知れば知るほどアキレカエル

個人の備忘録として。
(旧 創価学会員にはアキレカエル)

衆議院議員選挙とエトセトラ

2021年11月14日 | 選挙・政治

先日10月31日に衆議院選挙が行われた。
個人的に思ったことをメモしておく。

選挙期間中は、通り過ぎる選挙カーから流れる、決まりきった当たり障りのない言葉とあちこちですれ違う。
それでも時にはネットで演説時間を調べて聞きに行こうと思うこともある。

私はどこの党員でもないが、今回は某自民党候補者の街頭演説を聞きに行ってみた。
候補者本人は、当たり前だが熱のこもった語りかけをしている。
どこまでが本心だろうか。
議員になる目的は国のためだろうか、それとも肩書のためだろうか。
周囲を囲む人々に紛れながら、少し冷めた目で観察してしまう。

次は地元の地方議員の応援だ。
一通りの挨拶や候補者の紹介を済ませると、何の躊躇もなく「ぜひ比例は公明党へ」と媚びるような笑顔で話す議員にげんなりする。
この応援議員本人も、聞いている自民党員も、本当に投票用紙に公明党と書いているとしたら全く滑稽な話だ。
正々堂々と自分の言動で戦えない政治家や自民党は、政治をする資格があるのだろうか。
国民の憤りをぶつけたくても、受け止める相手も無いまま、政治への興味が薄れていくのは当たり前であろう。

その後、この時は応援演説のために別の国会議員が駆けつけた。
候補者以上に声を嗄らしたまま、観衆に向けての力強い演説が続く。
観衆の拍手も多く、私もしっかり耳を傾ける。
そんな中、中国から広まったコロナウィルスの話や皇室の話題になると、選挙カーの周囲にいる関係者が、急に頭を寄せてひそひそ話を始める。
過激でもなく、国民にとっては身近にある重要な話題なのだが、まだまだこういう内容ははすんなりと聞けない話題なのだろうか。
少し周囲の空気が変わる気がした。

選挙時であっても日常でも、大手メディアでは国のためになることを発言する人、国が良くなるように問題提起する人。
正直に発言する人、創価公明党を批判する人。
こういう方々やその発言が、ありのままに取り上げられることはまずない。
逆に正反対の人々が、キレイに装飾されTV画面に映し出されている。

しかし国民が望んでいるのは、事実をありのままに語り、これからの道のりを浮かび上がらせてくれるような議員だ。
良いことも悪いこともオブラートに包まない話を聞いたうえで判断するのが本当の選挙ではないかと思っている。

何はともあれ自民党が絶対安定多数の議席を得て、今回の衆院選は終了した。
さあこれで重要な政策が自民党のリードでなんとか進められるかと思ったが…
案の定、当たり前のように公明党と協議し、お決まりの国土交通省の大臣をポンと与える自民党の異常さにはアキレカエル。

2005年には、創価学会員による「姉歯事件」耐震偽装事件もあったのに国土交通大臣は公明党。
まさに今、緊迫の度を深めている尖閣問題において重要な役割を担う海上保安庁の管轄でもある。
ここの大臣が公明党で良いのだろうか。
自民党の議員に投票した国民の多くがそれを望んでいないだろうと私は思う。

以前から公明党を使い、創価学会が税務調査や出版妨害事件の国会喚問を逃れてきたことや、暴力団との親密な関係が明らかになりながら、なぜこの組織が存続しているのか。
そしてそれを強く追及しようとする政治家やメディアもない。
本当に国民をバカにしている。

さらにメディアで顔を売りたい公明党がしゃしゃり出てきたのは、毎度同じお金のバラマキ。
自民党員間の議論も行われないうちに、メディアは公明党の名前を流す。いつものことである。
困るのは、公明党が口を出すことで、当初考えられていたものとは別物の、意味不明のバラマキへと変化してしまうことだ。
これは自民党にとっても、国民にとっても損失でしかない。
いつまで繰り返すのだろうか。

自民党と言う党は、自主憲法の制定を掲げている党であるという。
憲法改正の声もかなり大きくなってきている、良い機会であるから政教分離についても、国民の注目が集まることを望みたい。


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