時系列は少々錯綜しますが悪しからず・・・
親父は四人兄弟の末っ子で本家を継いでいた。小さな兼業農家でどちらかというと裕福でない家庭だが一応本家なのでお盆などは仏壇を祭っている関係で人が集まる。しかし、なぜかお正月は誰も来ない。子供のときから不思議だった。お年玉がもらえない。
そんな私も成人して堂々とお酒を飲めるようになったある日のこと友達と部屋で遊んでいると母親が「お父ちゃんが迎えに着てって」と呼んでいる。厳しい父親であまりフレンドリーに接したことが無い関係だったので迎えに行くということ自体初めてだった。なんでもスナックで飲んでいて車に乗れないので迎えに来てほしいらしい。友達のカー君を引き連れて親父の居るスナックへと向かった。スナックは実は初めてではなく18歳で就職して以来もう何度も行ったことがあった。
スナックのドアを開けると同僚や部下達とにぎやかに飲んでいる親父が居た。スナックのママが「あれ~○○さんの息子さん?男前~」などと近寄ってきた。
親父はニコニコ顔だった。ママが「ネぇネぇ 何か歌ってよ!」と誘う。親父は無理無理みたいな顔で見ていた。私は「じゃ兄弟舟歌います!」といったら喚声が上がった。ここまできたらと思ってマイクを持った瞬間から自分で司会をして歌った。「歌は流れる・・・赤い灯、青い灯誘われてやってきましたここ○○。今宵私が歌います兄弟舟聞いてください。 波の谷間に・・・」と歌い上げた。
ビックリする親父と喚声を上げる親父の仲間たち。楽しい雰囲気だった。
このことがあってから親父は随分普通に話してくれるようになりスナックへ向かいの行く回数も多くなり飲むと昔話をするようになった。
そんな正月、家を出て働いていた兄貴や近所の友達などが集まり宴会をすることになった。宴会は大いに盛り上がりしこたま飲んだ。翌日、目が覚めたとき宴会の席で毛布に包まった状態で目が覚めた。その場に寝てしまったので仕方なくそのまま寝かしたそうだ。驚いたのは消費した酒の量である。日本酒七本半、ビール一ダースぐらい。ウイスキー一本ぐらい。へぇ~いったいどれだけ飲んだの。凄いの一言に尽きる。母親があきれていた。もっと凄いのは私の他も次々にダウンし退散して行ったらしいが兄貴は宴会の片付けが終わった部屋の片隅で深夜番組を見ながら一人で一升飲んでいたそうだ。そして、その兄貴は私がぶっ倒れて寝ているのをよそ目に朝早くから初詣に出かけていた。
今でも兄貴とは張り合いたくないと思うほど酒は強い。しかし、少し前に書いたように私の兄と姉はお酒を飲むとすぐに真っ赤になり蕁麻疹がでて大変なことになる体質で、両親も兄貴と姉は一生、お酒は飲めないだろうと思っていたらしい。親父に似たのだ。親父も飲むとすぐ真っ赤になり決して強くないと思う。(弱くも無いが・・・)確実に遺伝していたはずだがそんな兄貴も大阪で営業の下積み時代に無茶をさせられ肝臓を悪くして何度か病院通いも経験したらしい。それでも営業は酒が飲めなければと毎日少しつづ酒をのんで鍛えたらしい。
人間鍛えるとすごいもので五十歳を超えた兄貴は今も焼酎の3リットルボトルを大体一週間に一本のペースで飲んでいる。
そんな兄弟と経験を持っている私なので会社の後輩達で酒に付き合わない奴がいるとついつい情けなく思ってしまう。
勿論、無理して飲む必要はまったく無いが、付き合い程度には飲んでほしいし、少しは羽目をはずしてほしいと思ってしまう。
そうそう。なんで本家なのに誰も正月に集まらないかというと親父の兄貴達は大酒飲みなのだが飲むと絡むらしく、兄弟喧嘩になったりするらしい。それを見かねて祖父が「正月から喧嘩するな! 酒を飲むならもう来るな!」と怒ってそれ以来誰も来なくなったらしい。そうか、じゃ楽しい酒なら祖父も許してくれるだろう。幸いにも私達兄弟や近所の友達は良い酒(量は多いが暴れない)なので、それいらいお正月に大宴会をする習慣が続いている。
教訓 酒は楽しくのみましょう! 程々に!
親父は四人兄弟の末っ子で本家を継いでいた。小さな兼業農家でどちらかというと裕福でない家庭だが一応本家なのでお盆などは仏壇を祭っている関係で人が集まる。しかし、なぜかお正月は誰も来ない。子供のときから不思議だった。お年玉がもらえない。
そんな私も成人して堂々とお酒を飲めるようになったある日のこと友達と部屋で遊んでいると母親が「お父ちゃんが迎えに着てって」と呼んでいる。厳しい父親であまりフレンドリーに接したことが無い関係だったので迎えに行くということ自体初めてだった。なんでもスナックで飲んでいて車に乗れないので迎えに来てほしいらしい。友達のカー君を引き連れて親父の居るスナックへと向かった。スナックは実は初めてではなく18歳で就職して以来もう何度も行ったことがあった。
スナックのドアを開けると同僚や部下達とにぎやかに飲んでいる親父が居た。スナックのママが「あれ~○○さんの息子さん?男前~」などと近寄ってきた。
親父はニコニコ顔だった。ママが「ネぇネぇ 何か歌ってよ!」と誘う。親父は無理無理みたいな顔で見ていた。私は「じゃ兄弟舟歌います!」といったら喚声が上がった。ここまできたらと思ってマイクを持った瞬間から自分で司会をして歌った。「歌は流れる・・・赤い灯、青い灯誘われてやってきましたここ○○。今宵私が歌います兄弟舟聞いてください。 波の谷間に・・・」と歌い上げた。
ビックリする親父と喚声を上げる親父の仲間たち。楽しい雰囲気だった。
このことがあってから親父は随分普通に話してくれるようになりスナックへ向かいの行く回数も多くなり飲むと昔話をするようになった。
そんな正月、家を出て働いていた兄貴や近所の友達などが集まり宴会をすることになった。宴会は大いに盛り上がりしこたま飲んだ。翌日、目が覚めたとき宴会の席で毛布に包まった状態で目が覚めた。その場に寝てしまったので仕方なくそのまま寝かしたそうだ。驚いたのは消費した酒の量である。日本酒七本半、ビール一ダースぐらい。ウイスキー一本ぐらい。へぇ~いったいどれだけ飲んだの。凄いの一言に尽きる。母親があきれていた。もっと凄いのは私の他も次々にダウンし退散して行ったらしいが兄貴は宴会の片付けが終わった部屋の片隅で深夜番組を見ながら一人で一升飲んでいたそうだ。そして、その兄貴は私がぶっ倒れて寝ているのをよそ目に朝早くから初詣に出かけていた。
今でも兄貴とは張り合いたくないと思うほど酒は強い。しかし、少し前に書いたように私の兄と姉はお酒を飲むとすぐに真っ赤になり蕁麻疹がでて大変なことになる体質で、両親も兄貴と姉は一生、お酒は飲めないだろうと思っていたらしい。親父に似たのだ。親父も飲むとすぐ真っ赤になり決して強くないと思う。(弱くも無いが・・・)確実に遺伝していたはずだがそんな兄貴も大阪で営業の下積み時代に無茶をさせられ肝臓を悪くして何度か病院通いも経験したらしい。それでも営業は酒が飲めなければと毎日少しつづ酒をのんで鍛えたらしい。
人間鍛えるとすごいもので五十歳を超えた兄貴は今も焼酎の3リットルボトルを大体一週間に一本のペースで飲んでいる。
そんな兄弟と経験を持っている私なので会社の後輩達で酒に付き合わない奴がいるとついつい情けなく思ってしまう。
勿論、無理して飲む必要はまったく無いが、付き合い程度には飲んでほしいし、少しは羽目をはずしてほしいと思ってしまう。
そうそう。なんで本家なのに誰も正月に集まらないかというと親父の兄貴達は大酒飲みなのだが飲むと絡むらしく、兄弟喧嘩になったりするらしい。それを見かねて祖父が「正月から喧嘩するな! 酒を飲むならもう来るな!」と怒ってそれ以来誰も来なくなったらしい。そうか、じゃ楽しい酒なら祖父も許してくれるだろう。幸いにも私達兄弟や近所の友達は良い酒(量は多いが暴れない)なので、それいらいお正月に大宴会をする習慣が続いている。
教訓 酒は楽しくのみましょう! 程々に!
新入社員の頃は、日本酒のおいしい地域に配属されたため
毎晩飲み会でお酒に強くなった覚えがあります。
でも、飲まない日が続くと元に戻っちゃいました~。(汗)
楽しい酒が大好きです。忘年会のシーズン。わくわくします。
何時かブログにコメントいただく人たちと楽しく飲みたいなぁ~なんて思っています。
今はあんまり飲めないですけど、飲まなくてもそういう場は楽しくて大好きです!