あなたの想いはあなたそのもの

おばあちゃんの知恵袋!

マララ・ユスフザイの父

2015-01-25 08:31:32 | 日記
TEDで2014年ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイのお父さんの話がありました

イスラム過激派の標的となりながら、教育の大切さを説い続けました。
そのマララを導き支え続けた父!
マララは言います。
父はインスピレーションを与え模範であり続けましたと。
でも父は答えます。
私は何もせず、娘を自由にしただけ!
それが重要なのですと!



教育者 ジアウディン・ユスフザイは言います

1969年パキスタン北西部スワート地区に生まれます。
この地区は男性優位の伝統が根強い、この地域では多くの女性が教育を受ける機会がなく、社会の表舞台に立つことはありません。
そこでジアウディンは大学卒業後まもなく学校を創設し女子教育の普及に目指したのです。娘のマララは医者になる夢を抱き、この学校で勉強に励んでいました。
しかし親子に大きな試練が訪れます。
女子教育を否定するイスラム教の過激派にマララは銃撃され生死をさまよいました。

今回のプレゼンでは父ジアウディンが恐怖と悲しみに耐えた苦闘の日々と娘マララへの想いを語ります。



多くの家父長制社会や部族社会では息子を見れば父親がわかると言われる

私の場合は、それが娘なので珍しい

そして、これを誇りに思います

マララは2007年に教育の権利のために立ち上がり2011年に自国パキスタンで平和賞を受賞しました

そしてマララは、とても有名になったのです

私はマララの父として知られるようになったのです

人類の歴史を見てみると女性はさんざん不公平、不平等な扱いを受けてきました

暴力も搾取も家父長制社会の現実はと言うと女の子が生まれたらこうだ

その子の誕生は祝福されない

その子の父親も母親も喜ばない

近所の人たちは母親を哀れむ

父親にお祝いを言う人はいない

女の子を産んだ母親は肩身の狭い思いをする

一人目の子が女の子だと母親は悲しみます

2人目も女の子だとショックを受けます

そして男の子が欲しいのに3人目も女の子だと自分が犯罪者のような気になる

母親だけではなく生まれてきた女の子も後々、苦しみます

5歳は就学年齢ですが女の子は学校に行かず家にいます

男の子は学校に行きます

12才までは女の子も一応良い生活

友達と外で遊ぶことが出来ます

蝶のように自由に飛び回れる

しかし13才になると男性の付き添いなしで外出することを禁止されます

女の子は家に閉じ込められるのです

自由な個人ではなくなるのです

家族の面目を壊さないように生きることが義務になる

そして規範を破ったりしたら殺されたりもする

興味深いのは、この規範と言うものが女の子の人生だけでなく男性の人生にも影響を及ぼすと言うこと

娘7人、息子1人と言う家族を知っています

その唯一の息子は姉や妹、両親のために湾岸諸国に出稼ぎに行っています

そうしないと自分が恥をかくことになると言う意識

姉や妹が働きに出るのは彼にとっては屈辱的なことなのです

それで自身の生きる喜びも姉や妹の幸せも犠牲にしている

面目のために

それから、もう一つ

家父長制社会で重んじられるのは服従

良い女の子と言うのは、おとなしくて謙虚な子、従順な子

おとなしくないといけないのです

何も言ってはいけないのです

父や母、年上の人が決めたことは受け入れる

たとえ嫌でもです

好きじゃない男やかなり年上の男との結婚でも断らない

反抗的だと思われたくないからです

幼い年齢での結婚でも受け入れるしかないのです

それでどうなるのかというと結婚してベッドを共にして子供が産まれる

そして皮肉なことに結局この母親も娘には服従の大切さ、息子には面目の大切さを教える

悪循環が止まらないのです

皆さん

何百万人もの女性の、この苦しみは取り除けます

そのためにも私たち男性も女性も意識を変えること

途上国の部族社会や家父長制社会の男性や女性が家庭および社会の常識を打ち崩すこと

差別的な法律や制度を撤退すること

女性の基本的人権を否定するような法律や制度をです

マララが産まれた時の話をします

正直に言うと私は赤ん坊が苦手なんです

そんな私ですが生まれてきた娘の目を見たら誇らしい気持ちになった

名前はだいぶ前から考えてありました

私はアフガニスタンの伝説のヒロインに関心があった

マイワンドのマラライです

その人物にちなんでマララにした

マララが生まれて数日後のこと私のいとこが家にやってきました

彼はユスフザイ家の家系図を持ってきた

家系図には300年前の先祖まで載っていました

しかし男性だけです

私は自分の名前の所から線を引きマララと書き足しました

そして私はマララが4才半の時にマララを私が経営する学校に入れた

女の子が学校に行くということがどういうことなのか言いたい

カナダやアメリカ、先進国では当然のことかもしれません

でも貧しい国、家父長制社会、部族社会では女の子にとって重大なことは学校に通えるというのは個人としての存在を認められるということ

学校に通えるということは夢や希望を持てるということ

自分の可能性を広げられるということです

私の5人の女きょうだいは学校に通えなかった

皆さんが驚く話があります

2週間前ビザ申請書を書いていて家族の欄がありましたが私は女きょうだいの名字を思い出せなかった

理由は彼女らのフルネームが書かれた書類を目にしたことがないから

私は自分の娘を大事にしたいと思う

私の父が娘にしてあげられなかったこと、それを変えなければならない

私は娘の知性や才能を信じてきました

娘を私の友人に合わせたり会合に連れて行ったりもしました

良い価値観を身につけるよう導いた

マララだけではないですよ

私の学校の女子や男子、皆に良い価値観を教えてきました

教育によって解放するのです

女子には、こう教える

服従という価値観を捨てなさい

男子には、こう教える

つまらぬ面目にこだわるのをやめなさい

私たちは女性の権利の拡大を目指し努力してきました

女性の社会進出を進めるために奮闘してきました

そんな中、新たな流れが女性の権利など人権を侵害する流れ

タリバン化です

女性をあらゆることから完全に排除する動き

全ての政治、経済、社会活動からです

何百もの学校がなくなった

女の子が学校に行くことが禁止された

女性はベールの着用を強いられ市場に行くことを禁止された

音楽が禁止された

女の子が鞭打ちされた 歌手が殺された

でも反対の声を上げたのは、ごく少数

こういう状況で自分の権利のために声を上げるのは怖いのだ

殺されるかもしれない 鞭打ちされるかもしれない

マララは10才の時、教育の権利のために立ち上がった

BBCのブログに投稿したりNYタイムズ制作のドキュメンタリーに出たりいろいろなところで発言した

マララは力強く訴えた

その声は世界中に響き渡った

マララの活動はタリバンの怒りを買った

そして2012年10月9日 マララは至近距離から頭を撃たれた

絶望感でいっぱいになった

この世が巨大なブラックホールに

娘は生死の境をさまよっている時、私は妻の耳元で囁いた

娘がこうなったのは私のせいなのでは

すると妻は言った

自分を責めないで

あなたは命をかけて戦ってきた

真実、平和そして教育のためにね

そして娘もそうしたいと思った

正しい道にいるのだから、きっと助かる

私は、その言葉に救われた

そして自分を責めるのをやめた

マララが入院中のこと

マララは顔の神経が切れてしまってはいて、ひどい頭痛がしていた

妻は暗い顔をしていることがよくあった

娘は一度も不満を言わなかった

娘はこう言った

笑顔のゆがみも顔のしびれも私、平気だから心配しないで

私たちは娘に元気づけられた

私たちは娘から不屈の精神を学びました

それから、これもお伝えしたい

マララは子ども女性の権利運動の象徴的存在ですけど普通の女の子なんですよ

宿題が終わらなくて泣いたりしますし弟たちとケンカしたりもしますしね

マララをどう育てたのか人々は私に聞いてくる

どうしたら、あんなに勇敢で堂々とした子になるのかと

私はこう答える

私が何かをしたかではなく、何をしなかったかなんです

私は娘の翼を切らなかった

それだけです



マララは自由な鳥になれ!




(○´∀`○)



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