。萩尾先生の場合は画面構成的にも、1コマ1コマが必ずしも独立しているわけではなく、隣のコマとくっついていたり、1枚絵なのに絵の中に時間軸が表現されていたりと、画面的にも有機的です。

なので、そういう構成に慣れていない男性には「どう読んでいいのかわからない」となるようです。

こういった先生方の構成を見比べてみるのも、いろいろ参考になって面白いと思います。