2009-12-24
御輿は今も続いています。絵は地域の方が書いてくれたので生き生きとしています。
●神輿(みこし)
渋川は草津市に合併される前は栗太郡栗東町で、子どもたちは治田小学校に通っていました。そのころ伊砂砂神社の祭りは5月13日で、必ずしも日曜ではなかったので、祭りの日には治田小学校の約4分の1にあたる渋川の子どもたちの姿が学校からいなくなったそうです。御輿は光明寺を昼前に出発し、夕方まで町内を回ります。御神輿は大人たちが担ぎ、子どもたちは、「榊御輿(さかきみこし)」という子どもの御輿を担ぎました。稲荷神社をはじめいくつかの御旅所で休憩をしました。
みんな白の半纏(はんてん)姿で背にはお宮さんの紋が入っていました。それぞれの家の門には紋付の暖簾(のれん)と軒には御神灯(ごしんとう)が下がっていました。渋川は多くの人でにぎわいました。
御輿は今も続いています。絵は地域の方が書いてくれたので生き生きとしています。
●神輿(みこし)
渋川は草津市に合併される前は栗太郡栗東町で、子どもたちは治田小学校に通っていました。そのころ伊砂砂神社の祭りは5月13日で、必ずしも日曜ではなかったので、祭りの日には治田小学校の約4分の1にあたる渋川の子どもたちの姿が学校からいなくなったそうです。御輿は光明寺を昼前に出発し、夕方まで町内を回ります。御神輿は大人たちが担ぎ、子どもたちは、「榊御輿(さかきみこし)」という子どもの御輿を担ぎました。稲荷神社をはじめいくつかの御旅所で休憩をしました。
みんな白の半纏(はんてん)姿で背にはお宮さんの紋が入っていました。それぞれの家の門には紋付の暖簾(のれん)と軒には御神灯(ごしんとう)が下がっていました。渋川は多くの人でにぎわいました。