magのひとりアーツ&クラフト運動

mag design labo.の活動ニュースと共に、その身の周りで巻き起こる様々なアートニュースをお届けするブログ。

西と東の時間感

2012-08-10 19:07:29 | Weblog


マツダユウです。

“時間”を主題とした試み「Timeless」のスタートまで20日あまりとなりました。


今週、magでは“時間”について考察していました。
その中で、時間の向きについておもしろい話があったので書かせていただきます。


wikipediaで「時間」と検索するとなんだか読むのが億劫になるような難しい内容がずらーと出てくるのですが、「時間の向き」の項目は目から鱗です。

以下wikipediaより抜粋。(一部編集)

「時間というのは過去から未来に向かって流れている」とする考え方というのは、創造主が世界をつくったとする時間観である、と苫米地は指摘している。この時間感では「過去の出来事が現在の原因である」ということになる。すると“過去の因果によって現在、そして未来がある”ということになるので、自分自身で明るい未来を切り開くことなどできない、と指摘されている。西洋的な時間観の枠内で育った人には意外に思えるかも知れないが、その枠をとりはらって少し考えてみてみると以下のような解釈もできる。
「現在は一瞬で過去になります。今、現在だったことはちょっと前の未来です。今現在やっていることが、1時間後には過去になります。つまり現在の結果が過去です。あなたのいる位置が現在とすると、あなたに向かって未来がどんどんとやってきては、過去へ消えていっているわけです。」
自分に向かって未来がどんどんとやってきては過去へと消えてゆく感覚。そして現在起きたことがどんどん過去になり遠ざかってゆくという時間の流れの感覚である。こう考えれば現在は過去の産物などではなく、未来の産物であり、しかも未来というのは固定されたものではなく、無限の可能性であり、しかもその未来は(過去の因果ではなく)さらに未来の因果によって決まる、ということになる。


なるほどです。

私個人としてはどちらの感覚が正しいというよりも、西洋と東洋での「主体」の捉え方に違いがあることに驚きました。

時計というプロダクトに落とし込んでみるとこのようなイメージでしょうか。



西洋では、“時間”が元々存在しているもの。絶対的な主体は「時間」です。要するに共通の時間という環境下に人間が生活しているということです。
一般的なアナログ時計はこのイメージとリンクしています。

東洋では、“今”が主体。今、この瞬間が絶対的であり、「時間」のほうが動いているという感覚です。
時計で表すと。針の位置は「今」を指したまま動かず、文字盤の方が反時計回りに回転しているイメージでしょうか。


もしも日本の鎖国が長引き、独自に電気エネルギーを作り出す技術を持ちえたとしていたならば、
今周囲にある時計は後者のようなものになっていたのかもしれませんね。


西洋と東洋の時間感。
西洋的な生活に慣れてしまった私たちには難しいのかもしれませんが、
二つの時間感を意識して生活することで、少しだけポジティブに生活できるのかもしれません。