知れば知るほどアキレカエル

個人の備忘録として。
(旧 創価学会員にはアキレカエル)

東京2020五輪進行中

2021年08月02日 | 習性

7月23日に開幕したオリンピックは、連日の暑さとコロナ、そしてSNSなどとも戦う、選手たちの真剣な挑む姿に多くの人々が引き込まれている。

理屈はいらない。
自国の国旗をつけた選手が素晴らしい戦いをして、国旗が掲揚されるのは、とても気持ちの良いものだ。
見ているだけで自分まで晴れ晴れとした気分を分けてもらえる気がする。

ルールを守り、正々堂々と頑張り抜く人を心から褒めてあげたい。
スポーツだけではなく、日常でも仕事でも、そして教育でも大切なことではないだろうか。

一方で、日本には日の丸や愛国心という言葉に重度のアレルギー反応を示す人々がいるのは事実だ。
嫌なのは仕方ないが、わざわざ声をあげて他人にも強要する。
そのような人々は他国の選手の国旗を通した愛国心をどのように思うのだろう。

海外の選手のマスクは国旗そのものをデザインしたものも多く、とても興味深く楽しく見せていただいた。
しかし昨年日本ではマスクに小さな日の丸が付いているだけで、製造元が一部の人々から集中攻撃を浴びるという理不尽な出来事もあった。
TVでは、日本の選手が優勝しても、なぜか愛国心を口にした部分のインタビューはカットして放送されるという露骨な切り取りを見させられている。
この異様な扱いは最近始まったことではない。

メディアは海外選手に質問してみたらどうだろうか。
「国旗を揚げて国歌を斉唱するなんてどうかしていますよね?」
「マスクにも国旗をデザインするなんてとんでもないことですよね?」
「まさか国のために戦っているなんて言わないでしょうね?」
質問そのものが海外では笑えるニュースになりそうだ。

国歌についても同様だ。
日本の某米軍基地では、午後5時になると「君が代」の音楽が流れ、その後にアメリカ国家が流れるそうだ。
一部の日本人やその仲間には無い、自国や他国への敬意というものをわきまえている。
自国の国家を国民が誇らしげに歌うのは当たり前であり、日常的な習慣と同じものだと思う。
特別な時や、国民が思いを添わせるときに、いつでも口にできる歌である。
そこにマイナスの理屈をつける必要はどこにもない。
日本の国歌を口ずさめる楽しさを与えてくれるのも、スポーツ観戦の楽しさの一つである。

またコロナ禍という特殊な状況で、観光目的で選手村から無断外出したジョージアの選手2名が資格証剥奪の処分を受けた。
しかしスポーツに勝手な政治色を滲ませた、気分の悪い垂れ幕を掲げた韓国に対しては処分はない。
世の中の真偽やスポーツマンシップを理解できないまま参加している国に対して、怒りを感じる国民は多いであろう。

一方オーストラリアは感謝の垂れ幕を。
アメリカの競泳チームも感謝のフラッグを示してくれた。
他の国でもボランティアに対して、個々に感謝を表してくれる選手もいる。
この差は非常に大きい。

素直に思うのは、普段日本に対して多くの情報がもたらされる中国や朝鮮の気の滅入る感覚とは違い、他の多くの国々の人とは、共感したり、感心したりすることがたくさんあるということ。
これが人間同士の通じ合いだということ。
つまり、いかに中国や南北朝鮮は特異な国であるかということを強く感じさせられる。

まだまだ日程が進むにつれて、様々な出来事が刻まれていくであろう。
様々な国同士で共感し、楽しめる大会になることを望みたい。

最後に、競技が始まってから毎日感じていることを書いておく。
あくまで個人的な思いだが、選手やボランティアの人々が身に着けているユニフォームだ。
なぜ全てがアシックスなのか?
オリンピックだけではなく、以前から東京マラソンの際にも気になっていた。
近隣でジョギングやウォーキングをする人にも、アシックスを身に着けている人は正直あまり見かけない。
こういうイベントの時ばかりなぜ? と思ってしまう。

アシックスは創業者が創価学会員である。
創価学会員に対して良い印象を持っていない多数の国民はどう感じるだろうか。
少なくとも私は、このマークを見るたびに気持ちが下がってしまうのだ。


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