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ムーミンパパの気まぐれ日記

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内舘と岡野

2008-12-07 | soccer
 12月6日をもって2008Jリーグは終了した。鹿島アントラーズが優勝し、東京ヴェルディが降格、ジュビロ磐田がベガルタ仙台との入れ替え戦に臨むというリーグ開設初期の強豪だったチームがくっきりと明暗を分けたシーズンになった。我らが浦和レッズは迷走の果て、優勝はおろか来季のACL出場権すら得られない7位。しかも、横浜Fマリノスに1-6で負けるというため息すらでない結果で終戦した。そんな試合の後、ホーム最は終戦恒例の場内一周の前に、浦和レッズを支えてきた二人の選手の退団セレモニーが行われたのである。

 一人は内舘秀樹。正直言って、一般の人に名前を知られているという存在ではないだろう。浦和市立田島中、浦和北高校、仙台大学を経て96年にレッズに入団。細身の長身ながら、主に守備的なポジションで活躍。オフト監督時代にキャプテンとなり、レッズの最初のタイトルとなるナビスコカップを頭上に掲げた姿は忘れられない。イビチャ・オシムの言葉で言えばボリバレントな選手で、キーパー以外はどこでもこなせた。ケガ人や出場停止の選手の穴を埋めるために、ころころとポジションを変えて起用される姿に私たちは敬意を込めて「どこでもウッチー」と呼んだものである。決して出しゃばることなく、それでもチームを13年間引っ張ってきてくれた背番号19は本当に記憶に残る選手であった。

 もう一人の岡野は、たぶん日本代表をワールドカップに導いたあのジョホールバルでのVゴールで記憶に残している人も多いのではないだろうか。犬を追いかけて追い越したという伝説を持つほどの快速と明るい性格で、多くのサポーターに愛された。私にとって忘れられないのは、2000年J2最終節。とにかく勝たなければ昇格できない試合は、室井の退場で数的不利に陥ったままVゴール方式の延長戦にもつれ込んだ。もしかしたらこのまま来年もJ2なのかという不安が頭をよぎったその時、岡野が投入された。延長戦が始まる前、岡野は長い髪をなびかせ、ベンチからバックスタンドまで全速力で駆け抜けた。通常のウォームアップでは考えらえないダッシュの姿に駒場スタジアムはどよめき、そこにいた全員に再び戦う気持ちと勇気を与えてくれたのでる。結果として土橋の奇跡のようなVゴールでレッズは昇格を決めた。あのゴールの何割かは岡野のものだったと私は信じている。その翌年には試合に出ていないのに背番号7のグッズだけ売れるのは嫌だと一度神戸に完全移籍をしたけれど、やっぱり戻ってきた。古巣の駒場スタジアムでゴールを決めて「ただいまあ」と笑顔でヒーローインタビューに答えてくれたものである。記録より記憶に残る。彼ほど赤いユニフォームが似合う選手はいないだろう。
 
 二人はそれぞれ違う道を歩き始める。まだ引退すると決まったわけではない。二人には赤のプライドを背負ってこれからのキャリアを頑張ってほしい。サポーターは二人の背番号をゴール裏に鮮やかに浮かび上がらせて別れを惜しんだ。そう、いつまでもどこまでも僕たちは浦和レッズなのである。

 *画像はPoloさんのブログone shotからお借りしました。

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