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そよ風に乗って

過ぎ去った思い出や、日々の事を
そっとつぶやいています。

終わらざる夏・・読んで初めて知った事

2015-10-22 15:07:31 | 読書

終わらざる夏

浅田次郎 集英社 2010年発行

占守島(しゅむすとう)という聞きなれない地名。

北海道、千島列島24島の、最北端の島、
カムチャッカ半島から数えると千島列島第一島です。
地図を見てびっくりの、最果ての島でした。

戦前は日本の領土だったのですね。
第二次世界大戦の終わりごろ、米軍がこの地に上陸して航空基地を作り
攻め入ることを恐れた日本は
満州から引き揚げさせた精鋭部隊をここに配備していました。

ここで終戦を迎えることになった軍隊でしたが
ポツダム宣言を受諾して降伏した数日後から、それを無視したソ連軍の攻撃が始まりました。

恐れていたアメリカではなく、敵は千島を取りに来たソ連でした。

日本の精鋭部隊ですから反撃して優勢だったものの、
敗戦国の兵士として捕虜になりシベリアに送られ
過酷な労働を強いられることになりました。

シベリア抑留とはこのように仕掛けられた
何とも腹立たしいものだったのですね。

日本が降伏したのに何故戦うのだと思いながらも
スターリンの命令に従わざるを得なかったソ連兵達は
日本の反撃にあっても負けて引き返すことも許されず、
千島列島を奪うためには多くの犠牲者を出すことが要求され
命を落としたソ連兵も哀れです。

上下の厚い本ですが、この戦闘部分は、最後に少し有るだけです。

そこに至るまでの太平洋戦争末期の市民の異常な国家総動員と、
召集される市民だけでなく、誰を徴兵するか決める立場の者の苦悩、
残される家族、地方に疎開するその子どもと
引率の先生などひとりひとりの心に寄り添って描かれている長編小説です。

そして年齢的にも身体的にも徴兵されるはずがないと思われた3人の市民が
徴兵されて占守島に送られてきます。

その3人とは
終戦処理の交渉のためにいずれ英語通訳として必要となるだろうと
本人には任務を明かされないまま徴兵された出版社に勤める翻訳家の片岡。
妻と晩婚のため小さい息子がおり学童疎開しています。
そして医師の菊池
何度も戦場に出て指を失い母親の元に戻っていた軍曹の富永の元にも
再び赤紙が届きました。年老いた母親をひとり残していかなければなりません。

片岡と富永は、無念な死を遂げ、
菊池はシベリアに抑留され過酷な環境の中で次々と命を落としていく兵士たちを
医者として看取っていきます。理不尽な仕打ちに怒りを爆発させながら・・・

はらはらしながら、みんな生き残ってほしいと願いながら読みましたが・・

戦争は二度としてはいけない。作者の思いがしっかりと伝わってきました。

いつも行く図書館で借りて読んだ本です。 


潜在意識が選んだみたいね

2015-09-21 23:46:04 | 読書

先日、図書館に行って借りたいと思った作家さんの本が
読み終わった本しか無かったので、それでは何をと
本棚をさ迷いながら、なんとか借りる本を2冊選び出しました。

今回は他にやりたい事も有るので2冊だけと思いカウンターに持って行く途中で
本日返却された本が一時的に置いてあるワゴンを覗きました。

返却された本ばかりなので
どんな本が読まれているのかと参考になり、
立ち読みしたり、面白そうだと借りる時も有ります。

この中から2冊選んで借りることにしました。

①ひとりでも安心して暮らす方法 大和書房 松原惇子

②治療をためらうあなたは案外正しい 日経BP社 名郷直樹

そして、最初に選んでいた2冊は

③ひとりの午後に 日本放送出版協会 上野千鶴子

④やがて消えゆく我が身なら 角川書店 池田清彦

合計4冊借りてきてしまいましたが、
家に帰って題名を改めて見てアラマって思いました。
こんな題の本ばかりでしたね。
潜在的な意識の中に終末を如何にとの思いが強いのでしょうか。

老人の日だし(敬老の日ね)しっかり意識して読むことにしましょう。

先ず、①の本を読み終えました。この本は一人暮らしの人のために
    書かれた本ですが、そうでなくても、最後の方に書かれている
    「いざときノート」なるものを書いておくことの大切さを改めて認識し
    ました。
    何かあった時に、慌てないように、健康保険証や介護保険証の番号を
    書いておく。延命治療を望むのか否かなども。
    エンディングノートに近いものですが、ちゃんと書いておくことによって
    夫や身内の者のためにも役に立つものなので是非にと思いました。
    健康なつもりで、夫の後に逝くと決めている私でも、
    本当は明日の事はわかりませんものね。
    

借りたかった作家さんの本を、図書館のホームぺ―ジで検索して予約したら
直ぐに取り置きの連絡が来ましたので
借りに行ってこないといけないのです。
こんなに直ぐ借りられるとは思わなかったのであせっています。

残りの本も頑張って早く読んでしまわないと。
他にやりたいことが有ったんじゃないの~?

 


雨の日、小説に涙しイチジクでジャムを作る

2015-09-17 16:11:31 | 読書


また雨降りです。
今年は庭のイチジクの甘みが薄くて水っぽい。

イチジクが好きな夫は、イチジクのイメージが壊れるからと
食べません。

秋成イチジクなので
いつもは最後に熟し損ねたイチジクで作るジャムを
早々に作り始めました。

空き瓶が1個しかなかったので
取り敢えず1個分を瓶に詰め
残りはジッパーに入れて冷凍庫へ。

瓶に詰めておくとちょっとした時のお土産になって重宝します。

~~~~~~~~~~~~~

浅田次郎さんの 月島慕情 を図書館で借りて読みました。

本の題になっている月島慕情他6編の短編集ですが
それぞれの物語に、ほろりと涙している私がいます。

凄い表現力のある作家さんなのですね。なんて言うのは生意気ですが
こういう人情味が有って思わず涙してしまう物語にはなかなか会えません。
全編にホロリの場面が有るので知らない間に涙です。

こんな涙なら流してもいいわって思います。

 


琴線に触れた文

2015-08-14 22:05:50 | 読書

図書館で浅田次郎さんの本“大人の実力”を借りて読みました。
大人の実力 浅田次郎 発行所・海竜社 2009年 4月初版

この本は、作者の小説の中から題名に添った記述を抜萃して
出版社が編集して1冊の本にまとめ上げたものです。

その中で、
“知識は人間を生かす。”という題が付いた、王妃の館 という小説からの
抜萃の一部をここに引用してみたいと思います。

旧制中学を出てから予科練を志願し、九死に一生を得たゼロ戦のパイロット。
復員してから夜学に通い、教員の資格を取った。
夜間高校の教師を長く務め、退職後は小さな学習塾を営んだ。
地味な人生だが、決して成り行き任せではない。
この人にはいつだって、信念があった。
平和は無知な人間によって壊されるのだと。
だから平和のために必要なものは、真の教育と、
それによって培われた豊かな教養である、と。
知識は人間を生かすのだと、この人はずっと信じつづけている。

良い文ですね。

(庭のパッションフルーツ)

今日は夕方、雷鳴と共にざ~っと大雨が降りました。
短時間でしたが、待ちに待ったまとまった量の雨で、
植物も充分水分補給が出来たと思います。


今夜はクーラーも扇風機もなしで、窓から入る涼しい夜風で大丈夫。
こうして、涼しい日を織り交ぜながらだんだん秋になっていくのですね。

 


池部良、大スターの軍隊経験とは

2015-07-27 06:52:42 | 読書

図書館で、何を借りようかと本を探していると
作者 池部良 となっている〝江戸っ子の倅″ と言う本が目に入った。

手に取って見るとエッセイ集だった。そして軍隊生活の話が中に入っていた。
招集された一般人がどのような体験をされたのか知りたくて借りて帰った。

戦争体験は、ほんのわずかしか書かれていなかったけれど
大変興味深いものであった。

まず、ざっと、内容と経歴をまとめてみると

1918年生まれ。1941年大学卒業、東宝映画入社。
1942年陸軍に応召される。24歳~5年間の軍隊生活。

1940年頃までは、まだ自由が有ったと思うが
24歳になった歳から、自分の意志を出す、権利も余地もなくなっていたと感じる。

徴兵身体検査で甲種合格。現役兵として北支那駐屯の陸軍部隊に入れられる。
1942年(昭和17年2月のこと。)

何のために戦うのだ。敵は何処にいる。
戦争目的もはっきりしないし、ひたすら天皇陛下のために死ねと言われても
納得できない自分の身の置き所に困った。

ニューギニア方面を目指して出港し乗っていた輸送船が敵魚雷を受け沈没。
海に飛び込み13時間後に日本海軍駆潜艇によって救助された。

救助してくれた船はハルマヘラ島に上陸。師団衛生隊長となりその島の警備に当たることになった。
1944年9月半ば、突如凄まじい空爆、海爆に襲われ
たっぷりあった食料は焼かれて尽きた。

銃爆撃を免れた地区にいた砲兵連帯本部の作戦主任のもとに面会に行き
食料の供給を請うたが、
“僕の隊は歩兵隊だ、慈善事業などしておらん”と歯牙にもかけてもらえなかったという。

こうして、サバイバル生活が始まり、
ジャングルの奥でネズミ、トカゲ、蛇、蛙。食べられそうなものは
何でも食べ、雑草しゃぶしゃぶを食べる生活が1年間続いた。

そして、終戦。
10か月後に、復員の喜びを味わう。

終戦の知らせを聞いて
“これで死なずに済む。俺も兵隊さん達も死なずに済む。
何が目的の戦争に、俺たちは引っ張り出されたんだろうな。”

と言う思いがあったそうだ。

1946年(昭和21年6月)復員。29歳後半であった。
栄養失調で痩せ細った状態で、こんな体では映画界への復帰は無理と思っていたが
映画界からの熱心な復帰要請により藤村の破壊の丑松役で映画界に復帰した。

軍隊生活で生きて行くために彼自身で考えたお題目が有ったという。

・排便問題、好き嫌いなしに何でも、それなりに美味しいと思って食べてやろう。
・可能な限り身体と心を清潔にしておこう。
・感情という神経は楽しく使ってみよう。

復員後、母校の立教大学を訪れた時に食堂玄関に掲げられていた額に
ラテン語で何か書かれているのを見た。
調べてみると、「食欲は理性に従え」という意味であった。意訳すると腹八分目。
それ以来
 ・腹八分目 が加わった。

そして、大スターへの道を歩んでこられた。

有無を言わさずの徴兵。
何のために戦わなければならなかったのか分からないままに巻き込まれていった国民。
中には、戦争体験を語ることも出来ず、心の中に閉じ込めてたまま
苦しみながら生きて来られた方は多くおられると思います。

現在、国民の多くが反対を唱え、学者が憲法違反と口をそろえている問題に
数の力で強引に押し通そうとする今の与党の姿勢には、
寒気を感じさせるものが有ります。

戦争とは・・・絶対にしてはだめなものです。