Madison's Lakes

2010年から毎日の生活を記録してきましたが、娘の高校卒業を機にひと区切りとしたいと思います。ありがとうございました。

美女と野獣と中学生のおしゃれ

2011年10月31日 | エンタメ!

この週末は娘とお買いもの&またミュージカル。

中間テストが終わったところで、部活でも切羽詰まったイベントがないので、ちょっとお楽しみの時間を。

娘の部活のあと待ち合わせをして、ショッピングモールへ。
友達と大勢で遊園地に行く予定があり、みんな、誰が何を着ていくのか大騒ぎだそうです。

まだ中2のくせに?いっぱしにあれこれお互いに着ているものを批評するらしい。

流行りのセーターと真っ赤なチェックのかわいいミニスカート(でもあったかそうなやつ)をSHIPSで買って、
あとは手持ちのミリタリージャケットとショートブーツを合わせる予定。

まったくお嬢様の衣装は大変です。でも息子と違って娘は一緒に買い物が楽しめますネ。

その後は大井町に出て、劇団四季『美女と野獣』を観てきました。

この間の先行予約ではなく、夏頃にチケットを買っておいたものです。

最近は紙のチケットを送ってもらわなくても携帯のQRコードで入れます。
チケットをなくす心配がなくていいけど、携帯の電池切れたらどうするんだろう...と心配になるワタシ

娘たちは文化祭でミュージカルをやるので、自分たちが最高学年になった時に何の演目をやりたいかを、
今からみんなでいろいろ話し合っているのだそうで、いろんなミュージカルを見に行きたがるのです。

『美女と野獣』は前半ちょっとかったるかったけど(実は時々居眠りしてしまった…)
後半はアップテンポでどんどん話が進み、とってもおもしろかったです。

ビースト役の俳優さんの歌唱力がすごかった

宝塚の『バラの国の王子』(いわゆる美女と野獣の宝塚版)とはちょっとストーリーが違って
野獣を倒そうとして攻めてくるのは、村人たち。

ここでも、自分たちが直接危害を加えられたわけではないのに
野獣を危険であると決めつけ退治しようとする人間たち。

自分とは異質な他者を排除しようとするのは、妖怪人間のストーリーと通底する意識だな~と。

そういえば今読んでいる本 Cynthia Kadohata の Weedflower でも(児童文学なので簡単デス…邦訳もあるようです)、
第二次世界大戦時、アメリカ南西部のキャンプに強制収容された日系人たちが
自らがそれまでも社会的に差別を受ける立場であったにもかかわらず、
そこで初めて出会う先住民たちに対する差別意識を持ち、
そして先住民たちもまた日系人たちに不信・侮蔑の眼差しを向ける

ここでもまた、異質な他者を、自らとは異なる理解しがたい存在、対等な人間以下の存在と決めつけて
排除しようとする人間の心理が、何層にも描かれています。

それって人間にとって永遠の性なんでしょうか。


英検と英語の学習

2011年10月30日 | 英検・漢検

今月の英検筆記試験の結果がネットで公開されていますね…。

今回は、我が家は全員棄権しました・・・

というか、9月に気が付いたら申し込みの期限を過ぎていたんですけどね。
でも今回はみな戦意ゼロ。娘は前回3級に受かりましたが、準2級はまだまだだし、息子も私も次の級の勉強はしていないし。
いや、私はちょっとしたんですが…案の定3日坊主・・・・あ、2週間くらいは続いたかも

以前にも書きましたが、息子は中2の3学期に準2級をとりましたので、
娘もそのくらいで取れれば...と思ってはいるのですが、今のペースだとちょっと難しそうです。

娘の学校は私立中の割には英語の進度はそれほど早いという感じではなく、むしろじっくりやっている方ではないかな、と思います。
もちろん、bookworms などの初学者対象のペーパーバックや単語のテキストが課題になるなどのプラスアルファはありますが。

でも英検を突破するには、やはりそれなりに文法事項を理解していないと難しいですよね。

息子が中学生の時に塾で使っていた大量の教材のうち、英語だけをとってあるのですが、
本当に良くできていて、びっくりします。進度はかなり早いのですが、これでもかこれでもかと繰り返し復習させる構成になっていて、
これをきちんとこなしていけば、そりゃあ力がつくでしょう、という感じ。

娘にもこの教材を順番にやらせているのですが、息子がやっていたようなペース(本来の塾のペース)ではなかなかできません。
高校受験という目標はないので、部活が忙しかったり学校の宿題が出れば、当然、家での自主学習はあとまわし。

「お兄ちゃん、よくこんなにやってたよね~。」

「あんなにサボってたように見えてたけどね。一応塾の教材は全部終わらせてたからね~。」

「あ~、アタシは高校受験がなくて良かった~。」(そこですかい

でもできる範囲でがんばって勉強して欲しいものです。数学ができないんだしね 数学できなくて英語もできなくなったら・・・

お先真っ暗だよね。」

おう、わかってるじゃん。(かつて高校時代に部活三昧で数学も英語もがまるっきりできなくなってお先真っ暗になった母でございます)

娘の学校は、夏休みに中3以上対象の海外研修が何種類かあるのですが、
夏はコンクールや文化祭の準備などで忙しく、部活に燃えるシーズンのため、
なかなか夏の海外研修には参加できません。

でも冬休みには中2対象の英語キャンプがあるのだそうで、ぜひ参加して欲しいと思っています。
娘は最初いくのを嫌がっていた様子でしたが、

「行けばきっと英語で話すことに抵抗感なくなるよ。」
「友達も行くなら、きっと楽しいよ~。」

と、母が悪魔?の誘惑をしている最中です。


妖怪人間に思う・・・

2011年10月29日 | エンタメ!

先週から某TV局で始まっていますね。

妖怪人間べム。「早く人間になりたい…

 

40年も昔のテレビアニメを実写化したものですが、なつかし~い
子どもの頃、良く見てましたよ。ベム、ベラ、ベロ。(トシがわかりますね…)

オープニングでなんかドロドロしたモノが出てきて、人間でも妖怪でもない3人の「妖怪人間」たちが
早く人間になりたがっている、

覚えているのはそれだけで、あんまりストーリーは記憶に残っていませんでした。

で、実写版の第1話を録画しておいて(先週は娘の中間試験だったので)、今日ようやく見ましたよ。
あんなストーリーだったっけ・・・

かなり重いですね・・・。

人間による人造人間創出の失敗という科学技術の暗部が生み出した哀しき生き物たち。
人間を助けることで人間という存在に近づこうとするけれども、
正体が割れると、そのおぞましさゆえにどんなに人間に親切にしても拒絶され、傷つく彼ら。

現実の人間の集団が、自らとは異質な他者に対して、偏見を抱き蔑視して傷つけ、
さらには暴力によって他者を支配・排除・破壊しようとする。

そうした実際の人間社会の他者認識やエゴを、極端なかたちで描いたシュルレアリスム的世界。

にもかかわらず、その人間を助けることをやめてしまったら、自分たちは単なる妖怪になってしまうと考える妖怪人間たち。
そして、人間が人間に対して見せる愛情や思いやりに感動し涙を流す。
だからこそ、人間になりさえすればそこには幸せがあるのではないかという希望を持ち続けるのでしょうか。
自分たちが繰り返し排除されようとも。

そんなに人間っていいものかしら。

子ギツネに手袋を買いに行かせた母ギツネのように、ちょっと考えさせられた私でした。

 

(ちょっと真面目すぎる感想でしたか??)

 

配役と時代設定が非常に現代的。
一方で、人間と同じサイズの、人間的思考を持つ非人間的存在(日本の伝統的な妖怪というよりは、昔の仮面ライダーやレンジャーものに登場する怪獣に近い・・・)が出てくるあたりは、1970年代の香りがする。

亀梨君? ああ、特に役者さんには関心ありません。でも上手に演じてるね
杏さんもきれいだし、ベロ役の男の子もかわいい


10月の電気使用量

2011年10月28日 | 日記

10月の電気使用量。

8月、9月と、昨年比30%超の削減ができ、10月も30%削減ができれば
市の節電キャンペーンに応募できるワ 

…と思っていたら、10月は全くダメでした。前年比15%程度の削減にしかなりません。

5,6月頃のエアコンを使わかなった時期もやっぱりだめでしたが、
今月も冷暖房はほとんど使わなかったので、節電できるポイントが少なくなっています。

しかも家の中バタバタで連日遅くまで電気をつけていたし。

でもそろそろ朝晩冷え込んできて、暖かい器具が恋しくなってきました~。
冬の電気供給量はどうなるでしょうか。

それに冬は日照時間も少ないので、明かりが欲しいですよね…


スーツ購入

2011年10月27日 | 仕事

会議が思いがけず早く終わったので
帰りにちょっと寄り道してしまいました。

パサ・デ・ココのスーツ1着とインナー2枚を購入。

パサ・デ・ココの質感の高いシンプルなスーツが前から大好きで、
以前はよく買っていたのですが、このところしばらくご無沙汰していました。

パサ・デ・ココには、ちょっとリッチなマダムっぽいカラフルな服も多いのですが、
今回買ったのは、本当にビジネスライクのメンズスーツに使うような生地の
ピンストライプの濃紺のスーツ。

それにインナーのタートルを2枚。
何でもないシンプルな形の、ごく薄手のウールのタートル。
ブラウンと濃いネイビーの色違い。

濃紺のピンストライプのなかに濃紺のインナーを合わせて
パールのネックレスなどをしてみると、あら ちょっと正装っぽくておしゃれ。

やっぱりいいわ。なんでもないごくごくスタンダードなスーツとインナーなのですが
質感が高いというだけで、とてもサマになります。

来月の出張には、これを着ていきましょう。プレゼンもあるしね。


義父なきあとのもろもろの手続き

2011年10月26日 | 日記

先日も書きましたが、人がひとり亡くなるというのは大変なことですね。

遺族に悲しみと喪失感を残すというだけではありません。

もろもろの手続きが、ほんっとに大変

まずは

病院で亡くなった場合、医師に死亡診断書を書いてもらって死亡届を提出。

そのほか役所では、健康保険、介護保険、印鑑登録などの抹消・返還手続き、
世帯主の変更、住民票や戸籍からの除籍など。

残った家族のために、

遺族年金の受給手続き。(これは義母にとって一番大事ね)
電気・ガス・水道・電話の名義変更と引き落とし口座の変更。

生命保険の請求。
銀行口座等の解約や名義変更。

登記の名義変更。
クルマの名義変更。(義父は最後は車持ってなかったけど)
その他もろもろの名義変更。

準確定申告。

必要な人は、遺産分割協議書とか相続同意書の類の書類。

そして、これらのほとんどに、
亡くなった本人や継承する家族の戸籍謄本、住民票、ときには印鑑証明や死亡診断書のコピーなどが要ります。

銀行口座の解約や準確定申告など、相続に関わる時には、法定相続人すべての連署と実印の押印、印鑑証明書が要ります。
全部母が相続することに子どもたちが合意していても、そろえてくださいと言われることもあります。

それに故人が生まれた時から亡くなった時までの戸籍謄本。これがすっごく大変。

故人がこれまでに住んできたところをずーっとたどっていって、住居を置いた自治体すべてから昔の戸籍謄本をとらなければなりません。

全然引っ越ししていない人は、楽でいいんですけどね。
転勤族の方は、大変です。

世帯主が亡くなると、本当に色々あります。
みなさん、家族を失って悲しい時に、こんなに煩雑な手続きをたくさんされてきたのですね。

しかも。

義母にはもういろんな事務手続きは大変すぎるから、私が代理でやろうとすると、
法定相続人ではないので、もういっこ、手続きが必要なことも多いんです。委任状を準備させられたり。

あーめんどくさ。

多くの場合、高齢になってから配偶者をなくすわけだから、これらの手続きもやっぱり年をとった人がやらないといけない場合も多いのでしょう。
それは、高齢者の皆さんにとって、本当に難儀なことだろうとおもいます。子どもがやれる家はよいけれど。

でも実は、これらすべてを司法書士さんに頼んでしまえば、全部やってもらえるんだって。
もちろんお金はかかりますが、自分でやる時間がない人、困難な人は、お金を払って頼むということもできるわけ。

でも私が司法書士に頼めばいいと知ったのは、一連の作業を始めてしまったあと。
それに、勉強になるから、まあいいや、と思ったのもあります。
あとは義父母には今まで良くしてもらったしさんざん子どもたちのことなどでもお世話になってきたから。

だけどあまりにも書類が多く、役所に通うのも頻繁なので、もういい加減イヤになってきた

Social Security Number みたいなのがあって、1箇所で手続きをとれば全部OKみたいになればラクなのにね。

今回はいいけど、今日夫が会社を休んであとの手続きをやってくれてるから許すケド、
(ほんとは長男のアナタがやるべきでしょ、と思ってるケド

次は(次って誰だ?)お金払って司法書士さんに頼んでしまうかも。

さらに、自分がいなくなったときのことを考えて、不要なクレジットカード類は整理して解約しようとと思い始めた私でした。


家族を悼むということ

2011年10月24日 | 日記

今回、義父を送っていろんなことを感じた私ですが、義母を見ていてとても強く思ったのは、

大切な人が亡くなるまでのプロセスと、亡くなったあとにどんな追悼ができるかという問題は、
送る側の遺族、特に最も近かった家族(うちの場合は特に義母)にとって
故人亡きあとに心の平和を維持していくうえで、とても大事だということ。 

今回、義父が入院した病院では、本当に手厚い看護をしていただけましたし、
亡くなった時も看護師さんたちはとても優しくて、
義父に対するいつくしみと義母に対する最大限のいたわりを見せてくださいました。

葬儀屋さんの物腰もとても丁寧で、悲しむ家族の気持ちをよく汲んでくださいました。

義母は、義父を一度家に連れて帰ってくることにしました。

「お父さん、ずっと家に帰りたがっていたんだから、連れて帰ってあげようね。」

でも、亡くなった義父が家に帰ったことを認識できるわけではない。
それは、父がそれを望んだからというよりは、きっと、
そうさせてあげたかった家族の心を満たすためだった、という気がしています。

葬儀が終わるまでの一連のプロセスにおいても、業者さんから火葬場の係の方まで、
まずは遺族がどう感じるかを第一に考えてくださった、という印象を持ちました。

最後の出棺の時も、義父は棺いっぱいにあふれんばかりのお花に囲まれました。
特に、顔の周りにはたくさんの胡蝶蘭や大輪のゆりが惜しげもなく置かれてとっても豪華になりました。

お花が大好きな義母は、父が花に囲まれてとてもきれいになったのを心から喜んでいました。
それは、義父のためであった以上に(実は生前義父は、お花には大して興味を持っていませんでした…)、何よりも、
普段から花をとても愛し、いつも庭を花でいっぱいにしている義母の、

「こういうふうに夫を送ってあげたい」

という気持ちを十分満足させるための儀式だったといっても過言はなかったと思います。
しかも、葬儀屋さんも後日、

「私が今まで拝見したどんなご遺体よりもいっぱいのお花で囲まれていました」

などと言ってくださいました。それは実のところ本当なのかどうかはわかりません。でもそう言ってもらったことで、
義母は、義母自身が望むかたちの送り方で、できる限りのことをしてあげられたと確信し、とても満足したのです。

義母にしてみれば、できるだけの看病をし、できるだけの心を尽くして送ってあげられた、と心から思えたそうです。

以前、ある研究に、「追悼というのは、残された人たちが愛する人の死を受容するためのひとつの儀式だ」と書かれているのを読んだことがあります。

もちろん、とても悲しい死、早すぎる死は、いくら追悼のセレモニーをしたとしても、すぐには受け入れられるものではないかもしれません。でも義父のように、延命措置を嫌い、もう命を終える時期だと本人も最も親しい人も納得できた場合、思い通りの追悼のセレモニーができるかどうかは、遺族が故人の死を素直に受け容れてその後の心の平静を維持するためにはとても重要なのではないかと思いました。

たとえば病院でのケアに納得がいかなかったとしたら。たとえば遺体やお骨が無造作に扱われていたとしたら。棺に入れるはずのお花が少なくて、葬儀屋さんが次の葬儀に供花を使いまわししちゃったとしたら(いえ、これは実際にあった話です・・・)

追悼のプロセスにおいて、ちょっとした不手際や思いやりのない行為があったとしたら、きっと義母はずっとそのことを気に病んでいただろうと思います。

でも今回、本当に思った通りの葬儀を気持ちよくできた、と言って、義母は喜んでいます。

 

つづく。


おじいちゃんの死と子どもたちの様子

2011年10月23日 | 日記

いろいろと家の中が立て込んでいて、すっかりご無沙汰してしまいました。
いつも訪問して下さるみなさま、ありがとうございます。

先日、義父がなくなりました。

その前から家族皆で入れ替わり病院に詰めたり、葬儀やらその後の様々な手続きやらで忙殺されていました。

結婚して何年かしたころに夫の祖母が亡くなった時も、私たち夫婦でかなり葬儀関係のことをしていたので、葬儀に関してはある程度のことは分かっているつもりでしたが、やっぱりいろいろ大変ですね。。。

そしてその後の様々な事務手続き。書類を書いたり役所でいろんな公文書をとったり、役所のいろんな部署に行って手続きをしたり。仕事の合間にそれらの処理をするのは、実に大変です。

今回、義父はもう高齢でしたし、医師からもだいぶ前から回復の見込みがないと言われていましたので、家族はそれなりに心の準備はできていたように思います。最後の数週間は全然飲食もできず動けない状態が続き、義母も「早く楽にしてあげたい」と言っていたので、精神的なショックというのはあまりありませんでした。

でも、人が一人なくなるというのは、本当に大変なことなのだと実感しています。葬儀や手続きに関わる様々な用事を仕事やデイリーの家の用事の合間にやらないといけないので、もういろんなことが滞って、家のなかはぐちゃぐちゃ・・・

おばあちゃん一人ではあれだけのことをこなすのはムリだし、夫は夫で夜遅くまで仕事やら出張やら・・・。結局は近くに住む「長男の嫁」である私が、一番(というか事実上私だけが)、諸手続きに駆り出されることになっています 

でもちょっとだけ、子どもたちの関わるところでの記録もしておこうと思います。

義父はずっと介護付き老人ホームのお世話になっていたのですが、体調を崩してホームから病院へ入院するのは数回目でした。でもその様子も、今まで入院とはずいぶん異なり、はじめからずいぶん体力が落ちてやせ細っている様子でした。息子は大学がまだ夏休みだったこともあり、平日は義母(息子のおばあちゃん)を乗せてずいぶん病院を往復してくれたり、おばあちゃんや私が通院で忙しくしていると、ほかのことを手伝ってくれたりしていました。

まあ大学が運よく休みだったからヒマだったというのもあるかもしれませんが

義父が亡くなった時も、深夜だったにもかかわらず、息子も私たちと一緒に病院に詰めていました。翌日は1限から授業があるから(しかも翌日アルバイトもあったのです…急に代講はお願いできないし)、先に帰っていいよと言ったのに、最後に看護師さんたちが義父をきれいにしてくれたり葬儀屋さんに来てもらって朝3時頃義父を家に連れて帰るまで、息子もずっと一緒にいました。

息子は初孫で、おじいちゃんにはずいぶんよく遊んでもらったものです。熱を出して保育園に登園できない時なども、いつも義父母に見てもらっていたので、息子はおじいちゃんが大好きでした。だから、翌日はだいぶきつそうにはしていましたが、おじいちゃんが家に帰ってくるまで一緒にいられてよかった、と言っていました。

その間、娘は家でグースカ寝ていたのですが。(いえ、咳で苦しんでいたのです

葬儀については、当初、義母はこぢんまりと家族葬にするつもりでいました。でも、ずいぶん久しぶりにお会いする親族なども集まり、ご近所の方も思いがけずたくさん会葬してくださり、結局はそこそこの規模になりました。でも「最後にお別れさせてね」といって多くの方が集まってくださるのはありがたいことです。

葬儀や法要というのは、往々にして親族が久しぶりに顔を合わせる機会になったりもしますが、今回の葬儀もそうでした。息子は、本当に小さい頃にお会いしただけの遠い親戚などに対しても、わりあい愛想よく(?)ご挨拶をし、それほど人見知りすることもなく、いろんな方とよくお話をしていました。

大学生になってアルバイトも始め、少しそういう面で大人になったかな…という気がしました。それにもう制服はないので一人前に(喪服ではないけれども)黒の背広を着て、黒ネクタイを締めますからね。

いろんな方から

「あら~、ずいぶん立派になったわね~。」 

(まあ、単にそれなりの年齢になってデカクなっただけのことですが…)

と声をかけていただき、まんざらでもない様子

お通夜やお葬式のあとの会食も終わり頃になって、皆さんがバラバラと帰るころには、自分から進んで父親と一緒にお見送りするなど、私が「こういうふうにふるまって欲しいなあ」と思ったように動いてくれたので、とても助かりました。また、息子の成長を垣間見た気も。

娘は、こういう時は小さいころからきちんとした大人っぽい対応をすることができました。よく知らない大人の方にもきちんとご挨拶したり、いとこの小さい子たちの面倒をよく見たり、初めて会った夫のいとこの子たちとも仲良くしたり。

ただ、何年振りかにお会いする方(なかには初めての方も)から、

「娘さんはお父さん似ね~。」

と言われてショックを受けてましたよ

お葬式が済んで、今、お骨は義母の家にあります。葬儀のあとに葬儀屋さんが持ってきてくれたお花と、義父母の友人や親族が送ってくれたお花に囲まれて、とってもきれいになっています。

そうなると、今まで義母の家のお仏壇でお線香を上げることなどほとんどなかった子どもたちも、おじいちゃんがいると思うと自然にお線香をあげようという気持ちが湧くらしく、毎日よくおじいちゃんのお骨の前で手を合わせています。先日は娘が学校の調理実習で炊き込みごはんをつくったのですが、たくさん余ったのをみんなでおにぎりにしてそれぞれ持って家に帰ったのだそうで、娘はそのおにぎりをおじいちゃんのお骨の前にお供えしたのだとか (一応、義父母の菩提寺の宗派では、食べ物のお供えはしなくてよいとのことです・・・)

私も夫も子どもたちも、我が家はみなあまり仏教の知識もなく信心深くもなく(まあ文化的には仏教だとは思いますが)、娘はキリスト教主義の学校に通い、キリスト教にも違和感ないという状況ですが、本当に近かった方が亡くなると、自然に(宗教は何であれ)故人の遺影の前で手を合わせようという気持ちが湧くものですね。

つづく。


大学のペアレンツ・デー ~イマドキの大学生事情10

2011年10月11日 | ムスコの大学生活

・・・そんなモノが大学生にもあるのですね。中学高校の保護者会とおんなじね。

息子の大学はいくつかのキャンパスに分かれているのですが、息子の通うキャンパスだけの学園祭というのがあります。息子は特に何もしないそうなのですが、その日に息子の学科の先生方による「ペアレンツ・デー」なるものが開催されます。

何をするかというと、学術院長の挨拶とか学部ごとの説明のあと、学科別企画というのがあり、学科の紹介や卒業研究や進路についての説明があるようです。

つまり、大学生にもなると何をしてるんだかさっぱりわからないという私のような親に、大学生活の概要を知らせるための企画、といったところでしょうか。

実は私は息子のキャンパスには行ったことがありません。メインキャンパスの方なら自分の受験の時とか 息子の高校入試の願書を頂きにとか、何度かありますが。

せっかくだから、どんなものか行ってみよーかな。何でもない日に、高校生ならいざ知らず、いい年したおばさんがキャンパス見学もできないし。

ところでこのお知らせの文面の冒頭。「ご子息・ご息女も勉学に一層力を入れておられることと存じます」だってさ。皮肉かい と思ってしまうのは私のヒガミ

しかも学部3年生限定で、希望制の個別相談があるって・・・2年後、個別相談をしなければならないような状況に息子が陥りませんように、と祈るばかり・・・

(ああ…高校の時のお呼び出しと個別相談の暗い過去がよみがえる…)


会員先行予約

2011年10月08日 | エンタメ!

今日は劇団四季の会員先行予約の日です。先行予約時間は10時~18時。

ある人気のミュージカルが見たくて、先日会員になりました。

でも・・・

ネットも電話もつながらない   (だから一次諦めて記事を書きに来てるわけです・・・)

先行予約時間が終わるまでつながりそうにもない気配。

それじゃあ、会員になった意味がないじゃないのよ・・・・

 

仕方ないから仕事しよっと。

【追記】

お昼すぎにどうかな~と思って予約サイトに行ってみたら、
やっとネットがつながり、無事、行きたかった日の行きたかった公演のチケットが取れました
たのしみ

でもねー、うちのお嬢さん、
せっかくの公演やコンサートの日に風邪をひく常習犯。
今まで何度も、ミュージカルやコンサートの日に体調を崩して行けなくなっています。

今日とったチケットも真冬のですから、どうですかねー。

そういえば、娘が5年生の2月1日。つまり、一つ上の学年の皆さんの中学受験の日。
そうそう、サンデーショックの日でしたね。

塾がお休みなので、いよいよ受験生になる嵐の前にと思って、
娘がずっと見たがっていたライオンキングのチケットをだいぶ前に買っておいたのに
当日風邪でひどく咳が出るようになってしまって、嫌がる夫と行ったのでした。

(夫は「思ったより面白かったよ…」などと言っておりましたが)

病気の娘を置いて?そうですヨ。熱もなく元気にしていて、咳だけひどかったのよね。昼間の公演だったし。

で、娘とはあらためて夏ごろ行きました。
何年も前に息子と二人で行ったことのある私は、
ライオンキングを何回も見せられたというわけ・・・

まあ面白いからいいんですが。でもいろんなの見たいよね。


季節はずれの花火大会

2011年10月02日 | 日記

このところいろいろと忙しくて(仕事もプライベートも)、更新が滞っています。

昨日は昼間は娘の学校のバザー(文化祭のこともまだ書いてない…)で、夕方からは夏から延期になった多摩川花火大会に行ってきました。

バザーでは、私はいままでの平日の準備作業に全然参加できませんでしたので、せめてできる日くらいはと思って当日のお手伝いを引き受け、クラスの手作り品のお店で販売係をしました。たくさん来場者があってとても忙しかったのですが、受験生のお嬢さんやお母様、在校生、在校生のお母様たちと接することができ、クラスのお母様とも少し知り合いに慣れたので、とても楽しかったです。

バザーのあと、去年一緒のクラスだったお母さんたちとランチをして、おしゃべりに花が咲いてうっかり長居をしてしまい、家に帰ったのが4時頃。

その後急いで着替えて出かけたのですが、多摩川河川敷の「有料協賛席」までの行き方がよくわからず、迷いながらようやく到着。

協賛席エリアにはいり、おつまみやスナック菓子の入ったお菓子袋と飲み物(ビールも選べましたよ!)を頂いているうちに、

 

さん、にー、いっち・・・・・

どっかーん

 

おおお・・・ すばらしいですねえ

いそいで椅子席に座り、お菓子と飲み物を頂きながら花火観賞です。

はじめは富士山の仕掛け花火。

 

そのあとは、協賛企業ごとに数十発の花火の競演です。

「xxxx会社協賛による花火、スターマイン 夜空の夢 」とかなんとか、

スポンサーになっている会社ごとに色々とアレンジされ、ネーミングされた一連の花火が展開されます。

そのあとは、メッセージ花火。
家族や大事な人へのメッセージが読み上げられ、そのあとに花火が打ち上げられます。

ご年配のお父様からお息子さんたちとその奥さまたちへのメッセージとか、
被災地の皆さんへの祈りのメッセージとか・・・。

ちょっとジーンときましたよ。

 

そして最後は主催者の川崎市の花火。

 

花火を近くで見たのは、私はもう何年振りかわからないくらい、娘は初めてでしたので、
すごく迫力があり、遠くでは分からないアナウンスや効果音楽も良く聴こえて来たのでよかったです。

娘もずっと、感動して喜んでくれました。

 

今回の花火は、延期して今の時期に開催されたということもあり、
規模縮小されたようで、賞味40分くらいで終わってしまいました。

とっても素晴らしかったけれど、あっという間におしまい。

あー、もっと見たかったね。素晴らしかったね。迫力あって、感動したね。
来年はみんなで夏に近くまで観に着たいね。

そんなことを娘と話しながら、人の群れに交じってぞろぞろと家路に就いたのでした。