(今日は盧武鉉大統領逝去6周年追悼日です)
日本報道では、明治日本の産業革命遺産のユネスコ登録を巡る日韓の協議は、平行線を辿ったとありましたが、5月14日には、韓国だけでなく、中国外務省もユネスコ登録反対を表明してしまいました。本来、安倍首相の外交手腕が問われる機会だったのですが・・・そして安倍首相の妻の昭恵さんが5月20日に靖国参拝したことを、自身のフィスブックでわざわざ自ら、批判を煽るように書き込みを行ったのです(首相ではなく、夫人の方のフィスブックでした。)
ちなみに、2013年の安倍首相の靖国参拝で各方面から批判を受けた際には、昭恵夫人もその後に参拝したのですが、靖国神社に参拝していた事実を昭恵夫人自身は、1年間も明かしませんでした。昭恵夫人は、日ごろから韓流ドラマを見たり、日韓交流イベントに参加したりするなど、「親韓派」としても知られていました。このため、気遣ってあえて、夫人は公表を控えていたのだと思います。それを、今回は全く躊躇うことなく夫人自身が、公表してしまったのです。(5月22日太平洋・島サミットの首相夫妻主催夕食会で外交する安倍夫人)
「久しぶりに靖国神社参拝。そして久しぶりに遊就館に入りました。家族に宛てた手紙や遺書を読むと胸が苦しくなります。どんな気持ちで戦火に散っていたのだろうか・・・多くの遺影が語りかけてきます。今、私達が平和で豊かな日本に暮らせることを感謝し、改めて世界平和のために私にできることをやっていきたい・・・と思いました。戦後70年。日本の役割は大きい・・・」との記述は、戦死者慰霊の役割で軍事遂行を担った靖国に対する歴史認識が全く夫人も欠如していることを暴露しています。
これは、5月20日に国会答弁で安倍首相が、「ポツダム宣言をつまびらかに読んでいないと」述べた安倍首相の大失言に続く夫人の失言でした。(失言でなければ、開き直ったのでしょうか?? それともあえて、わざと煽ったのでしょうか???。確かに、夫人は私人で政治家でもないので日本国憲法にも抵触しない、個人の信条の問題ですが、首相夫人として、外交に参加もする公人です。その参拝行為をファイスブックで紹介する行為は政治アピールですから道義的には、歴史認識だけでなく、靖国を励賛する宗教偏向行為としても批判されるべき行為です。)
3月20日の参院予算委員会で、野党から自衛隊と他国の軍との共同訓練について問われた際、「わが軍の透明性を上げていくことにおいて、大きな成果を上げている」と失言し、野党から批判の声が上がった際には、3月30日には「(これからは)そういう言葉は使わない」と述べ「わが軍」の失言は真摯に反省した安倍首相でしたが・・・・。
1月には衆議院予算委員会でアメリカの歴史教科書の南京大虐殺の記載に「愕然とした」と失言した安倍首相ですが、(昨年12月に日本政府は在米公館を通じて出版業者に話し合いを申し入れ、問題の個所を削除するよう求めましたが、拒絶がされていたのです。言論の自由を重んじるアメリカとしては当然のことでしたが)結局、安部首相にとって「愕然とした」(=南京大虐殺認めない)と日本の国会で発言もした重大な認識にも関らず、アメリカでは南京大虐殺について、議会演説でも共同会見でも一言も安倍首相は発言ができませんでした。
1月の中東歴訪では、日本人の人質をとっていたイスラム国が、身代金要求を発表する機会をうかがっていた最中に、実際は人道的支援にもかかわらず、イスラエルでの演説で「ISILと闘う周辺各国を支援する」とした発言もつけ込まれる失言であったと言う人もいるようですが・・安倍政権は開き直って批判メディアが逆に糾弾されましたが・・・。
安倍夫人は、フィスブックで「久しぶりに靖国神社参拝」と書き込み、同神社に併設されている戦史展示施設「遊就館」を訪れたことまで紹介しました。早速、中国外交部の洪磊報道官は5月22日の定例記者会見で、中国側は日本側に軍国主義と一線を画し、実際な行動で国際社会とアジア隣国の信頼を取り戻すよう再び促すと表明せざるを得なかったようです。
日本から、約3000人規模の訪中団を自民党の二階総務会長らが引きつれて交流を図っている真っ最中でした。(「新聞を見ると、明日から中国と日本が戦争を起こすんじゃないかと書いてあるが、日本人ほど戦争が嫌な人はいない」とも精華大学で述べた二階総務会長は、2003年には新型肺炎が流行する中国を自民、公明両党の幹事長を連れて訪中し、2008年には四川大地震発生に航空機をチャーターして被災地に支援物資を送り、今年2月には、韓国に1400人規模の訪韓団を連れて親善も図った親中韓議員とも言われます。)
5月23日に訪中団を前に挨拶した習近平主席も安倍首相の親書を受け取る一方で暗に安倍首相の歴史認識についての牽制をしたものと言われています。「今年は戦後70年で、軍国主義を美化したり、歴史の真相を歪曲しようとするいかなる行為も許されない」と日本の観光関係者らをも前にして、非常に厳しい政治論議を述べたそうです。
やはり、ポツダム発言を読んでいないとの発言は、安倍首相の大失言だったようです。中国人民網は、「安倍氏がポツダム宣言をつまびらかに読んでいようといまいと、日本は当時ポツダム宣言の一字一句を受け入れたことで、初めて再生の道を得たのだ。」として「安倍氏がポツダム宣言をつまびらかに読んでいないと公言したことは、日本がかつて侵略戦争を発動したことを彼が認めておわびしたことがないし、そのつもりもないことの反映だ。これは日本が侵略を行い最終的に降伏した過去を変えられないだけでなく、日本の首相として引き続き権力を行使するのに安倍氏ははなはだふさわしくないことを物語っている。安倍氏は侵略戦争と認めることを避けたうえ、おわびするのを拒絶したことで、日本の平和的発展の国益をすでに深刻に損なった。」と、まるで、もう首相としての当事者能力も失ったように、突き放したように結論づけています(5月22日)。結局、妻の靖国参拝とも相まって二階総務会長らの関係改善の訪中活動にも水をさした結果になってしまいました。
一方、韓国では、中央日報とJTBCと済州特別自治道·東アジア財団·国際平和財団が共同主催した済州フォーラムが5月21日に開かれ、前·現職の外国首脳6人など50カ国が参加し日本から福田元首相が参加しましたが、参加者のシュレーダー前ドイツ首相は21日、「安倍晋三日本首相は(靖国神社)参拝に向かう足取りを回して、未来に向かって踏み出しなければならない」とあえて述べています。インタビューでは「ドイツが過去の間違って責任の清算作業をしたように、日本でも暗い過去の歴史について責任を感じることを望む」と述べたそうです。また、日本軍慰安婦被害の問題については、「「慰安婦」という言葉自体が誤った表現である。あまりにも婉曲だ」とし「戦争中で、韓国の女性たちに加えられた性的嫌がらせにも(日本の)歴史清算がなければならない」と強調しました。
安倍首相の大失言については、韓国のハンギョレ新聞は、共産党委員長の質問「戦後の日本は、1945年8月ポツダム宣言を受諾して始まった。宣言は日本の戦争が誤った戦争だったという認識を明確に示している。これを認めていないのか」に対して、安倍首相が「宣言を詳らかに読んでいないので、ここで直ちに論評することは差し控えたい」と、即答を避けたことを紹介しました。(5月22日)
安倍首相は「アジアの多くの人々が戦争の惨禍に苦しんだ」としたものの、「侵略」という言葉は口にしなかった。これは「侵略の定義は学会的にも国際的にも定まっていない」とし、日本が過去に犯した戦争を正当化してきた安倍首相の歴史認識を改めて示したものと解釈されると新聞は報道しています。「日本が犯した戦争の善悪を判断できない首相に米国の戦争の善悪が判断できるのか」と安倍首相が推進している集団的自衛権の行使を骨子とした安保法制の制改定案を日本の共産党委員長が非難したことまでもハンギョレ新聞は紹介しました。
確かにポツダム宣言第6項には、「日本国民を欺瞞しこれをして世界征服の挙にいづるの過誤を犯さしめたる者の権力および勢力は永久に除去せられざるべからず」とありましたが・・・戦前の日本軍国主義政治は洗脳的教育や大本営報道で国民を騙したことは有名で、日本が同盟したナチスの1000年帝国の野望なども有名ですが、果たして日本も「世界征服」などを本当に目指していたのでしょうか????
「日本の戦後民主主義の原点中の原点がポツダム宣言で」「ポツダム宣言は戦争認識の原点で」あることも否定はできませんが、あくまで連合国側がすり合わせて作成した、日本への降伏勧告案でした。その前提を、一応配慮する必要はあると思います。ポツダム宣言については、安倍首相は月刊誌「Voice」2005年7月号の対談で、事実誤認の認識にあった(共産党委員長の言)との批判があるものの、一応ポツダム宣言について、明確に自身の思いを語っていたのですから、「つまびらかに読んでいない、承知していない」と言うことには嘘があったようです。それは、無知と言うより、そのポツダム宣言の認識内容を認めたくなかったために、とっさについた、詭弁の失言だろうとも言われています。しかし、増えた失言よりも、安倍首相については、批判者に逆に批判の責任を転嫁し、感情的なまでに攻撃的な逆批判をする、その特殊な精神構造の方に、むしろ危険性があるとではないかとも言われています。イスラム国の犯行声明時に際しては「決して許さない」「罪を償わせる」と報復戦争もしかねない復讐心をあらわにしましたが・・・・第一安倍内閣の終焉の時のように醜態をさらす最後にならなければいいのですが・・・かつては、熱心に語っていた、北朝鮮拉致問題解決などを、何故か余り語らなくなりました。
戦前、戦中によく使われた日本のスローガンに“八紘一宇(はっこういちう)”という言葉がありました。
「世界をひとつの家とすること」という意味で、太平洋戦争中に軍部が日本の海外進出を正当化するためのスローガンとして利用された言葉であり、ある意味で世界征服の軍事侵略の意図を隠蔽するようなスローガンでもありました。
宮崎県では、観光名所のひとつに宮崎市平和台公園がありますが、公園のシンボルの平和の塔の中央には“八紘一宇”の文字があります。実は、そして塔の四方を取り囲む土台には日中戦争時に中国各地に展開していた日本陸軍部隊から戦利品ということから送られた1700個以上にのぼる石がはめ込まれています。
まさに、軍国主義のスローガンでもあった“八紘一宇”なのですが、戦争が終わると責任追及から逃れるために、いち早くこの“八紘一宇の塔”からは“八紘一宇”の文字が削られました。そして、塔の呼び名も“平和の塔”に変更し、やがて平和台公園にまで変更されたのです。昭和39年9月には、この平和台公園がオリンピック東京大会の国内聖火リレーの起点に選ばれました。まさに、戦争の象徴を平和の象徴に変身させたのです。しかも、オリンピック翌年には、右翼的な人物の強い要請で“八紘一宇”の文字は復元されてしまいました。
八紘一宇は、大正期に日蓮の田中智学が国体(天皇体制)研究に際して使用したのが始まりで、「世界をひとつの家とすること」という思想自体は、人類は皆兄弟で家族と同じだといったグローバルな世界平和に繋がる側面も一面でありましたが、その思想は侵略戦争に利用されました。日本軍は、八紘一宇の名の下、その軍事侵略したアジアを中心とした大東亜共栄圏内において、占領した各国の住民から人物両面からの資源収奪等もおこないました。一方でアジアの開放などとは真逆に傀儡政権をも育成し現地住民が望む独立等は弾圧すると言う日本支配の横暴の実態がありました。当時の日本軍の軍事覇権が及んだアジア諸国においては、大東亜共栄圏なるものの軍事侵攻の実態とは、世界征服の挙であったといわれてもしかたのない実態がありました。
大東亜共栄圏
(时间都去哪儿了)