9月7日の記事『CM放言』の末尾に、追記を加えました。
面白いブログはみんな、自分の生活の中の実体験を書いてる。
そうでない場合も、政治や経済、映画、音楽、趣味その他、その人の豊富な知識で掘り下げられている。またはそれに基づいた視点で書かれている。
信憑性はさておき、マニアックだったり、裏情報があったりで興味深い。マスの媒体にはない面白さがある。
ところが僕は、ウソは書いていないつもりだけど、浅い知識のなかで僕が感じたことを書いているだけだ…。
僕は何かを身につけるってことができないんだよね…。
本屋に行った時なんか、あれもこれもと興味をそそられて、「よしっ、これ勉強してみよう!」と、やる気満々で本を買って帰るんだけど、家に帰ったら気分がガクンと落ちちゃって、なかなか手につかない。この家の”気”が良くないんだろうか? 実際この家にいるとまったく落ち着かなくて、しかも薄暗~い気分になるんだ…。
いや、田舎にいた子どもの頃から学校の勉強なんかもできなかったよ(『成績が悪い』とかいう”結果”じゃなくて、そのプロセスとして)。勉強とか修練とか、やり方さえ分からないんだ…。神経が逆立って、どうしてもできないんですよ。なんでだろう?
「四の五の言わずにやれ」と言うかもしれないけど、それはできる人の論理。
できない人間にとってみれば、努力できるというのもひとつの才能だと思う。
「その思考がおかしい!」なんて、また怒られるかもしれないけど…。
おっしゃる通り恥ずかしいことなんですけど、僕自身、辛いんです。
自分という人間が、頭が悪いとか人並みでないとかいうのを自覚するのは、ホントつらいぜ。
言っとくけど卑下じゃない。自分を過小評価してるわけじゃない。
客観的に判断してそう思うんだ。
でも確かに、自分でそれを認めてしまったら、僕のように弱い人間はそれだけで人生に対してのモチベーションが下がってしまう。
だから、盲信でも過信でもうぬぼれでもいいから、自分を信じて、自分を愛したほうがいいんだろうね、本当は…。
それから、個人的な経験、体験というのも、僕はいま現在、なああああああんにもやっていないから(趣味も運動も、もちろん仕事も…。必要最小限以外、出かけることもないし、友達も今はひとりもいないから、誰かと話すこともほとんどない。おまけに収入もないし、そろそろヤバいんだ…)、したがって実際に動いたことがネタになることはあまりない。
せっかく世間に公表してるんだから、面白いと思ってもらえるほうがいい。でも…。
薄っぺらいブログなんだろうな。そんな、自慰みたいなブログ、面白くねえよな。
それはやっぱり、僕自身が薄っぺらい人間だということなんだろうな…。
そうでない場合も、政治や経済、映画、音楽、趣味その他、その人の豊富な知識で掘り下げられている。またはそれに基づいた視点で書かれている。
信憑性はさておき、マニアックだったり、裏情報があったりで興味深い。マスの媒体にはない面白さがある。
ところが僕は、ウソは書いていないつもりだけど、浅い知識のなかで僕が感じたことを書いているだけだ…。
僕は何かを身につけるってことができないんだよね…。
本屋に行った時なんか、あれもこれもと興味をそそられて、「よしっ、これ勉強してみよう!」と、やる気満々で本を買って帰るんだけど、家に帰ったら気分がガクンと落ちちゃって、なかなか手につかない。この家の”気”が良くないんだろうか? 実際この家にいるとまったく落ち着かなくて、しかも薄暗~い気分になるんだ…。
いや、田舎にいた子どもの頃から学校の勉強なんかもできなかったよ(『成績が悪い』とかいう”結果”じゃなくて、そのプロセスとして)。勉強とか修練とか、やり方さえ分からないんだ…。神経が逆立って、どうしてもできないんですよ。なんでだろう?
「四の五の言わずにやれ」と言うかもしれないけど、それはできる人の論理。
できない人間にとってみれば、努力できるというのもひとつの才能だと思う。
「その思考がおかしい!」なんて、また怒られるかもしれないけど…。
おっしゃる通り恥ずかしいことなんですけど、僕自身、辛いんです。
自分という人間が、頭が悪いとか人並みでないとかいうのを自覚するのは、ホントつらいぜ。
言っとくけど卑下じゃない。自分を過小評価してるわけじゃない。
客観的に判断してそう思うんだ。
でも確かに、自分でそれを認めてしまったら、僕のように弱い人間はそれだけで人生に対してのモチベーションが下がってしまう。
だから、盲信でも過信でもうぬぼれでもいいから、自分を信じて、自分を愛したほうがいいんだろうね、本当は…。
それから、個人的な経験、体験というのも、僕はいま現在、なああああああんにもやっていないから(趣味も運動も、もちろん仕事も…。必要最小限以外、出かけることもないし、友達も今はひとりもいないから、誰かと話すこともほとんどない。おまけに収入もないし、そろそろヤバいんだ…)、したがって実際に動いたことがネタになることはあまりない。
せっかく世間に公表してるんだから、面白いと思ってもらえるほうがいい。でも…。
薄っぺらいブログなんだろうな。そんな、自慰みたいなブログ、面白くねえよな。
それはやっぱり、僕自身が薄っぺらい人間だということなんだろうな…。
私的なことだけでなく、自分の主義、思想や立場というものを、もう少し明確に出していってもいいのかな、と考えている今日この頃でございます。
例えば、郵政民営化についてとか、靖国参拝の問題とか中国など隣国との関係、税金、年金問題、学校での体罰やドメスティックバイオレンスのこと、などなど…。
基本的に僕は、”ニュートラル”でいることを重視しています。
これはもちろん、自分の意見がないというわけではなくて、公正に、偏向することなく視野を広く持ちたいという気持ちからです。
でも最近、僕のそんな考え方は、自分と違った意見を持つ人との衝突を避けるため、つまり闘うことから逃げている、という消極的な理由を含んでいるのではないかと思うようになりました。
いわゆる「ことなかれ」的なスタンスだということです。
確かに僕は気が弱いし、それに、例えば「僕はプロ野球はどこそこのファンです」程度のことを表明しただけで、いらぬ敵対心を抱かれたりするのはばかばかしいなと思ったりするわけです。
政治的、宗教的、あるいは性的、その他にもいろいろありますが、思想の違いにより二者がエキサイトするのは、「TVタックル」や「朝まで生テレビ」などを見るまでもなく自明のことですし、果ては戦争にまで発展することも歴史の中でくり返されてきました。
ことブログの世界を見ても、さまざまな人が熱く持論を展開して主義主張を書き、誹謗中傷合戦になっていたりするのを目にします。
だから、僕としてはひとつの意見として発信したつもりでも、それに対して攻撃的な姿勢で怒りをぶつけてこられると面喰らうわけです。
僕は、あきらかに腹の立つことは強い調子で表現することもありますが、ふつうは自分なりに、異なる意見や立場に配慮して記事を書いているつもりです。それなのに、建設的な議論をしないで感情的に責められるとうんざりするんですよ。
まあこれは、自分の表現の未熟さ、いたらなさもあるし、でも、だからこそ軽々しく思想的なことは書けないということなのです。時間もかかるし、じっくり熟考しないといけないし、はっきりひとつの答えが出るとは限らないし、気持ちの変化もあるし…。
自分の書いたことについて、反対意見が来ても、整然と説明できるように知識を身につけておくことがスジであり、責任もありますしね。
ただ、なかなかブログでそこまでするのは大変です。
それに、明確な意思を表明したことで、このブログの読者が偏ってしまうのも嫌なんですよね。
荒らしにあったり、変な人が来たりするのも困りますし、怖いです。
それからもうひとつには、万人が共有するテーマに関する個人の思想というのは、語っても不毛な場合が多いし、その点面白みがないです。それを読んで読者は結局は「ああそうですか」といった冷めた感情で納めるしかないと思うんです。お互い、なかなか議論によって懐柔できる類の事柄ではないですからね。
そんなわけで、今まで避けてきたわけですが、最初に書いたように、自分のアイデンティティを確立するためにも、一歩踏みこんで意見を述べてもいいかな、と考えているわけです。
どう思います?
(『恐れず発言せよ!』『あんたはニュートラルなところが持ち味なんや!』『いやいや、すでに主義、思想は明確に現れとるよ』など、ご意見をお待ちしています)
例えば、郵政民営化についてとか、靖国参拝の問題とか中国など隣国との関係、税金、年金問題、学校での体罰やドメスティックバイオレンスのこと、などなど…。
基本的に僕は、”ニュートラル”でいることを重視しています。
これはもちろん、自分の意見がないというわけではなくて、公正に、偏向することなく視野を広く持ちたいという気持ちからです。
でも最近、僕のそんな考え方は、自分と違った意見を持つ人との衝突を避けるため、つまり闘うことから逃げている、という消極的な理由を含んでいるのではないかと思うようになりました。
いわゆる「ことなかれ」的なスタンスだということです。
確かに僕は気が弱いし、それに、例えば「僕はプロ野球はどこそこのファンです」程度のことを表明しただけで、いらぬ敵対心を抱かれたりするのはばかばかしいなと思ったりするわけです。
政治的、宗教的、あるいは性的、その他にもいろいろありますが、思想の違いにより二者がエキサイトするのは、「TVタックル」や「朝まで生テレビ」などを見るまでもなく自明のことですし、果ては戦争にまで発展することも歴史の中でくり返されてきました。
ことブログの世界を見ても、さまざまな人が熱く持論を展開して主義主張を書き、誹謗中傷合戦になっていたりするのを目にします。
だから、僕としてはひとつの意見として発信したつもりでも、それに対して攻撃的な姿勢で怒りをぶつけてこられると面喰らうわけです。
僕は、あきらかに腹の立つことは強い調子で表現することもありますが、ふつうは自分なりに、異なる意見や立場に配慮して記事を書いているつもりです。それなのに、建設的な議論をしないで感情的に責められるとうんざりするんですよ。
まあこれは、自分の表現の未熟さ、いたらなさもあるし、でも、だからこそ軽々しく思想的なことは書けないということなのです。時間もかかるし、じっくり熟考しないといけないし、はっきりひとつの答えが出るとは限らないし、気持ちの変化もあるし…。
自分の書いたことについて、反対意見が来ても、整然と説明できるように知識を身につけておくことがスジであり、責任もありますしね。
ただ、なかなかブログでそこまでするのは大変です。
それに、明確な意思を表明したことで、このブログの読者が偏ってしまうのも嫌なんですよね。
荒らしにあったり、変な人が来たりするのも困りますし、怖いです。
それからもうひとつには、万人が共有するテーマに関する個人の思想というのは、語っても不毛な場合が多いし、その点面白みがないです。それを読んで読者は結局は「ああそうですか」といった冷めた感情で納めるしかないと思うんです。お互い、なかなか議論によって懐柔できる類の事柄ではないですからね。
そんなわけで、今まで避けてきたわけですが、最初に書いたように、自分のアイデンティティを確立するためにも、一歩踏みこんで意見を述べてもいいかな、と考えているわけです。
どう思います?
(『恐れず発言せよ!』『あんたはニュートラルなところが持ち味なんや!』『いやいや、すでに主義、思想は明確に現れとるよ』など、ご意見をお待ちしています)
書けない、書けない。
書きかけてボツにした記事が山になってる。
書こうと思うことはたくさんあって、
でも書きたいんだけど書けない、というスランプみたいな部分と、
書いても意味ないんじゃないか…、
僕の書くことが何か役に立つとでも言うのだろうか…?
いいや、そんなわけはない。
書いたとして、意図したまま伝わるかどうかも心許ない…。
それに、そもそも読んでくれる人も少ないし…、
というモチベーションの低下…。
じゃあ書かなきゃいい、と割り切ることもできない。
…疲れる。
書きかけてボツにした記事が山になってる。
書こうと思うことはたくさんあって、
でも書きたいんだけど書けない、というスランプみたいな部分と、
書いても意味ないんじゃないか…、
僕の書くことが何か役に立つとでも言うのだろうか…?
いいや、そんなわけはない。
書いたとして、意図したまま伝わるかどうかも心許ない…。
それに、そもそも読んでくれる人も少ないし…、
というモチベーションの低下…。
じゃあ書かなきゃいい、と割り切ることもできない。
…疲れる。
今日は寝覚めが悪い。
夜の弱い僕が昨夜は3時くらいの就寝だったのに、近所から聞こえてくるピアノの音で早くに起こされた。
前にも書いたことがあるが、そいつは常習犯で、その都度文句を言ってやろうかと思うのだけど、大音量で響いてくるわけでもないので一般常識と照らしてみてどうなのか考えると、世間からズレた人間である僕としては判断に迷うのだ。
ところで最近、旬の話題をとりあげたりしたこともあって、弊ブログのローカルルールに沿わないトラックバックが多い。
僕はコメントを添えていただけないトラバは(コメントが付いていても明らかにアクセスアップなどが目的と思われるトラバや、内容から見て、たぶん一度きりの訪問だろうなと思う場合も)原則として削除することにしていて、その旨トップ記事からリンクして明記してもいるのだが、意図的でなくとも検索から飛んで来られたような時にはとくに、気づいてもらえない場合もあろう。やはりエントリーごとに添付しないといけないだろうか…。
ただ僕なんかの感覚からすると、トラバやコメントをしようとする場合は、たどり着いた記事だけで判断するのではなくて、少なくともそのブログのいくつかの記事を読み、ざっとでもブログ全体を見渡して、その人がどんな人間か、ある程度掴んでからのほうが良いと思うのだが。
アクセスアップのみが目的だとか、自己顕示欲だけの、礼を失した(と、僕が感じる)トラバを削除することは躊躇しないけども、悪意があってやっているわけではない人もいるだろうから、削除ボタンを押すときは、ちょっと申し訳ない気もする。
けれども、一般論はさておいて個人的にコメントなきトラバに感じるのは、”不遜”である。
なぜかと言うと、トラバは自分が書いた文章を他人に”送りつける”という行為であり、”読んでもらう”という謙った意識がないと、ずいぶんぶしつけなものだと思うのだ。その文章が、他人に読んでもらえるだけの価値があるかどうか、すべて自己判断なのだから。
通常、世間では、ひと様に自分の書いたものを読んでもらうとか、自分の絵を見てもらうとか、歌を聞いてもらうとか、企画を提案するとか、そういうことはなかなかできないものである。まさかいきなり郵便で送りつけて、何の挨拶もしないなんてことはあまりないはずだ。
そういったことだから、僕は気が小さいこともあってあまりトラバをしないのだけど、する場合には必ずコメントを入れて断りをする。「このような拙文を書いたのですが、読んでもらえるでしょうか?」というようなニュアンスでだ。
謙遜を美徳とする古い世代の考え方なのかもしれないが、僕はそれでいいと思っている。
高飛車な持論を展開しているふうに受けとられると困るけれど、インターネット上では僕が嫌う類のトラバも許容されているようだし、僕の考えを押しつける気はない。人は人、僕は僕である。ただ、それに賛同していただけないのは仕方ないけども、僕のスペースであるこのブログではご遠慮願いたい。
だから、仮に「おもしろい記事だな」と思うことがあっても、僕はそのトラバを削除します。
難しいことを言っているわけでもないし、堅苦しくしてるつもりもない。僕はネットの世界をヴァーチャルだとは思っていないから、人と人の関係として、ただ単純に「ひと声かけてね」と言いたいだけだ。
基本的にはコメント、トラバとも、歓迎いたします。
追記 コメントもつけたし、他意があるわけでもないのに、トラバを消されてしまったという方、もしいたらごめんなさい。
コメントはつけてないけど、悪気はないのに消されて気分を害したという方も、ちょっとだけごめんなさい。
夜の弱い僕が昨夜は3時くらいの就寝だったのに、近所から聞こえてくるピアノの音で早くに起こされた。
前にも書いたことがあるが、そいつは常習犯で、その都度文句を言ってやろうかと思うのだけど、大音量で響いてくるわけでもないので一般常識と照らしてみてどうなのか考えると、世間からズレた人間である僕としては判断に迷うのだ。
ところで最近、旬の話題をとりあげたりしたこともあって、弊ブログのローカルルールに沿わないトラックバックが多い。
僕はコメントを添えていただけないトラバは(コメントが付いていても明らかにアクセスアップなどが目的と思われるトラバや、内容から見て、たぶん一度きりの訪問だろうなと思う場合も)原則として削除することにしていて、その旨トップ記事からリンクして明記してもいるのだが、意図的でなくとも検索から飛んで来られたような時にはとくに、気づいてもらえない場合もあろう。やはりエントリーごとに添付しないといけないだろうか…。
ただ僕なんかの感覚からすると、トラバやコメントをしようとする場合は、たどり着いた記事だけで判断するのではなくて、少なくともそのブログのいくつかの記事を読み、ざっとでもブログ全体を見渡して、その人がどんな人間か、ある程度掴んでからのほうが良いと思うのだが。
アクセスアップのみが目的だとか、自己顕示欲だけの、礼を失した(と、僕が感じる)トラバを削除することは躊躇しないけども、悪意があってやっているわけではない人もいるだろうから、削除ボタンを押すときは、ちょっと申し訳ない気もする。
けれども、一般論はさておいて個人的にコメントなきトラバに感じるのは、”不遜”である。
なぜかと言うと、トラバは自分が書いた文章を他人に”送りつける”という行為であり、”読んでもらう”という謙った意識がないと、ずいぶんぶしつけなものだと思うのだ。その文章が、他人に読んでもらえるだけの価値があるかどうか、すべて自己判断なのだから。
通常、世間では、ひと様に自分の書いたものを読んでもらうとか、自分の絵を見てもらうとか、歌を聞いてもらうとか、企画を提案するとか、そういうことはなかなかできないものである。まさかいきなり郵便で送りつけて、何の挨拶もしないなんてことはあまりないはずだ。
そういったことだから、僕は気が小さいこともあってあまりトラバをしないのだけど、する場合には必ずコメントを入れて断りをする。「このような拙文を書いたのですが、読んでもらえるでしょうか?」というようなニュアンスでだ。
謙遜を美徳とする古い世代の考え方なのかもしれないが、僕はそれでいいと思っている。
高飛車な持論を展開しているふうに受けとられると困るけれど、インターネット上では僕が嫌う類のトラバも許容されているようだし、僕の考えを押しつける気はない。人は人、僕は僕である。ただ、それに賛同していただけないのは仕方ないけども、僕のスペースであるこのブログではご遠慮願いたい。
だから、仮に「おもしろい記事だな」と思うことがあっても、僕はそのトラバを削除します。
難しいことを言っているわけでもないし、堅苦しくしてるつもりもない。僕はネットの世界をヴァーチャルだとは思っていないから、人と人の関係として、ただ単純に「ひと声かけてね」と言いたいだけだ。
基本的にはコメント、トラバとも、歓迎いたします。
追記 コメントもつけたし、他意があるわけでもないのに、トラバを消されてしまったという方、もしいたらごめんなさい。
コメントはつけてないけど、悪気はないのに消されて気分を害したという方も、ちょっとだけごめんなさい。
昨日このブログを、スタートから5月の上旬まで、一度投げ出して休止したのを挟んで、ずっと読み返してみた。
ずいぶん推敲して書いたつもりなのに、かなり稚拙で荒い文章だったことに気づく。
やっぱり文才なんてものはないんだろうな…、ぐすん。
それから、いただいたコメントも読み直してみたが、僕はだいぶ過敏になっていたようだ。
今改めて読んでみると、たいていどの人のコメントも柔らかいものだった。それなのに、コメントに接した当時は、(コメントを望んでいたにもかかわらず)責めたてられているような圧迫感を感じる場合もあった。
僕はやはりコミュニケーションが未熟なのだなあ。
ほんの数人を相手にしているだけで、恐慌をきたして平静を欠いてしまう。あっという間にキャパを越えてしまうのだ。
(こんなことを書いたら、またコメントしづらくなるかもしれないなあ…)
それが精神疾患から来るものなのかは分からない。
仕事をやらなくなって4ヶ月あまり…。
その間も、いろんな問題が起きて疲れ果てて、やがて感覚が麻痺してきたからだろうけど、今は少し落ち着いている。でも仕事はできないから、もちろん本当の意味での復調ではない。
とにかく、コメントをいただいた皆さんには、ちょっと申し訳ない気持ち…。
ずいぶん推敲して書いたつもりなのに、かなり稚拙で荒い文章だったことに気づく。
やっぱり文才なんてものはないんだろうな…、ぐすん。
それから、いただいたコメントも読み直してみたが、僕はだいぶ過敏になっていたようだ。
今改めて読んでみると、たいていどの人のコメントも柔らかいものだった。それなのに、コメントに接した当時は、(コメントを望んでいたにもかかわらず)責めたてられているような圧迫感を感じる場合もあった。
僕はやはりコミュニケーションが未熟なのだなあ。
ほんの数人を相手にしているだけで、恐慌をきたして平静を欠いてしまう。あっという間にキャパを越えてしまうのだ。
(こんなことを書いたら、またコメントしづらくなるかもしれないなあ…)
それが精神疾患から来るものなのかは分からない。
仕事をやらなくなって4ヶ月あまり…。
その間も、いろんな問題が起きて疲れ果てて、やがて感覚が麻痺してきたからだろうけど、今は少し落ち着いている。でも仕事はできないから、もちろん本当の意味での復調ではない。
とにかく、コメントをいただいた皆さんには、ちょっと申し訳ない気持ち…。
最近、このブログ、ますます寂しいな。
アクセスもコメントもほとんどない。
僕は一度、”星一徹がちゃぶ台ひっくり返すみたいに”このブログを投げ出して、せっかく少しは集まってくれてた読者の多くを失った経歴があるから、こんなことを言う資格はないかもしれないけど…。
それでも、まわりのブログがちゃくちゃくと読者数を伸ばして、コメントもいっぱいもらったりして、活性化して盛りあがっているのを横目で見たりすると一抹の寂しさもあり…。
僕だってすでに半年以上も一所懸命書いてきたのにな、自分なりには…。
張り合いないよ。
でも、もうなんかいまさら、新しくブログ仲間を開拓するために良さそうなブログを探して、しおらしくコメントして回る気にはならないし、トラックバックするなんてことも基本的にあんまり好きじゃないからなあ…。
自分ところのアクセスアップのためにコメント入れたりトラックバックするのは、僕自身嫌だし。
どんな人でも、誰でもいいからコメント欲しいとは思わないし…。
昔登録してた日記サイトには、自分の日記のPRが出来る掲示板があって、「こんなこと書きました。読んでください」なんて広告できた。それでけっこうそこからのアクセスがあったもんです。でも、gooにはそんな場所は期待できない。かりに掲示板があっても利用者数が桁が違うから、どんどん書き込みされて、あっという間に押し出されちゃうだろうね。テーマサロンとかトラックバック練習板なんてのも、アクセスアップという意味ではむずかしいと思う。
以前もこんなこと書いて、「お前はそんなにコメント欲しいのか」と、読者の皆様に総スカン喰らったから慎重にならないといけないんですが、そもそも「コメントおくれ」とは書いてないんですよ。
読み返してもらうと分かると思うけど、「僕のブログ、あんまり読者が増えないしコメントもいただけないのは、どこか悪いところがあるんですかねえ?」ってお尋ねしただけなんです。つまり企業で言えば、意識調査みたいなものです。
でも、今になって考えると、かりに「コメントおくれ!」って書いたとしても、それのどこがいけないというんでしょうか…。ある人になんか「何がしたいの?」なんてキレ気味に言われたし…。なんでそんな言われ方までしなければいけなかったのかねえ。
皆さんがおっしゃるには、僕のブログは自己完結型でコメントの余地がないというお答えだったのですが、そればかりじゃないような気もします。
バーチャルでない実在の僕も、よく人から「とっつきにくい」という評価をいただくことがあるので、そんな面がブログにも出ているのではないか、と考える次第なのです。
なんか無意識に嫌われるようなこと書いちゃってたりするのかなあ…?
アクセスもコメントもほとんどない。
僕は一度、”星一徹がちゃぶ台ひっくり返すみたいに”このブログを投げ出して、せっかく少しは集まってくれてた読者の多くを失った経歴があるから、こんなことを言う資格はないかもしれないけど…。
それでも、まわりのブログがちゃくちゃくと読者数を伸ばして、コメントもいっぱいもらったりして、活性化して盛りあがっているのを横目で見たりすると一抹の寂しさもあり…。
僕だってすでに半年以上も一所懸命書いてきたのにな、自分なりには…。
張り合いないよ。
でも、もうなんかいまさら、新しくブログ仲間を開拓するために良さそうなブログを探して、しおらしくコメントして回る気にはならないし、トラックバックするなんてことも基本的にあんまり好きじゃないからなあ…。
自分ところのアクセスアップのためにコメント入れたりトラックバックするのは、僕自身嫌だし。
どんな人でも、誰でもいいからコメント欲しいとは思わないし…。
昔登録してた日記サイトには、自分の日記のPRが出来る掲示板があって、「こんなこと書きました。読んでください」なんて広告できた。それでけっこうそこからのアクセスがあったもんです。でも、gooにはそんな場所は期待できない。かりに掲示板があっても利用者数が桁が違うから、どんどん書き込みされて、あっという間に押し出されちゃうだろうね。テーマサロンとかトラックバック練習板なんてのも、アクセスアップという意味ではむずかしいと思う。
以前もこんなこと書いて、「お前はそんなにコメント欲しいのか」と、読者の皆様に総スカン喰らったから慎重にならないといけないんですが、そもそも「コメントおくれ」とは書いてないんですよ。
読み返してもらうと分かると思うけど、「僕のブログ、あんまり読者が増えないしコメントもいただけないのは、どこか悪いところがあるんですかねえ?」ってお尋ねしただけなんです。つまり企業で言えば、意識調査みたいなものです。
でも、今になって考えると、かりに「コメントおくれ!」って書いたとしても、それのどこがいけないというんでしょうか…。ある人になんか「何がしたいの?」なんてキレ気味に言われたし…。なんでそんな言われ方までしなければいけなかったのかねえ。
皆さんがおっしゃるには、僕のブログは自己完結型でコメントの余地がないというお答えだったのですが、そればかりじゃないような気もします。
バーチャルでない実在の僕も、よく人から「とっつきにくい」という評価をいただくことがあるので、そんな面がブログにも出ているのではないか、と考える次第なのです。
なんか無意識に嫌われるようなこと書いちゃってたりするのかなあ…?
明日(7日)から急遽、帰郷しなければならなくなりました。
ですので、当分(一週間くらい?)ブログ更新が出来ないと思います。
最近、ガクーッとアクセスが減ってるからちょうどいいのかも…。
(自分よ、なぜにここでイヤミを言う?)
携帯電話での投稿は、やり方を覚えていませんし、おそらくそんな時間もないと思いますし、ケータイでチョコマカ打ち込むのは、僕は苦手(そして、嫌い)だから…。
今は午前11時前ですが、今日の夜何か書けるかもしれないし、書けないかもしれません。
だから今、挨拶をしておきます。
万一、このブログを毎日楽しみにしてくださっている方がいらっしゃるとしたら、申し訳ありません。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
では、また。
ですので、当分(一週間くらい?)ブログ更新が出来ないと思います。
最近、ガクーッとアクセスが減ってるからちょうどいいのかも…。
(自分よ、なぜにここでイヤミを言う?)
携帯電話での投稿は、やり方を覚えていませんし、おそらくそんな時間もないと思いますし、ケータイでチョコマカ打ち込むのは、僕は苦手(そして、嫌い)だから…。
今は午前11時前ですが、今日の夜何か書けるかもしれないし、書けないかもしれません。
だから今、挨拶をしておきます。
万一、このブログを毎日楽しみにしてくださっている方がいらっしゃるとしたら、申し訳ありません。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
では、また。
所用と、極度の眼精疲労、および吐き気をともなう頭痛などのためブログが滞っています。
数少ない読者の皆様、お詫びしますとともに、今しばらくお待ち下さい。
数少ない読者の皆様、お詫びしますとともに、今しばらくお待ち下さい。
以前、あるブログ管理人と摩擦があったのだけど、先方が僕のブログをリンクしたままにしてくれていたから、その人のトラックバックも残しておいた。
たまにそのブログも読ませてもらってた。
でも、今日見たら削除されていた。
それをきっかけに、いくつかのトラバと一緒に削除させてもらった。
コメントはいただいたもののアクセスアップが目的と思われるものや、もう交流が断たれていると思われるものなど…。
かつてはけっこう仲良くさせてもらっていたブログもあるのに、寂しいことだ。
●コメント、トラックバックくださる方は、こちらをお読み下さい。
たまにそのブログも読ませてもらってた。
でも、今日見たら削除されていた。
それをきっかけに、いくつかのトラバと一緒に削除させてもらった。
コメントはいただいたもののアクセスアップが目的と思われるものや、もう交流が断たれていると思われるものなど…。
かつてはけっこう仲良くさせてもらっていたブログもあるのに、寂しいことだ。
●コメント、トラックバックくださる方は、こちらをお読み下さい。
『暇なやつが数時間ごとにアクセスしてきて、うっとうしい!』
と、怒っているブログがあった。
見たところコメントがたくさん入っているふうでもなかったので、アクセス解析を見てのことらしい。
僕もそう思われているのかもしれない。
いま精神的に不安定で、他のことには一切集中できないものだから、つい1日のうちに何度も同じブログを訪れたりする。
第三者から見たら暇と言えば暇なんだろうけど、本人にそんな感覚はない。だから『暇なやつが…』という言われ方はちょっと辛い。
アクセス解析ツールを使っているブログなら、たぶんどこから飛んできたのか分かるのだろうから、僕だとバレる。
なかには「しようがないやつだなあ…」なんて苦笑してすませてくれる人もいるだろうが、確かにあまりにたびたびやって来られては迷惑に感じる人もいると思う。
気がつかなかった。
僕もアクセス解析ツールを使ってはいるが、不完全なので時間ごとのアクセス数とかブラウザ解析とか、2、3の機能しか使えない。だから、誰がどこから来たか、どの人が誰なのかはまったくと言っていいほど分からないのだ。
(だからこのブログには、何度来てもらって大丈夫です)
でも、ばっちり機能する解析ツールを持っている人なら、逐一把握できるのだろう。
これからは気をつけようと思う。
僕からのアクセスがいっぱいで苦笑いしている方、迷惑に思っている方、すみませんでした。
特別な理由がない限り、1日2回(朝と夜を目安に)くらいにセーブしてお邪魔するようにします。
ただ、冒頭のブログの人が書いていたのだけど、『アクセスを残すことで自分のブログへの来訪を促している』なんてことはない。単純にブログを見に行っているだけで他意はない。そんなワン切り電話のようなことはしない。
その点だけは誤解ですから、お気を回さないようにお願いします。
それからもうひとつ。
アクセス解析とは関係ないことだが、僕は心ならずも人の気分を害することの多い人間だ。
頭の回路がおかしいのではないかと思うくらい、知らないうちに人を怒らせてしまう。
記事に書いたこと、コメントの何気ないひと言が、失礼だったりする場合があるかもしれない。
僕も困惑している。
その危険性を自覚して、気をつけているにもかかわらず、そんな事態が発生してしまう。
意図したことではないからといって、その失礼が無条件に許されるわけではないですが、決して悪気があってやっていることではないのです。
どうかそんな場合は寛大な気持ちで受けとめていただけると幸いです。
と、怒っているブログがあった。
見たところコメントがたくさん入っているふうでもなかったので、アクセス解析を見てのことらしい。
僕もそう思われているのかもしれない。
いま精神的に不安定で、他のことには一切集中できないものだから、つい1日のうちに何度も同じブログを訪れたりする。
第三者から見たら暇と言えば暇なんだろうけど、本人にそんな感覚はない。だから『暇なやつが…』という言われ方はちょっと辛い。
アクセス解析ツールを使っているブログなら、たぶんどこから飛んできたのか分かるのだろうから、僕だとバレる。
なかには「しようがないやつだなあ…」なんて苦笑してすませてくれる人もいるだろうが、確かにあまりにたびたびやって来られては迷惑に感じる人もいると思う。
気がつかなかった。
僕もアクセス解析ツールを使ってはいるが、不完全なので時間ごとのアクセス数とかブラウザ解析とか、2、3の機能しか使えない。だから、誰がどこから来たか、どの人が誰なのかはまったくと言っていいほど分からないのだ。
(だからこのブログには、何度来てもらって大丈夫です)
でも、ばっちり機能する解析ツールを持っている人なら、逐一把握できるのだろう。
これからは気をつけようと思う。
僕からのアクセスがいっぱいで苦笑いしている方、迷惑に思っている方、すみませんでした。
特別な理由がない限り、1日2回(朝と夜を目安に)くらいにセーブしてお邪魔するようにします。
ただ、冒頭のブログの人が書いていたのだけど、『アクセスを残すことで自分のブログへの来訪を促している』なんてことはない。単純にブログを見に行っているだけで他意はない。そんなワン切り電話のようなことはしない。
その点だけは誤解ですから、お気を回さないようにお願いします。
それからもうひとつ。
アクセス解析とは関係ないことだが、僕は心ならずも人の気分を害することの多い人間だ。
頭の回路がおかしいのではないかと思うくらい、知らないうちに人を怒らせてしまう。
記事に書いたこと、コメントの何気ないひと言が、失礼だったりする場合があるかもしれない。
僕も困惑している。
その危険性を自覚して、気をつけているにもかかわらず、そんな事態が発生してしまう。
意図したことではないからといって、その失礼が無条件に許されるわけではないですが、決して悪気があってやっていることではないのです。
どうかそんな場合は寛大な気持ちで受けとめていただけると幸いです。
先日、夢遊病のように何となくぼんやりと更新作業をしていて、途中で止めたのだけど、次の日見てみたら更新されてしまっていた。そして、コメントまで頂いた。
僕が観た映画リストを以前掲載したが、そこに載せた以外の作品を今回追記してみたのだ。
意図せずアップされていたのは、50音で分けて「へ~わ」の部分。
突然、何の挨拶もなく、それだけが掲載された。
それなのにコメントをいただいたのは、ありがたい。
それでは、削除するのではなく全部を載せよう、と思ったのだ。
「ブログはとうぶん辞める」と宣言してまだひと月にも満たない。
まだ再開する気にはならないが、何となくでも更新作業に手をつけたのだから、何らかの気持ちの動きはあったのだと思う。
精神状態は良くない。
仕事はやっていない。
クライアントは怒っている。
そんなもの、クソくらえだ、と思う自分がいる。
良くない状態だ…。
ブログはもしかしたら、ときどき、また「ぼんやり」と更新することがあるかもしれない。
でも、再開しようとは思っていない。
まだまだ、ブログを書ける状態ではないのだ。むしろ悪くなってる。
「わがままを許してください」以前ならこんな言葉で締めくくっていたことだろう。
しかし、いまの僕はそんな気遣いも気持ちの負担になる。
申し訳ない。
僕が観た映画リスト、追記を見てやってください。
僕が観た映画リストを以前掲載したが、そこに載せた以外の作品を今回追記してみたのだ。
意図せずアップされていたのは、50音で分けて「へ~わ」の部分。
突然、何の挨拶もなく、それだけが掲載された。
それなのにコメントをいただいたのは、ありがたい。
それでは、削除するのではなく全部を載せよう、と思ったのだ。
「ブログはとうぶん辞める」と宣言してまだひと月にも満たない。
まだ再開する気にはならないが、何となくでも更新作業に手をつけたのだから、何らかの気持ちの動きはあったのだと思う。
精神状態は良くない。
仕事はやっていない。
クライアントは怒っている。
そんなもの、クソくらえだ、と思う自分がいる。
良くない状態だ…。
ブログはもしかしたら、ときどき、また「ぼんやり」と更新することがあるかもしれない。
でも、再開しようとは思っていない。
まだまだ、ブログを書ける状態ではないのだ。むしろ悪くなってる。
「わがままを許してください」以前ならこんな言葉で締めくくっていたことだろう。
しかし、いまの僕はそんな気遣いも気持ちの負担になる。
申し訳ない。
僕が観た映画リスト、追記を見てやってください。
もういい。
とうぶんブログは辞める。
アクセス解析見るたびに、頭に血が上るから。
(今、頭に血が上ってる状態)
そりゃあ、僕のブログや僕という人間に、それだけの魅力がないから誰も読んでくれないのだろうけど、だからといって自分のやってることを認めてもらえないのには耐えられない。
僕は弱い人間なんだよ。
日記は、ネットに公表せずに書くこともできる。
本来、日記とはそういうものだ。
ブログで公開するということは、なにがしかの反応が欲しいからだろう?
それとも、エサをつけずに大海に釣り糸を垂らす心境か…?
僕も最初はそれに近かったが、今ではもう耐えられない。
僕はいろいろ苦しんでる。
それは第三者的に見れば、とるに足らないことだろうと思うよ。
僕自身の努力や、力が足りないことなんだろうよ。
でも、僕みたいに、「人並みのことができない」というのは悲しいことなんですよ。
努力…。努力できるかどうかも才能のひとつだよ。
小さい頃からそうだった。みんなができることが僕にはできないんだ。
他の子が、いとも簡単にやっているのに、それが僕にとっては難しかった。
大人になってからもそうだった。
暗闇に落ちていくような不安感が襲ってくるんだよ。
借金、経済的破綻、離婚…。
そういう悩みももちろん僕にのしかかってくるけど、それは結果でしかない。
僕を苦しませ、困窮に追いこむのは僕自身なんだ。
働きに出ても続かない。
人と接すれば衝突し、憎悪を抱く。
独立して仕事を始めたけれど、仕事はとれない。いや、仮に仕事が入ったとしてもこなせない。
やる気が出ない。集中しない。
責任を放棄してしまう。
抑うつ、イライラ、攻撃性、最近では軽度ではあるけど不随意的な症状も出てきている。チックというやつだ。
精神科には一度行ったが、金がないから続けられない。医者とも反りが合わない。
ああ、妻の人生を狂わせた重い罪悪感…。
気が狂いそうだ。
それに加えて、頼れる人もいない。
経済的にも、精神的にもだ。
友達はいない。
両親…、両親は別れて別々に暮らしているが、ふたりとも楽じゃない。本当は僕が面倒見なくてはいけないくらいなんだ。
父親とは音信不通だ。生きているかさえ知らない。まあ、もし万一のことがあれば連絡は入るだろうから、生きてはいるのだろうけど…。彼は手に職があったから生きてこれたが、向上心のない男だった。仕事して酒を飲み、休日には昼寝しているだけだった。でも、社交性はあったし、仕事できるんだから僕よりよっぽどましだけど…。
母親は、子どもの頃から貧乏で苦労してきた人だ。しかも結婚に失敗して女手ひとつで僕ら兄弟二人を育てた。しかし、その後もいろいろとトラブルがあって、幸せな生活を手に入れることができない…。
そんな母親に、のこのこ相談に行けるか?
「僕、仕事に集中できないんだけど…」
「借金の肩代わりしてくれないかな…」
そんなこと言えない。母は厳しい生活に耐える強い部分もあるが、本来は(僕のように)弱い人間だ。40を前にした息子が、自立さえできないのを知らせるわけにはいかない。
僕は両親のそれぞれ悪いところを受け継いだんだ、そう思うこともある。
でも、親のせいにして、それを責めたりしてどうなる?
例えば直接、「あんたらの育て方が悪かったせいで僕はこうなったんだ!」なんてことを言う。
15、6のガキならまだしも、親たちはもう老境にさしかかっている。その歳になってからそんなことを聞かされるなんて酷いじゃないか? それに、状況が好転しないままいつか親が死んだら、そんな言葉を吐いた僕自身も苦しむことになる。
僕だってプライドがある。
弱い自分が…、人並みの能力を持たない自分が…、やる気のでない自分が許せない。
でも、どうしようもない。
どうしたらいいのか分からない。
これからどうなるんだろう?
どんどん年をとってくるのに、何もできることがない。
未来がない。
専門学校時代の恩師に最近言われたように、ホームレスになるしかないのかな…?
(なーんにも考えずに休みたいなァ…)
このブログは「心情を吐露するブログ」として書いてきた。でも、「抑うつ日記」とか「イライラ日記」にはしたくなかった。もしかしたらそういうタイトルでやっていたほうが、アクセス数はあがったかもしれない。例えば、うつ病関連の日記の多くは、同じ悩みを持つ人たちが集まり、お互いに励ましあったりしているのをよく見かける。
僕は医者によるとうつ病ではないらしいが、なんらかの欠陥をかかえているのは事実らしい。
このブログでもたびたびそれに触れている。
でも、励ましてくれる人は少ない。
そんなうつ病の人たちの日記に寄せられるコメントを読んでいると、不謹慎だけど嫉妬さえ覚える。
僕は「励ましてくれ」と言ってるわけじゃないし、励まされてもかえって困るだろう。しかし、どうしてこうも反応が違うのだ?
はっきりと病気と診断されていないからか?
それとも、僕が嫌な感じだから…?
あるいは、死にそうにはないからか(そう、確かに今のところは死ぬような症状はないし、自殺したりする気もない。以前はよく死にたいと言ってたけれど、妻の涙を見てそう考えるクセは治まった。でも、妻と別れてこれからはどうなるのかな…)。
37歳の、小太りの男の苦しみには興味がないか?
全部、自己責任と言いたいか。
何百回と聞いたが、僕はただの甘ったれなのか?
第三者がそう言うのは簡単だろうし、そのなかには事実も含まれているだろう。
僕がどうなろうと知ったことじゃない、というのも確かに真理をついている。
でも、うつ病の人の苦しみも、僕の苦しみも、それから、さらに残酷で理不尽な苦しみがあることも知識では知っているが、その苦しみがすべて”事実”であることには変わりがない。
大衆にとっては、「苦しみ」というのもある意味、コンテンツのひとつなのかもしれない。
きちんとしたコンセプトで、(無意識的にでも)マーケティングをし、人の気をひく切り口やヴィジュアルを使って「苦しみ」を訴えれば、人は集まる。
僕のブログはそれができなかっただけ…。
それに加えて、僕という人格を気に入ってもらえなかっただけ…。
最後になりましたが、真摯に読んでくださった少数の方々、ありがとうございました。
もう、僕の弱さが限界になってしまったので、こういうことになりました。
でもいちおう、辞めるという言葉に、「とうぶん」というのを頭につけてみました。
またやる気になったら始めるかもしれない。
その時はもう皆さんはいらっしゃらないと思うけど…。
…あ、もしかしたら、そちらへコメントは入れさせてもらうことがあるかもしれません。
その時はよろしく。
※うつ病のことを例に挙げたけれど、気に障ったらごめんなさい。他意はありません。

とうぶんブログは辞める。
アクセス解析見るたびに、頭に血が上るから。
(今、頭に血が上ってる状態)
そりゃあ、僕のブログや僕という人間に、それだけの魅力がないから誰も読んでくれないのだろうけど、だからといって自分のやってることを認めてもらえないのには耐えられない。
僕は弱い人間なんだよ。
日記は、ネットに公表せずに書くこともできる。
本来、日記とはそういうものだ。
ブログで公開するということは、なにがしかの反応が欲しいからだろう?
それとも、エサをつけずに大海に釣り糸を垂らす心境か…?
僕も最初はそれに近かったが、今ではもう耐えられない。
僕はいろいろ苦しんでる。
それは第三者的に見れば、とるに足らないことだろうと思うよ。
僕自身の努力や、力が足りないことなんだろうよ。
でも、僕みたいに、「人並みのことができない」というのは悲しいことなんですよ。
努力…。努力できるかどうかも才能のひとつだよ。
小さい頃からそうだった。みんなができることが僕にはできないんだ。
他の子が、いとも簡単にやっているのに、それが僕にとっては難しかった。
大人になってからもそうだった。
暗闇に落ちていくような不安感が襲ってくるんだよ。
借金、経済的破綻、離婚…。
そういう悩みももちろん僕にのしかかってくるけど、それは結果でしかない。
僕を苦しませ、困窮に追いこむのは僕自身なんだ。
働きに出ても続かない。
人と接すれば衝突し、憎悪を抱く。
独立して仕事を始めたけれど、仕事はとれない。いや、仮に仕事が入ったとしてもこなせない。
やる気が出ない。集中しない。
責任を放棄してしまう。
抑うつ、イライラ、攻撃性、最近では軽度ではあるけど不随意的な症状も出てきている。チックというやつだ。
精神科には一度行ったが、金がないから続けられない。医者とも反りが合わない。
ああ、妻の人生を狂わせた重い罪悪感…。
気が狂いそうだ。
それに加えて、頼れる人もいない。
経済的にも、精神的にもだ。
友達はいない。
両親…、両親は別れて別々に暮らしているが、ふたりとも楽じゃない。本当は僕が面倒見なくてはいけないくらいなんだ。
父親とは音信不通だ。生きているかさえ知らない。まあ、もし万一のことがあれば連絡は入るだろうから、生きてはいるのだろうけど…。彼は手に職があったから生きてこれたが、向上心のない男だった。仕事して酒を飲み、休日には昼寝しているだけだった。でも、社交性はあったし、仕事できるんだから僕よりよっぽどましだけど…。
母親は、子どもの頃から貧乏で苦労してきた人だ。しかも結婚に失敗して女手ひとつで僕ら兄弟二人を育てた。しかし、その後もいろいろとトラブルがあって、幸せな生活を手に入れることができない…。
そんな母親に、のこのこ相談に行けるか?
「僕、仕事に集中できないんだけど…」
「借金の肩代わりしてくれないかな…」
そんなこと言えない。母は厳しい生活に耐える強い部分もあるが、本来は(僕のように)弱い人間だ。40を前にした息子が、自立さえできないのを知らせるわけにはいかない。
僕は両親のそれぞれ悪いところを受け継いだんだ、そう思うこともある。
でも、親のせいにして、それを責めたりしてどうなる?
例えば直接、「あんたらの育て方が悪かったせいで僕はこうなったんだ!」なんてことを言う。
15、6のガキならまだしも、親たちはもう老境にさしかかっている。その歳になってからそんなことを聞かされるなんて酷いじゃないか? それに、状況が好転しないままいつか親が死んだら、そんな言葉を吐いた僕自身も苦しむことになる。
僕だってプライドがある。
弱い自分が…、人並みの能力を持たない自分が…、やる気のでない自分が許せない。
でも、どうしようもない。
どうしたらいいのか分からない。
これからどうなるんだろう?
どんどん年をとってくるのに、何もできることがない。
未来がない。
専門学校時代の恩師に最近言われたように、ホームレスになるしかないのかな…?
(なーんにも考えずに休みたいなァ…)
このブログは「心情を吐露するブログ」として書いてきた。でも、「抑うつ日記」とか「イライラ日記」にはしたくなかった。もしかしたらそういうタイトルでやっていたほうが、アクセス数はあがったかもしれない。例えば、うつ病関連の日記の多くは、同じ悩みを持つ人たちが集まり、お互いに励ましあったりしているのをよく見かける。
僕は医者によるとうつ病ではないらしいが、なんらかの欠陥をかかえているのは事実らしい。
このブログでもたびたびそれに触れている。
でも、励ましてくれる人は少ない。
そんなうつ病の人たちの日記に寄せられるコメントを読んでいると、不謹慎だけど嫉妬さえ覚える。
僕は「励ましてくれ」と言ってるわけじゃないし、励まされてもかえって困るだろう。しかし、どうしてこうも反応が違うのだ?
はっきりと病気と診断されていないからか?
それとも、僕が嫌な感じだから…?
あるいは、死にそうにはないからか(そう、確かに今のところは死ぬような症状はないし、自殺したりする気もない。以前はよく死にたいと言ってたけれど、妻の涙を見てそう考えるクセは治まった。でも、妻と別れてこれからはどうなるのかな…)。
37歳の、小太りの男の苦しみには興味がないか?
全部、自己責任と言いたいか。
何百回と聞いたが、僕はただの甘ったれなのか?
第三者がそう言うのは簡単だろうし、そのなかには事実も含まれているだろう。
僕がどうなろうと知ったことじゃない、というのも確かに真理をついている。
でも、うつ病の人の苦しみも、僕の苦しみも、それから、さらに残酷で理不尽な苦しみがあることも知識では知っているが、その苦しみがすべて”事実”であることには変わりがない。
大衆にとっては、「苦しみ」というのもある意味、コンテンツのひとつなのかもしれない。
きちんとしたコンセプトで、(無意識的にでも)マーケティングをし、人の気をひく切り口やヴィジュアルを使って「苦しみ」を訴えれば、人は集まる。
僕のブログはそれができなかっただけ…。
それに加えて、僕という人格を気に入ってもらえなかっただけ…。
最後になりましたが、真摯に読んでくださった少数の方々、ありがとうございました。
もう、僕の弱さが限界になってしまったので、こういうことになりました。
でもいちおう、辞めるという言葉に、「とうぶん」というのを頭につけてみました。
またやる気になったら始めるかもしれない。
その時はもう皆さんはいらっしゃらないと思うけど…。
…あ、もしかしたら、そちらへコメントは入れさせてもらうことがあるかもしれません。
その時はよろしく。
※うつ病のことを例に挙げたけれど、気に障ったらごめんなさい。他意はありません。
うーん、また困った…。
忍者TOOLSを設置して、今朝そのことについて記事を書いたら、コメントいただいて、ちょっと悩んでいます(悩むのが趣味だね、ここまでくると…)。
そのコメントのニュアンスからすると、解析ツールがあるのはあまり気持ちのよいものではない、ということなんです。
その方のコメントを引きあいに出すまでもなく、当の僕自身が、解析ツールを使ってるサイトにお邪魔する時は、恥ずかしいような、身構えるような感覚があるし、今朝の記事にもそう書いてしまっているのですから、そのお気持ちは、実は僕の気持ちでもあるんですね。
それが僕は鈍感だから、コメントをいただいて「あ、そうか」ということになったわけです。
僕が楽しませてもらっているサイトやブログは、(解析ツールを使用なさっていても)僕なりに信頼できると判断してお邪魔しているので、管理人の方を疑う気持ちはないんですが、でも一般論として悪い人間はいますし、解析ツールによって、個人情報がどこまで分かるかなど、僕自身が知識のないまま使うのも、ことによると無責任と言えるのかもしれません。
僕がその情報を悪用するかどうか(悪用できるかどうかも知らないのですが)は別問題で、読者にしてみれば、その可能性を疑うだけでも気持ちのいいものではないでしょう。
悪用云々は別にして、自分の動きを解析されることそのものに不快感を覚える人もあるかもしれません。実害が有る無しの問題ではないのだと思います。
ところが、こんなことを書いていると、今度は解析ツールを利用している人を批判しているみたいに思われてしまいます。それも辛いんですよね。
以前、コメントについての議論の時に触れたように、僕は自分が書いたブログにどのような反応があるか知りたいのです。コメントをいただける記事ばかりではないですから、アクセス解析はすごく参考になります。それに、隠れた読者がいるかどうかが分かるのはとても魅力的です。
最初の頃に書いた記事や、プロフィールを読んでくれている人がいるかどうかも、数字として出てくるので助かります。どうなんだろうと頭の中だけで想像して、やきもきするのは嫌なんですね。
じゃあ、どうしたらいいんでしょう。
「僕を信用して下さい」と言っても、そんな問題ではない部分も多いし、そういう意味では、解析ツールについて完璧な知識を身につけて説明をして、「安全です」と宣言したって同じことですね。
それ以前に、そもそも僕を信用してくれないかもしれないし…。
「僕が使いたいから、僕のブログはこれを使います!」
と言って、賛同できない人を切り捨てるのも本意ではありません。それが潔い、という考えもあるかもしれないけど…。
優柔不断と笑うなり、あきれるなり、それはご自由に。
これは困った…。
忍者TOOLSを設置して、今朝そのことについて記事を書いたら、コメントいただいて、ちょっと悩んでいます(悩むのが趣味だね、ここまでくると…)。
そのコメントのニュアンスからすると、解析ツールがあるのはあまり気持ちのよいものではない、ということなんです。
その方のコメントを引きあいに出すまでもなく、当の僕自身が、解析ツールを使ってるサイトにお邪魔する時は、恥ずかしいような、身構えるような感覚があるし、今朝の記事にもそう書いてしまっているのですから、そのお気持ちは、実は僕の気持ちでもあるんですね。
それが僕は鈍感だから、コメントをいただいて「あ、そうか」ということになったわけです。
僕が楽しませてもらっているサイトやブログは、(解析ツールを使用なさっていても)僕なりに信頼できると判断してお邪魔しているので、管理人の方を疑う気持ちはないんですが、でも一般論として悪い人間はいますし、解析ツールによって、個人情報がどこまで分かるかなど、僕自身が知識のないまま使うのも、ことによると無責任と言えるのかもしれません。
僕がその情報を悪用するかどうか(悪用できるかどうかも知らないのですが)は別問題で、読者にしてみれば、その可能性を疑うだけでも気持ちのいいものではないでしょう。
悪用云々は別にして、自分の動きを解析されることそのものに不快感を覚える人もあるかもしれません。実害が有る無しの問題ではないのだと思います。
ところが、こんなことを書いていると、今度は解析ツールを利用している人を批判しているみたいに思われてしまいます。それも辛いんですよね。
以前、コメントについての議論の時に触れたように、僕は自分が書いたブログにどのような反応があるか知りたいのです。コメントをいただける記事ばかりではないですから、アクセス解析はすごく参考になります。それに、隠れた読者がいるかどうかが分かるのはとても魅力的です。
最初の頃に書いた記事や、プロフィールを読んでくれている人がいるかどうかも、数字として出てくるので助かります。どうなんだろうと頭の中だけで想像して、やきもきするのは嫌なんですね。
じゃあ、どうしたらいいんでしょう。
「僕を信用して下さい」と言っても、そんな問題ではない部分も多いし、そういう意味では、解析ツールについて完璧な知識を身につけて説明をして、「安全です」と宣言したって同じことですね。
それ以前に、そもそも僕を信用してくれないかもしれないし…。
「僕が使いたいから、僕のブログはこれを使います!」
と言って、賛同できない人を切り捨てるのも本意ではありません。それが潔い、という考えもあるかもしれないけど…。
優柔不断と笑うなり、あきれるなり、それはご自由に。
これは困った…。
おかしなバナーがくっついたのに気がつかれましたか?
このバナー、ご存知の方はよくご存知だと思いますが。
『shinobi.jp』って書かれている黒地のやつ、風車みたいなのがクルクル回ってる(ホントは手裏剣?)…。
あれは忍者TOOLSというアクセス解析ツールです。
「このブログのこのページに、何時に何回アクセスがあったか。その人はどんなOSで、どんなブラウザを使っているか」が分かるようになっています。
無料です(有料版もあり、その場合はこのバナーは表示されないそうです)。
僕も知らない頃は、「これ何だろう? 気味悪いな、怪しいな」
なんて思っていたのですが、怪しいものではありません(と思います)。
本来、HTMLに解析用ソースを貼付けして使うものなのに、僕はいつもの記事を書くところに無理やり貼っつけているので、100%機能してないみたいですけどね。
(うまく表示されてるでしょうか。化けてないですか?)
ほんとなら、先ほど書いた機能のほかに、「どこのページから来たか」とか、「どんな検索ワードでたどりついたか」も分かるみたいです。
こういうアクセス解析ツールを使っているページに、頻繁にアクセスしていると、「あ、こいつまた来やがった。暇人だなあ」なんて分かっちゃうみたいです(もちろん個人は特定できないと思いますけど…。詳しくはお調べ願います)。僕なんかそう思われているでしょうね。恥ずかしいな。
この仕組みを知ってからは、この風車クルクルバナーのあるサイトは、(恥ずかしいから)必要以上のアクセスは控えるようにしています(ほかの会社の解析ツールを使っているサイトもね)。
でも、ご安心ください。僕の場合は機能が完璧でないので、そこまでは分かりませんから、気兼ねせずおいでください。
※忍者TOOLSを紹介するかたちになりましたが、僕は素人なのでそのサイトおよび解析ツールの安全を保証するものではありません。皆さん使ってるみたいですが。
このバナー、ご存知の方はよくご存知だと思いますが。
『shinobi.jp』って書かれている黒地のやつ、風車みたいなのがクルクル回ってる(ホントは手裏剣?)…。
あれは忍者TOOLSというアクセス解析ツールです。
「このブログのこのページに、何時に何回アクセスがあったか。その人はどんなOSで、どんなブラウザを使っているか」が分かるようになっています。
無料です(有料版もあり、その場合はこのバナーは表示されないそうです)。
僕も知らない頃は、「これ何だろう? 気味悪いな、怪しいな」
なんて思っていたのですが、怪しいものではありません(と思います)。
本来、HTMLに解析用ソースを貼付けして使うものなのに、僕はいつもの記事を書くところに無理やり貼っつけているので、100%機能してないみたいですけどね。
(うまく表示されてるでしょうか。化けてないですか?)
ほんとなら、先ほど書いた機能のほかに、「どこのページから来たか」とか、「どんな検索ワードでたどりついたか」も分かるみたいです。
こういうアクセス解析ツールを使っているページに、頻繁にアクセスしていると、「あ、こいつまた来やがった。暇人だなあ」なんて分かっちゃうみたいです(もちろん個人は特定できないと思いますけど…。詳しくはお調べ願います)。僕なんかそう思われているでしょうね。恥ずかしいな。
この仕組みを知ってからは、この風車クルクルバナーのあるサイトは、(恥ずかしいから)必要以上のアクセスは控えるようにしています(ほかの会社の解析ツールを使っているサイトもね)。
でも、ご安心ください。僕の場合は機能が完璧でないので、そこまでは分かりませんから、気兼ねせずおいでください。
※忍者TOOLSを紹介するかたちになりましたが、僕は素人なのでそのサイトおよび解析ツールの安全を保証するものではありません。皆さん使ってるみたいですが。