三陸大津波(昭和八年)死者2000名
この様な大津波が慶長から3回もあった事など、無しの飛礫良くも原子炉発電所作ったものだ。大きいところにまかれろ、自分の時代にはありゃしない。後のことは後で何とかなる出で今が良ければそれで良い、そんな感じでお作りに成られた感じ。正義感有る方はお止めに成て行く以外方法が無い社会環境に成っている。何とかせねば駄目だ、神は我らに思い知らし無れ呉れているのかも知れない、此れで思い知で有ろうか 疑問だ
1.三陸大津波.昭和8年3月3日『1933年』慶長以来3度目
岩手県の家屋倒潰約1000余戸死者1380名流失約2500戸.焼失200戸
宮城県の家屋倒潰300戸流出400戸死者36名
青森県でも相当の被害で死者8名を出した。大自然の呪うべき暴威か、
暴威に対処する人事の疎漏か、岩手県の被害は眼におおわしむるものがあった
海岸に打ち上げられた船、女川町に於いて。
文化歴史資料館 所蔵資料から